飛び込めそーれ！ |
ゲーム「風色サーフ」の二次創作です。ゲームはすべてのキャラクタールートをクリアしましたが、製作者様の独自裏設定は存じ上げませんので、オフィシャルとかけ離れております。また、ネタバレ満載ですので、ご注意くださいませ。 時期は婚約から少したったころ。ですが、我が家のエリカは徹頭徹尾飛行機バカです。 ネタバレに留意しておりません。また、ゲームをクリアしていない方にはわからない部分が多々あるかと思いますがご承知置き下さい。 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ |
「何馬鹿なことをやっている！」 オズウェルの叱責の声に、別の飛行機の整備をしていたトゥーフォンは肩をすくめた。そして、気遣うように声の方を見る。もしもオズウェルが癇癪を起こしてエリカを必要以上に厳しく怒鳴っているのなら、まあまあまあとへらへら仲裁に入るべきかと考えたのだが、意外にも彼の目に入ったのは、オズウェルよりはるかに険しい顔をし、少し上を向いて、自分より背の高い怒鳴った相手を睨み付けているエリカの姿だった。 「何が馬鹿なことなの!?」 語気荒く言い返されて怯むオズウェルではない。こちらも真っ向から言い返す。 「馬鹿なことだから馬鹿だと言ったんだ。どうしてレンチを木槌でひっぱたく必要がある。この部分は繊細な整備が必要なことはお前にも判っているはずだろうが。手でゆっくりとレンチを回転させ、調整する。そんなことは整備を始めて一ヶ月もしない奴でもわかる事だ。それが馬鹿だといってどこが悪い。」 「…………それはわかっている。だけれどね、私は木槌は使ったけれど、ひっぱたいたわけじゃない。力を加減して叩いたわ。もともとこの部分は小さくハンマーで打撃して、点検をするわ。叩くことが悪いわけじゃない。乱暴に扱うことが問題なのよ。馬鹿と呼ばれる筋合いはないわ！」 「だからといってそこで木槌を使う必要は……」 そこまで叫ぶように言ったオズウェルはエリカの瞳を見て言葉を切った。エリカは妙な具合に怒っていた。普段の彼女ならば、基本的な整備マニュアルに反した行動をとってしまった場合、それを指摘されれば素直に謝る。しかし、今日はそれを認めないどころか、オズウェルに噛み付かんばかりの勢いで怒りまくっている。そして……彼女は緑の瞳に何故か涙を一杯に貯めていた。 (泣く？こいつが？あの人を待っている２年の間、人前で大っぴらに泣かなかったこいつが泣く？) 黙ってしまったオズウェルに、エリカは背を向け、黙々と作業を続ける。彼に注意された作業は、実のところ、エリカも本来的には悪いことだと判っていたのか、先程まで手にしていた木槌は道具箱の奥底にしまいこんでしまったようだ。……他の整備士たちも、エリカの様子を訝り、オズウェルと目があったトゥーフォンが首を傾げると、オズウェルは肩をすくめてみせた。 エリカの様子はこのところずっとおかしかった。怒っていることもあればしょんぼりしていることもある。あるときなど、終業後、オオルリの機体に額をつけてしばらく俯いてもいた。彼女は誰もいないと思っていたのだろう。オズウェルが居るとわかると、だっとドックから駆け出していってしまった。そうなると気にならないほうがおかしい。トレードマークの不機嫌な顔をするのをやめ、彼としては精一杯の優しい声で、何か心配事でもあるのか、と尋ねてみたが、怒っているときのエリカは、プイと彼から目を背けて距離を取ろうとし、しょんぼりしているときのエリカは“ごめんね、オズウェル。でもオズウェルには絶対にわからないことなの。”と寂しそうに言った。わからない、それも絶対……決め付けられたように言われ、小隊一の不器用でぶっきら棒だが優しい青年は胸に手をあてて、自分にどんな落ち度があったか必死に考えたのだが、どうにも何も思い当たらなかった。遠慮のない苦言や注意は今に始めたことではなく、ずっと続けてきたことだし、仕事を離れた場所で何をしたとか言ったとかいうこともない。思い余ってナカジマに相談してみたが、ナカジマは“俺の見る限り、お前が悪いとかどうとかじゃあねえように見えるんだがな”とは言われたものの、“コンビならてめえでなんとかしやがれ”と突っぱねられて終わってしまった。 トゥーフォンとも話をした。トゥーフォンも、整備仲間であるエリカの異変を心配しており、女同士ならば何か話しているかもしれない、ということで、カレンにそれとなく聞いてみたが、収穫は得られなかった。 『確かにエリカは最近元気がないのよね。どうかした？って聞いてもなんでもないわ、って笑って誤魔化すんだけどね。そういえば、このあいだ将来のことを聞かれたっけ。うん、あたしとしては、通信士の仕事も嫌じゃないし、身につけた技能を生かす仕事って民間にはあんましないし、だからしばらくロビュに居るけど、素敵な人から求婚されたら、即永久就職しちゃうわ、って言ったの……あ、これはエリカを元気付ける為で、誰かあてがあるわけじゃないんだからね！……ていうか、エリカはアレックさんと婚約したじゃない？だから結婚の話をしたら元気になるかもしれないって思って。……でもね、なんかますます元気なくしちゃって……これはアレよ！“ウェディングブルー”って奴よ！』 は？とトゥーフォンが眼鏡をずり落としそうになりながら声を上げると、カレンはうん、うん、と心得顔に頷いた。 『結婚って女の子にとってはすっごいことなのよ。いい奥さんになれるかな、とか、そもそも奥さんになるってどんなことなんだろうって頭のなかぐるぐるしちゃって…………。エリカは前から、アレックさんはあんなに大人なのに、私は子供で、全然釣り合いがとれない、なーんて心配してたし、だから、エリカの悩みっていうのはきっと乙女特有の悩みなのよ。でも、それは幸せへの前奏曲なんだから、そっとしておいてあげたら？……元気がないのは確かだから、あたしも心配しているんだけど。』 そうかなあ、そういうのでオズウェルとあれだけの大喧嘩するかなあ、なんか違うと思うんだけどなあ。とトゥーフォンが小声で呟くと、 『あんたに女心がわかるわけないじゃない！』 と何故か物凄い剣幕で怒られ、トゥーフォンはエリカの状況と共に、カレンの状況もまた謎に思うようになった。 エリカのことはアリサも心配していた。尋ねるトゥーフォンに対し、アリサはひと言ひと言考えながら話をした。 『うん、エリカちゃんは、何か話したいことがありそうな感じで私のところにきたよ。……でも、私でよかったら話して、って言ったら、暫く考えていたけど……多分、私にはわからないって寂しそうに言われちゃった。』 わからない……オズウェルが言われたのと同じような台詞だ。 『無理に聞き出すのはよくないって思ったから、なにかあったらいつでも来てねって話して別れたの……それから特にそのことに関係したお話はエリカちゃんからきいてないわ。役に立てなくてご免ね。』 多分、オズウェルが何かしたわけではない。エリカが悩んでいるのはもっと別のことなのだ。 オズウェルはトゥーフォンからカレンとアリサの話を聞き……結局何もわからないことにイラついた。このまま何もせずにはいられなかった。だから……この小隊内で現在もっともエリカと精神的に近い間柄にあると思われるアレックのところに相談に行った。アレックは自室にオズウェルを通し、もともとはエリカの為に調達してきた布張りの椅子にかけさせ、自分は書き物机の前にある椅子を運んできて彼の正面に座る。 アレックはオズウェルからドックでのエリカの様子を聞き、トゥーフォンから教えて貰ったというカレンの話、そしてアリサの話も静かに黙って聴いていた。 「どうなんでしょう。あいつが今のままの状態だと整備の仕事にも支障が出ます。あいつの個人的な悩みでオオルリが整備不良を起こすなんて、俺はそんなのはご免です。」 エリカが心配だからという本当の理由は決して口にしないオズウェルにアレックは微笑んだ。 「エリカの様子がおかしいのは俺も気になっていたよ。……だから心配事はないか、相談したいことがないかい、と幾度か聞いてみた。……でも、彼女は笑って『何でもないんです』と答えるだけだった。」 「……で、あなたはどうしたんですか。」 「どうもこうも……彼女が言おうとしないのなら、そこにはきっと理由があるはずだからね。可能な限り人に頼らず頑張ろうとする。そういう子だよ、エリカは。だから敢えて聞き出そうとはしなかった。」 「……アリサと同じですか。でも、あなたはあいつともうすぐ家族になる人でしょうに。それでいいんですか？」 するとアレックは眉を下げた。 「それに理由はわかっているからね。」 オズウェルは無意識に身を乗り出した。 「そうだね、カレンちゃんの言うことはあながち外れてはいない。でも、彼女のいうように、エリカが結婚ということに不安を抱いているからじゃあない。……そんなことで怒ったり落ち込んだりするような子じゃない。特にオオルリの整備中に感情的になるなんておかしいだろう？……原因の一端は俺にもある。だからこそ彼女は俺に相談できないんだよ。相談したら俺が気に病む、きっとそう考えている。」 淡々と話すアレックにオズウェルは不機嫌そうに言う。 「……随分自信があるみたいですが、エリカの悩みがどうしてわかるんです。何一つ相談されていないのに？」 「……オズウェル。俺は伊達に隊長職を何年もやってきたわけではないよ。言葉で聞かなくても、わかることはいろいろある。彼女がどういったときに怒るのか、しょげるのか、誰にどんな風に相談しているのか。何故俺に相談してこないのか……いろいろ考え合わせれば答は出る。」 「だったら、それが何なのか教えて下さい。今のままじゃ俺はあいつに対して爆発してしまうかもしれません。」 救国の英雄は首をゆっくりと横に振る。 「…………君はエリカとコンビを組んでいるんだろう……君にもいつかわかる。いや、君には君自身が考えて正解にたどり着いて彼女を理解してやって欲しいんだ。…………そう、俺はこれからもずっと……ずっと長い間君がドックでエリカと一緒に仕事し続けてくれることを望んでいるんだ。………………君もそうだろうが、彼女は飛行機が大好きなんだよ。」 そして、悲しそうに付け加えた。 「俺が君と同じくらい若かったなら、少しはよかったんだが……。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ エリカは悩んでいた。それは今現在目の前にあるものではなく、未来への不安であったが、そう遠くはないものであるはずだった。いくら考えても答は出ない……そう、その時になってみなければ、どうなるのかはわからないのだ。しかしエリカが考える限り、展望は決して明るいものではなさそうであった。 彼女は誰かに相談したかった。しかし、仕事の上で一番近い位置に居るオズウェルは、このことに関してだけ言えば、彼女の心を波立たせるだけの存在だった。カレンには理解して貰えないだろうと思い、その通りだった。アリサはきっと理解してくれるだろうと思ったが、立場がエリカと全く異なっていた。そして……考えても考えても答の出ない問いを考えるときに、安らぎと自分で更に考えるだけの気力を与えてくれるだろうアレックは、絶対に相談してはいけない相手であった。 彼女は小隊の外に相談相手を求めた。サラとセルジュの母、フォンク亭のおかみさん……彼女は親身に相談に乗ってくれ、答をくれたが、それはエリカが欲しかった答ではなく、心の中では泣きそうになっていた。とぼとぼと店を出て行くエリカに気づいたサラが追いかけてきて話を聞いてくれた。彼女はとてもよく理解してくれた。……サラが決してエリカの苦しみを本当には理解できないことまで理解してくれていた。 彼女が今一番相談したかったのは故郷に居る両親だった。父はオイルにまみれた手を忙しく動かし、黙々と自動車整備をしながら、真剣にエリカの話を聞いてくれるだろう。母もそうだ。母はエリカがどのように育ったかを知っている。『エンジンが友達の変わり者の女の子』がいかにその友達を好いていたかを知っているのだ。 しかし、両親はここには居ない。休暇を取り、帰省してまで両親に相談すれば二人に過度の心配をかけてしまう。 だからエリカは一人だけで悩んでいた。……一人になりたくて、小隊内の砲台跡に上り、崩れた石垣の大き目の石に腰掛けて、眼下に広がるロランドの町を見るともなしに見る。立て膝し、その膝の上で頬杖をつき……いつしか頭が膝の間に入ってしまい、無性に泣きたくなってきた。そこではっと気づき顔を上げる。こんなところを誰かに見られたら……さっきは誰も居なかったけれど …………見回すと、大きな姿が目に入った。 「！」 そこに居たのはティノだった。ティノはゆっくりと会釈し、目を瞬いているエリカに向かい、手招きをした。 「？」 招きに従って彼に近づいていくと、そこには美しい白い花が咲いていた。 「わあ、綺麗ですね！」 少しだけ表情を和らげたエリカにティノは頷き、前掛けを外すと石畳の上に敷き、エリカに座るよう目で合図した。 「あ……でも、それは悪いです」 いいんだ、というように無言で頷くティノに、エリカは勢い良くお辞儀して座った。ティノも少し離れた場所に腰掛ける。 エリカは白い花をじっと見、見続け……はっと気づいたときにはさっきまで何を見ていたのか忘れてしまっていた。そんなエリカの方を見てティノは無言のまま心配そうにしている。 「……」 エリカは薄く口を開いた……自分は子供で、どうしようもない甘えん坊だ……今もこうしてティノに甘えようとしている……しかし、甘えている、と認識しつつ、言葉が出るのを止めることはできなかった。 「……そのとき、ネジが堅くしまっていました。いくらレンチで回そうとしてもびくともしなかったんです。……そのネジは乱暴に扱ってはいけないことになっていました。他のネジの場合、手でだめならばレンチを木槌で叩いて回します。でも、そのネジに限っては木槌は使わないことになっていましたし、そう決まっていても今まで特に支障はなかった……でも、私の力じゃ回らなかった。オズウェルやトゥーフォンに頼んだら、レンチを素手で回してくれたと思います……でも、私はどうしても自分で回したかった。このネジは一人で回さなくちゃダメだって心に決めて、だから木槌を使ったんです。……どんな男の人に比べても、私はどうしようもなく非力です。でも、頼りたくはなかった。それを注意されて……オズウェルには悪いことをしました。オズウェルは言わなくてはいけないことをちゃんと言ってくれただけなのに、私が意地になっていただけなんです。それを私は怒鳴って酷いことを言ってしまいました。 …………怖いんです。これから先にどうなるかを考えると……そして、オズウェルが羨ましくて仕方なかった……。 私……私、アレックさんと婚約しました。…………まだいつか決まっていませんけれど、少ししたら結婚することになります。…………どんな風になるかわからないんです。…………両親がどうしてきたかは知っています。私の家は自動車整備場でした。母は家事もし、時には父の仕事も手伝って家と仕事場を往復していたんです。……私、結婚したら、母がそうしていたようにごはんを作りたいんです。洗濯だって、縫い物だって、したいんです。……でも、それをやって、私、今と同じようにあの子達のお世話ができるんでしょうか。ティノさんにごはんを作って貰っている今だってくたくたになってベッドに倒れこむことが週に１度はあるのに、家のことを整備の仕事に加えてできるんでしょうか。まだ色々勉強したい。整備の勉強だけじゃなくて飛行機設計の勉強をして図面もひけるようになりたい。でも、そんなことできるんでしょうか。………………赤ちゃんだって…………欲しいです。でも…………私は王国軍で初めての女性整備士です。国中探しても私しかいないんです。だから結婚したら、王国軍で始めてての既婚の女性整備士ということになります。……そして……赤ちゃんができて、お休みをとって、そのあとに軍に戻ってきた女性は……事務的なお仕事と看護の分野にしかしないんです。しかもその数は多くありません。……実際、私が親方さんやオズウェルだったら、赤ちゃんを育てるために長い休みを取るような部下がいたらとても迷惑だと思います。赤ちゃんのためだといっても、休んでいるということ自体は怪我や病気で休んでいるのと同じなんですもの。そんな人はドックにいたら迷惑なんです。オズウェルが羨ましい……男性なら、結婚しても、赤ちゃんができても、“仕事を失うかもしれない、あの子達のお世話ができなくなるかもしれない”なんてほんの少しも悩まないでいいんですもの！ カレンは今の仕事をずっと続けたいって思っていませんでした。アリサは……アリサは、この場所でずっとということでなければ看護師の仕事をずっと続けられます。看護師には男性よりも寧ろ女性が多いですし、民間にも働く場所がたくさんあります。どの町にも、村にも。ロランドにだって。でも、私は？ 私、フォンク亭のおかみさんにも相談してみました。……でも駄目でした。おかみさんは言いました。『確かに失うものがいろいろあるかもしれない。でも、女の子はそうして失ったものよりもっと大きな素敵なものを受け取るのよ』……って。そうじゃない、そうじゃないんです。おかみさんがおっしゃった『素敵なもの』が何かはわかります。でも、それはオオルリとどちらが素敵か、なんて比べることができるものじゃない、両方私にとっては唯一無二なんです。……………………それでも、もし、どうしてもどちらかを選ばなければいけないのなら、私は躊躇なくオオルリを捨てることになるのだと思ったら無性に悲しくて。だって…………アレックさんと私を近づけてくれたのはオオルリなのですもの。飛行機なのですもの。私は物心ついたときからずっとエンジンをいじってきて……エンジンの唸りを聞いただけでその子の調子がわかるようになっていて…………だのに、幸せなはずの出来事のために、二度とエンジンに触れなくなるなんておかしい……私女の子に生まれつかなければよかった。ううん、女の子でもよかった。アレックさんに出会わなければよかった、恋なんて知らないでいたらずっとオオルリと居られた、なんて酷いことまで考えたりして…… サラにも話を聞いてもらって。……サラは『誰がどういっても、最後はあなたの気持ちの問題だから』と言いました。……その通りなんです。でも、私、例えば五年後に私が整備士でなくなって、おかみさんのいう『幸せ』を手に入れてぬくぬくと暮らしていたら……今の私はそれを受け容れられない。ずっとオオルリと居たい。でもどうしていいかわからない。頑張って、今よりもっともっとしっかりした技術を身に着けても、置いてもらえるかどうかわからない。でも、やはり飛行機に関わっていたい。…………私って、言いようもなく我侭なんだと思います。どっちも……どっちも自分の腕の中にぎゅっと抱きしめて逃がしたくない。」 堰を切ったようにまくしたてていたエリカだったが、話しているうちに、その口調はティノに訴えるというよりは自分自身に言い聞かせるように変化していった。……そう、エリカにはわかっているのだ。今気に病んでもしかたないこと。自分が頑張ればいいというような単純なものではないこと。 「結局、一人でむしゃくしゃして、オズウェルにあたってしまって……申し訳ないことをしました……後で……謝らなくちゃ。……やっぱりオズウェルには判ってもらえないとは思うけれど。」 エリカにずっと注がれていたティノの視線が、彼女を通り越してずっと先の方に移ったのにエリカは気づき、おそるおそる振り向いた。そこにはアレックが居た。 「！」 「エリカ、オズウェルが探していたよ。……なんとなくここじゃないかと思って呼びに来たんだ。もうすぐ午後の始業だろう。親方に叱られる前に戻った方がいい。」 硬直気味のエリカの肩にティノが大きな手を置いた。それでエリカは我に返って立ち上がる。 「ティノさん……すみません、いろいろ聞いて貰って。」 いいんだ、というようにティノはエリカの背を押してアレックの方に送り出す。アレックはティノに会釈し、やってきたエリカの肩にそっと腕をまわした。 「……あの……あの、どこらへんから聞いていましたか。」 「……どこだったかな…………でもね、多分、ああいったことでエリカが悩んでいることは予想していたからね。………………あのね、エリカ…………例えば君が何年か自分の時間をしっかりとって勉強をしたいと思うのなら、俺はその間待っていたっていいんだよ。俺は君を二年も待たせたんだし、俺に翼をくれた君から俺が翼を奪うなんてことがあってはいけないからね。」 「！…………ううん…………そんなこと……だって、私……そんなことは考えないで下さい。ごめんなさい。」 アレックは笑う。 「謝るようなことはされていないよ。」 そして、手でくしゃくしゃっとエリカの髪を撫で自分の方にぎゅっと引き寄せ額にキスする。 「あ……あの、アレックさん、どうしたんですか。」 「ん……？……ああ、ちょっと嫉妬した。」 アレックに相談したなかったことを寂しく思われていたのかと、エリカはまたちょっと身を堅くする。 「嫉妬……って……ティノさんにですか？」 「ううん。……オオルリに、だよ。」 そうして彼はもう一度婚約者の少女の額にキスをした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それから幾日かが過ぎた。夏もそれほど気温の上がらないユクトランドであるが、その日はうだるような暑さで、ドックの中は窓を開けていても熱気で満ちていた。皆汗だくになり、首筋や額に流れる汗を腰に下げたタオルで拭い、脇にはじっとりと汗の染みが浮き出ていた。 「よーし、今日はもう仕舞いだ。」 ナカジマの終業宣言が出ると、まずトゥーフォンがあちいあちいと大げさに騒ぎつつ作業服のボタンを外しながら外に駆け出した。表に出るとブーツを脱ぎ捨て裸足のまま離着水桟橋へ。すると、その後を追って、皆がうぉー、と歓声をあげながら駆け出す。それもトゥーフォンと同じように作業服のボタンを外し靴を脱ぎ……そして走っていく途中で作業服から片足を抜き、もう一方の足を抜き、シャツを脱ぎ……上半身は裸、下は下着だけとなり、ベテランから若手まで、オズウェルまでもが子供のようにはしゃぎながら離着水桟橋までなだれ込み、次々に海へと飛び込んだ。呆気に取られるエリカの背後からナカジマの豪快な笑い声が聞こえた。 「初めて見るんじゃ驚くのも仕方ねえか。エリカ、お前がここに来て最初の夏にはもう戦争がはじまっちまって悪ふざけもできなかったもんなあ。だが、それまでは無闇に暑い日にゃあ皆でああして海に飛び込んだもんさ。平和なロビュの“夏の恒例行事”ってえことだな。」 ある者は足から、ある者は頭から海に飛び込み海に入って尚、泳ぐだけではなく、子供のように水の掛け合いをしたり、しがみ付いて海中に引きずり込む悪ふざけをしてみたり……ドックの中に残っているのはナカジマとエリカの他には居なくなった。 エリカはぼうっと同僚達の悪ふざけを見、歓声を聞く。 こんなこと、本質的なことじゃない。そう、全然本質的ではない。……でも……これはできないことじゃない。そう、これは今踏み出せばやすやすとできること。やろうと思いさえすればできること。 「親方さん。」 「どうした？」 「私も行ってきます！」 靴を脱ぎ捨て、作業服のボタンを外し、思い切り良く脱ぎ捨てる。赤い半袖のシャツに、手縫いで作った膝丈までの黒のズボン姿になると桟橋まで走る。 そう、考えていてはそこから動けなくなってしまう。必要なのはこうして前へ進むこと。 小さい頃、実家の自動車整備場の整備士達は、夏の暑いとき、王都の外れを流れる川で泳いで涼をとった。岸でおそるおそる片足だけを水につけ、水に入るのを躊躇するエリカに、自動車整備工達は口々に叫んだ。 『エリカお嬢ちゃん!!ぽーんと飛ぶんだ！怖いことなんかなんにもありませんぜ。』 両親の顔を見れば二人とも笑っていて、エリカは思い切って岸から大きく跳んだ。 『飛び込め、そーれ！』 離着水桟橋から空中に身を躍らせたとき、誰かが頭の中で叫んだ。それは父の弟子の誰かの声のようであり、両親のどちらかの声のようであり……いや、それはエリカ自身の声だった。 ばちゃん、と大きな水飛沫を上げてエリカが飛び込んだところにはオズウェルが居た。 「なっ……何馬鹿なことをやっている!?」 信じられない、といった風に目を見開くオズウェルにエリカは笑う。 「馬鹿じゃないわ。私、王都の川でよく水遊びしていたから泳ぎは上手いの。絶対に溺れたりはしないわ!!」 「そんなことを言っているんじゃあない！」 「……私が馬鹿ならオズウェルも馬鹿よ？同じことをやっているんだもの。」 エリカがここ暫く見せたことがない輝くような笑顔で笑っているのを見、オズウェルはそれ以上不機嫌に怒鳴るのをやめた。そのオズウェルにトゥーフォンが飛び掛って彼の頭を海に沈め、トゥーフォンにエリカが水を掛け………… 離着水桟橋から聞こえるいつにない喧騒に、休息時間に入った兵士達が見物に来、囃し立て始める。いつしかブリーフィングを終えたパイロット達も来て、それに気づいたエリカが海の中から『アレックさん、私、ここですー！』と大声で叫んで大きく手を振った。航空班の隊長は、副隊長の青年から愛情を込めた冷やかしの言葉を浴びせられながら、頭の先までびしょ濡れになった婚約者に目を細め、小さく手を振り返した。 |
| 「アレックさんはエリカちゃんから翼を貰ったけれど、アレックさんがエリカちゃんから翼を奪うこともあり得るな」……そう考えたのは、アレックさん帰還後のエリカちゃんと飛行機の関係を設定していたときでした。いくら架空戦記とはいえ、あの時代、結婚し、子供ができたとき、整備士として第一線で働くのは不可能に近いと思います。そんな未来予想図をエリカちゃんが描いてしまったとしたら、誰に相談するだろう………オズウェルにはわからない。女友達も、おかみさんも、…アレックさんには話せない。……最後にたどり着いたのがティノさんでした。 文中アレックさんがオズウェルに「君と同じくらい若かったら…」と言いますが、それは、もしも若かったなら、あと数年は結婚せずに仕事に熱中させてあげられたのに、という意味です。 いずれにせよ、「こうしたい・こうありたい」と思う方角に彼女は進んでいきます(むろん沢山の人に支えられて)。 この文のあと、びしょ濡れのエリカちゃんが海から上がってくるときにこそ「この馬鹿ッ!!」というオズウェルのこの世のものとも思えぬ大音量の叫びがあがることでしょう。その横からさっと大判のタオルが差し出されてアレックさんにがしがし髪を拭かれると宜しいです。 |
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