フギン＆ムニン |
「わあ、おなかがすいていたのね。今あげるから、つつかないでね。」 アリサはドックの裏手で、ロビュ小隊のマスコットともいうべき二羽のワタリガラスフギンとムニンに餌を与えていた。いつもは誰か別の人間が餌をやっているらしいのだが、一時的にそれができなくなり、整備士のエリカを通してアリサにその仕事が託されたのだ。アリサは詮索しなかったけれど、いつも餌をやっているのが誰かということはなんとなく予想がついている。以前、オズウェルが手に怪我をしたとき……治療が必要なのに渋って中々医療室に来ようとしない彼の腕を掴んで無理にひっぱっていこうとしたとき、手袋と作業着の間のところに薄い引掻き傷のようなものがあった。あれはこの二羽がつけたものに違いない。 アリサも初日には全長50㎝を超えるかという近くで見ると実に巨大な二羽に突撃され爪で引っかかれて随分怖い思いをしたのだが、攻撃しているのではなく、純粋に餌が欲しいだけなのだとわかってからは二羽に話しかける余裕も出来、腕に引掻き傷がついても特に気にしなくなった。……引掻き傷といっても血が出るようなものではなく、皮が白く傷つく程度のものだから。 「はーい、今日はこれでおしまい！」 餌の入っていた容器を逆さにしてパンパンと叩くと、二羽はそれを合図に空に還って行く。現金なんだから、でも、人に慣れすぎるのは良くないよね、とアリサは見上げて微笑む。 空を飛ぶフギンとムニンは実に気持ち良さそうだ。地上から飛び上がるときにはその黒い羽根を力強く羽ばたかせ、空に上がってからはおそらく風を捕らえているのだろう。羽根を大きく広げたまますーいっと舞うように滑空する。 (もしも私が鳥だったら、あそこから地上はどんな風に見えるのかな。) アリサは飛行機で飛んでみたいとは思わないけれど、鳥にはなってみたいと思う。きっとロビュの砦どころか、ロランドの町が一目で見渡せるだろう。あそこに行きたい！と思ったら、何度か翼を羽ばたかせ、降下する。急坂がある、とか道がない、とかそんなことはお構い無しに目的地に到着だ。 「さ、そろそろ戻らなくちゃ」 容器を片手に持って医療室へ歩き出そうとすると、陽気な声が横合いからかけられた。 「今日はオズウェルじゃなくてアリサちゃんが餌をやってたの？」 突然ひょいと現れたコリンにアリサは目を丸くする。 「あはは、驚いちゃった？哨戒から帰ってぶらついてたら、アリサちゃんのことが視界に入って。……これが整備班のエリカちゃんだったらどうってことないんだけど、女の子がここにいるのなんて珍しいからさ、何があるのかな、って覗きに来ちゃった。」 「あ、あの、オズウェルくんが餌をやってるって……やっぱりそうだったんですか」 「あれ？アリサちゃんは知らなかったんだ？あちゃー、俺、まずいこといっちゃったのかな？……オズウェルは俺が知っているのに気付いてないんだろうけど、ドック周辺はパイロットにとっても庭みたいなもんだからさ。……ま、聞かなかったことにしといて。きっとオズウェルもいろいろ詮索して欲しくないだろうからさ。」 そこまで言うとコリンは空に目を移した。 「おー、フギンとムニンは今日も元気そうだねー。奴らはさ、オオルリと競争することもあるんだよ。」 「え？競争ですか？」 コリンは笑う。 「競争っていうかさ、ふと横見ると二羽揃って飛んでることがあるんだな。もちろんプロペラが起こす風には巻き込まれない距離で。競争っていうか縄張り荒らされると思って威嚇してるのかもなんだけど。で、俺もちょっとイタズラ心を起こして追っかけてみたことがあるんだけど……ダメ。オオルリがいくら旋回性能良くても、勝てやしない。」 いかにもしゅんとしたように肩を落とすコリンにアリサが笑った。 「飛行機が鳥より自由に飛べるわけないですよね。」 するとコリンは頭をぐいと起こしてぶんぶんと首を振った。 「いやいやいやいや。今はそうでも、じきに飛行機は鳥より高く遠く速く自由に飛べるようになるさ。人間って言うのは、どんどん工夫して信じられないくらいに技術を発達させていくからね。20年前までは飛ぶなんてこと夢のまた夢だった。20年後にはきっと飛行機は凄いことになってるよ。」 そこでアリサの顔を覗き込んだコリンはおや、と首を傾げた。アリサは硬い表情をしていた。 「それって……いいことなんでしょうか。」 コリンの顔もまじめなものになる。 「…………アリサちゃんはそれがいいことだと思わないんだ？」 「……飛行機がそんなことになったら、きっと、今よりもっと沢山の爆薬を積んで、遠くの国に戦争を仕掛けにいく人たちが出てきます。沢山の人が傷つきます。怪我をするだけじゃなくて死んでしまいます……。」 コリンはわざと呑気な表情を作ってみせる。 「飛行機は飛行機、戦争は戦争。飛行機が発達するのと戦争がどうの、とは違う違う。」 「……でも、飛行機がなかったら、ルプジェロナの国はきっと滅んだりしなかったです……」 「…………アリサちゃんは優しいな。看護師っていうのはきっとそうでなくっちゃいけないんだよね。……でも、空はとっても気持ちいいよ。君も一度空を飛んでみたら、少し考えが変わるかもしれない。あ、そうだ、いつかエリカちゃんみたく俺が後ろにのっけたげようか。」 するとアリサは両のこぶしをぎゅっと握り目を瞑ってふるふると首を振る。 「ダメですッ！人間は鳥みたいに飛べないんですから！飛行機に乗っていて飛行機が故障してしまったら落ちていくしかないんですから！そんな怖いこと!!人間は神様がそうお創りになったとおり、自分の分を越えずにこうして足で立って地面の上を歩いているのが一番です!!」 コリンはアハハ、と笑い、ポンとアリサの背中を叩いた。 「アリサちゃんには飛行機じゃなくて、背中に羽根が必要みたいだな。……でもさ、空はいいよ。敵機さえ来なければだけど。…………怖がることなんてないさ。っていうか、落ちるリスクを認識しても、やっぱり俺は空を飛びたいよ。」 不安そうにしているアリサの背をそのまま撫でる。 「それにね、俺たちは落ちないよ。優秀な整備班にサポートされているし、なんたってロビュにはフギンとムニンっていう守護神がついているんだからね。この小隊のパイロットは誰一人墜ちたりしません！鳥みたいに飛ぶんです！！こう、すいーっと、自由に、そして華麗に！格好良く！俺みたいに！」 その声に反応したようにフギンとムニンが飛ぶ方角を変えた。 「さ、行こうか。もう日が暮れる。ここはすぐに暗くなっちゃって、オオカミさんが出るかもしれないからね。」 小隊の中で最も『オオカミさん』になりそうな男の言葉にアリサは笑い、勢いをつけて歩き出す。 それから少しして、シュレスベルクとの間に戦争が勃発した。開戦の引き金となったロランド空襲の結果、ロビュ独立航空小隊のパイロットは一名が瀕死の重傷を負い、二名が死亡。無事であったのはコリン=グレイディーア中尉一人だけであった。 その日もフギンとムニンは何事もなかったように空を舞っていた。 怪我人の手当てに追われる中、血塗れの包帯を処理しに外に出たアリサは二羽を目にして、深く、深く、息をついた。 |
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