フォンク亭でひとやすみ |
「ヨハン！そこ、扉、押さえてて！うん、そう、ありがと！」 両腕に、『これでもか！』というほど荷物をつめ込んだ麻袋を抱えたセルジュは、食料庫によろよろと入ってきて、古い大きなテーブルにどすっと音をさせて荷をおろした。そして、ヨハンが片腕で抱えていた袋を受け取ると自分が先程置いた麻袋の隣に並べるように置く。 「ふいー！」 そしてそのまま椅子に腰掛け、頬をテーブルにつけて体を投げ出す。 「あー、疲れたー！腕がもげるかと思った！」 ヨハンは眉を下げた。 「助けにならなくてすまん。俺の方が力が強いのだから、もっと多く荷を運ぶべきだった。」 するとセルジュはむく、と起き上がり笑った。 「いーの、いーの！両腕に袋抱えて運ぶのって結構コツがいるんだからさ。ヨハンに一個袋を持ってもらえてほんっとに助かったよ。俺一人だったら、一度運んでからもう一回キャラバンの人たちのとこに行かなきゃいけなかったんだからさ。まーったく、サラ姉ちゃんってば人使いが荒いんだから。うん、ヨハンには十分に助けてもらってるさ、ありがとな。さ、じゃー、袋の中身、片付けなくちゃな。」 セルジュはぽいぽいと袋の中身を並べ始める。殆どが東方からの交易品であるスパイスだ。他にも乾燥させた食材などが瞬く間に机の全面を占領する。てきぱきと仕事をするセルジュの横でヨハンはぼーっと突っ立っていたが、手伝おう、と声をかけるとセルジュはありがたく申し出を受け、二人は棚の所定の位置に瓶や袋を移動させた。 「これで、よし！」 セルジュは腕組みして棚を眺め、自分達の仕事の出来栄えを確認した。 「うんうん、完璧！」 そして、先程と同じようにぐたーっとテーブルに体を投げ出した。ヨハンはセルジュに向かい合うように少しがたがたする古い丸椅子に腰掛けた。すると、セルジュは顔をあげ、少し不服そうに客人の顔を見た。 「？セルジュ、どうしたんだ。俺の顔に何かついているか。」 「いや、そうじゃなくて……ヨハンってさ、いつもきちんとしてるよな。ほら、今だって俺がこんなにぐたぐたしてるのに、ヨハンは背筋を正して座ってる。それからさ……。お酒を飲んだときだってそうさ。他のお客さんはお酒を飲むと陽気になってやたらおしゃべりしたり、がーっと寝ちゃったり、怒り上戸で怒ったり、笑ったり、泣いたり……でも、ヨハンはお酒を飲んでも変わらないだろ？ジョッキ前にして座って、誰かが話すの静かに聞いてるだけで……ほんのちょっとは顔色がかわるけど、それだけだ。」 ヨハンは首を傾げた。 「そうか。自覚はないんだが。」 セルジュは眉を下げた。 「あのさ、ヨハンにとってここは、フォンク亭は、あんまし寛げない場所なのかな？」 またヨハンは首を傾げる。 「いや、そんなことはない。俺の立ち居振る舞いはどこでも変わらない。いつもこうして背を伸ばして座っているのが俺にとっての日常なのでな。」 すると、セルジュはにこっと笑った。 「よかったー。…………俺さ、ヨハンには飛行機のこととかいろいろ一方的に質問しちゃったり、店の仕事頼んじゃったりしてるから……ここが気詰まりな場所になっちゃってたらどうしようってさっき思っちゃったんだ。フォンク亭は誰もが寛げる場所でなくちゃいけないって父さん、言ってたんだ。……父さんのこと、いろいろと忘れちゃってるけど、それはよく覚えてる。」 「誰でもが……？」 「うん、誰でも。……子供も、大人も、おじいちゃんもおばあちゃんも、東の国の人も西の国の人も、北の国の人も、そして南の国の人も。とにかくいろんな人がさ。どんな人でも歓迎して、そして寛いで貰うんだって父ちゃんは言ってた。」 ヨハンが視線を落とす。しかし、薄暗い食料庫では、セルジュにその表情はあまりはっきりとは見えなかった。 「……俺のようにシュレスベルクの人間でも、彼はそう言ってくれただろうか。」 セルジュはうん、と頷いた。 「勿論！父ちゃんなんだからさ。」 『父ちゃんなんだから』という言葉は、よく考えれば何の根拠もないのだが、セルジュの声は力を持っていた。 「……シュレスベルクとユクトランドは敵対関係にある。……人と人との間にも様々な因縁がある……どのような場合でも、そう言ってくれるのだろうか……」 セルジュは、うーん、と唸った。 「……そうだね、シュレスベルクとは戦争をしたんだよな…………俺はさ、もしかして、そういう『因縁』ってのを持った人がここに来たとき、父ちゃんみたいに言えるかどうかわからない。正直、どうしていのかわからなくなっちゃうんじゃないのかな。」 ヨハンが息を呑んだが、その音はセルジュには聞こえてはいなかった。 「…………父ちゃん……四機もシュレスベルクの戦闘機を撃墜したんだ。……もしも……もしもだけど、父ちゃんが撃墜した人の家族がやってきて、『家族を帰せ！』って怒鳴ってきたら……俺、きっと竦んじまう。」 ヨハンが緑色の瞳を見開く。セルジュは……ヨハンが考えていたことと真逆なことを考えている。 「……戦争のときに人を殺すっていうのは、目の前に人がいてそれがどういう人なのかわかっていて殺すのとわけが違う。父ちゃんは戦争だから殺したけれど、普通だったら絶対に人殺しなんてしないんだ。でも、父ちゃんがその人を撃墜したのは本当のことなんだし。……家族を殺された人の気持ちはとってもよくわかる。だって俺の父ちゃんも戦死してるから。……恨まれるのはしかたがないけれど、俺は俺たちにとって父ちゃんがとってもいい父ちゃんだったこと知ってるから、そのことはわかって欲しいと思うし…………あああ、こんなことでうじうじしてちゃフォンク亭の跡継ぎ失格だよね。」 ヨハンは言葉を失っていた。 「………………」 すると、ほわわん、とした声がかけられた。 「そうね、セルジュ、そんなんじゃダメよ〜。」 姉ちゃん、というセルジュの声にサラは微笑む。 「ん、もう。中々戻ってこないから、覗きに来ちゃったわぁ。……ほんとうにダメよ、セルジュ。そんなに突き詰めて考えちゃ。……私たちは、お客さんに寛いで貰うのがお仕事なんだからぁ。……それだけ考えればいいの。セルジュ、その人が喉が渇いていたら、あなたはどうする？」 「え？コップに水入れて渡す。」 「お腹が空いてたら？」 「料理を作る。」 「眠そうだったら？」 「ベッドに糊をきかせたシーツをかぶせて、泊まっていったらどうか聞く！」 サラはふんわり笑い続ける。 「そうよ、それでいいのよ。ね、ヨハンさん、そうでしょう？」 いきなり名を呼ばれヨハンはサラの表情を読もうとする。 が、ふんわり笑っているサラの心の奥底に何があるのかヨハンには掴めなかった。 「さあ、今、お店にはお客さん殆どいないからお茶を入れたわ。ヨハンさんもセルジュもいらっしゃい。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日の夜、フォンク亭の皿洗いを手伝ってから、ヨハンは一人酒を飲んだ。彼の向かいには先程まで飛行機の話を熱心に仕掛けてきたセルジュが座ってうとうとしている。 相当飲んでも酔いは覚えなかった。 ヨハンは人前で寛ぐことをしてこなかった。そうしなければ生きることが困難だったのだ。……今、彼は寛ぎたいと思っているのに寛げない……酔いたいのに酔えない。それが無性に悲しく口惜しかった。 彼の前で無防備に眠るセルジュ……彼のことを子供っぽいという者があるが、それが誤りであることをヨハンは知っている。今朝も日の出前から港に行って、懇意にしている漁師から魚介類を買い付け、先程まで厨房の後始末をし……いくら若いといっても、疲労でうとうとするのはあたりまえであった。 家の大黒柱が戦死し、セルジュは懸命にその穴を埋めようと頑張っている。子供っぽい振る舞いも、周りを明るくするため、また、セルジュ自身が強く居られるための演技も混ざっているのだ……それはセルジュにとって無意識の行動であったけれど。 (俺が君の父親を殺したと知ったら、それでも君は俺を歓迎してくれるのか。このフォンク亭は俺を寛がせてくれるのか。) セルジュの寝顔を眺めながらヨハンは眉を下げた。 そのヨハンの前にナッツの皿が置かれた。 「ヨハンさん、お酒は程ほどにね。……でも、時々は飲みたいときもあるのよね。今日がそういう日だったらゆっくり飲んでちょうだいね………」 ヨハンは頷き、ナッツに手をのばし、酒を飲んだ。 しばらくして様子を見に来たサラは、弟とヨハンが向き合って座ったまま、テーブルに頭を乗せてすうすうと寝息をたてているのを発見し、微笑んだ。 「…………ヨハンさん…………ゆっくり休んで頂戴ね。あなたが休んでいられるときには……」 投げ出されたセルジュの手にはそっとヨハンの手が添えられていた。 |
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