| アルケミストの明けない夜：前編 |
「さあ、着いた。ここが俺のお勧めの酒場。ハインツさん!!お客さんだよ!!」 空が夕焼けで染まる頃、真っ赤なシャツを着、大きな皮袋を背負った若い冒険者の後ろから、初老の男が酒場「金の麦亭」に足を踏み入れた。キョロキョロとあたりを見回す男は、王都に来るのが初めてなのかもしれない。冒険者……テオ・モーンマイヤーは皮袋を背から下ろすと男に渡した。どうやら、男の荷を背負ってやっていたらしい。 「兄さん、じゃ、これが護衛の代金。出発のときに半分渡したからその残りだ。それと、これは荷を背負ってくれた代金。」 「え？背負い賃？いや、別にいらないよ、そんなに重くなかったし。」 旅人の護衛を引き受ける冒険者は数多いが、荷を背負うときには大概別料金を取る。たが、テオの場合、別料金を取るという発想がもとからないらしかった。 と、客から“受け取っておけ、テオ、お客人の気持ちだ”と声が飛び、そう？そんなら、と今度は気持ちよく金を受け取り大切そうに懐の隠しに入れた。 「ひとまず飲み物だよな？えーっと、冷たい奴だったら……」 と、店主のハインツがカウンターから大声を出した。 「酒の飲めないお前じゃ茶かジュースになっちまうだろうが。どうだい、お客人、ここはやっぱり麦酒をジョッキに一杯かい？」 旅人が目を細めると、ハインツはすかさず金属製のマグに樽から麦酒を注ぐ。ちょっと憮然としているテオに旅人が言った。 「兄さん、兄さんのお勧めをみつくろっちゃくれないかい。一緒に旅していて、どうやら兄さんの好みは俺の好みと一緒らしいとわかったからな。」 「わかった、じゃ、ハインツさん、注文頼むよ。」 シチューに、ソーセージに……と注文を出すテオに、ハインツは、お前はここで食べていかないのか？と訊ねると、テオはああ、家で食べるから包んでくれるかな。と言った。 「家で？わざわざ家まで運んで食うのか？」 「んー。流石にこれから帰ってメシの支度するのしんどいし。」 「なら、ここで食えばいいじゃないか。」 「んーー。俺、今日帰ってくるってことねえさんに知らせようがなかったからさ。ねえさん、アカデミーの方にいるかもしれないし、でもさ、アトリエにいるかもしれない。だったらやっぱ早く顔みたいし、ねえさんが家にいたとして、いきなり帰ってメシ欲しいって言うのは嫌だし。」 ハインツが腕組みをしてテオを手招きする。 「何？」 素直にカウンター席に座ったテオは、麺棒で軽く頭を殴られた。 「!!!???マスター、何するんだよ。」 「……お前、リリーのとこに居候しはじめて、もうどのくらいになるんだ。」 「えええ!??えーー？」 テオは指を折って数える。 「かれこれ半年？」 「……そんなことを訊いているんじゃあない。……まだ『ねえさん』呼びか？いい加減、卒業しろ！なんか聞いてて痒くなってくる。」 テオとリリーをよく知る馴染みの客たちが外野から、そうだー！結婚しちまえー！と無責任にはやしたてる。テオはドン、っと席から飛び降りると大声を出した。 「しかたないじゃないか！ねえさんはねえさんなんだから！それに俺は、まだ、そんな、そんな……そんなことッ!!」 真っ赤になってしまったテオを見てまた客がはやしたてる。実際あらゆる意味で「まだ」なのである。食事は可能な限り一緒に食べるが、イングリドやヘルミーナや妖精さんだって一緒だ。部屋は勿論別だし、キスだって……したはしたが、現在までに一回。一回だけ。そう、一回だけだ!!……この頃あれは夢だったのかも、などと思ってしまうこともあるくらいだ。 「言わないでくれよぉ〜〜……俺もわかっちゃいるけどさ。」 と、扉が勢い良く開いた。そこには酒場に不似合いな小さな細い姿。リリーが親代わりになっているイングリドが肩で息をしていた。そして、テオの姿を認めると、普段の“神童”という呼び名が嘘のように顔をくしゃくしゃにして飛びついてきた。 「よかった、帰ってた。アトリエには居なかったから、帰ってないんだと思って、でも、ここかもしれないって……」 テオを見つけた安堵からなのか、イングリドはしゃくりあげはじめる。 「どうしたんだ。イングリド？落ち着いて話して？」 尋常ではないイングリドの様子に、テオは思い切り強くイングリドを抱きしめてから少し体を屈めて目線を合わせ、髪を優しく撫でてやる。 「とにかく、アカデミーに来て！リリー先生が大変なの！」 リリーの名を聞いて、テオの肩がぴくりと動く。周囲を見ればハインツも、馴染みの客達も、早く行け！と目で合図している。テオはイングリドを背負うと、アカデミーに向かって駆け出した。 普段なら「下ろして！一人で歩けるわ」と不平顔でいうイングリドがおとなしく背負われているとあっては、重大なことが起こっているのに間違いない。 「ねえさん、大怪我でもしたのか!?」 「そうじゃない、そうじゃないけど。」 イングリドの返事は要領を得なかった。そうしているうちにアカデミーに着き……その入り口は物々しい雰囲気に満ちていた。この時間、普段なら談笑しながら家に帰っていく通学生の姿がちらほら見えるのだが、小数居る学生達は黙りこくっており、青い鎧を身につけた騎士団員が門の両脇に立っているのだった。騎士は、テオが入っていこうとすると誰何するように腰の剣に手をかけたが、彼の背にイングリドがいるのを見て無言で通してくれた。と、トントン、とイングリドがテオの肩を叩いた。テオがイングリドを下ろすと、彼女はごしごしと目をこすった。 「テオ、有難う。……背負われたまま入っていったら、ヘルミーナに笑われちゃう。……リリー先生は怪我はしていないの。でも、ショックを受けてる。話しかけても返事をしてくれないの。何も見えてないみたいで聞こえてないみたいで……あとは、ドルニエ先生から話を聞いて？」 受付を通り、廊下を歩く。この学問のための建物ではテオのような冒険者は珍しく、その場にいた学生たちは振り返ってひそひそと話をする。二人は奥まった区画まできた。そこには学生が二人立っており、イングリドが少し話をすると、両脇にわかれて通してくれた。 イングリドがノックをし、ドアを開けると、そこには白い作業衣を身につけたドルニエが居た。他にも三人の学生が同じように作業衣に身を固めている。大きな台の上には白い布がかかっており、人間の子供くらいの大きさの何かが布の下にはあるようだった。 「ドルニエさん。ねえさんは……？」 「おお、君か。……そうだな……まず、これを見て貰おうか。」 ドルニエは白い布を外した。それを見てテオは一歩下がる。 「これは……何なんですか？」 それは首を切断された獣の亡骸だった。そして、それはテオが今まで見たどんな生き物とも違っていた。牙を剥き、目は血のように赤く、毛は逆立ち……絶命しているのは確かなのに、今でも踊りかかってきそうな気さえする。 「こんな動物、魔物を含めても見たことが……」 イングリドが首をふる。 「ムーファよ。」 ムーファ？ テオは記憶を掘り起こし…… 「え!?あの広場でよく愛嬌振りまいてたあのムク犬か!?」 と叫んだ。 ムーファは野良犬だった。しかし、餌をくれる人間には進んで芸をしてみせ、子供たちが背に乗っても決して吼えたりせず、とにかく愛想のいい犬だった。この頃は年をとって、寝そべっていることが多くなり、確か、アカデミーの学生が心配して、この学び舎の中庭で飼うことになったはずだった。夜遅くなってリリーを迎えに行ったテオも、ムーファがやってきてさかんに尻尾をふってくれたのを覚えている。 「……これがムーファ？でも、ムーファはこんなに痩せちゃいなかったし、こんなに凶悪な顔をしてもしなかった。どうして……」 「あのね、ムーファが立てなくなっちゃって、それで、お薬をあげたんだけど、それでも治らなくて……ムーファが痙攣してこのままじゃ死ぬかもって私達が心配して。」 「リリーが新しい薬を試したのだ。」 ドルニエが重々しく言った。 「まだ、その薬はテストもしていなかったが、リリーはムーファの容態を心配するあまり、いきなり相当な量を処方した。結果、犬は予想もしなかった凶暴性を発揮してしまった。足腰がたたなかったはずなのに、尋常とはいえない跳躍力を示し、牙を剥き、学生５人を襲った。そのままアカデミーの外に逃げ、更に人を３人襲い、最後に騎士団に斬り捨てられた。」 「……襲われた人たちの具合は……」 「傷そのものは幸いたいしたことがない。消毒も済ませた。リリーも噛まれたが、指をかすっただけだったよ。」 過去に狼に噛まれて死線を彷徨ったことがあるテオは少しだけいきをついた。 「……よかった。」 と、ドルニエが難しい顔をした。 「君は錬金術士ではない。だから、リリーがどれほどの衝撃を受けているかを理解できないだろう。だが、あの子は壊れかけている。よかった、といえる状況では全くないのだよ。」 「……」 「……テオ、リリーをアトリエまで連れて帰ってくれまいか。」 「え？それはいいですけれど。……錬金術のことでねえさんが悩んでいるのなら、ドルニエさんも言ったとおり、俺じゃあ理解できないと思います。ドルニエさんがねえさんに話して下さった方が……」 「……私は、今からこの犬を調べなければいけない。本来、リリーがやるべき仕事だが、今の彼女には無理だ。そして、時間がたてば、わかるものもわからなくなってしまう。……」 テオは言った。 「俺に、何ができるんだろう。できるんだろうか。……俺はただの冒険者ですよ。錬金術のこと、まるで理解できない。」 すると、ドルニエは少しだけ目を細めた。 「理解できなくていい。むしろ、理解できない君だからこそ、リリーを託せる。イングリド、頼む。」 イングリドがテオの手をひいた。二人は部屋から出、また廊下を歩き始めた。 小さな部屋の扉をあけると、リリーが寝台に横たわり、ヘルミーナがその手を握っていた。リリーは薄く目を開けていたが、起きているのか眠っているのかわからなかった。テオが入ってきたことに気付いたヘルミーナは立ち上がり……握っていた手をどうしようか迷った末にテオに託した。 「ねえさん。」 呼びかけにリリーは答えない。 「先生は起きているわ。でも、返事をしてくれないの。」 ヘルミーナが泣き出しそうになりながら言うと、テオはこくりと頷いた。 「ドルニエ先生と話したんだ。俺、ねえさんをアトリエに連れていくよ。ヘルミーナとイングリドも一緒に行こう。」 すると二人の神童は首を振った。 「私達、ドルニエ先生のお手伝いをしなくちゃ。」 「手伝いって…！」 先程、台に横たえられたムーファの亡骸を思い出す。だが、この二人は、年は若くとも、このアカデミーではリリーに続くくらいの実力を持っている。今回のような事件が起こったときにはドルニエの助手につくのがあたりまえなのだろう。 「……リリー先生ができない分、私達がはたらくから。」 テオはリリーの手をそっと寝台に置き、懐からハンカチを取り出してヘルミーナの鼻にあてた。 「鼻、かめ！」 言われるままにビーと鼻をかんだヘルミーナの頭をぽんぽんと叩く。 「じゃ！二人とも、こっちは任せたぞ!!」 明るく、大声で言うテオに、イングリドが『言われなくても大丈夫だわ！』と返すとテオは満足そうに笑った。 「ねえさんの外套はどこ？うん、この季節だったら着て出たはずだから。ああ、そこか。……ねえさん、帰るよ。外寒いから外套着よう。腕あげて。そう、それでいい。今度は反対。うん今度は紐を結ぶよ。これでいい。」 人形のように力が抜けているリリーに外套を着せかける。さっきのイングリドのように背負おうとして、その顔色の悪さが気になって横抱きに変えた。 「「テオ」」 二人が声を揃えて心配そうに見上げる。 「こっちは俺に任せろって。……二人とも、ご飯ちゃんと食べてちゃんと寝るんだぞ。」 テオは多分それは無理だと判っていて言い、二人も、それをわかっていて頷いた。 アカデミーの門を出、アトリエへの道を歩く。 「ねえさん、見えてる？いい天気だよ？」 リリーは答えない。 「いい月だ。明日もきっと晴れるさ。星も綺麗だよ。」 リリーはやはり答えない。 「もうすぐ家につくからさ……大丈夫だからさ。」 それからテオはしばらく無言で歩いた。時々リリーを小さな子供にそうするように腕で小さく揺らして『大丈夫、大丈夫』と呟く。 「ほら、ついた。」 テオはそっとリリーを片腕で抱いて立たせ、片手で苦労して鍵をあけ、扉を開いた。 「ただいま。」 |
| テオとリリー姉さんの話第三弾。需要極小ですが、大好きなコンビなのでお許し下さいね。 そして、大好きといいつつ、狼の話といい、どうにもシリアスな状況に追い込んでしまってごめんなさいと二人には言ってあげたいです。 ゲームの進め方によっては恋人関係になる二人ですが、テオはリリーのことは大好きだけれど、錬金術師としてのリリーは理解できそうにない気がしました。今回はその補完。 何ヶ月も前から書き始めたこの話、「大人向けなんて書けないけれど話の展開上R17くらいにはなるかと思って書いているうちにこれは17じゃない16だと思い、最終的に何が何だかわからなくなった」というまっこと奇ッ怪な経過を辿ったモノです。……後編を含めて結局「Rいくつ」なのかは読んで下さった方のご判断にお任せ致します。(自分では年齢制限にはあたらないと思っております) |