おと〜さんの日(前編）

宇宙船、リトル・ナンシー号。 　宇宙港に繋留されたその小型スペースクルーザーのタラップを上りながらシルことシルフィスは今日何度目かのため息をついた。 　自分は何一つ間違ったことはしていない！ 　そう確信しながらも、何故か悪いことをしてしまった気がする・・・・・・そして今、猛烈にこの船の中に入りたくなかった。   　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　時はいまから二時間ほど前に遡る。 　買い物に出ようとしたシルはいつもとかわりなくバックパックを背負い、買い物リストを持って、 　　「じゃ、行ってくる。」 　と留守番するランに向かって手を上げた。すると、ランは“あ、もう出かけるんだ？”と、てけてけと歩いてくると、とん、とシルの両肩に両手を置き、 　「いってらっしゃいｖ気をつけて！」 　と言った。 　その次の瞬間、シルはランが何をしたのか咄嗟にはわからなかったが、自分の頬に押し当てられたものがランの唇だとわかるや否や、・・・・・グーで殴っていた。 　殴られてすっ飛んだランは、頬を押さえ、全身からクエスチョンマークを発散させていた。 　「な、なにすんだよッ！シル！」 　「ななななななな、何だってッ！自分がしたこと考えなさいよッ！」 　・・・・・・・・服こそランと同じ色気もへったくれもないスペーススーツだが、まだ一応女言葉を使っているようである。しかし、その言葉は怒気に満ちていた。 　「何で怒るんだよッ！ただ『いってらっしゃいのキス』をしただけじゃないか！」 　「だだだだだだ、だけ？しただけ？よくもそんなことが言えるわ！」 　真っ赤になって（きっとその赤は怒気だけでなく恥ずかしさもプラスされているに違いない）目を吊り上げ、倒れた自分を睨みつけるシルに、ランは急に顔を曇らせた。 　「もしかして・・・・・・間違ってたのかい？」 　シルはぽかんと口をあけた。 　そうである。ランに限って女の子にキスするなんていう大それたことを企画制作実行する行動力（甲斐性？）などない。・・・・・・どうかんがえても、「例のアレ」が妙なことを吹き込んだに相違ない。 　「ごめん・・・・・・・シルが嫌がることをしちゃったんだ・・・・・・ごめん・・・・・シルが殴るくらいなんだから、もの凄くとんでもないことだったんだよね・・・・・・」 　「あー・・・・・あのね・・・・・ラン・・・・・」 　「御免よ。僕、世の中の事、かなり知らないんだってこと、つくづく思い知らされる。・・・・・・頬じゃ駄目だったのか？それとも手の位置がおかしかったのか？」 　「そうじゃないッ！」 　もうそれ以上何も言いたくなくて、部屋の隅に座り込んだままで地の底よりも深く落ち込んでいるランを残しシルはコクピットに向かった。 　ランにはいってもわかりっこない。 　あと少しずれていればファーストキスの喪失だったとか、いってらっしゃいのときにキスするのは特別な間柄のときだけなのだ・・・・とか。抗議する相手はランではなく、ランに変なことを吹き込んだ諸悪の根源こと「例のアレ」・・・・ 　だむだむ、と音をさせてシルがコクピットに入っていくと目指す相手はいなかった。きょろきょろとあたりを見回すと・・・・・・・ぬうっとチェイスは背後から現れた。 　「おっさんッ！冗談も大概にしろよ！」 　しかしチェイスは怯むでもなく、笑って誤魔化すでもなく、シルをじっと見つめた。 　「ランを殴ったな。」 　「あ、・・・・・殴ったのは確かに悪かった。でも、元はといえばおっさんが・・・」 　「ランを殴ったんだな？」 　「だから・・・・！おっさんさえ変なことをランに教えなければ殴ったりは・・・・」 　「ランを殴るとはどういう了見だ！それに、俺はおっさんではない。かっこいいお兄さんだ！」 　殴ったことに対しては自分が悪かったと後悔しているシルは一応チェイスを睨みつけてから退散した。・・・・・・・・チェイスは、といえば、悪いことをしたという感覚など皆無である。・・・・・・・・彼が「女の子になったシルちゃんの為に」何かしてあげよう。としてテキストにした青春ドラマのホロビデオでは、女の子は男の子にキスされて、例外なく喜んでいたのであるから。 　・・・・・・・で、シルは自室に戻ってロコに愚痴をこぼしたところ、ロコは頷いてくれた。そして、ペンを口に銜えると紙に文字を書いた。 　わるいのはちぇいすだけれど、らんもよくなかった。あたらしいことをやるときには、そうだんがたいせつ。・・・・こういうことはけじめがかんじん。らんにほうふくすべき。 　そう言って（書いて）貰えるとシルとしては嬉しいのだが、ランは知らずにやったことなのだからある意味被害者でもあり、気の毒な気もした。 　「報復・・・・・って仕返しってこと？でも、私、殴っちゃったんだし、ロコはランにどうやって仕返ししたらいいと思う？」 　ロコはしばらくじっと考えた後、こう書いた。 　・・・・しるとおなじいやなことをたいけんさせるべき。そうすればらんもいやなことだとわかる。・・・・・しるがらんにきすすればいい 　・・・・結局はロコも全然わかっていないのだった・・・・・ 　シルはランのことが嫌いなのではない。・・・・・かなり好きな方だ。しかし、それはあくまで“相棒”としてのことである。キスして欲しいなんて思ったことは一度も、ひとかけらもない。・・・・・・・意識はしている。だからスカートはこのごろ穿かない。『おやすみのキス』もやめさせた。（ランは不服そうだったが）・・・・だからどうってことはない。だいたいだ。男と女が近くにいるからといってすぐに浮いた話にもっていこうとするのは間違っていると思う。 　結局は怖いのかもしれない。追われて怯えながら暮した子供の頃には思い描くこともできなかった、幸せな生活をここで自分は送っている。・・・・・ランとの関係が変わってしまったら、今の生活も変わってしまいそうな気がする。・・・・・それにだ、ランはシルのことを女としては認識していない。同じ部屋の二段ベッドの上下に寝ていても、「おやすみ♪」と挨拶したら、（それはシルも同じだが）グースカーピーの白河夜船だ。・・・・・・・・とにかくシルはランとはずっと「悪友」の関係を続けたいと思っていた。自然に話し、笑い、喧嘩し、泣き・・・・・それはキスなんてされるよりもずっと素敵なことだから。 　・・・・・・・・かくて色々なことを考え始め、しかし途中で考えることが嫌になったシルは、落ち込んでまだ部屋の隅にうずくまっているランの脇をダッシュで駆け抜け、気分転換を兼ねて、当初の予定通り買い物に出かけたのであった。 　　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　・・・・・・ということで、買い物から戻り、タラップを上り詰めたシルはふうっとため息をついた。 ・・・・・・・ハッチをあけてまだどんよりとランがうずくまっていたらどうしよう。“私が悪かったわ、御免なさい”と言ってみようか？・・・・いやいやいやいや！悪いのは自分ではない！殴ったことは謝らないといけないが・・・・・・・・・・・ 　（あ〜あ、それこそ、“いいのよ。実は嬉しかったの。チュッｖ”なんてことで済ませられれば苦労はしないわよ・・・・・・） 　シルは心の中で悪態をつきながら、ロックを解除してハッチをあけた。自分が謝る事で丸く収まるのなら、100歩譲って謝ってみようかな・・・などと考えながら・・・・・ 　ハッチをあけたシルの耳に飛び込んで来たのは甲高い調子っぱずれの歌だった。 　♪あしたは素敵なおとうさんの日〜 　とっても素敵なおとうさんの日〜ｖ 　ランが踊っている。いや、正確には踊らされている。・・・・・ランの両手をぎゅっと握ってぐるぐると回っているのは、首にえんじのリボンを巻いた体長２メートルのテディベアだった。 　「何が起こったの!?」 　振り回されながらランは何か言おうとしたが振り回されて言葉が途中で引っ込んだ。 　♪あしたは素敵なおとうさんの日〜 　とっても素敵なおとうさんの日〜ｖ 　クマはまた歌った。“素敵な”は“日”にかかるのか“お父さん”にかかるのかはっきりしなかったが（どうも後者のように聞こえた）よほど気に入ったと見えて歌いまくる。そして２メートルの大グマはやっとランの手を放すと大きな灰色の輪に変形した。振り回されて目を回し、朦朧とするランに輪投げよろしく被さると、手を繋いだ８頭の小グマになってくるくると踊り始めた。  「おっさん、おっさん！分裂して何やってんだよ！」 　クマは踊りながら言う。 　「高さ２分の１なの！」 　「横も２分の１なの！」 　「縦も２分の１なの！」 　「だから体積は８分の１なの！」 　「だから８匹なの！」 　「でも分裂はしてないの！」 　「手は繋がってるの！」 　「トポロジー的にはリングと同じなの！」 　何度か頭を叩いていたランが輪のなかから叫ぶ。 　「さっきチェイスと話してて、『そういえば明日はこの惑星では父の日なんだね』って話題になって・・・・そしてらこの有様なんだ！」 　子グマは踊るのをやめていつもの男の姿になった。 　「いやあ、父の日なんて初めてだなあ。『お父さんの嬉しいことをする日』なんだって？楽しみだなあ。いや、本当に楽しみだなあ。」 　にこにこと笑う。それは本当に心からの喜びがあふれ出た素敵な笑顔で・・・・シルは一瞬ぽーっとなってから、何を私はやってんだか！と心の中で自分を殴った。 　 　「おっさん！ちょっとランを借りるわよ！」 　チェイスはうんうん、と相変わらずの笑顔で頷いている。シルは自分達の部屋にランを引っ張り込んだ。 　「ラン、あれだけチェイスが浮かれるって・・・・・ホントに父の日初体験なわけ？」 　シルが疑うのも無理は無い。およそ人の住んでいる惑星では、よほどの開拓初期で無い限り、母の日や父の日は設定されているものなのだ。それは両親への感謝、ということはもちろんだが、贈り物をすることによっての経済効果を考えてのことが大きい。この惑星には３日前に来たばかりだが、商業エリアにはそれこそ「父の日」に一儲けしようという宣伝広告がありとあらゆる商店にぶら下がっていた。 　研究所に軟禁されて、自由に行動できなかったシルだって父親がわりの博士には父の日の真似事をしたことが何度もある。 　ランは頭を掻く。 　「僕が小さな頃は僕の方に認識なかったし、惑星間を渡り歩いてたから、父の日に出くわす確率も低かった。それにシルが来るまでは、僕が狙われてたこともあって、あんまり自由に外にも出してもらえなかったし・・・・・・・」 　「そっか・・・・・・・でも、おっさん、過剰に期待してる。・・・・・・明日、何かやらないとまずいのと違う？」 　二人は二段ベッドの下の段・・・・・ランが使っているほうのマットレスに並んで腰掛けた。 　「普通、何をやるのかな・・・・・・」 　シルはちょっと瞳を上にあげ、頤に人差し指をあてた。さっき街で見た広告を思い出す。 　「贈り物ならシャツとかジャケットとか・・・・・」 　「チェイスに洋服？」 　・・・・・・・チェイスは服を１着だけ持っている。いつもきている灰色のスペーススーツだ。それ以外は・・・・・・ひらひらのワンピースを着た少女に化けるときも、きっちりスーツで決めるときも・・・・・・・服はチェイス自身だったりする。考えるとなんだか怖くなってくるので普段は考えないようにしているのだが、真実である。 　シルははあ、と息をついた。 　「花束とかは？」 　「・・・・・・・・・・前にシルが、『安かったから』って買ってきたバラの花束、チェイスってば喜んで受け取ってくれたけど、でかい口開けて速攻で食べちゃったよね。」 　・・・・・・・・・ 　「いっそ食べ物は？」 　ランは肩を落とす。 　「目標：一日30元素ｖなんて言ってる人にどういう食べ物を？」 　「確か、希土類元素が好きだっていってたんじゃ？」 　「うん。アクチノイドよりランタノイドの方が美味しいっていってたけど・・・・・シル、チェイスは喜ぶかもしれないけど、金属の塊差し出して、『プレゼントだよ、食べて。』っていうの、なんだか抵抗大きいんだよなあ・・・・・・・」 　ランの気持はそれなりにわかる。シルは方向を変えることにした。 　「物じゃなくてサービスは？肩たたきなんてどう？」 　「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 　「どしたの？」 　「第一にチェイスに本当の意味で『肩』があるか僕にもわからない。そしてスパナで殴っても衝撃を受けないチェイスが僕らがマッサージしたくらいで血行が良くなるとは思えない。」 　他にも色々と考えてみたが、これは、というものには思い当たらなかった。・・・・・掃除や機械整備は日常的にやっていることであるし、「特別の日のお祝い」にはならない。 　二人は揃って、はあ、と息をつき、しかたがない、しかたがないね、と言いつつコクピットに向かった。 　チェイスは座っていた。先程と同じように満面に笑みを湛えて。 　「あのさ・・・・・父の日のことなんだけど。何をやったらいいかわからなくて・・・・チェイスが決めてくれる？」」 　 　チェイスは少し瞳を大きくしたが、うん、うん、と頷いた。 　「ドキドキ、ワクワク。だな。」 　「へ？」 　「いいから。よし、わかった。おと〜さんに任せなさい！」 　「・・・・・・・おっさん、任せるって・・・・あの、何を？」 　するとチェイスはのたもうた。 　「今言っちゃ面白くないだろうが。明日までのヒ・ミ・ツだ。さて、さっそく準備、準備！」 　跳ねるようにして出て行ったチェイスにいや〜な予感を抱きつつ、シルとランは今日互いに気まずい思いをしたことなどすっかり忘れて、明日が平穏に済むことを祈るのであった。

明日が平穏におわりますように・・・・・・・・ 　　　　　　　　ＳＦトップへ　　後編へ