| １ ひとりぼっち |
「止めて！」 カイユンは叫び声を上げた。……ベッドの上に両腕と膝を付き、枕を見下ろすような姿勢で大きく肩で息をした。どうやら自分の声で飛び起きたらしい。 （酷い夢……なんでッ、あんな夢!!） 荒い息を整えながら、汗で濡れそぼった前髪を掻き揚げ、ついで耳の後ろにすうっと指をすべらせ、耳たぶの裏で薬指の腹を止める。と、上の寝棚から腕が伸ばされ、ぽかり、と後頭部を叩かれた。 「何を寝ぼけてやがる！安眠妨害にも程がある。」 と、上を見上げたカイユンのぐちゃぐちゃに歪んだ顔を見、ちょっとやそっとの事では動じない爆破屋は急いで床へと飛び降りた。0.5Ｇに調整された部屋では足音はたたない。 「背中が痛むのか？」 「少し…だけ…大丈夫…です。」 「お前の顔は大丈夫って顔じゃない。汗びっしょりじゃねえか？…」 カイユンは青い格子縞のパジャマの衿がマリオの言うとおりにぐっしょりと濡れているのを感じ、ことさら快活を装って言った。 「あ、あはは。またちょっと悪い夢見ちゃって……夜の時間帯なのに騒いでご免なさい……」 いつもなら二発目の打撃を後頭部に食らわすところであるが、マリオはそうせず、カイユンの隣に腰掛けた。 「どんな夢だ。聞いてやるから全部話せ。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 宇宙には”仕事屋”と呼ばれる者達がいる。彼らは惑星開発、物資輸送、科学的調査、救難作業、産業スパイ・・・・技能に応じてだがありとあらゆる仕事を引き受ける。そのほとんどが十名前後からなる小規模のチームであり、苛酷な状況の中を生きていくだけあって、多少の危険はものともせず、利益の為とあれば人殺しも辞さないあらくれ男の溜り場であった。 彼らは大きな仕事が山ほどあり、食いはぐれることのない開発宙域に結集してくる。 今、ここにそんな仕事屋の定義からは少し外れた奇妙な仕事屋がいる。 彼らがいるのは宇宙船アケルナル号の中。場所は宇宙連邦の辺境宙域である。彼ら仕事屋チーム“ドロップアウト”はドルガ星での荒事の後、空港保安隊やらコスモ・アーミーやらから難なく逃亡し、だがしかし、ほとぼりを冷ます必要はありそうだということで、地道に輸送やワープ機関の調整などで糊口をしのいでいる。 一つ断っておくと、コスモ・アーミーに追われているといっても彼らは人殺しを厭わぬような凶悪犯罪者ではない。仕事屋としての腕はピカ一で、なろうとすれば超凶悪犯罪者たりうるのだが、犯罪者というよりも一言で言えば“ヘンな奴ら”である。 チームリーダーのジョーことジョセフィーヌはまだ２５才の女性。外見はこれぞ深窓の令嬢といった感じの美人だが、操縦桿（エアカーでも戦闘機でも宇宙船でもなんでもいい）を握らせたら、・・・まあその操縦技術に勝てるものはめったにいない。 爆破のエキスパートマリオ リベラは、物理学の相当な権威らしいのだが、”夢は惑星丸ごとの完全爆破”という物騒な男。つい最近、彼の故郷である惑星ドルガを完全爆破ではないが、その機能の一割ほどを爆破した張本人である。飲む、打つ、買う三拍子揃っているのもチームではこの男だけだ。 キム カイユンは医療、生物学担当。天真爛漫、お人好し、亜人間との混血で、イルカと話せ、泳ぎがうまく、衝撃につよい（地上２０メートルくらいからなら落ちても死ぬことはない！）・・・なりは大きくなったが２１にしてまだまだ大人になりきれない脳内万年少年。ひたすらチームメイトを慕い、命の恩人でもあるジョーを尊敬している。 そして、元コスモ・アーミー諜報部員、狙撃の腕なら一番のロマノフがいる。彼は仕事屋向きといえば仕事屋向きの技術をもっているのだが、物静かで思慮深い性格はこのチームの”父親”という位置に彼をつかせている。 同じく口数の少ないメンバーとしてはソーンダイクがいる。・・・・といってもソーンダイクは会話が極度に苦手なだけだ。コンピュータの天才で決して悪い人間ではないのだが、人付き合いが悪く、表情は濃い茶のサングラスの下に隠れてしまっており謎である。 残る一人は当年とって8歳のパトリック坊や。金髪碧眼の美少年である彼はコスモ・アーミーによって最高のソルジャーとなるべく育てられたせいでロマノフの次にすぐれた銃の腕をもっているが、その腕を生かす機会は大人達が与えていない。それでもいざ、というときの機動力は味方にとってのメシア、敵にとっての悪魔である。 「とにかく、だ。あいつはやはりおかしい。……0.5Ｇに重力を下げたが、それでも寝るときはうつ伏せってことは、背中が相当痛むってことだ。それに加えて、このところ奴は悪夢にうなされてる。叫び声をあげて、俺が飛び起きると、たいてい滝のような汗を流して大きく息をしている。」 ジョーの部屋で、カイユンとパトリックを除くメンバーはマリオの話を聞いていた。 「医療器による背骨のずれの矯正は終了して、あとは時間が解決してくれるはずだったね。」 ロマノフが確認をとるように言うと、ジョーが眉をそびやかした。 「ま、でも、残っている鈍い痛みが悪夢をひきおこしてる可能性はあるかしらね。夢って、恐怖映画みたいな奴を見るの？」 マリオは首を振る。 「聞いても要領を得ない。例えばこんなんだ。上からざあざあと雨が降ってきているところに一人で立っていると、誰もいないはずなのに、自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、いつの間にか後ろを取られていて、いきなり羽交い締めにされる。或いは密室に呼び出されて椅子に座って寛いでいると、誰かがやってきて、部屋の隅に追い詰められて逃げられなくなる…」 「………あの子、誰かから追われているなんてことなかったわよね。…その夢に出てくる『誰か』ってどんな奴なのかしら。」 「さあな。それについちゃ、『覚えてないんです』なんて言ってたが、ありゃ、どうも誤魔化している感じだったな。……痛みが原因なら、早く治してやって俺に安らかな眠りを取り戻して欲しいもんだ。」 カイユンは少し前の仕事で怪我をした。…高所から落下するジョーを庇って背中を強く打ち、背骨がずれたのだ。衝撃に強いというカイユンの種族の特性が幸いし、大事には到らず、また、医療器も“痛みを和らげるために低重力に保つくらいで、適度な運動をしていくうちに自然治癒する”と診断していた。 「他に何か気づいたことはないかね？」 マリオは面倒くさそうに考えていたが、肩をすくめて両手を広げた。 「これ、といったことはねえな。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ そのころ、コクピットではパトリックがパイロット席に座ってお気に入りの本を読んでいた。カイユンはステーションのマーケットに買出しに行ってしまったし、その他の大人たちはジョーの部屋に篭ってしまったし、パットには計算と書き取りの課題が与えられていたが、そんなものはすぐに終わってしまった。パットはこのパイロット席が好きだった。すっぽり包み込まれるような座り心地が素敵だったし、何より彼はジョーのような飛行技術を身につけ、この席に正式に就くのが夢の1つであるのだ。と、星間通信が入った印のランプが点った。少年はちら、と大人たちが篭っている部屋の方を見たが、にこっと笑うとヘッドフォンをつけ、操作板を軽やかに操作して通信を繋いだ。大人たちはパットが勝手に通信を取ることを禁じている。そして、好奇心満々のパットがいたずらで受信してしまうことを防ぐため、プロテクトもかけてある。通信が入ったら他の誰かに報せるように言ってあるのだ。しかし、この年齢よりもずっと敏い少年は、そのプロテクトを易々と外してしまっており、一人っきりのときにどこかから入電しないかとわくわくしながら待っていたのだった。 スクリーンに映った映像は、かちっとしたスーツを着た黒髪の青年のものだった。青年はパトリックが一人きりで座っている映像に少し驚いたようであった。 「君、確か…パトリック君だったね。こんにちは。」 「こんにちは、アーサー＝カイエさん。」 フルネームで自分の名を呼ばれ、アーサーは益々驚く。 「僕の名前を覚えていたの？」 「はい。僕、一度覚えた名前はきちんと覚えてます。…あのぉ、ロッコは元気ですか？」 アーサーは随分前のことを思い出して苦笑した。 「僕は会っていないのだけれどね。この間ソズが、彼らのところの子は街の子も森の子もみんな元気だっていっていたから、ロッコと言う子も元気だと思うよ。……パトリック君。他の人たちは？」 「今、みんなはちょっとお話をしています。僕が当番なんです。何かお話があったら僕がみんなに伝えます。」 宇宙に名だたる惑星開発企業、カイエ社のまだ弱冠17歳の若き社主は、直に話がしたいんだけどな、と思いながらも、目をキラキラさせながらこちらの言葉を待っている少年の顔を見ているうちに、しばらくお喋りに付き合う気持ちになってきた。もともとアケルナルには彼からの通話がカイエ社のネットワークを使っていつでも繋がるように精巧な機器を設置してある。ジョーたちとは少し時間を置いても通話することができるのだ。 「皆さんは元気かな？」 「はい。皆元気です。あ…でも…」 「でも？」 パトリックは少し下を向いた。 「カイユンは背中が痛いの。カイユンは平気だって言うんだけど、椅子に寄りかかるときにそっと寄りかかるからまだ痛いって僕にも判るんです。」 アーサーは心配そうな顔になった。彼はこのチームに以前大きな恩義を受けた。そのためにこの宇宙船アケルナルを寄贈したほどだ。そして、メンバーの中でも、ジョーとカイユンには個人として強い感謝と尊敬の念を抱いているのだ。 「そう…しばらくしたら自然に治ると聞いていたけれど、やはりまだ完治していないんだね。」 スクリーンの中のアーサーは顎に手をやりしばらく考えるようなしぐさをしていたが、良いことを思いついたというように頷いた。 「ねえ、パトリック、皆さんは今、何か仕事をしているのかな…？」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 数時間後、ロマノフがコクピットにつめているとき、アーサーからの通信が再び入った。アケルナルのすべての乗員に話があるという。マリオやソーンダイクは積極的にアーサーと話したいとは思わなかったが、アーサーは様々なバックアップをしてくれた…そして、これからも必要があればそのネットワークを利用するかもしれない相手だ。不義理はできない。 「お久しぶりです。皆さん。」 アーサーは微笑みかけたが、マリオだけは明らかに面白くない顔をしている。この男は相手が超能力を持つ大財閥のトップであっても媚びへつらうなら死んだ方がマシだと思っている。 「ええ、久しぶりね。」 スクリーン上の顔を見、『随分大人の顔になってきたわね』とジョーは感じた。 「ところで何の用かしら。…挨拶だけじゃないんじゃない？」 アーサーは頷いた。 「挨拶だけでもいいんですけれど。実は、皆さんにゆっくり骨休めして頂きたいと思って。」 「骨休め？」 「ええ。うちの会社が大昔に開拓した惑星の1つで、施設はよく整っています。現地での宿泊や食費、交通費はこちらで持たせていただきます。浪費をなさらない限りはその他の費用も支払わせて下さい。」 ジョーは『はァ？』と小さな声を漏らした。 「それって何事？そんなことをして貰う理由がないわ。」 アーサーの視線が動く。スクリーンシンクロされている実際の空間のカイユンに、彼の目が留まった。 「惑星の重力は0.8Ｇです。背骨への負担は小さくなります。海も綺麗ですよ。水泳はカイユンの症状には最適の運動だと思うのですが。」 「え？アーサー……どうして僕の背中の事…」 アーサーの視線は隅の方で小さくなっているパトリックに向いた。 「さっきパトリックから聞きました。ああ、怒らないでやって下さい。僕が聞き出したんですから。……心配することくらいはさせて下さいよね。それでなくてもカイユンは無理をやっちゃう人なんだから。丁度皆さんは、今特に仕事を請け負っていないということですし、たまにはこういうのもいいでしょう。それに、もしあなた方が望めば、ですが、その星で僕の会社の医療チームと接触することもできます。パット、君が行きたいと言っていたパークもあるよ。宙返りする乗り物や、パレードや、花火や、他にもいろいろ、ね。」 パットはいろいろなことがばれたのと、アーサーからの申し出が嬉しいのとで、頬を赤くしている。 「ちょっと待って、アーサー！」 カイユンが声をあげた。 「僕の為に皆に動いてもらうなんて事できないよ。」 「…カイユンの為だけじゃないよ。皆さんは荒事のし過ぎだし……こう考えたらどうかな。パトリックのために休暇をとる。それだったらいいでしょ？皆さんはパットに“普通の子供みたいに過ごして欲しい”…そうでしょう？」 カイユンはパットの方をじっと見た。パットは叱られるかもしれないのと、楽しい場所にいけるかもしれないのとで、胸をドキドキさせながら身体を固くしている。 そして、ジョー達はカイユンをじっと見ていた。パットの方を向くのにも、普通は身体を捻ればよいはずなのに、体全体の向きを変えている。やはり背中はまだまだ痛いのだろう。 ジョーはロマノフに目配せしてから言った。 「じゃ、お言葉に甘えようかしら。費用は全部そっち持ちなんでしょ？だったら話に乗らない手はないわ。これを逃したら、パットは永遠にそういうところに行けないかもしれないんだし。皆、いいわね？」 その言葉がカイユン一人に向かって出されたのなら、彼は反対しただろう。しかし、ジョーの問いは彼個人に対してのものではなかったし、カイユンはパットがキラキラと目を輝かせるのを見てしまった。だから、彼には頷くしかできなかった。 兎にも角にも暫くの生活費が保証されるというのは素晴らしいことだ。うきうきとした気分が船内に溢れ、パットはソーンダイクがパット用に編集したテーマパークの映像ガイドを繰り返し見ている。カイユンも、ジョーとロマノフと一緒に「まっとうな一般市民がバケーションに行くのに必要とする日常品」を買出しに出かけた。彼は概ね笑顔で買い物をし、ことにジョーに可愛らしい模様のスカーフやら髪飾りやらを買わせるのに精を出していたが、時折、怯えるような思いつめた表情をふっと見せた。マリオといえば、当然の如くにマイペースを保っており、行くことになる惑星のデータをひとしきり引き出した後、クラッキングダイナマイトをぐびっと一杯やって、昼寝していた。そして、夜の時間帯になると、嫌がるカイユンの腕を無理矢理ひっつかんで「お前も少しは大人になろうぜ・夜の町ツアー第13弾」に連れ出した。……いや、マリオは数回の失敗の後、カイユンに夜の世界を勉強させようという気はなくしたのだが、「ぎゃー」だの「うわー」だの情けない悲鳴をあげるカイユンの反応が面白くて、わざわざ嫌がる場所にひっぱっていくのがレクリエーションのようなものになっている。……もっとも今回は悪夢にうなされるカイユンの気分転換をしようとしてのことか……いや、そんな高級な気遣いをすることはあり得ないか。 とにかく、そんなとき、カイユンは涙目で半泣きになっているか相当怒っているかで、マリオを振り切って光の速さで帰ってくる。そして、帰ってくるなり、マリオへの愚痴を一通り並べ立て、そして「あー、すっきりしました！」と言って笑うのだ。 しかし、その日に限ってマリオが深夜すぎに帰ってきたとき、カイユンはまだ戻っていなかった。 「どこではぐれたのよ!?」 胸倉をひっつかむジョーにマリオは噛み付いた。 「はぐれたんじゃねえ、いつものようにカイユンの奴が勝手に逃げたんだッ！いや、評判のパフォーマンスをみせる劇場があって、そこに入ろうとしたら、いつも通りに全速力で奴が逃げ出して……だから、てっきり帰ったものと……この界隈のマップは奴も情報端末に入力済みのはずだ。迷っちゃいねえ筈だが……」 「だったら、どうしてカイユン帰ってこないのよ!!」 ロマノフが割って入った。 「静かにしなさい。パットが起きてしまうよ。私が様子を見てこよう。マリオも来い。どこをどう歩いたかは、お前しかわからん。」 「あたしも行くわ。なんだか、嫌な予感がする。」 各人が身支度をしていると、エアロック付近でどん、と鈍い音がした。顔を見合わせ、エアロックを開けると、タラップの上にカイユンが頭を抱えるようにして倒れていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 脈拍数の低下、意識消失……医療器の診断では、薬物中毒らしいということだった。何故薬物が？カイユンに限って自分から摂取することはない、誰がそんなものを？と憤る中、医療器が血中の薬物を特定して表示した時、麻薬に関する知識を持つマリオとジョーは目を疑った。 「危険な麻薬…なのか？」 ロマノフの問いに、ジョーは首を振った。ソーンダイクは薬品名を検索し、ジョーに同意する。 「麻薬に分類されることもありますが、弱いもののようです。」 「もとい、こんな症状にはならないはず。……睡眠導入に使うこともあるし、専ら快楽系の幻覚麻薬ね。……でも、カイユンは生粋のホモ・サピエンスではないのだもの……副作用として何が起きてもおかしくないわ。」 カイユンの額の前髪を撫で付けてやりながら、ジョーは眉をひそめた。苦しそうに毛布を撥ね退けたカイユンの手首に妙な痕があったのだ。毛布の裾をめくると、足首にも同じ痕が認められた。 「ロープや炭素繊維で縛られたわけではなさそうね。幅の広い特殊な拘束具？」 マリオにはその痕が何なのか、わかったようだった。しかし、彼はそれを口にはしなかった。 カイユンが意識を取り戻したとき、大人たちはまだ寝台の周りにいた。ぼやける視界をはっきりさせるために目をこすり、自分が倒れ、介抱されていたのに気付くと、搾り出すような声を出した。 「……ゴメンなさい。キャプテン、ゴメンなさい。」 そして、涙をこぼした。 ジョー達は何も問わなかった。ただ、ゆっくりと休むように優しく言い、灯りを消して清潔な、白い医療室をあとにした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 薬の影響が抜け、自室に戻ってから、いきなりカイユンはマリオに髪を掴まれた。 「なんでああいうことになった!?俺は夜の街っつーっても、ああいった場所には今まで連れていこうともしなかったろうが！どこの店に引き込まれてどういうことをされた!?……だんまりはなしだぜ。エリアとして見当はついている。お前が喋らなきゃ、俺が調べに行くだけだ。ああいう店は喋りたがらんもんだが、なぁに、懐柔する手はいくらでもある。……だから話せ。話しちまえ。俺は手間がかかることは嫌いなんだ。」 寝台に跳ね飛ばされたカイユンは、しばらく無言だったが、ぽつぽつと話し始めた。全部話し終えると、マリオはガツン、とカイユンの頭を殴った。 「阿呆か、お前は！……そんなことをして、お前は気が済んだか？」 カイユンは蚊の泣くような声で答えた。 「いいえ。ますます……ますます僕が何もわかっていなかったことがわかっただけで……」 マリオはガリガリと頭を掻いた。 「……って、いってるけどよ、あんまし苛めてやるなよ。」 ドアを開けるとロマノフとソーンダイクとジョーが居た。ジョーはカイユンの手を取って立たせた。 「少し、話そう？ね？」 ジョーはカイユンをキッチンに連れて行って座らせ、小さなカップにあたためたミルクを注いだ。 「飲んで。それ、全部飲んでから話そ。」 カイユンは素直に飲んだ。 カイユンが行ったのは、仮想現実の中に客をトリップさせる店で、その中でも怪しいプログラムを売り物にしている店であった。客は、頭に電極を付けられ、特殊なスーツを着せられた上で、弱い麻薬を投与され、半覚醒状態に誘われる。瞳孔を開かせ、映像を見せ、また、スーツからの様々な刺激で、自分が体験したいと思うことを実体験しているかのように感じられるのだ。 そして、カイユンが自分から選んだのは、とんでもないプログラムだった。……手首足首に残る痕は、暴れる客をシートに押さえつけるために、バンドで固定したためなのだろう。 ジョーはカイユンが何故そんなプログラムを選んだのか判っていた。 「……あなたが何をしても、過去は変わらない。消えるものじゃない。ロマノフやソーンダイクやマリオの過去を追体験するようなプログラムはなかったでしょうから選んだ疑似体験なんだろうけど………私怒ってるのよ。凄く怒ってる。ちょっと……泣いているの。」 「怖くて、逃げられなくて、とても怖くて……でも、これは本当のことじゃない、だって思っている冷静な自分がどこかにいて、そこが逃げ道でした。……怖さ、苦しさを判ろうなんて思った自分がひとりよがりだったってはっきりわかって、だから、申し訳なくなって……」 「申し訳ないなんて思っちゃだめよ。正直、そんな風に真剣になられるとこっちの方が困るわ。私は過去の延長線上に生きているのだからここから急には変わることは無い。過去があって今のあたしがある。ロマノフだってソーンダイクだってマリオだってそうよ。だから、あなたがやったことは何の意味もないわ。自分が傷つくようなことをしたらダメよ。」 カイユンは頷いた。 ミルクは温かかった。 でも、彼はこの上ない孤独感を感じていた。 しかし、カイユンが落ち込んでいる暇はなかった。パットがカイユンと一緒に予定をたてることに躍起になったからだ。このテーマパーク、素敵なことに、というか、厄介なことに、というか、昔話によく出てくるような魔法と剣の世界をテーマとしたエリアがあり、パットはもう始終興奮状態で、人気アトラクションへの参加の仕方から、パーク限定グッズ、食べたい食べ物に到るまで、綿密なリストをつくってきた。 これは時間的にダメだよ、これは楽しそうだねえ、とパットと盛り上がっている間は、落ち込む暇などないのだろう。更に、ソーンダイクが独自に予定をたててきたり（彼のテーマパークにおいてのメインイベントは、とあるマイナーエリアでの“トウフ作り体験”であった）、彼らの希望も入れつつ待ち時間などを含めた余裕ある妥当な予定を捻出しようと悪戦苦闘するロマノフやジョーなど（マリオは全くタッチしなかった）で、準備を整えてアーサーの指定惑星に向かう頃には機内全体にうきうき気分が漂っていた。 宙港にアケルナルを繋留し、テーマパーク入り口に直結したホテルのフロントに行くと、従業員が丁寧に対応してくれた。通された部屋は最上級とまではいわないが、十分に豪華なファミリー向けの部屋で、ベッドが４つ、予備ベッドが２つあった。中世風のテーブルの上を見たパットは喜んで飛び跳ねた。そこには、限られた者しか持つことのできないプラチナチケットが人数分置いてあった。付属のブレスレッドを手首に嵌めていれば、ほぼすべてのアトラクションで、待ち時間を発生させずに済む。カーテンを開けると、湖や森が広がる園内の様子が見て取れた。手前にはショッピングモール、森の向こうには、巨大なコースターがうねうねと走る山稜が見える。 「まず明日は海に行くんだ！ダイビングするの！」 皆と相談しながら作った予定表を片手にパットがはしゃぐ。 「それからね、その次の日は、動物をたくさん見るんだ！それからね、それからねえ！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ パットは精力的に遊んだ。海のエリアでは、カイユンと一緒にスクールに入りダイビングに興じた。大人たちは短い時間であってもパットが同じ年頃の子供との交流を楽しむことを望んでいて、その通りになった。もっともパットはインストラクターのお姉さんの技術を瞬く間に自分のものにしてしまい、子供達の中でのリーダーのようになってしまっていたけれど。カイユンは故郷と似た美しい海に思わずはしゃいで普通の人間にはできないような長時間かつやたらと深い素潜りをやらかしていまい、一緒にその場にいたジョーとロマノフが冷や汗をかいたが、その場にいた人々はあまりその異常さに気づかなかったようでカイユンを褒め、彼を赤面させた。次の日の草原のエリアでは、宇宙連邦で標準的な動物たちを専用のエアカーで見学、おとなしい小さな動物たちだけが集められた場所ではひざの上にもこもこした体を乗せてふわふわした毛を撫でながら餌をやった。森のエリアではガイドの案内で洞窟探検を含んだトレッキング。高山のエリアでは小規模だがスキー体験すらした。……自然の姿を殆ど壊さずテラフォーミングすることに長けたカイエ財閥の真骨頂ともいえるエリアに一週間滞在(そこでソーンダイクは念願の豆腐つくりを行った)し、彼らはその後、様々なアトラクションをぐぐっと詰め込んだパークへとやってきた。それよりずっと激しい動きの空戦も体験してきたはずだが、パットは子供向けのコースターでも歓声をあげて喜び、単純な動きの古風な木馬からも笑顔で大きく手を振った。その年相応の可愛らしい様子に、周りの人々も和み、頬を緩ませた。『未来の街』エリアから、蒸気機関車で『御伽噺のの街』エリアに向かう途中で、パットは大人たちに、彼が一番楽しみにしているアトラクションについて、熱っぽく語った。それは今まで何度も聞いていたことではあったけれど、大人たちは笑顔でしっかりと聞き、、うん、楽しみだね、うまくいくといいね、と相槌を打った。 それは、このパークで最も人気があり、なおかつ最高難易度を誇るアトラクションであった。対象年齢は8歳からであったが、大人でも楽しめるよう工夫されている。正直、入場者の多くは大人なのであった。ゲストの選択により展開が変わっていくヴァーチャルな冒険譚であるが、とにかく凝りに凝っている。初めに、年齢など、目の前に置かれた大きな古文書のページにじわりと浮かび上がったいくつかの質問に答え、アトラクションの中でのキャラクターの呼び名を音声で入力し、提示された８種類の『出発の村』からひとつを選ぶ。パットはかねてから用意していた通りのキャラクター設定をした。出発の村は鄙びた漁村。出自は漁師の末っ子。名前はトッパー。アケルナルの皆から寝る前に話してもらった話の主人公そっくりそのままだ。設定が終わると、『女神様』の声が響き、参加者は目の前で音もなく開いた扉を通って『剣と魔法の世界』の旅に出るのだ。 このアトラクションが人気なのは、まずは映像を初めとした五感をフルに刺激する特殊効果の見事さである。そして第二にとストーリーが秀逸であることだ。特に誰一人同じ冒険をしない『あなただけの冒険』といわれる分岐の多さにもあった。このアトラクションを攻略する方法を多くのファンが考えたが、どのように分岐が起こるのかを誰も確認できないでいた。多くの場合、『女神様』から提示された選択に対する答えによって物語り進むのだが、どんな選択をしたか以外でも、選択するまでの時間や、その答えの音声がはきはきしたものなのか、口ごもるようなものなのかでも展開が異なっているらしい。素早く返答をすればいいかというとそうでもない。所謂『トゥルーエンド』に到達する必須条件として、真剣に考えている印に長考してみせなければいけないなどというまことしやかな推測もあった。そして、それはある程度あたっているらしい。しかし、アトラクションの入り口に掲げられた『真のエンディングに到達したものはまだいない』という看板は、アトラクションが設置されて以来十年間外されていなかった。 パットは、『本当は誰からも何もヒントを聞かないのがいいんだけど、冒険できるのは一度きりだから』と少し恥ずかしそうにカイユンに言い訳をしてから、子供向けの攻略ブックを暗記するほど熟読していたが、実際に冒険が始まってからは、その知識を頭の隅へと追いやった。パットは年よりずっと聡い子であったから、初めのうちの単純な問いにおいて『選んではいけない』ものが何なのかはすぐにわかったし、子供向けのリドル(謎)に躓くこともなかった。コスモ・アーミーの裏組織にソルジャーとして教育されたが、今は愛情こめて育てられている8歳の少年は、自分を取り巻く360°スクリーンに映し出される風景を楽しみ、でも、不思議なものを見落とさなかった。森で蜘蛛の巣にかかって困っている妖精や、ピカピカ光る不思議な石や、葉っぱの影からこちらを覗いている不気味な瞳や…それらにまつわるサブクエストをクリアし、冒険は順調に進んでいった。 漁師の末っ子のトッパー少年は、やがて魔王を倒す旅を続ける騎士『カイリ＝フォン＝リベダイク』(騎士の名前もパットが入力)の従騎士となって冒険を続けた。村を出るときから友達だった仔ロバはいつしか人間の言葉を話すようになっており、ペガサスのような翼を得てさえいた。ここは最終ダンジョン。トッパーの助けで魔王を倒しうる唯一の剣『エクスカリバー』を手に入れた騎士、カイリに下がっていなさい、といわれ、トッパーはロバ君と部屋の隅に待機している。と、現れた魔王は杖を一旋、大きな龍に変じて赤黒い炎を吐き出した。更に、長い尻尾を振り、エクスカリバーは弾き飛ばされてしまった。トッパーとエクスカリバーの間には、小さな炎がちろちろと燃えている。膝をつく騎士。傍らでロバ君が、トッパー、カイリさんが！カイリさん、あのままじゃたいへんだよ！と叫ぶ。すると、『女神様』の声が聞こえてきた。 「トッパー。あなたはよく頑張ってきました。……さあ祈ってください。あなたの心の力がきっとカイリに新たな力を与えてくれるはずです。祈りは何より大きな力になるのですよ。」 パットは盾を構えて必死に炎を防ぐ騎士の姿を見る。 「トッパー、どうする？どうするの？」 パットは機械作りのロバ君の首の辺りをポン、とひとつ叩き…… ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 六人で囲むレストランのテーブルの真ん中にトン、と白く明るく輝くトロフィーを置いて、パットは得意げに胸を反らせた。 「なんだぁ？こりゃあ。」 今日は五人と別行動を取っていたマリオはそれを手にとる。直径10ｃｍ、高さ20ｃｍほどの円筒の中心が少しばかり凹んだ形の金属はなめらかに研磨され、その輝きは装飾品のようであった。 「『騎士の中の騎士に捧ぐ』？なんじゃ、こりゃ」 表面に刻まれた飾り文字を見、マリオは問うようにロマノフを見る。ロマノフは微笑んだ。その横でカイユンがはしゃいだように報告する。 「パット、完全クリアしたんです！」 パトリックがアトラクションに参加してから四十分ほどして、待機エリアで待っていたパットの保護者たる四人に呼び出しがかかり、係員に非常用通路らしきところに案内された。すると、そこにはびろうど張りの立派な肘掛つきの椅子に座り50絡みの上品そうな紳士と握手しているパットがいた。テーマパークの管理者の一人であるとその紳士は自己紹介し、この勇敢な少年は、今まで誰も完成させられなかった物語を終わらせて騎士の中の騎士になったのです、物語の語り手として感謝いたします、と深々と頭を下げた。そして、この金属製のトロフィーと、騎士とロバ君と女神様と一緒にパットが移りこんでいる３Ｄ映像データとそれを元にしてレーザーで映像を焼きこんだ一辺10cmほどのクリスタルガラス、そして、冒険を一冊の本にまとめたものを貰ったのだった。 「ほう。難易度高すぎて、一部じゃ『真のエンディング』なんてないんじゃないか、って言われてたアトラクションも、うちのチビには白旗をあげたわけか。……話す気があるならメシが来るまで暇だし聞いてやるぞ。」 あまり気がなさそうにマリオは言ったが、話したくて話したくてたまらなそうに目をきらきらさせているパトリックを保護者の一人としては無視するわけにもいかず、第一それなりに興味があったのだ。パットは頬を紅潮させながら、先ほど四人の大人達に聞いて貰っていた冒険の話をその初めから話し始めた。 「……それでね、カイリ=フォン=リベダイクさんはピンチになって、でも、僕は、助けたんだ！」 少しの間、マリオは『どんな風に助けたのか』が語られるのを待ったが、パットはクスクスッと笑った。 「どうやって、助けたんだ？……たしか、そこまでは到達した奴が何人かいた筈だ。大概のやつはそこで女神の言うとおりに祈って、神様に助けてもらってクリアするが、それは真のエンディングじゃない。何をやったんだ、パット。」 横からカイユンが、僕らにも話してくれなかったんですよ、パット。と少年の髪を撫でながら苦笑した。 「騎士サマの剣に誓ったんですって。最後にしたことは誰にも話さない、って。」 「カイリさんが３Ｄ映像だってことは僕もわかっているけれど、誓いは誓いだからね。絶対に話さないんだよ！」 誇らしげに腕を組んでみせるパットに、マリオはお前ケチだな〜といいつつ少年の眉間を人差し指で一つパチンとはじいて見たが、パットはまったく話す気はないようだ。クリアしたゲストが出、物語は明日から刷新される運びとなっており、既に来園者には伝えられている以上、パットがネタバレをしても問題はないはずだが、『誓い』をしてしまった以上、エンディングの行方は完全に闇に閉ざされた。…パットはまだ小さいとはいえ誓いを破るような気質ではないのである。 一同はゆっくりと夕食を楽しみ、食休みを十分取ってから、外に出た。城下町の広場を模した場所で、評判の映像ショーが行われることになっており、ゲストたちの殆どがその場所へと歩を進めている。道には光源が埋め込まれており、歩くのに不自由はないが薄暗い。と、カイユンの隣を小さな女の子が薄桃色のワンピースをひらりとさせながら小走りに通り過ぎた。少し先まで走った女の子は、くるりと振り向いて大きく手を振る。 「パパ！ママ！」 待ちなさい、迷子になるよ。と優しげな声がして、父親が大またに歩いてきて女の子と手をつなぐ。少し遅れて若い母親が追いついて、女の子の反対の手を握る。広々とした道は親子三人が手をつないでも誰の邪魔にもならず、周囲の人々も微笑ましく彼らを眺めている。 見回せば、数多くの『家族』でここは溢れていた。三世代で歩いているものもあれば、新婚と見えるカップルもいる。長年連れ添ったような年配の人々もある。友人同士で来ているものもあったが、ジョーたちはどの集団とも異質だった。血縁もなく、法的繋がりもなく… 「うわ、カイユン、僕、一人で歩けるよ。」 いきなり抱き上げられたパットは抗議するようにぽかりとカイユンの胸を叩いたが、カイユンは降ろそうとしなかった。 「僕の種族は暗くてもまわりがよく見えるし、こうしてれば、僕が迷子にならないで済むでしょう？」 もう、しょうがないなあ、とパットは言い、おとなしく抱き上げられていた。 映像ショーがやがて始まった。それは見事なもので、捻くれもののマリオでさえ、賛嘆の声を上げてしまったほど美しいものだった。パトリックは抱き上げられたまま、凄いね、凄いね、とカイユンに呼びかけた。 ショーが終わった後、ゲストたちはそれぞれ次の目的に向かって移動し始めた。と、ジョーの携帯している通信装置に連絡が入った。その文面を見て彼女は渋い顔をした。 「……アーサーから連絡……っていうか、これはもう命令に近いわね。」 素早く仲間に転送し、各自画面を見れば、それはたった一行の連絡だった。 ”迎えにいってあげて下さい” そして、場所が指定されていた。それだけ。他には何もない。 「どうするね。行くかい？」 ロマノフが問えばマリオはそんな義理はないだろう、と吐き捨てる。ソーンダイクはいつもの如く特に意見はないらしい。 「きっと、アーサーに困ったことが起きたんですよ。僕たちが助けられることなら手を貸してあげたい。」 カイユンが予想通りの意見を表明すると、ジョーはふう、と息をついた。こういう状況では最終判断は自分に任されるのが常だ。 「…・・・以前に宇宙船を貰っちゃった時点であたしたちが向こうから借りてるものは超弩級の大きさよ。更に、相手は宇宙連邦有数の企業主にして、それを知る者は側近だけだけど集団心理改変っていうとんでもない能力を持つ超能力者。何も行動しなかったら流石に拙いわ。……この惑星に招待してくれたしね……」 最後のほうで彼女は少し微笑んだが、そのあとククッと声をたてた。 「接触してヤバイと感じたらそのあと考えりゃいいことだしね。」 指定された場所は、人通りの少ない周縁部の緑地帯だった。ジョーを先頭に、一応周囲に注意を払いながら一同が進んでいくと、中世のランプの形状を模した街灯の下に 女の子が、ひとりぼっちで、ぽつんと佇んでいた。 |
| 最終シリーズ開始です。 ジョセフィーヌ、ロマノフ、マリオ、カイユン、ソーンダイク、そしてパット。そして新キャラクターで物語は進みます。アーサーのように既出のキャラクターもバンバン出てきますし、「トッパーの冒険」も絡みます。また、第一弾からの伏線のほぼすべてを回収する予定ですので、今までで未読のものがおありの場合は、すみませんが、過去作をお読みいただければ幸いです。 |