街の郊外で政府の超大型輸送列車が襲撃されてから数ヶ月。事件の起きたエリアの徹底された報道規制のためもあってか、人々の記憶からは既に風化して久しかった。尾ひれのついたゴシップに翻弄され、右へ左へ揺れ動いていた世界有数の港町、ニューシャンハイはもうすっかりと以前の落ち着きを取り戻していた。 大規模なビル群の麓に密集する店舗、住宅、その隙間を埋めるように張られた大小の天幕の中では、サーカスから小物売りの露店まで、あらゆる商売人がひしめき合っている。表向きはにぎやかこの上ないこの街も、しかし一歩裏通りに入れば・・・ ――とある裏路地 息を切らしながら、一組の男女が必死に走っていた。 「大丈夫ですかお嬢さん！？」 「え、ええっ！」 冴えない格好だがいかにも純粋そうな若者に手を引かれているのは、薄暗い路地にはおよそ似合わない、ウエディングドレスを纏った金髪の少女。 運動に慣れていないのかすっかり息が上がり、ともすればもつれそうになる足を懸命に前へ振り出していた。 と、二人よりやや後方、二つの路地が合流する地点で数人の罵声が聞こえ、少女が肩を震わせる。 「追ってきてるわ！」 「急ぎましょう！」 一瞬振り向きかけた二人だが、その間も惜しいとばかりにすぐにまた走り出す。数秒前に彼らが走った場所を、数人の男達が踏み荒らしていく。先頭を走るのは白い式服を着た軽薄そうな若者、後に続けといわんばかりにスーツ姿の中年たち。皆一様に、逃げる獲物を追い詰める怒りと焦りを滲ませた目をして、スーツが傷つくのも構わずに薄暗い路地を疾走する。 狙いは、彼が手を引く少女だ。 「頑張ってください！」 彼は、この路地で生まれ、育った。死に物狂いで勉強し、ビジネス街の一流企業に入って楽をさせようとした両親はもういない。街を出るのにも、ここで死ぬのにも悔いはなかった。辞表を持って会社へ行くと、大ホールでは社長令嬢とやらの結婚式が行われようとしていた。人が辞めようとしているのにいい気なもんだと思い、顔でも見てやれと人垣をかきわけたのは運命だったのかもしれない。 彼女と、目が合った。 まだ年端もいかない少女だった。おそらくは政略結婚のようなものなのだろう。相手の男と取り巻きの重役達に囲まれながら、すがる目でこちらを見たのだ、たすけて、と。 それからあとは、よく覚えていない。殴ったり、殴られたり、握った少女の手だけは離さないと心に決め、本能のままに街を走り抜けた。気がつけば、久しく足を踏み入れていなかったこの場所を、なまった身体で走っていた。そろばん勘定しか頭にない連中よりはここを知っているつもりだが、一体あの場に何人の人間がいたと思う？人海戦術で追い詰められるのは時間の問題だった。 「あっ！！」 恐怖に詰まった少女の悲鳴が路地に木霊する。前方から見覚えのある顔が数人の取り巻きを従え走ってきていた。よくは知らないが、確か相手方の社長。利益のためには労力を惜しまぬといった形相で突っ込んでくる。とっさに後ろを振り返り、思わず舌打ちをする。 「くそっ！」 直前の分かれ道は、いつの間にか十数人に増えていた追っ手によって完全にふさがれていた。殺気立った新郎を先頭に、ものも言わずに突っ込んでくる。前からは親、後ろからは子、一本道で挟まれた格好になり、もうどうにも動きようがなかった。 向こうにもそれが分かったらしく、嫌な笑みを浮かべながらじりじりと包囲を狭めてくる。少女を放り出して命乞いでもすれば助かるかもしれなかったが、彼にはそんな気は毛頭なかった。震える少女を背後に庇い、安心させるように手を握る。 はっとしてこちらを見上げる少女に、この場にそぐわない、例えば何か物をねだられたがそれに応えられないというような、ちょっと困った笑顔を向けた。 「すみませんお嬢さん。ここまで、みたいです・・・」 「・・・そっか」 薄いベールはどこで落ちたのか、綺麗だが飾り気のない金髪がしゅんとうつむき、諦めたように無理な笑顔を作る。 「ごめんね、あなたを巻き込んじゃった」 「とんでもございません、お嬢さん」 もう包囲網はすぐそこまで迫っていた。観念し、目を瞑った彼の耳に、ガガガガガッ、と機関銃のような音が響いた。撃たれたんだろうか？まあ、銃くらい持っててもおかしくないような連中だしな。しかし、おれひとりにえらく大げさな・・・・ 「・・・・・？」 ふいに周囲の空気が変わるのを感じ、恐る恐る目を開けた。見ると、今まさに自分へ手を伸ばそうとしていたらしい男が足元に倒れている。そのそばにも、同じく２、３人。皆、突然の出来事に驚き、その“異変”がやってきたとおぼしき路地の上方を見上げ、うろたえている。 と、白服の新郎がなにごとか叫びながら懐に手を入れ、黒光りする拳銃を抜き出して頭上へ撃ち放った。先ほどより大きな音を響かせて虚空に消えた銃弾の行方を確認するひまもなく、正体不明の第二撃が上空から降り注ぐ。新郎を含んだ数人の肩や足に当たったらしくその部位を押さえるが、不思議と出血はない。 どうしようかと思案を巡らせたその時、あっという間に半数近くを片付けた上空の攻撃者がザッと飛び降りてきた。地蔵色の和服を羽織り、腰に刀を差した姿はまさしくサムライ。片手に握った拳銃を残った連中に向けるやいなや、立て続けにトリガーを絞る。流れるような動作で拳銃を収めるまでに一分の隙も見当たらない。 「みね撃ちでござる。ご安心なされい」 「あなたはなんです？」 ほっとしたのもつかの間、深編み笠を目深にかぶり、手に尺八を携えた怪しい虚無僧スタイルの男を警戒する。 「な、何って拙者、通りすがりの尺八吹きでござるよ」 しどろもどろになるところなどますます怪しいが、どうやら悪者ではないらしい。少女も震えるのを忘れてぽかんとしている。が、その妙な空気は新たに響いた怒号にかき消される。瞬時にこわばる少女を抱き上げ、尺八吹きをその場に残して再び走り出した。わけが分からないが、とにかく助かった。 「あ、わ、私、自分で走れるからっ！！」 慣れていないのか、顔を真っ赤にして少女が言った。自分だってそりゃ恥ずかしいが、この方が速いのだ。 かまわずに走る彼の前に、見るからにガラの悪い男達が立ちふさがる。下卑た笑い声を上げて迫る男達を前にあとずさろうとする彼の背後から、突如大声が響いた。 「止まるな、走れっ！！」 反射的に駆け出した彼を援護するように後方から火柱が伸び、男達の足元に炸裂してゆく。横から突っ込んできたひとりの男は、いきなり凍りついた足に反応しきれず無様に転ぶ。とっさに振り向くと、ピエロのメイクを塗りたくった男と黒い覆面のダンサーらしい二人組みがそれぞれカードを構えている。 「いいから、その嬢ちゃん連れて走れってんだ！！」 手で“早く行け”のジェスチャーをするピエロを一瞥し、逃走劇を再開する。なんだかよく分からないが、先ほどまでのシリアス感とでもいうのだろうか、そういったものが欠けてきているような気がする。腕の中の少女も、次はなんだろうとわくわくしながら辺りを見回している。こんなときに呑気なと思ったが、歳相応に目を輝かせる横顔を見て、 （ま、それもいい、か） 「ん？なにか言った？」 「い、いえ何でも。それよりほら、もうすぐ路地が終わりますよ。もうすぐです、お嬢さん」 そう、あの角を曲がれば、光の溢れる表の路地に出ることができる。幼い頃はそれが妙に怖くて、そこからは一歩も踏み出したことはなかったけれど。自分も彼女と始めてくぐる、外への出口へ転がり出る。 「ハ〜〜イいらっしゃ〜〜〜いッ！お二人さんどちらまで？もう運転手さん今日は張り切っちゃうからね！どこでも言って。ワンワン」 「・・・・・へ？」 今度こそ目が点になる。路地を抜けたらいきなりタクシーが停まっていれば無理もない。この辺は明るいが人影はまばらで、待っていてもさして儲かるはずがないのに・・・ 「タイチョー、いきなりそういう風に強引に客引きしちゃうから誰も乗らないんだワヒ。それから空車のときも安全運転、これは鉄則だよ？速けりゃいいってもんじゃないの」 木漏れ日の下に停めた黄色いタクシーの運転席に座った・・・犬が言う。助手席にいるのも犬だ。ビーグルに、ラブラドール。Ｔシャツにズボンと、かなりラフな格好のワードッグだった。この辺では珍しい。と、運転席に座ったラブラドールが開けた窓に肘をついてこちらを見る。 「んで？乗るの乗らないの？」 「あ・・・」 「の、乗ります！乗せて！！」 逃げ出す格好のチャンスとばかりにたたっと駆け寄った少女がドアを開ける。半ばつられて彼も乗り込んだ。が、ラブラドール・・・笹見＝ゴン太はエンジンをふかすばかりで一向にクルマを進めようとしない。しまいには耳をほじりながら音楽をかけだす始末だ。 「ちょっと、走ってくださいよ！！」 たまらず声をかけるが、ちっちっち、と指を振ったゴン太は、 「もうちょっと待ってね。今日は出稼ぎの仲間が来る予定なんだ・・・・って、ウワサをすればってね。来たみたいだワン」 例の路地から３匹のワードッグが転がり出てくる。編み笠やメイクはないが、あの服装は・・・？ 「くっそなんだあいつら！ロケットランチャーまで持ち出しやがって・・・やっぱ面倒に首突っ込むのはやめといた方がよかったぜ。車出せ隊長サン！とっととズラかるぞ！！」 半分落ちたピエロのメイクをごしごしこすりながらフランクがわめく。うしろからのっそり出てきて覆面を取るウォレットに続き、ぱんぱんと着物の汚れをはたいたミッキーがいち早くタクシーの屋根に飛び乗り、大太刀を抜いて腰だめに構えた。 「連中まだまだ来てるでござるよ！駅より先に振り切るが先決！！」 「え？どうなってんの？」 言っている間にトランクカバーをもぎ取り、即席の座席を作ったフランクがウォレットと一緒にそこに乗り込む。 「そこのヤローと嬢ちゃんが駆け落ちすんだとよ！いいからさっさと回せ！！少しは撒いたが追っ手は来る！！」 説明を聞くうちにゴン太の顔が見る見る笑顔になる。後部座席の二人を振り返って親指を突き出した。 「まかせといて！そういう突発ミッションは大好きだワン！！」 アクセルを踏み込み、ギアをローへ。ぱちんと指を鳴らすと、ボンネットのマスキングテープが剥がれ、「ＴＦＤ」の文字が現れた。 「手、繋いどきなよ！偉い友達がサイコーのエンドを用意してくれてるんだ〜」 少女と若者はちらっと見つめあい、再びしっかり手を握る。そう、こうしていれば怖いものなど何もない。 「行くぜみんなッ！！」 「おっけータイチョー！」 「御意にござる！」 「ハッ、楽しい帰り道になりそうだぜ！」 「・・・・・了解！」 キュルルルルル、とタイヤを鳴らし、力強いグリップで地面を蹴る。５匹と２人を乗せた黄色いタクシーが猛烈な勢いで走り出す。
ＣＲＡＺＹ＊ＴＲＡＩＮ ＥＮＤ |
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| …そしてまた新たな仕事の始まりですね！ TFDの諸氏が一人も欠けることなく今日も元気に仕事に励んでいるだろうことを信じております！ |
