ありがとう

　初めは悲しみだけしか感じなかった。いや、悲しみをも感じられなかった。

村のあちこちで魔物が吐いた炎がまだちろちろとくすぶり、家々は半壊し、花畑は毒の沼に変わっていた。父の、母の、大切な人々の名を喉が潰れるまで呼び叫び、答えが返ってこないのがわかると、すべての言葉が出てこなくなった蒼白な顔で、幽鬼のようにふらふらと歩き回り、自分の家だった場所に戻ってきて、やっと嗚咽をもらすことができ、自分で意識をしないうちに滝のように涙が目から流れてきた。

　どうして死んでしまったの。何故、死んでしまったの。

　子供のように泣き続け、朝が来て……悲しみは憤りへと変わっていった。

　何故、何故こんなことが？何故？何故このようなことを??

　村人を殺した魔族への怒り、そして、自分を逃がすために散っていった村人への疑問。

　何故、命を投げ出したの？僕が勇者だったから？……村の人の命を一人も助けられなかった、この弱い僕が何故勇者なのか。

　どうして一人残されたのか、なぜ、孤独に耐えねばならないのか。こんなことなら一緒に死んでしまえばよかったとすら思った。

　村人に対して、泣き、怒り、恨み言を言い……

　しかし、それはあくまでも独り言。彼が語りかける人々はもうこの世の人々ではない。彼が心で発することばも、問いも、何者がそれを受け取ることはなく、空しく空気に溶けて消える。

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　彼が村に帰ってきたとき、村は何も変わっていなかった。壊れた家屋は壊れたまま、死んだ村人が生き返るわけもない。

　しかし、彼は以前のような繰言を言わなかった。

　彼は「ありがとう」と言った。村を回り、村を出発するときに自分が泣きながらたてた粗末な墓標の前に膝をつき、頭をたれて祈りつつ「ありがとう」と言った。

彼が心で発することばは、何者もそれを受け取ることがなく、空気に溶けて消えていく。それは以前と変わらない。彼の言葉はただの独り言、それを聴くものはそこにはおらず、彼の言葉にはなんら意味がない。

　それはほんとうにそうなのだろうか。

　彼が墓標の前で「ありがとう」というたびに、空を仰いで「ありがとう」と思うたびに、空の青がほんの少し濃さを増し、日の光が美しく透明になった。

　それは彼にはわからないこと。……いや、そんなことは起こらなかったかもしれない。それほど小さなできごとであるし、誰かがその言葉を受け取っていて欲しいと思う気持ちの生んだ妄想かもしれないのだ。

　だが、それは意味のないことでないのは確かだ。ほら、ご覧、彼は立ち上がる。立ち上がって微笑む。村を晴れ晴れとした表情で見回し、たった一人で村を蘇らせるための作業を始める。

　それは彼一人の力ではない。

　彼が「ありがとう」と呼びかけた人から彼はその力を貰っているのだ。

　「ありがとう。」

　彼がそう、声に出していったとき、明らかに空気はかすかに震え、勇者と呼ばれた青年の頬を労うように優しく撫でていった。

　　

19万ＨＩＴ記念部屋最終更新です。明るく楽しく……というのがオオトリには相応しいかもしれませんが、少々寂しいものになってしまいました。そして、超短編。自サイトのドラクエコンテンツで「ありがとう」が一番似合うのは勇者だと思います。そして、「ありがとう」という言葉は本当に自分自身の力になる言葉だと自分の日常を顧みても強く感じています。

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