 海の家へＧＯ！(その3) |
月森 蓮は、一人、開け放した窓から空を見上げていた。夏の大三角形は既に西に傾き、秋の星座が高く昇っている。……星を見るのは嫌いではない。夕方から始まるコンサートを聴き、家に戻る時には、空には星が瞬く時間になる。ふっと空を見上げると、父や母は明るい星を指差して、星座の名前や、その星座にまつわる神話を話してくれた。年を経、一人でコンサートに行くようになってからも、気付けば帰途、空を見上げ、なんとなく星を目で追うのが習性のようになっていた。 夏の空気の中、星の光はぼんやりとしていたが、星座の形は変わっているわけではない。 それにしても…… と月森はタメイキをついた。 さきほどの「大貧民」は物凄かった。小学生の頃、クラスでやった記憶はあるのだが、あれほど苛烈なゲームであったろうか？柚木が常にトップを走り、土浦が二位を死守。しかし、大貧民に甘んじていた火原が最後の最後で「革命」を達成。……辛うじて「貧民」であった月森はその瞬間に大貧民へと陥落し、ゲームは幕を閉じた。 かき氷の売り子、お握り、線香花火……そして大貧民…… ああ、今日という日は、最初で最後かもしれない事でいっぱいだった。 月森は小さな欠伸をした。もう寝よう。慣れないことの連続ですっかり疲れてしまった。あの、狭い蚕だなとかいう寝床でも、今日はぐっすりと眠れそうだ。そして、彼は心の中で、この世界のどこかにいるかもしれない神に祈った。 (かき氷マシンから火花が出なかったこと、感謝します) まだ火を吹くと思ってたんかい!? ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 深夜、香穂子はパジャマ代わりのTシャツとハーフパンツ姿で廊下へと出た。目をこすり、片手で頭をポリポリと掻き、台所へと歩いていくと、そこには灯りがついていた。電気の消し忘れ？確か消したはずなのに！と一遍に目が覚め、小走りに中に入ると、そこでは土浦が流しに向かっていた。 「アレ、土浦君？」 洗い物をしていた土浦は、香穂子の顔を見てぽかんとした。 「何だ、こんな遅くに。」 「いや、ちょっとお水を飲もうと思って……っていうか、土浦君がここにいることの方が不思議だよ？」 土浦は苦笑した。 「いや、ちょっとばかり気になっちまってな。」 流しを見る。山と積み重なっていた皿はすべて綺麗に洗われている。 「あ……お皿……言ってくれたら手伝ったのに。」 「いや、皆、朝に洗う気でいたんだろうし、俺もそう思っていたんだが、さっきどこかに行ってたらしい月森が戻ってきてその足音で目を覚ましたら急に洗いたくなってな。自分の家だったら洗おうなんて思わなかったかもしれないが、ここは他人の台所だ。それに、明日、朝飯の準備をしようとして、流しに大量の洗い物があったら、正直気分が萎えると思った。」 「そっか。…なんか、土浦君らしいよね。」 土浦は、コップに水を汲み、冷凍庫から氷を出して入れ、香穂子の前にトン、と置いた。 「お前はどうなんだ？暑くて寝苦しかったか？俺達の寝部屋は結構快適なんだが。」 香穂子は有難う、と言って座り、コップを振ってカラカラと氷の音をさせてから、コクンと水を一口飲んで答えた。 「実は……朝に海に行こうって天羽ちゃん達と話してたの。ところがケータイのアラームを合わせ損なっちゃって……さっきバイブレーターに起こされちゃった。」 はは、そうだったんだ。ドジだなあ、と土浦は笑った。 「手伝おっか？土浦君台所で大活躍だったものね。片づけくらい私が…」 「いいや、あとは揚げ物やったフライパンの後始末と布巾やまな板やらの消毒だから一人でやってもすぐ終わる。お前は水飲んだら戻って寝ろ。お前の目はとろんとして見るからに眠い、眠いって言ってるぞ。」 うん、そうする。という香穂子の声を背中で聞いて土浦は作業に戻った。 「さ、これでいいか。」 エプロンを外し、ぐっと伸びをする。 「俺も寝るか。」 振り向けばそこにはテーブルに突っ伏して寝ている香穂子。 「おい。」 香穂子は寝ている。 「おい、こんなところで寝ちゃ体に悪いぞ。」 香穂子、びくともせず。 「おい！起きろ！」 軽く肩を揺すれば、眠ったまま顔だけ横に向いた。ちょっと微笑んだような可愛らしい寝顔で…… 「お・き・ろ！日野！起きろ！お願いだから起きてくれッ!!」 それでも香穂子は起きなかった。うわあああ、と土浦は頭を抱えた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「香穂～！起きろ～！」 早朝、香穂子は天羽に叩き起こされた。あれ？確か台所で……とぼけーっとしている香穂子の横から冬海の控えめな声がかかる。 「先輩、いいお天気ですよ。」 あ、そうか、そうだった。海に行くんだっけ。 「もうッ！冬海ちゃんとあたしは先に行ってるからね！香穂も着替えたらすぐおいでよ!!」 はぁい、と答え、のろのろと支度する。……やっぱり変だなあ。絶対に台所にいたはずなんだけどなあ。などと考えつつ、水着を着、上にパーカーを羽織って部屋を出る。浜辺に出ると太陽は丁度水平線から上がってくるところだった。わあ、と波打ち際まで歩いてじっと日の出を見つめていると、後ろから柔らかな、しかし棘のある声がかかった。 「おやおや、お前は折角の日の出の光景の中に割って入っちゃったね。」 柚木が海の家の前の椅子に静かに座っていた。 「人の目がなくても風景はそこにある、というけれど、やはり、人が見てこその風景だと俺は思うのだけれどね。……そこに第三者が存在してしまうと、風景はその意味を全く変えてしまう。そう思わないかい？」 うッ、邪魔しちゃいましたか、と香穂子は素直に頭を下げた。 「そうやってすぐに謝るのもどうなんだか。本当に悪いと思っているのかい？」 「……柚木先輩がいらっしゃるのに気付かなかったもので……もしもわかっていたら」 「もしもわかっていたら、俺の居る方には来なかった。そうなのかい？」 こく、と頷きかけて香穂子はあたふたと手をばたばたとさせた。 「全く、素直というかなんというか。……ひとまず謝られたんだから、俺も罰をお前に与えようかな。」 そう言って柚木は近付いてくると、スラックスの裾を折り曲げ靴下を脱いで波打ち際に出、海の水をすくってばしゃ、と香穂子にかけた。 「冷たい！」 「ふふ、冷たいかい？…罰だもの、しかたないよ。」 尚も水をぱしゃん、とかける柚木はとても楽しそうだった。波がやってくると陸の方に逃げ、波が引くと元の場所に戻る。かけられっぱなしになっていた香穂子も子供のようにはしゃいでいる柚木に水をかけ返した。と、柚木が香穂子の手首を掴んだ。 「駄目、駄目、日野さん。お前は水着だけれど、俺は服なんだから。」 ああああッ！と香穂子は叫んで、深く深く頭を下げた。 と、トランペットの音が遠くから聞こえた。 「あれ？火原先輩？」 柚木は頷いた。 「火原は、日の出を見ながら向こうの突堤でトランペットを吹きたいなんて言ってね、ジョギングがてら走って行ったよ。……今回楽器をここに持って来たのは火原だけか。……思い出すよ。星奏学院にはブラスバンド部がない。普通科の野球部の試合のとき、ブラバンをやってくれないか、とオケ部に依頼がきたとき、炎天下で楽器が痛む、応援している暇があったらきちんとした練習がしたい、とほとんどの人間が協力しようとしなかった。でも火原は嬉々としてでかけて試合開始から終了までずっと応援していたそうだ。…あいつのトランペットは太陽の光やこの海の潮風が吸い込まれている。そして、それがあいつの『音』になるんだ。……残念ながら、俺がここでフルートを吹いたとしても、それは楽器を腐食させるだけなんだけれどな。……それより、俺に海水をかけておいてただで済まそうなんて思っちゃ居ないだろうね？目を閉じて。何を躊躇しているのさ、しっかり瞑らなくちゃだめさ。そう、いい子だ。そうしたら手をこっちに差し出してごらん。」 何か小さなものが手に載せられた。 「はい、目をあけて。」 そこには二枚貝の小さな貝殻が載っていた。 「あの、これは…？」 「昨日、土産物屋に入ったとき、お前、この貝を欲しそうにしていたろう？さっきそこに落ちていたから拾ってみた。……しかし、珍しくもない貝を気に入るなんてお前らしいよ。……折角拾ってやったんだから、壊したりしてはいけないよ。もしも壊したら……」 ふふ、と柚木は笑い、香穂子は縮み上がった。 「随分前にここを天羽と冬海が通ったよ。お前ももう行くといい。」 はいッ！と叫んで香穂子は走っていった。それを見送りつつ柚木は微笑んだ。 （全く……俺が見ていた風景にお前が加わったことで、俺が嬉しく思った、なんてことをお前は全く考えないんだから。……) しばらくすると火原が戻ってきた。二人はなんということもない話をしていたが、柚木がふっ、とこう言った。 「なんのかんのいって楽しかったよ。もう、ここに来ることはないだろうけれど。」 すると火原が珍しく真剣な顔をした。 「あのさ、柚木、もしも柚木がいつかまたここに来たいっていうのなら、俺、なんとかしてお前を引っ張り出して連れてくるよ。…うまく言えないけど、全部、柚木次第だと思う。俺なんかが言っていいことかどうかわかんないけど、そう思う。」 柚木は頷いた。 「そうだね。…そのときは宜しく頼むよ。僕一人でなんとかしなくちゃいけないことだけれどね。」 香穂子が全速力で走り、天羽の横に立ったとき、天羽は水平線を連写していた。 「天羽ちゃん！」 一眼レフのカメラを天羽は下ろし、テヘヘ、と笑った。 「なんか、写真のこと意外アウトオブ眼中になっちゃってたみたいだね。香穂、笙子ちゃん、ゴメン、ゴメン。」 近くに居た冬海が、いいんですよ。本当に綺麗な日の出でした。と微笑んだ。 「天羽ちゃん、泳ごうか！」 「うん！カメラをケースに入れて…これで良し！冬海ちゃんも行こ！」 「はい！」 三人の少女達は完成を上げながら海に入っていった。 土浦を中心にして作った朝食を食べ終わる頃に、食中毒から復活した本来のアルバイター達が戻ってきた。店のおやじさんも、息子さん達も、八人の高校生達を労ってくれ、駅まで送ってくれた。 電車の中では前夜の大貧民大会の続きが繰り広げられていたが、皆、寝不足だったため一人、また一人と船をこぎ始めた。志水は隣に座った土浦の肩にどさっと頭をぶつけるようにもたせかけてしまい、慌ててぱっちりと目をあけた。そして、そういえば……と土浦に言った。 「僕、昨日の夜、土浦先輩の夢を見たんです。……夜中に起きて廊下を歩いている夢です。そうしたら、土浦先輩が、大きなマグロを持っていたんです。……僕はシートに包んだカツオを背負ってきましたが、先輩はマグロを毛布にくるんでました……先輩、先輩がマグロをお料理するときには、僕にもご馳走して下さいね……先輩、マグロを料理するのも得意ですよね。……僕も一緒にお料理したいなぁ」 そういうなり、志水はまたこっくりこっくりし始めた。土浦はほんの少し頬を赤くし、スポーツタオルを頭から被って眠ったふりをした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「へえ、ここがそうなんだ？僕も一緒に来たかったな。」 加地は砂浜で海の家を見た。老朽化しているが、よく手入れされ、今も現役の建物だ。 あれから８年がたった。そして彼らはまたここに来た。 「それにしてもよく集まれたよね。マエストロ土浦殿！」 ｢加地、俺はまだ駆け出しだ。暇も多いぞ。暇がないと言えば、月森を筆頭として冬海も柚木先輩も音楽活動で世界中を飛び回っている。」 隣から火原が口を挟んだ。 「志水君もね。作曲コンクールで一位になってからひっぱりだこのてんてこまいだよね。」 柚木が笑う。 「それを言うなら火原、君がいちばんてんてこまいじゃないのかい？僕達が扱うのは音楽だけれど、君が扱う生徒達は生き物だから何が飛び出してくるかわからないだろう？」 「は～い！じゃ、ここで写真をとりま～す！」 カメラマンとしての歩みを始めた天羽が大きく手をあげる。 誰が、というのではなく、皆が香穂子を真ん中にし、彼女を囲むように立った。 「はいッ！じゃー、十秒後にシャッター落ちます！」 セルフタイマーのジー、という音。天羽が香穂子の腕を掴み、逆の腕を冬海が掴んだ。 パシャ、 記念写真。しかし、これは終わりではなく彼らにとってはまだまだ「これから」の写真。 ８年目の彼らの夏がここに始まった。 終わり |
| 最後に腰砕けしました!!(>_<) 最後までギャグで突っ走るつもりでしたが、アラアラアラ…ということに… 加地君を出したのは趣味です。 恋愛絡みのゲームというと、誰かを攻略してエンディングとなりますが、彼らはじーさまばーさまになってもずっと交流していって欲しいです(金やんと王崎さんを出せなかったのが残念) 夏の企画のはずが12月中旬までひっぱってしまいましたが、最後まで読んでくださってひたすら有難うございました!!<(_ _)> |