ジャムカの手紙(前編) |
「よ〜し、いっちょ、あがりッ！」 軒に立てかけた梯子の中段からぽーんと身軽に地面に飛び降りたデューは、下で作業を見守っていたこの家のおかみさんに、金槌片手ににかっと笑って見せた。 「おばちゃん、大工の棟梁みたいにはいかなかったけど、多分向こう一年は雨漏りしないと思うよ。もし、すぐ駄目になったら勘弁な。そんときゃ、おいら、すぐまた直させて貰うからさ。」 丸々肥ったおかみさんは、いやいや、大助かりだよ、とパンパンデューの背を叩き、金槌を受け取った。 「うちのロクデナシが『俺が直す』っていってから一月もそのまんまでいて、一昨日の嵐で酷い目に遭って、やっと腰をあげて屋根に上がったあげく、踏み抜いちまってさ。…ったく図体が大きいばっかりで何の役にもたちゃあしない。あんたみたいな身軽で器用な子が村に来てくれて大助かりさ！ こないだ、小屋の閂が壊れたときにも世話になったしねえ！」 デューはくすぐったそうに肩を竦めた。 「旦那のことをロクデナシなんて言わないでおくれよ！旦那、酒場でちょいとお酒が入ると、うちのかみさんは世界一だなんてのろけて、そりゃあ凄いんだからさ！」 そう言われて嫌な気分になろう筈もなく、おかみさんは目尻のしわが目立ち始めた顔を紅くし、嫌だねえ、この子は！大人をからかうもんじゃないよ！と、もう一度スパーンとデューの背を叩いた。そして、ゲホゲホと咳き込むデューの鼻先に、パン籠を差し出した。 「バターも入ってるからね。お義姉さんにも宜しく言っといとくれ、こないだのウサギはよく太ってて、そりゃあおいしかったって。」 「うん、わかった、…って、おばちゃん！おばちゃん！忘れもん！」 そう言って両腕を差し出したデューに、ああ、そうだそうだ、とおかみさんは大きなショールを外し、その下に背負っていた子供をそっとデューに渡した。金髪のふくふくとした男の子は、眠っており、デューが手馴れた手つきで負ぶい紐をポケットから取り出して自分の背にくくりつけても一向に目を覚まさない。 「ファバル坊はよく寝る子だねえ。」 「んー。ここ来る前に全力でおいらと遊んでたから疲れてたんだと思うー。いい事だよな！寝る子は育つってさ！」 そいじゃ、おばちゃん、パンとバターありがとー！とデューは籠を振り回しながら大声で言い、おかみさんは、転ばないように注意するんだよ、とこれまた大声で返して大きく手を振った。 デューとブリギッドが、バーハラから脱出して季節が一巡りした。レンスター辺境のこの村に落ち着き、穏やかに時は流れている。この村は、王都からあまりにも遠くにあるため、キュアン王子とその妻がトラキア軍に討たれたことは伝え聞いていても、食料供出を迫られることも徴兵されることもなく、それがいきなり彼らの生活を急変させることにはつながらなかった。しかし、遠方といっても戦で親類縁者が死んだ者は何人も居り、戦で夫を失いグランベル王国から逃れてきたと言う、幼子を連れた若い母親とその弟分を、温かく迎えてくれた。実際のところ、村に余所者を受け入れるだけの蓄えがたっぷりあるなどということはなく、彼らの定住に苦い顔をするものも最初はあったのだが、母親の方は弓の名手で、鳥やウサギや、果ては狐や猪や熊までを森で仕留めて、村の獣肉皮革毛皮事情を豊かにし、弟分の方は、鍬や斧を振り回すのは苦手だったが、身軽さと器用な手先でもって、木工細工から屋根直しまで、自分から進んで手伝ってくれて皆の役にたってくれた。そして、二人ともが、陽気で、よく笑い、奢ったところもずるいところもなく、すぐに山ほどの友人を作り、まるで生まれてからずっとこの村にいたかのように溶け込んでいっていた。 ご近所さんにも手伝ってもらって住めるようにした元は廃屋だった家の戸をあけたブリギッドは、土間に今日の獲物のウサギをポンと投げると、くんくん、と鼻を動かした。そして、使い込んだ弓を棚に置き、厨へと足を進めた。そこでは、デューが鼻歌を歌いながら鍋と格闘しており、その足下では、デューの鼻歌に合わせてファバルが出鱈目に手足を動かして踊っていた。 「なんだいなんだい、ご馳走だね。」 「あ、姐御、お帰り〜！ちょっと待ってくれよな、すぐできるから！」 大きな鍋は片手では動かせず、鍋に遊ばれている感があるが、デューは手馴れたもので、ブリギッドは安心して料理を任せていた。手甲を外し、革紐で一括りにした髪を解きながらテーブルに並べられたものを一瞥する。 「川魚の燻製に、ハム。おお、林檎の蜜煮まである。そして、あんたが作ってるのは、」 「スープだよ。ニンジンとジャガイモとたまねぎと、キノコと、バターもたっぷり入ってる。それから、そのパンはさ、粉屋のおかみさんに貰ったんだ。あのおばちゃん、パン焼き名人だからさ、すっごく美味しいよ！」 かぁちゃ、かぁちゃ、と足にまとわりついてきたファバルをよしよし、お留守番有難うね、と優しく抱き上げ、ブリギッドは首を傾げた。 「…一体今日は何の日なんだい？あたしの誕生日でもあんたの誕生日でも、ファバルの誕生日でもない。更に言えばエーディンの誕生日でもないよ。あの子とあたしは双子だからね。」 わからない？ええっ、わからないんだ？と焦らしてから、デューは出来上がったスープを木の椀に山盛りよそっておんぼろの木のテーブルに置き、高らかに告げた。 「オメデトウ、おいら達！今日は、姐御とファバル坊ちゃんとおいらがこの村に来て丁度一年目の記念日だよ〜！」 ブリギットは目を丸くした。 「驚いた。……日付を確かめる余裕があんときにあったなんてね、……デュー、あんた、実はレンスターのフィン坊並みに几帳面な子だったんだねえ。」 そうだよ、どうだ、驚いたか、とデューは言ったが、すぐにぽりぽりと自分の砂色の髪を掻いた。 「粉屋のおばちゃんが言ってたんだよ。『今日で丁度一年になるねぇ』って。それ聞いちゃったら、なんかお祝いしなくちゃいけないだろ！おいら姐御と一緒にいるようになってから決めたんだ。めでたいことは全力で祝う！めでたいかどうか微妙なことでも全力で祝ってめでたくする！そしたら、なんだか楽しくなるだろ？」 はっは、と豪快に笑い、ブリギッドは椅子に腰掛け、傍らに置いてある、デューが作った幼児でも落ちないように工夫された背丈の高い椅子にファバルを腰掛けさせた。 「一周年かい、そりゃ確かに目出度いね！じゃあ、いっちょ、宴会と洒落込もうじゃないか。」 大好物の林檎の蜜煮を食べ終わり、お腹がきつくなって腰掛たままうつらうつらし始めたファバルを寝かせてきたブリギッドに、デューは金属のジョッキを渡すと、封を開けていない葡萄酒の瓶を魔法のように取り出して、キュキュッと器用にコルク栓を抜いて、とっとっとと赤紫の液体をなみなみと注いだ。 「ちょっとちょっと！これ、お高い奴だろ？勿体無い。」 「遠慮するなって。おいら、姐御がうわばみだってこと知ってるんだからな。うわばみだしー、お酒は美味しく飲むしー、あんま酔わないしー、次の日残んないしー。お金のことなら大丈夫。確かにこの葡萄酒は逸品だけど、この間来た流れの商人のおっちゃんから、賭けして貰った奴だから。ああああああ、イカサマはやってないからね!?ただ、おっちゃんが、おいらの手の動きについてけなかったからだけだかんね!?」 ブリギッドははあ、と息をついた。自分は弓の腕を落とさないよう、毎日森に行って狩猟という名目で鍛練をしている。そして、目の前に楽しげに座って喋り捲っている、亡き夫の弟分は、スリや鍵開けの技術を落とすまいといろいろなことをやっている。それは、村の子供に見せる手品だったり、村人の財布に入っている小銭を自分の小銭とすり替えることだったり……賭けだったりする。賭けは『コインは裏か表か』というような単純なものなのだが、この少年は目にも止まらぬ早業で、自分が賭けた通りになるよう、コインにしてもカードにしても瞬時に動かすことができる。前に一度諌めたのだが、またまたやってしまったのか、この子は。だがしかし…だがしかし、心づくしの夕食と美味い葡萄酒を目の前にして叱り飛ばすのも気がすすまない。 「よぅし、今日だけは、お説教はやめとくよ。なんたってお目出度い日だからね！」 「流石姐御！よくわかっていらっしゃる！」 かんぱーい、とジョッキを打ち合わせ、葡萄酒を口にするブリギッドの前でデューは渋い顔をしていた。 「はっは！やっぱりあんたは葡萄酒はまだ駄目かい？」 デューは頬を膨らます。 (※FE世界では飲酒年齢に法的な規制はないと考えていますが、おおよそ15,6歳くらいが社会的に飲酒を許される年齢だと設定しています) 「駄目じゃないけどさ…美味しい奴だっていうから、今度こそって思ってぐびっていったんだけど…どうして酒って苦いんだい？ブドウそのものの方がずうっとおいしいじゃないか。」 「そりゃあ、あんたがまだ酒の旨さもわからないがきんちょだってことさ。…もうブドウの季節は過ぎちまったけど…リンゴをすりおろして絞ってやろうか？」 『あー、もー、そーやってすぐ子供扱いするんだからー！』とぶーたれつつリンゴの蜜煮をぱくりとやっているデューをブリギッドは微笑んで眺める。 そうか、もう一年か。ファバルも大きくなるわけだ。この一年、いろいろなことがあったが、目の前にいる少年の屈託の無さ、底抜けの明るさに随分と自分は救われてきた。自分ひとりではきっとうまくいかなかっただろう。 「姐御、姐御、聞いてるのかい！」 高い声で叫ばれて、ブリギッドは我に返った。 「ああ、ゴメン、なんだい？」 「なんだい、じゃあないよ。一周年記念のお祝いの大切なとこはここからなんだかんね！」 そういって、デューは愛用のお宝袋（人はそれをずだ袋としか言ってくれない）をとってくると、その中から、油紙に包んだ何かを取り出した。油紙を解くと、羊皮紙の紙ばさみが入っており、それを開くと便箋らしきものが現れた。 「じゃじゃじゃーん！これだよ！……姐御、これは兄貴からの手紙なんだ。ジャムカの兄貴から姐御への。」 ジャムカからの手紙？……いや、手紙は既に貰っている。炎に包まれたバーハラを見下ろす丘で絶望にうちひしがれていたブリギッドはデューからジャムカの手紙を受け取り、生き残りデューと共に逃げる決意を固めたのだった。 ブリギッドの表情から彼女が何を考えているのか察したデューは、手紙を持った右手を振り回し、ホンモノだよ、正真正銘兄貴からの手紙だよ、と大声で言った。 「兄貴から貰った手紙は二通あったんだ。一通は前に渡した奴。あれは姐御にすぐ渡してくれって言われてたんだ。そして、これはさ、……姐御とおいらがうまく逃げられて、どこか安全なとこで暮らし始めて落ち着いたら渡してくれってたんだ。はい、姐御。」 手紙に両手を添え、恭しく差し出したデューに向かって、ブリギッドも神妙に両手で手紙を受け取った。 「おいらさ、昼間のうちにその手紙、見てたんだ…懐かしかったな…兄貴の字…」 手紙を開こうとしていたブリギッドはぎょっとした。 「あんた、あたし宛てのジャムカからの手紙を読んじまったっていうのかい!?」 「えー？兄貴、読むなっていわなかったし、第一、おいら、その手紙渡されるとき手紙は折られてなかったんだ。そして、おいらの見てる前で兄貴は最後に二行くらい書いてたし。」 「……あたしも読むけどさ、どういう手紙なんだい？これは。」 「えーと、わかんない。」 なんということもなく笑顔で『わかんない』と言われ、ブリギッドは噛み付いた。 「今日手紙読んだのにわかんないってことはないだろうが！」 「だからさー！おいら、字を見て兄貴が書いたかどうかくらいはわかるし、簡単な言葉もわかるよ！おいらの名前とか、あとは挨拶とかそういうの。でもさ、姐御、わかってるだろ。おいら、よく字が読めないんだってば！」 確かにそうだった。シグルド軍に従軍中、デューが自分の名前も書けないことを知って、ジャムカと二人で嫌がるデューに強制的に名前と、簡単な言葉の読み書きは教えたが、それから先へは進めなかった。 「それからさ、なんだかその手紙の字は、すっごく格好いいんだけど、おいらが兄貴や姐御から習った奴と全然違くて、正直チンプンカンプンで・・・・」 ブリギッドが手紙を開くと、流麗な飾り文字が現れた。確かにジャムカの手だ。王子として教育を受けた彼にとって飾り文字を書くのはどうということもない。しかし、これではデューには無理だろう。ブリギッドも従軍中に妹のエーディンに一通りの飾り文字を含めた書法を習っていたからこそ読めているのだ。ああ、でも、本当に懐かしい……手紙はブリギッドへの呼びかけで始まっていた。ユングウィの公女、聖弓イチイバルを受け継ぐ者と知られてはいけない、との配慮か、ブリギッドの名前もジャムカの名前も書かれていなかったが・・・ この手紙を開いたとき、お前はどこにいるのだろうか。デューには、暮らしが落ち着いたなら渡してくれと言付けた。俺と別れてからどのくらいの月日がたっているのだろうか。いずれにしろ、お前がこれを読んでいるときに、俺はお前の傍にはもう居る事ができなくなっている。 こくん、とブリギッドが頷いた。その横顔をデューはじっと見つめている。ブリギッドは何度か頷きながら手紙を読み続け、最後に一度大きく頷くと、丁寧に畳み、デューに羊皮紙と油紙も寄越しとくれ、と声を掛け、元通りに包むと、寝台の下から、小さな錠がついたデューが作った『大切なものを入れておく箱』を引っ張り出して開けて入れると、かちゃりと鍵を閉めた。 すると、目をキラキラさせながら様子を窺っていたデューは、不満そうな声をあげた。 「姐御！おいらに言うことはないのかい？兄貴はおいらのこと書いてくれてただろ？デュー、頑張ったな、とか、デューに頼んでよかった、とか！」 ブリギッドは半目になる。 「んなこと書いてあるわけないだろう。実際あんたがどんなはたらきをしたかわかんないんだからさ。最悪、あんたがヘマやっておっ死んじまって、あたしがあんたの懐からこの手紙を発見した、なぁんてことだってあり得たんだ。……安心しな。ジャムカは物凄くあんたのことを心配してた。生きているなら守ってやってくれ、ってなことが書いてあったよ……それより！」 コツ、とブリギッドが卓を拳で叩いた。 「ずっと前、あたしは村の神父さんとこに行って字を習えって言ったはずだったけどね？飾り文字が読めないのはいいとして、さっきあんたは簡単なものしか読み書きできないって言ったね？これはいったいどういうことなんだい？」 デューはうっ、と息を詰め、げほげほ咳をした。 「・・・・・・いや、習う気ではいたんだ・・・けど、教会っていろんな人が来るだろ？すると、おいらなんでだかちょろっとした仕事を頼まれちゃうんだよ。そうすると断れなくってさ、神父さんだって、困っている人には親切にしなさいって言うし。前にも言ったけどさ、字なんかわかんなくたってどうってことないじゃん。村の人たちだって字がわかんない人の方が多いんだよ？」 ブリギッドは天を仰ぐ。つまり、デューは勉強を嫌がってお得意の小遣い稼ぎに精を出していたというわけだ。 「……あたしが一番怒っているのは、あたしを誤魔化していたことさ。……」 そう言われたデューは神妙に頭を垂れて、蚊の鳴くような声でごめんなさい、と言った。それが振りではないことをブリギッドは知っている。お調子者の盗賊であるが、この少年は弟分になってからジャムカやブリギッドに嘘をついたことはない。 「それに、やっぱりあんたは読み書きができた方がいい。あんた、商いをしてる人たちに重宝がられてるだろう？街にあんたを連れてくと口八丁手八丁で物凄く安く仕入れができるって。万屋のご隠居に習って算盤だってはじけるようになってこないだ宿屋の主から聞いたよ。だったら、帳簿をつけられたら尚いいはずだ。手紙でやり取りして商売をすることだってあるんだしね。・・・・・いいかい、・ちゃあんとした仕事で稼ごうとしたら、あんたには必要なことなんだよ。あんたは身軽なぶんひょろっとしてるから、重労働には向かないし、それにさ、 ブリギッドは続けて、デューの一番痛いところを突いた。 「ファバルはあんたのことが大好きだ。あの子にももうじき字を教えようと思う。あんたにも、書いて、とか読んで、とかせがむ時がきっとある。そんなときに、『大好きなデューおじちゃん』が読み書きが出来ないとなったら、さぞがっかりするだろうね。いや、逆に、おじちゃんができないなら僕も読み書きなんかできなくっていいやって、思っちまうかもしれない。」 「そんなの駄目だ！兄貴の大事なファバル坊ちゃんが、読み書きできないなんて！！」 椅子から立ち上がったデューに、ブリギッドはにんまりと笑って見せた。 「そういうことさ、あんたの負けだよ。あんたは神父さんに読み書きを習うんだ。少しくらいならあたしも手伝ってやるからね。そして、あたしと、あんたとでファバルに読み書きを教えるんだ。いいね！」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ かなり真剣に神父のもとに通い始めたデューは、教師役の神父が驚愕するほどの速さで読み書きを習得した。もともと頭の回転が速く、物覚えのよい少年であったから、半年も経った頃には、お手本さえあれば、簡単な代書業もこなせるくらいの力量となっていた。 初めは勉強なんて嫌だ嫌だとぶーたれていたのにねえ、とブリギッドがからかうと、家で鵞鳥の羽を小刀で器用に削りながら、デューは、いや、姐御、姐御の言ったとおりに、読み書きは必要だ。読み書きできたらやっぱ稼ぎが違うよ、と目をキラキラとさせるくらいにデューは勉学、もとい商売の面白さに目覚めたようだった。 実際、デューは天性の商売上手だった。村に出入りする商人は、商売の助手としてデューを雇い、商品運びに使っていた驢馬に牽かせたおんぼろ荷車は、いつの間にか大きな車軸の新品になり、老いた驢馬は引退して２頭の馬が牽くようになり、荷車には丈夫な帆布の幌がついた。デューは、街で薬草が高値で取引されているのに目をつけ、村の近くの森での薬草積みに村での友人たちを動員して大儲けし、更に、その薬草を畑で栽培することを農家のおいちゃん達にもちかけ、それが成功し、村は潤い、勿論デューの懐もたいへんに潤った。デューは町に行くと、何かしら美味しいもの、楽しげなものをファバルへのお土産として買って帰っていたが、あるときなんの気なしに買った綺麗な挿絵つきの物語本がファバルの大のお気に入りとなり、週の半分は就寝前にデューが読み聞かせる羽目になった。本には商売に使わないような単語もたくさん入っていたため、デューはブリギッドに泣き付いて朝に予習をし、読めるように頑張ったのでますます読み書きが上達していった。 いちま〜い、にま〜い、とファバルと一緒に節をつけて歌うように卓の上に銀貨を積み上げ、今日は△△枚でした〜！と儲け額を宣言すると、ファバルが紅葉のような小さな手で嬉しそうにパチパチパチと手を叩く。ファバルは数えているだけなのだが、デューは、ファバル坊ちゃん、ご協力ありがとうございま〜す！と頭を下げると、ファバルは重々しく頷いて、おじちゃん、お仕事ご苦労様でしたと労い、それをブリギッドが笑って見ている……それが、デューが町から稼いで帰ってきた日の恒例の風景となったのは、村に来てから三年目となった頃だった。まだまだ眠くないときにはデューに読みきかせをねだるファバルだが、今日は目をこすりこすり頭をこっくりこっくりしており、ブリギッドに促されて、おかあちゃん、おじちゃん、おやすみなさい、と挨拶し、子供部屋へと入っていく。それを満ち足りた表情で見送っていたデューは、棚から帳簿を持って来て、数字を書き付けると卓上の硬貨を丈夫そうな皮袋を卓の淵へ口を当てて、手の一旋で器用に中に落とした。 「随分と稼げるようになったねえ。」 へ、へ。とデューは嬉しそうに口角を上げる。 「だろ？もしかして、大陸一の商人になっちゃうかもよ、おいら。」 「ふふん、大陸一とは大きく出たね。ま、そういうだけのことはあるか。村のものを高く売って、街のものを安く仕入れる。あんたが手伝いしてる商人さんも、あんたを高く買ってるよ。とんでもなくいいものをとんでもなく安く手に入れるってさ。」 ふふふ、とデューはますます嬉しそうに笑い、そして、どうだ、というように、懐に手を入れて、片手に乗るくらいの小さなものをブリギッドに差し出した。それは象牙でできた櫛だった。手で持つ部分には、花の彫刻があり、だからといって装飾一辺倒でもない。 デューは興奮したように言った。 「これ、今回の掘り出しもんなんだ！古道具屋の店先で見つけたときにはすんごく汚れててさ、でもさ、おいら、これと似たようなの、エーディンさんが持ってるの見たことがあってさ、これは象牙だ、象牙だったら木や金物と違って磨けば確実に綺麗になるってピンと来たんだ。ほらほら、馬車の中でピカピカにしたんだよ。折れてるとこなんて全然無いしさ。すっげえお宝でしょ。」 「へえ！こいつはすごいね。そりゃあ、一生もんだよ。売り物にするのもいいが、将来あんたがヨメにしたいって思う子ができたら、贈り物にしてやったらきっと喜ぶよ。」 すると、デューは首を傾げた。 「おいらのヨメ？……うーん、それってアリなのかな？だってさー、その子ここに呼ぶだろ？でも、姐御のこととかファバル坊ちゃんのこととか教えちゃったら拙いだろ？だからって、おいら、ヨメさんにずーっと隠し事できる自信ないし…」 ブリギッドはくしゃ、とデューの砂色の髪をかき混ぜた。 「あのねぇ！なんでヨメをここに呼んじゃうかね？ここはあんたの実家じゃないんだからさ！あたしも小姑をやる気はないよ！」 「んー、たしかに手狭になっちまうよねえ？ やっぱ、そうなったら、おいら近くに家建てんのかな？？」 そんな会話をしているブリギッドとデューは、傍から見てもごく普通の家族に見えていた。クロード神父がブラギ神から託された預言により、世界に闇が降りてくるだろう事は確実であり、その時になったら自分達竜の血を受け継いだもの、特に聖なる武器を扱う運命にある者は戦わねばならないとブリギッドは覚悟していたが、多くの戦友たちと彼女は想いを異にしていた。来るべき日に備え、具体的にはシグルドの遺児セリスが解放軍を立ち上げたとき、それを助け戦うものとして子供たちを育てる…それが、多くの親たちの決意だった。妹のエーディンも、託された子供たちを慈しみ育てることを第一に考えていたが、戦に子供たちが加わっていくのは悲しいけれど運命なのだと考えている風だった。ブリギッドは違う。ジャムカもブリギッドと同じ考えだった。子供たちを愛情こめてまっすぐに育てる。強い体と心を持ち、自分を大切にする以上に他者を大切に思えるように教える。……だが、セリスが軍を立ち上げたとき、そこに加わるかは、親である自分達が決めることではなく、ファバルが決めることなのだ。だから、弓を教えることはするけれど、ファバルが独り立ちする前までは出自を教えることなど全く考えていない。これがあんたの運命なんだ、なんて押し付けるのは性に合わない。本当の運命って言う奴は、放っておいても向こうからやってくるだろう。 だからブリギッドが狩りをし、弟分のデューが村の手伝いで小銭を稼ぎながら商売人助手として働き、ファバルがすくすく大きくなっていく、そんなほのぼのとした三人暮らしが少なくとも１０年は続くと誰もが思っていた。 しかし、ある日を境にして何かが酷く変わってしまった。 それは街で大儲けしたデューが、夜に酒場に寄ってちょっと一杯引っ掛けた、それだけのことだった。 デューは、酒飲みではない。少し飲んでふわっとした気分になることは好きだが、正体をなくすほど飲むことはないし、いつも自分がどれだけ飲んだかを気をつけている。しかし、酒が特に好きでなくても17になったくらいから酒場には毎日のように顔を出していた。酒場の賑やかな雰囲気が大好きで、話をするのも聞くのも大好きで、結果、ほんの少しの酒肴と酒で大満足する『いい酒』だった。いつも通りに夕食はファバルとブリギッドと楽しく食べ、酒場ではデューから街での土産話を聞きたいと村の同じ年頃の青年たちが回りに集まってきて、時々笑いを交えながら、賑やかに会話が弾んでいたのだが… デューが帰ってきたのは、酒場に行ってから一刻もたたない時間だった。近づいてすぐにわかるくらいに酒精の匂いを発散させ、目は血走っていた。顔が赤いのは酔いのせいだけではなく、誰かに平手を張られたようで、頬が腫れていた。唇の端からは血が筋のように顎に向かってついており、胸倉を捕まれたのか、シャツのボタンが二つ飛んでいた。 驚いたブリギッドが、手拭を厨の水甕の水で湿らせて血を拭いてやろうとしたが、デューはそれを腕で払いのけ、ブリギッドが一歩後ずさった途端、泣きそうな顔になって、違うんだ、姐御、おいら、そんなつもりじゃないんだ、御免、御免よ、とポロポロ涙を零し始めた。床に蹲り、胃を突き上げるように時々襲ってくる嘔吐を堪えていると、ざばあ、と冷たい水が上から浴びせられた。目を上げれば、ブリギッドが仁王立ちになっていた。右手に持った空の鍋からは水がしたたっている。 「何してるんだい！悪酔いと喧嘩はこの家じゃご法度だからね。……なんて情けない。酷い顔してさ……いいかい、厠に行って、吐くだけ吐いて、水飲んで、落ち着いたら寝ちまいな。既に頭は痛いかもしれないが、明日の朝起きたらおそらくもっと痛い羽目になってるのを覚悟しとくんだね！」 言われるままにデューは厠へ行き、しばらく吐く音がしていた。戻ってきたときには、先程まで赤かった顔色は青くなっており、ブリギッドから青銅のジョッキを渡されると素直に喉をならして水を飲み、寝台によじ登って毛布を頭から被って丸くなって寝てしまった。そこまでを見届けたブリギッドは、腕を組んで、どうしたものかと逡巡した。 おかしい、おかしすぎる。あんな様子のデューは初めて見た。あれだけ酔ったのも初めて見たし、手が出る喧嘩なんてのも初めてだ。まだ泣いているのか、時折ぴくりと嗚咽し震える毛布の塊を、傍らに丸椅子を置いて眺めながら、ジャムカ、あんたならこういうときにどうするんだろうね、と窓から差し込む月明かりに向かって囁いた。 |
| 姐御とデューの話。どのように収束するかは、他の短編で提示済みで、予定調和の話となりますが、よろしくお願いします |
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