いつでも傍に居るために
春がやってきた。春風は海の上を渡って魚の群れをフレイス村へと導いてくる。漁師たちは１人乗りの小船を浜に引き出し、日の出と同時に漁に出るべく準備を整えている。丘の上の家に一人住むラルフィスも、自分の船に乗り、帆を結んだ綱の具合を確かめていた。そこに、蜂蜜色の髪をした一人の娘がたたた・・・と走ってくる。この村に住む娘たちは皆活発であるが、その中でも娘の足の速さは群を抜いている。・・・・・・・いや、殆どの青年よりも速いといって間違いはない。 （来た・・・・・ッ！） ラルは目を見開き、船から降り、足を開いてぐっと身構えた。 「ラル〜！」 娘は勢いをつけ、両手でラルの首に飛びつく。きっちり身構えていたラルもその勢いを受け止めることが出来ずにもんどりうって砂の上に娘ごと倒れた。 「おはよう！ラル！」 仰向けに倒れているラルフィスの上で娘は嬉しそうに微笑んだ。周りの漁師仲間がヒューヒューと指笛を鳴らす。 「おいおい、押し倒されてどうするよ？どっちかっつーと押し倒すのはお前の方だろうが？」 悪友のロカが言うと、ラルの上にのっていた娘・・・・・リースはラルを下敷きにしたまま不思議そうに首を傾げて言った。 「ロカ、それはどういうこと？私がラルを押し倒すのは駄目で、ラルならいいの？それはどうして？」 う、と詰まったロカをリースは大きな瞳で見つめる。 「ラルを押し倒すのは駄目だけど、ロカを押し倒すのはいいのかな？ロカならラルを押し倒してもいいの？ラルがロカを押し倒すのはどうなの？」 大声で笑っていた男たちが微笑みつつもやれやれ、といった顔になる。横合いからロカの女房ミナがやってきてロカの耳をぎゅっとひっぱった。 「あなた！リースはいろいろなことがわからないのだから、からかっては駄目！」 「はいはい、奥さん。」 尚もリースは不思議そうな顔をしていたが、ぶすっとしているラルに気づくと彼の上からどいて手をひいて起こした。 「・・・・リース、そんなにはしゃぐなよッ。」 「だって、またラルに会えたのだもの！おはよー！」 「また・・・・って、昨日の夕方一緒にごはんを食べただろ？」 「でも、それからずっと離れていたもの。おやすみなさい、って別れてからずっと離れてたわ。」 ラルはリースの髪に手を置き、大きな手でがしがしと撫でた。彼の守護精霊であったリースは想像もつかないような経緯を経、今彼の横にこうしてヒトの形をとって存在している。仲間達にからかわれても悪い気はしない。ラル自身もリースとはいずれ所帯をもちたいと思っている。・・・・・・村についた翌日、改めて村長の家に挨拶に行った時、村長の娘であるミナとリースはたいへん仲良くなった。・・・まではよかった。が、ミナはそのあとラルのところに来てこういった。 “ラルフィス。あなた、リースさんを騙して連れてきたわけではないのよね？私、あたなを信じていいのね？” 優しいミナからこんな言葉が出てラルは面食らったが、ミナの言葉は理由があってのことだった。ミナは知らないが、リースは精霊だったのだ。優しく、純粋で・・・・・・・人間の世界のいろいろなことについては非常に疎かった。リースと会話したミナはリースの危うさを理由は知らなくとも感じ取り、このままラルのところに住まわせて大丈夫かしら、と心配になったのだ。 騙したわけではないけれど、彼女のことはあれこれと自分も心配しているんだ、と正直に答えたラルに、ミナは“ひとまず私の家に来て暮らしてもらってはどうかしら。家の仕事も教えてあげられるし、機織りだって一緒にできるわ”、と勧めた。ラルは頷いた。リースも喜んだ。・・・・・なにせリースはミナが生まれたときから彼女のことを知っていて、お気に入りの子供の一人だったから。 ひとまず、ことは丸く収まったように思えた・・・・・・が、朝になるといつもこれだった。 “嬉しいけど、弱っちゃうよなぁ” ラルがぽりぽりと頭を掻いていると、パンパン、と威勢よく手を叩く音がし、小柄ながらまことに立派などーんとした体格のベラ小母さんが大きな声を張り上げた。 「さあさあ、父ちゃん兄ちゃん達！今日も大漁を祈ってるからね！女の子たちもそろそろ用意しとくれよ！」 おう、まかしとけ、という漁師たちの声が浜辺で上がる。 ラルは、じゃ、リースに軽く右腕をあげると、ぐるぐると回しながら波打ち際にいき、手入れの行き届いた小船のへりに手をかけた。 行くぞ！という網元の若長、ラグドンの掛け声で、漁師たちは、船を押して一斉に海に出た。 （あれぇ、なんか今日は船が軽い・・・・・・） いやに手ごたえのない不思議さを感じながら、ラルは海に浮かんだ小船に飛び乗って器用にロープを操って小型の帆を張った。 「わー！いい風！ねえ、ラル。今日はどっちに行く？」 楽しそうな声が舵のあたりで聞こえ、ラルはぎょっとした・・・・・声の主・・・・リースはにこにこと笑っている。 「あ、あのな!?なんでリースがここに乗ってるんだよ！」 元精霊は首を傾げた。 「だって・・・・ベラ小母さんが、女の子たちも用意しろっていったから・・・・ねえ、ラル。私も女の子だよね？」 ラルはありゃあああ、と声に出してから、浜辺でこちらに向かって何かを叫んでいるベラを指差した。 「・・・・・・あれ？なんだか小母さん、怒ってるみたいね？」 「そりゃそうだよ！用意って言うのはだな・・・・俺たちが魚を獲って帰ってきたときに、干物を作るための作業台を出して、油をとる為の湯を大鍋に沸かすってことなんだよ。それにね、女の子が漁に出ると海が荒れるって言い伝えがあって、だから船に一緒に乗っちゃいけない掟なんだ。」 リースは眉を下げた。 「どうして？今日の海は荒れたりしないよ？今日は一日いいお天気。ほら、風の妖精も海の妖精もあんなにのんびり踊ってる。」 空と海を指差し、楽しげに動き回っている妖精に手を振ってみせるリースは、自分がいけないことをしたという意識はないようだ。ラルが船を岸に戻そうかと考えていると、船はかなりの速さで沖に向かって移動し始めた。リースがロープを片手に、舵に手をかけて笑う。 「ぐずぐずしてるとお魚、逃げちゃうわよ！」 女武人の姿をしていたのはもうずっと前のことだが、可憐な娘の姿をしていてもリースはかなりの怪力を持っていると言ってよい。実際のところ、浜辺で湯を沸かしているより、船に乗っている方が彼女はよほど役にたつ。しかし・・・ 「あのなあ、リース・・・・」 「全速前進〜！そぉれッ！」 リースに近づこうとして中途半端な姿勢になっていたラルは船の速さを上げられてすてんと転んだ。転んだままでリースを見上げれば、帆を張り舵を操る彼女は長い蜂蜜色の髪を風に靡かせ、生き生きとし、美しく可愛らしかった。 「よし！二人で漁をするなら二倍の魚を獲らなくっちゃな！俺は帆を張る。リースは舵だ！」 立ち上がって帆を操るロープを受け取ると、リースは嬉しそうに大きく頷いた。 「何故、掟を破った！」 網元のゼノスが大声を張り上げた。 あれからラルとリースは他の漁師たちの２倍以上の獲物を船に積んで戻ってきた。しかしそれとこれとは話が違う。ラグドンの前にはラルが砂の上に正座し、一緒に座れとは言われていなかったものの、隣にリースがちょこんと並んでいた。 「すみません。」 ラルは視線を落としたまま素直にそう言ったが、横からリースがよく通る声で言い返した。 「ラルは何も悪いことをしてないわ。魚いっぱいとってきたし、でも、小さな魚はちゃんと海に返したし、船も網も大切に使ってます！他の人を苛めたとか殴ったとかそういうこともしていないし！」 ゼノスはあんぐりと口を開けてリースを見た。この娘が変わり者だとは知っていたが、、ここまでだとは思っていなかったのだ。そのリースをベラが立たせた。 「はいはい、リース、あんたのお説教はあたしがするからね。・・・・ラル坊、あんたはわかってるみたいだけどね。掟は掟なんだからね。女は漁に出ちゃいけない。漁について口出しもしちゃいけない。」 リースはベラに手をひかれ、幾度も振り返りながらその場を離れていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「おかしい！絶対におかしいわ！」 リースは椅子から立ち上がるとフォークを振り回した。 机の上で楽しそうに踊っていた手伝い妖精達がびっくりして立ちすくむ。 ラルは咳払いをした。 「リース。食事中は立たないこと！パイ、貰えるかい？」」 ここはラルの家。今は夕餉の時間だ。二人は向かい合ってテーブルを囲んでいる。 ラルに言われて素直に腰を下ろしたリースは、村長の家で作ってきた彼女のお手製のベリーパイにナイフを入れた。見た目はかなり不恰好だが、ミナの直伝であるそのパイはなかなか旨いものだった。しかし、リースはその手を途中でとめた。 「でもやっぱり変！だって、女の人が海に出ても海は荒れたりしないもの！誰が海に出ても出て無くても海は荒れる時には荒れて、静かなときには静かなのよ？ラルだって知っているでしょう！」 「確かにね。でもそれはフレイス村の掟なんだよ。何百年も前からの。」 ラルが知る限り、今まで、男たちと一緒に沖に出て魚を捕りたいと騒いだ娘は誰もいなかった。だから掟が間違っているなどと騒ぐこともなかった。 「掟、掟、って・・・・本当のことじゃないのにどうしてそんなものを人間は作るの？」 ラルはリースの代わりにナイフを手にした。切り分けて自分の皿と彼女の皿にとり、小さな一かけを手伝い妖精のために机に置く（物を食べることをしない妖精たちであるが、リースが作ったものは彼らは食べた） 「海が荒れるなんて嘘だもの！浜辺で干物台や大鍋でお湯をわかす仕事を手伝わなかったのは悪かったけれど、それ以外は悪いことしてないわ！それに私が勝手に船にのったのだから、ラルが叱られることなんてない！・・・・・・・明日ゼノスおじさんのとこにいってくる！」 「・・・・・・行ってどうするんだぁ？」 「掟をなくして貰うわ！」 「・・・・それは無理だ・・・・」 「聞いて貰えなかったらガツンと一発・・・・・」 腕をまくったリースにあわせるように手伝い妖精達がスプーンやフォークをその小さな腕に構えた。ラルはひょいひょいと妖精から食器を取り上げ、リースの拳を両手でぐいと包んだ。 「そんなことしちゃぁ駄目だ。・・・・リースが本気で殴ったらゼノスおじさんあの世行きだ！」 「・・・・・勿論手加減はするわよ？」 「・・・・そういう問題じゃなくてさ・・・・掟はゼノスおじさんが作った訳じゃない。・・・・・それにたとえそれが間違いであっても、殴ったりしちゃいけないのはわかるだろ？・・・・・長い間続いた間違いを正しいものにするには、間違いを続けてきた時間と同じくらいの時間がかかるのかもしれないよ。・・・・・・俺にはうまく説明できないけど。」 「でも・・・・・・・おじさん、いい人だもの。間違えていたら、間違いだって教えてあげないと・・・・・・うん、そうね。殴るのは駄目よね。でも教えてあげなくちゃ！どうしたらいいかな。」 「とにかく駄目だ！・・・・・・・・もしそんなことしたら・・・・・・・」 青い瞳でじいっとこちらを見つめるリースに、一体どういったら一番効果があるかを考えてラルはテーブル越しにリースの頭に軽く手をのせて言った。 「そんなことしたら、・・・・今より少しリースを嫌いになるよ？」 この一言でリースはそれきり何も言わなくなった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それから暫くして、浜でリースはラルの胸倉に掴みかかっていた。 「でも・・・・・！行っちゃ駄目！嵐が来るわ、とっても大きな嵐が。昨日から言っているのに何で聞いてくれないの！」 雲も無く、嵐など起こりそうにもないいつになく穏やかな海面を指差しながら彼女は言った。 村で腕利きの漁師といわれている選ばれた５人の男たちが既に乗りこんだ、村で一番大きな船を前にラルは首を横に振った。 「・・・・・俺たちの目にはそうは見えない。ずっと昔から村に伝わっている海の見方では嵐が来るなんて考えられない。」 リースは目を大きく見開いて首を振った。 「それは人間が海が海や空が教えてくれることを見たり聞いたりすることができないだけだわ。前に比べると、妖精たちの言葉は私から遠くなってる。でもまだまだはっきりと聞こえるの！私は掟を破ることはあれからしてこなかった。漁に出なかったし、漁について何も言わなかった。でも、今は破らなきゃいけないときだわ。こんな時に船を出したら、」 一度言葉を切って、すう、と息を吸い込んでからリースは言った。 「ラルも、みんなも、死んでしまうかもしれない。」 リースは漁師たちを見回した。 「私はみんなが大好き。・・・・・・・この村の人たちを、ラルの歳と同じだけ前からはっきりと私は見てきたわ。だから行って欲しくない。」 「・・・・・大丈夫だよ。少しでも海の様子が変わったらすぐに戻ってくるから。・・・・今は潮と潮がぶつかって大物が取れる一番いい時期なんだ。・・・・・大きな魚をとってくるよ。・・・・・・美味い干物ができたら王都に行って一番おいしそうな奴をこっそり父さんたちに届けよう。シェンス兄さん経由ならきっと大丈夫だから。そしてその他の奴が街で高く売れたらリースにも何か買ってあげるよ。」 船からロカがラルを呼ぶ声がした。ラルはリースから視線を外し、仲間達が待っている船を見る。 「・・・・・・リース、僕は行くよ！それじゃ！」 ラルは、荷を背負い、桟橋から船に飛び乗った。 リースは叫んだ。 「大きな魚なんていらないじゃない！毎日皆が生きていればいいじゃない！」 彼女の叫びは暫くラルの耳に残っていたが、持ち場の仕事をこなしているうちに、潮がひくように、頭の中から静かに退いていった。 嵐は突然にやってきた。いち早くそれに気づいたラルが船首を村の方に向けたときには空は雲で黒く陰り、横殴りの雨が帆に打ちつけた。ゼノスはすぐに帆を降ろさせ、皆の体をロープで船に縛りつけさせた。木の葉のように揺れる船はいくらラルが舵を動かしても思うようにならず、故郷の村から逆の方角へと波に翻弄されて運ばれて行った。 「危ない！」 嵐の唸りの中でかき消されそうになりながら、誰かが叫んだ。次の瞬間、船は岩に乗り上げ、めきめきという嫌な音をたてて大破した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ロカが目を覚ますとそこは洞窟の中だった。喉が焼けつく様に痛く、左腕には鈍痛を感じる。目だけ動かしてその様子を見ると、添え木が固定されていた。起き上がろうとすると激痛がはしった。 「ロカ。気づいたかい。」 「ラル・・・・・・・俺、どうなったんだ。」 「折れてるみたいなんだ。・・・・・綺麗な折れ方だから静かにしてればうまくつくだろう。」 ラルが手をそっと腕に滑らせると少しだけ痛みが薄らいだ気がした。・・・・他のものには知らせていないが、ラルが妖精の血をひくからこそふるえる癒しの力が、母親からもらった指輪から開放される。 「皆は？おやっさんたちは？」 「大丈夫。ロカの怪我が一番酷い。皆さっきまで起きてだけど、今は疲れて寝てる。冷えてきたから心配だ。・・・・・・油はあるけど、薪になるものがないからね。・・・・・・・」 奥の方で、暖を取ろうと身を寄せ合って眠っている漁師仲間を見、ラルは心配そうに顔を曇らせた。それから小さな金属のコップにブドウ酒を入れるとロカの口元にさしだし、少しだけ頭を起こしてやった。海の塩に漬かった喉に酒はじぃんと、しかし甘く染み込んだ。 「・・・・・・・ここ、どこなんだ。船は？」 「まだ嵐が収まっていないからはっきりはしないが、岩ばかりの島みたいだ。ラグドンおじさんが言うには、相当流されているようだよ。船は岩にぶつかって大破。でも、修理したら筏くらいは作れそうだ。・・・・・なんか喰うか？」 「・・・・・まだ先は長い。食い物は節約しよう。」 ラルは微笑んだ。 「食料ならたっぷりあるよ。・・・・・・昨日の夜、内緒で船倉にぎゅうぎゅう押し込んでおいたから。ランプも、ブドウ酒も、薬も・・・・・ハラハラものだったよ。見つかっちゃったら縁起でもないって、荷物、船からおろされちゃっただろうからね。」 ロカははっとした。 「リースの言ったことを信じたのか。だから・・・・・」 ラルは頷いた。 「リースは・・・・・村の誰よりも空や海のことをよく読めるんだ。・・・だからね。・・・・・ただ、俺もこんなに強烈な嵐になるなんて思わなかったけど。」 船が岩にぶつかり座礁したとき、漁師たちは海に投げ出され、波に飲まれた。そのままならリースが心配したとおり、皆、命を落としていたかもしれない。助かったのは海の妖精のおかげ。海の妖精たちは母が妖精であるラルの周りの波を鎮めた・・・・・・・他の人間を妖精たちは助けようとは全くしなかったが、妖精に助けられたラルは、仲間達全員をこの洞窟に引き上げることができたのだ。・・・・だから結局自分たちは妖精に助けられたのだ。 ロカがぶるっと身を震わせた。 「ロカ、寒いか？」 「ああ、かなりな。・・・・・でも折れた方の腕は熱をもっている感じがする。」 「嵐が収まって日が射せば暖かくなる。頑張ってくれ。」 ロカに食事をあたえてしばらくしてから、ラルは注意深くロカの体を抱きかかえ、自分も目を閉じた。 一昼夜の後、朝日はまっすぐに洞窟に差し込んできた。海はまだ相当波が高かったが、嵐の一番酷いときは過ぎ去った。漁師たちは1つの命も失われなかったことを喜んだが、ロカを含めた３人は一人では立てないほどに衰弱していた。他の三人も疲れきっていた。この小さな島から故郷に帰るには筏を組まねばならない。王都からの交易船が通らないとも限らないが、そんな偶然に頼っては助かるものも助からなくなることを海で生きてきた彼らは知っていた。 「ラル。お前は帆を補修してくれ。俺は筏の本体を組む。」 そういったラグドンの体がぐらりと傾いだ。 「まだ休んでいて下さい！俺、皆より元気ですから！もう少し力を取り戻してから働いて下さい！」 筏はいつ完成するのだろう。そして完成したとしても、それを使って故郷に戻れるのだろうか・・・・・・ 岩場にひっかかった船の残骸を力をこめて引きながらラルは太陽が海をキラキラと光らせている方を見つめた。・・・・・・・？・・・・・・・何か・・・・・何かが太陽の向きからやってきている。・・・・・あれは、船だ！ 「おーい！」 大声をあげて手を振る。 まだ海は荒れているのに、帆をはちきれそうに張った一艘の小さな船はまっすぐこちら目指して滑るようにやってくる。 「おーい！」 逆光で細部のわからない船。ラルは目に指をあて、その隙間から船を凝視した。 「おーい！ここだ！」 船影がだいぶ大きくなった時、向こうからも声が聞こえた。 「無事かー！」 ・・・・・・・・どこかで聞いたような、しかし全く聞いたことがないようでもある凛とした男の声。やがて船と、それに乗っている人間とがはっきり見えるようになり、そのころには立つことができる３人は並んで必死に手を振っていた。 小船は突き出た岩の間を縫うように進み、船に乗っていたたった一人の乗組員は遭難した漁師の前に降り立った。ラルよりも背が高くがっしりとした青年。蜂蜜色の短い髪に、抜けるような青い空の色の瞳、彫像のように美しく神性まで感じられるような顔立ち・・・・・しかしそこに浮かんでいるのは邪気のない柔らかな笑顔だった。。 「大丈夫ですか？」 青年は、そう言ってすぐ、立っているのが辛そうなラグドンの肩を支えた。 ラルは目を丸くした。・・・・・・この青年はもしかして・・・・・ ラグドンが言った。 「あなたはどちらの方なのでしょうか。お名前は・・・・」 青年はにっこりと笑った。 「あ、僕はリース・・」 ！やっぱりそうなのか!?その口をラルが手で塞ぐ。 「あ、話してなかったですけど、か、彼はリースの兄さんで、リー・・・リー・・リースリフトというんです。リースリフトは凄く船を操るのがうまくて・・・・・ね、ね、そうだったですね！」 口を塞がれたままの青年はうんうんと頷いた。そして自分でラルの手を外すと言った。 「助けに来ました。フレイス村まで送りますよ。」 青年は動けないでいた漁師たちをいとも軽々と抱え上げて、自分が乗ってきた船に移して横たえた。 ラルはラグドンに肩を貸し、ブドウ酒や食料などを船に移した。最後の荷物を洞窟から抱えてくると、青年はすでに帆をはっていた。 「じゃ、行くよ！」 船は走り出す。・・・・・・・・・・この船の周りだけ、海は鏡のように静かだった。ラルが目をこらすと海の妖精たち、風の妖精たちが船を取り巻いていた。本来ならこのような自然の理に反することをリースは承知しないはずだが、自らに課しているはずのその禁を元精霊はものの見事に破っていた。船は焚き火のまわりにいるかのように暖かく、皆ゆったりとした笑顔を浮かべて眠っていた。・・・・・船の中では火の妖精が踊って居る。火の妖精だけではない。ありとあらゆる妖精が船の中には所狭しと並んでいた。 リースは帆を操りながら、漁師たちを見回してよかった、というように微笑んだ。 「眠っちゃったね。・・・・ラルは大丈夫なの？」 「うん。海に投げ出された時、俺は海の妖精に助けてもらってたから。・・・・・それに俺、息、わりと続くし・・・・・・・・あの・・・・・・リース、なんでそんな格好を・・・・・・・・・」 「あ？ラルたちが帰ってこなくて、助けに行こうと思ったらいつの間にかこうなってたんだ。体が大きくなっててよかった。皆を抱えて運ぶには元の体じゃ小さくて不便だからね。」 「・・・・・・君・・・・・・・まだ精霊の力が使えるんだ。・・・・・・・人間の目に見えるようになって、風と一緒に空を飛ぶ力を失って、魔法のような力が使えなくなっても、妖精たちと話はできるし・・・・・・こうやって姿を変えることもできる・・・・・・・」 リースは小さくあっといってから笑った。 「そうみたいだね。でも嬉しい。いろいろできるとこうやって皆を助けることができるから。」 ラルフィスはふと、守護精霊は守護する人間が望んだ姿になる、という大地の精霊神メレイの言葉を思い出した。・・・・・・自分は断じて彼女のこんな姿を望んではいないと思うが・・・・・・ 「・・・・・・・僕、これからこの姿の方がいいのかな？」 「ど、どうして!?」 「だって掟を破らずに海に出られるよ？いつもラルと一緒に居られるよ？・・・・・・僕がまだ精霊の力を残しているということは、精霊の“誓い”も生きているということだよ。・・・・・・・・ラルを守ること。それが僕の誓い。」 そうじゃない。僕が望んでいるのは最後まで僕を守ってくれるということではないんだ。と言い掛け、ラルははっとした。 自分の母、海の妖精だったシーラは夫となったウェンスとの間に子を成したとき、全ての妖精としての力を失ったという。 もしも自分がリースと契りを結んだならば、リースにまだ残されている精霊の力は全て失われてしまうのではないだろうか。・・・・それはしてはいけないこと・・・・・・・ 「ね、どうだろう？」 ラルは口を開いた。言葉が出てくるまでには少し時間がかかった。 「・・・・・・君はどう思う？」 リースは目をぱちくりさせた。 「僕は・・・・どうだっていい。・・・・・・・だってどんな姿形をしていたって女の子だって男の子だって、僕は僕じゃないか。」 ・・・・・リースのいうことは正しいのだろう。 「・・・・・・・・・リース・・・・・・・俺は君に選んで欲しい。」 リースはくすっと笑った。 「僕が選ぶのなら答えは簡単だよ。・・・・・・・僕はラルを守るために姿を変える。ラルがいつも笑っていられるように、ラルが泣かないように。・・・・・・・」 その答えに少し悲しいものを感じながらラルは意識して微笑んだ。 「もう俺は小さい時みたいに泣いたりはしないよ。だから君はたった一つの姿でいてくれて大丈夫だよ。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ フレイス村に到着した時、漁師の家族たちは抱き合って喜んだ。・・・・・船の中に漁師たちを助けてくれた青年の姿はなく、代わりにリースがいた。ラルは仲間達に、リースが船を出し、彼女の故郷の村にいるリースリフトに救援を求め、皆が船で眠っている間に、少し離れた島で待っていたリースの所に寄って入れ替わったのだといういささか苦しい説明をしたが、生還の喜びのなかではその説明に不審を抱き、追求しようとするものはいなかった。 ラルの隣でにこにこしているリースの前にベラが立った。 「まったく！なんてぇ子だい！誰にも相談せずに船を出すなんて！どれほど心配かけたかわかってるのかい！」 そうまくしたててから、ベラはぎゅっとリースの体を痛いほどに抱きしめた。 「おバカだよ、あんたは。そしてどうしようもなく無鉄砲で勇敢だよ。」 リースはベラの丸っこい体を抱きしめ返した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それから少し日がたってからの夕食で、リースはずっとにこにこしていた。どうしたの、とラルが問うと、ベラに掟の意味を少し教えて貰ったのだという。 「あのね。ベラ小母さん、昔旦那さんが怪我をしちゃったときに漁に出ようとしたことがあったんですって。でも、掟だからって止められれてしまった。ベラ小母さん、怒って、どうして女が漁に出てはいけないのか騒いだの。そのときに村でいちばん年寄りだったおばあさんがこう言ったんですって。“女が漁に出てはいけないという掟は、体も小さく、力の弱い女を守るためのもの。不漁が続いて、苦しくなった時、掟がなかったら、女も狩りだされ、へとへとになるまではたらかなくてはいけなくなる。子供を産んで育てるという大切な、男に代わって貰えない部分が多い女にそんなことはさせられない。だから掟があるんだ”って。それだけでは納得しない人がいるから“女が漁に出ると海が荒れる”という迷信もつけられたんだろう、って。」 それは半分は真実かもしれない。 「だから、私がいくら元気だからって、漁に出たら他の女の子に漁の仕事をまわそうとする人がでてくるかもしれないからやめなさい、って。・・・・・よかった。掟が意味がないものではなかったとわかって。掟掟って言う人に頭に来ないで済むもの。・・・・・・・・これから漁へは一緒に行かないね！今度みたいなとき以外は。」 「あ、ああ・・・・・」 それは少し残念なような・・・・・・・・・・ 「漁に出るときには男になるわ！」 ラルはやれやれと思いつつ笑った。君のもとになった命は可愛いお姫様だったんだけれどな。俺はリースティア王女を腕に抱きしめて、王女は俺の額にキスしてくれた。・・・・・でも君はあのときの小さなリースティアそのままではないんだものね。・・・・・ 「そうだね。そのときにはよろしく！・・・２人分、いや、３人分の漁をしような！」 「うん！頑張るから！」 ・・・・時々“妹に会いに”フレイス村を訪ねて来る神々しいまでに美しい蜂蜜色の髪の青年に群がってくる村の独身の娘たちにラルが閉口するのは少し先の話 ・・・・・・・・そして、リースが娘の姿のままでラルと一緒に出漁するのはもっともっと先のことになる。 |
| 天然元精霊と漁師の日常のお話です。未来に何が起こるのかある程度規定されているこの二人ですがすんなりとああなったわけではありませんので・・・・リースのもとになっているのはリースティア王女なわけですが、彼女の心は未だ一人の守護精霊です。 その愛情は同性だから、異性だから、という愛し方ではなく、ある意味人間ではあり得ない愛情の注ぎ方かもしれませんが、一番純粋なのかもしれません。 これからリースの愛し方は人間のものに近づき、一方ラルがリースに向ける愛情は精霊のものに近くなって両者が同じところになって落ち着くはずです・・・・・ 盛り上がりも何もない思考がぐるぐるまわりをしている話ですが、最後までお読みいただいて有難うございました。 |