| 里芋と指先と星屑と |
カナンは左斜め後方をちらっと見てはああああ、とため息をついた。 ちらりと視界の中に見えたのは、上機嫌で歩いてくるすらりとした娘の姿。カナンは歩みを止めて後ろを向いた。 「ファナさん。宜しいでしょうか。」 「なんでしょう。カナンさん。」 「……あなたの鼻には泥がついています。みっともないですから、拭いた方がいいでしょう。」 娘は、あら、と小さく言い、懐から手ぬぐいを出すと鼻の頭を拭き、手ぬぐいについた泥を確認すると面白そうに言った。 「本当に随分汚れていたんですね。さっき鼻先が痒くなって指で触った拍子についてしまったんでしょう。教えて下さってありがとうございます。」 ファナの指も泥だらけである。先ほど、通りかかった畑で、年老いた農夫が作業をしていた。この娘ときたら……あの方、随分辛そうです、腰が痛んでいるようです、と、いきなり畑に入って行って芋の掘り出しを手伝い始めた(むろん、カナンは全くの他人のふりをして素通りし先に行った)。農夫はたいそう感謝して、掘り出したばかりの泥つき里芋をファナの背負い袋に詰め込めるだけ詰めてくれた。ファナは、『とても親切な方でした。こんなにお芋をくれて』、と輝くような笑顔で言ったが、指は爪の中まで真っ黒だった。……カナンはつくづく逃げ出しておいて正解だったと思った。……爪の中に入り込んだ汚れは、相当念入りに洗わないと取れない。超絶技巧を凝らした甘い歌声と人並み外れた美貌で行く先々の人々から金をふんだくる吟遊詩人の爪に黒い汚れが入り込んでいては、何より大切なおひねりの額が減ってしまうだろう。 この間、道すがら赤ニンジンを貰ったときよりはいい。あのときは背負い袋からニンジンの緑の葉がぼさぼさと無秩序にはみ出していて、傍から見て滑稽なこと極まりなかった。……そして、それを一向に気にしないファナを見ていてカナンはとてもいらついた。少なくとも、今回は外側から芋は見えない。いや……正確に言えば一個だけは見えている。それもフォークに刺さった奴が。右斜め後ろ、地面に視線を落とすと、紺色のローブを身に付けた小さな手伝い妖精が、お気に入りの銀色のフォークに泥つき芋の小さな奴をさくっと刺して、歩くリズムに合わせて元気よく振っていた。 「………………おい、…………………フォークを振るのは街道ではたいがいにしておけ。」 妖精はててて、と走り寄って、どうして？カナンを見る。 「お前の姿は俺たち以外の人間には見えない。普通の奴には芋の刺さったフォークが踊っているように見えてしまう。」 フォークを抱きかかえ、“駄目？”と尋ねるように妖精は首を傾げる。 「カナンさん。大丈夫です。もし怪しまれたら、フォークを投げてしまえばいいんです。そうしたら、お芋が刺さったフォークが地面に落ちているだけです。不思議でもなんでもありません。」 ファナの笑顔に、フォークの携帯を許されたと感じた手伝い妖精は、先ほどと同じように芋の刺さったフォークを楽しそうに振りまわし始めた。 “芋が刺さったフォークが街道に落ちていたら不思議と思わない奴のほうが少ないと思うんだが。” スキップする妖精をうんざりした表情で眺めていると、ファナがカナンを追い越してさっさか道を急ぎ始めた。……確かに少し急いだほうがいい。今日は野宿の予定だが、今もう少し頑張って距離を稼いでおいたほうがいい。そうしないと明日立ち寄ろうと考えている村に到達できなくなってしまう。 幸いなことに、水場が近くにある、野営にうってつけの場所を見つけることができ、カナンはさっそく火を起こした。ファナは鍋をもって水場におりると、鍋の中で里芋の泥を洗い落として戻ってきた。鍋を傍らに置くと、小さな、しかしよく通る澄んだ声で歌を歌いながら、小さなナイフで里芋の皮をむき始めた。と、里芋のぬめりでファナの手から半分剥きかけの里芋が飛び出して、カナンの方に飛んだ。それを一度つかみあげてカナンは気持ち悪そうに放り投げる。 「うわ、なんだ、この芋は。」 ファナは投げられた里芋を拾い上げる。 「なんだ、って、里芋ですよ？…………もしかして、カナンさん、里芋は初めてですか？」 うっ、という声を完全に抑えることはできなかった。ファナは笑う。 「初めてだったら、しかたありませんね。里芋はほかのお芋と違ってねばっとしているんです。」 「……気味の悪い芋だな。」 「気味がわるいだなんて！ねばねばしているものはとても体にいいんですよ。里芋や、黒クラゲノリや、露置き茸や……」 うわあ、あの薄気味悪い黒クラゲノリか……以前ファナが料理したそれは確かに見かけよりはずっと旨かった。旨かったが……アレを見ただけでは食べたいなどと思う輩はそうそういまい。 「少し待っていて下さいね。」 ファナはまた鼻歌を歌いながら里芋を剥き始める。隣では手伝い妖精が、なんとフォークだけを使って器用に皮を剥き始める。……その手際はファナと同じくらいに見事だ。手伝い妖精は手伝うことが存在理由、そう考えれば合点がいくが、それでもそれは何かの奇跡のようだった。時折目を合わせてにっこり笑うファナと手伝い妖精の様子を眺め、カナンはむっとしていた。……面白くない。『手伝って下さい』と言われれば『嫌だ』と答えるだろうが、こう、自分が蚊帳の外にいる感覚は極めて面白くない。そのため彼は、鍋から大き目の一個をつまみ上げ、自分のナイフで剥き始めた。…………ぬめぬめねばねばして、滑りそうだ。しっかり掴もうとしてぐっと握ると余計にぬるっとして手から逃げていきそうになり、カナンは意地になって芋の表面に爪をたてた。翠の長い髪が前に落ちてきて、手の甲で後ろに撫で付け…… 必死なカナンをよそに、ファナは楽しそうに皮を剥き続けていたが、カナンの様子を見て目を見開いた。美貌の吟遊詩人は、口をヘの字にして面妖な表情をしている。 「どうしました？」 「……なんだか、痒い。いや、壮絶に痒い。」 ファナはカナンの手から里芋を取り上げた。 「生の里芋を触ると痒くなる人がいるんです。カナンさんはきっとそれで……」 「手だけでなく……目も……」 「ああ、きっとお芋に触った手で瞼に触れてしまったのかも……早く綺麗な水で洗ってきて下さい。」 カナンはよほど痒かったのか素直に水で手と顔を洗って戻ってきた。ファナは背負い袋から貝殻に入った軟膏を取り出し、気休めにしかならないかもしれませんけれど、塗ってください、と手渡した。ファナはカナンに手伝わずじっとしているように言い、芋を剥き、煮、夕食を仕上げた。器に入れた煮芋を差し出すとカナンは難しい顔をした。 「ファナさん、……これを食べると、喉やら胃やら……体中が痒くなることはありませんか。」 「火を通したお芋で痒くなった人のことは聞いたことがありませんから大丈夫です。……えっとでも、もしかしたら、ということもあるかもしれません。初めに小さなひとかけだけ齧ってみてください。」 言葉通りにほんの少しだけ齧る。うまい。ねっとりした舌触りも快い。だが、痒くなってくるかもしれないと、しばらく口中を舌で探っていたが、大丈夫、と判断すると、存分に里芋を味わい始めた。黙って空になった器を差し出すと、ファナはすぐにおかわりをよそった。手伝い妖精は、何が楽しいのか、焚き火の周りを踊りまわっている……これが三人旅になってからの日常だった。普通なら、夕食の後、カナンとファナが竪琴を奏でるのが常だったが、カナンが指先が腫れっぽいと訴えた。いや、腫れっぽいどころかカエルの指先ほどではないにしても明らかに腫れている。きっとあの里芋のせいだ。忌々しいあの痒みの…… 「山ほどの里芋 泥つきの里芋 真っ黒な貌をして 転がっているが 皮をしっかり剥いたなら 真っ白な貌に早変わり だが忘れるな 気をつけろ ちりちりちりちり痒いぞ痒い 親指も人差し指も中指も薬指も小指も手のひらも手の甲も ちりちりちりちり痒いぞ痒い」 文句を垂れるようにぶつぶつ呟くとファナが笑った。そして、子供がよく歌う遊び歌のような素朴な節をつけて歌いだした。手伝い妖精を膝に乗せ、「親指も人差し指も……」の下りで、妖精の指を一つずつ触れ、「ちりちりちりちり」でぷっくり膨れた頬を爪先でこちょこちょくすぐる様にして……妖精は喜んでファナの膝の上でぐるぐると回った。 何が面白いんだか。 呆れたようにカナンは眺めていたが、ポロンと竪琴を鳴らした。技巧を凝らした曲を弾くのは、この指では無理だが、子供相手の簡単なものなら十分弾ける。それに、ファナの作った旋律は、素朴であるけれど、とても楽しいものだった。が、自分の認識よりも指はずっと腫れていて……弾いているうちにつっかえてしまった。が、そのひっかかりにカナンははっとした。腫れた指が上から下に弦をこするように触れ、その弦を別の指がはじいた時、なんだか妙な……まさに『痒い』ことを主張するような音程を作ったのだ。 (微妙な気持ちの悪い音程のずれも面白いものだな) すると、その奏法を積極的に使ってみたくて、カナンは伴奏に熱中した。……踊り狂う妖精が疲れてファナの膝の上でころんと丸まって眠ってしまうまで…… ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 翌日、カナンたちは予定通りに宿場町に到着した。新しい町についたなら、すぐに辻で演奏し、路銀を稼ぐのが約束事だったが、カナンはそれを嫌がった。理由は、指がまだ少し腫れていることと、それよりも瞼が腫れてみっともないということだった。ファナの見る限り、瞼はすこし腫れぼったいものの、普段のカナンを見知っているせいで、そうでなければ気づかない程度だった。『大丈夫ですよ』と言ってみても、いや、こんな醜い顔では……とカナンは首を横に振る。しかし、町の子供たちはすでにカナンのうしろにぞろぞろとついてきていた。竪琴を抱え、明らかに吟遊詩人の装いをした、(カナンは醜いといったが)美形のすらりとした男、そりゃあ気づかないのがおかしい。ねえ、歌ってよ、ねえってば。と声をかけてくる子供たちを振り切るのも可哀想な気がしたファナは、町の広場で立ち止まり、自分の竪琴を取り出し、ほんの少しだけ歌わせて下さい、とカナンに頼んで奏ではじめた。 「山ほどの里芋 泥つきの里芋…… よりによって、それを歌うか？里芋のせいで俺はあちこちまだ痒いというのに。カナンはむっとしていたが、子供たちは嬉しそうにファナのまわりを取り巻いている。カナンは黙っていたが、竪琴を持った手がむずむずと動き始めた。あの歌は、俺のあの特殊な伴奏があってこそ映える戯れ歌なんだ。それに、あいつの手が塞がっていたら、あいつは子供と手遊びできない。……つまり、あの歌の真価は伝わらんということだ。 ポロン、といきなり自分以外の琴の音がかぶさってきてファナは驚いたが、了解して子供たちと手遊びを始めた。 「 親指も人差し指も中指も薬指も小指も手のひらも手の甲も ちりちりちりちり痒いぞ痒い」 子供たちはキャッキャとはしゃいで騒ぎまくる。ファナのそばまで行けなかった子供たちはカナンの手元を覗き込む。 演奏は大盛況であったが、実入りはまったくと言ってよいほどなかった。……子供たちは自由にできる金銭など持ってはいない。童歌など歌っても、儲かるわけなどないのだ。にもかかわらずカナンはその時間を無駄だとは思わなかった。陽が傾き、子供たちと別れたとき、ファナがカナンの前に立った。 「カナンさん。」 差し出された掌には、淡い桃色の金平糖がいくつか乗っていた。 「これは……？」 「子供たちがくれました。遊んでくれたお礼だそうです。」 遊んだわけではないのだがな、と思いつつ、一つ摘んで口に入れる。砂糖菓子は口の中で融け、甘い味がいっぱいに広がった。空を見上げれば、宵の明星が明るく輝いている。そのとき、カナンには、ファナの掌にある金平糖が、空から彼女に与えられた“ごほうび”のように何故だか思えた。 「どうしました？」 カナンは敷物をその場に広げて座り込む。 「黙れ。話しかけるな。…………」 そのまま、歌を歌い始める。……星屑の歌。童歌とも思える素朴な旋律だが、もう腫れもほとんど収まったカナンの指は超絶技巧で天を流れる金銀砂子の様子を紡ぎ出す。 ファナは静かに少し離れたところに座り、じっとその歌を聴いている。 (可愛げのない奴。普通の女は俺にぴったり寄り添って座り肩にしなだれかかってくるのに……) 一通り弾き終え、そう思いながらファナを見る。ファナは微笑んでいる。その笑顔は“もう一度聴きたいです”と雄弁に語っている。カナンはファナに何も言わず、また歌い始める。ファナへ呼びかける言葉は要らない。いや、言葉を発すればこんな時間はすぐに壊れてしまう。 町の石畳の上で元気にフォークを振り回す手伝い妖精の姿を視界の端に捉えながら、カナンは観客の誰一人いない広場の片隅で星屑の歌を歌い続けた。 |
| サイト開設９周年に けいえむ様よりいただいたリクで書かせていただいたものです。「山なす泥つきサトイモなどの系統でカナファナ」ということでしたので、里芋メインに。この世界の里芋は、肌に合わない人が触れると相当痒いものだとお思い下さい。全く性格の違うカナンとファナ姉さんですが、ベクトルとしては一方的にカナン→ファナです。ファナにはイライラさせられるけれど、それが何なのか自覚していない時期の話ですので、甘さはほぼないことをご了解下さいませ。 しかし、書いている私がいうのもなんですが、カナンには「もっとわかりやすく優しくしてあげなさい！」と鉄拳制裁したいものです。 |