夏、というにはまだ少し早いが日の落ちるのは随分と遅くなった。 こんな季節は夕方といえどまだ外が明るいので、それに誤魔化されるようにして長く仕事をしてしまう。 サントハイム城の大きな書庫で仕事をしていたサントハイムの青年神官クリフトも、司教のディルトから声をかけられて初めて、それに気づいて鵞ペンをおいてばたばたと本を片付け始める。 「ゆっくりでよいですよ。インクが乾くまで時間がかかりますから。書庫の鍵はここに置きますから、閉めたあとはブライ殿のところに返却しておいて下さいね。あ、そうそう。」 ディルトは目を細めた。柔和な顔はまるで孫に語りかける祖父のようだ。しかしその笑顔はどこか悪戯っぽくもある。 「変なものが書庫に来るかもしれませんよ。驚き過ぎないように。」 変なものとはなんだろうかと一瞬思ったが、はい、とクリフトは答え、会釈して司教を送り出した。改めて椅子に座り、インクが乾くまで、と、先程からずっと調べていた古代神聖語で書かれた書籍のページをゆっくりとめくった。 ずっとこの本と付き合っているが、まだまだはっきりした意味が掴めない。古代に出現した魔族に関する記述があるのだが、象徴語を多用した文は他の書籍からの引用も多く、一日かかっても１ページも進めないことも多かった。 しかし、こうして調査することが、将来の人々にとって少しでも益になることに繋がれば、新たな脅威に打ち勝つ助けになれば……と、神官はたゆまずここで調べ続けてきた。 と、目が少し霞んだ。 無理もないな、と彼は苦笑する。 ずっと目を使い続けていたためだろう。霞むだけではなく少しチカチカするかもしれない。 「！」 ふと目をあげたクリフトは、そこに城の書庫にあるべからざるものを見た。 大きな草の……それとも木か？……とにかく緑の葉の茂みが書庫の入り口に見え、あまつさえそれがこちらに近づいてくるのだ！ 神官は思わず防御呪文を唱えるための印を左手で結んだ。……が、茂みの下から、見慣れた茶色のブーツが、横からは空の色の青いマントがちらちらと覗いて揺れているのを見て、ふうっと息をついた。この城の姫君はまた何かやらかそうとしているらしい。 「姫さま。ここは書庫ですよ。何をなさっているのですか？これは一体なんです？」 声をかけられ、アリーナはクリフトの背の高さより高い植物を両手で抱えて飛ぶように走りよってきた。 これは……確か竹というものだ。木のように見えるが幹には節があり、並行に並んだ葉脈が細長い葉に走っている。 「何ってクリフトを捜していたのよ！そしてこれは笹！」 アリーナは生き生きとしたハシバミ色の瞳を大きく見開いてゆさゆさと笹を揺すった。葉がさらさらと音をたて、そこに結び付けられていた色とりどりの紙の札も揺れた。 「笹……細めの竹ですね。それはわかりますが……」 「ほら、この間、東の方の国から使節団がやってきたでしょう？あの時に聞いたの。あちらの国では笹にお願い事を買いた紙を結びつけて星のお祭りをするんでって！星は空から何でも見ていて、願いをかなえてくれるのよ！それが丁度今日なの！」 そういわれれば……そんな話をアリーナから確かに聞いた。あの時は一緒にその星にまつわる恋物語の伝説も聞かされたが、「仕事も修行もせずに二人でぼーっとしているから離れ離れにさせられたのよね！自業自得よね！」とうんうん頷いていたアリーナに何とコメントしてみせたら良いか悩んだｌことをよく覚えている。 「城を歩き回って皆に短冊を書いて貰っていたの。あとはクリフトとお父さまと私が書けばできあがり！」 クリフトは立ち上がって短冊を見た。なるほど、毎日アリーナが挨拶してまわる人々の願い事が短冊に書かれてぶら下げられている。『お針がもっとうまくなりますように』……これはアリーナ付きのお針子で、今や大の親友になっているメイのもの。『城の皆さんが喜ぶ食事がつくれますように』・・・・これは炊事場のミランダ。彼女の短冊の下のほうには、ところどころ間違った字で『字を書けるようになりますように』……これはアリーナを“姫ねえちゃん”と呼んで慕うミランダの息子ダニロだろう。『新しい色の薔薇が無事に咲きますように』……庭師のゴン爺さんだろうか。別の短冊には『魔物が攻めて来ませんように』とあった。ふと裏返すと豆粒のような字が……『姫さまが城門を突破しにいらっしゃいませんように』……アリーナが城から逃亡するのに手を焼いている門番、ジェフだろう。“姫さまを阻止できますように”というのでないところが彼の諦めを表している。『神の愛が地上に満ち溢れますように』……司教様だ。アリーナがおいおいここに来るであろうことを知っていらしたのであろう。『姫さまがお転婆娘を卒業され、淑やかな振る舞いを身に付け、物静かで聡明な女王として云々・・・』・・・・これは絶対に筆頭王宮魔術師のブライである。 「ね！クリフトも書いて！」 アリーナはクリフトのために用意していたらしい、うす緑色の厚紙を神官にさっと差し出した。 「はいはい。では今書きますね。」 椅子にかけ、鵞ペンをインク壷につけ・・・・・ 「姫さま。そんなにじいっと見つめられては書きにくいです。」 アリーナは少し口を尖らせた。 「皆は書いてくれたわ。それにどうせ結びつけるのは私なんだから同じでしょう。」 そりゃあ王女に命じられれば書きにくくても書くだろう。しかし……アレだけのお説教じみた願い事をアリーナの目の前で堂々と書いたブライの勇気にクリフトは感服した。 さて、何を書こうか。ふっと、近衛に属する年の近い友人は何を書いたのだろうかと目で探す。・・・・あった。その性格の通りに真四角で読みやすい文字。 『王国の繁栄』 ・・・・・・・ アリーナに見つめられ、大汗をかきながら書いていたであろう真面目すぎるほど真面目な近衛部隊長ランデルを思い、ふっと口元をゆるませる。 「ね、早く！」 「はいはい・・・・・」 すらすらとペンを走らせ、流麗な飾り文字を短冊に書く。 それを読んでアリーナはにっこりとした。 「『世界が平和でありますように』、私が思っていた通りね！クリフトはきっとこう書くと思っていたわ。・・・・でもこのあとの字は何？読めないわ。」 「古代神聖語です。お呪いのようなものですよ。願い事がよく効くように。」 「ふうん。・・・・えっと、これをこうして・・・・」 短冊を受け取ったアリーナは器用に短冊を笹に結びつける。 「ありがとう！じゃ！私、これからお父さまのところにいかなくちゃいけないから！一番星が昇る前に完成させたいの！」 よいしょ、と笹を担ぎ、ゆらゆら揺らしながら出て行ったアリーナを見送り、クリフトは微笑んだ。 全くまだまだ無邪気でいらっしゃるのだから。年相応に大人になって欲しい気もするが、このような無邪気な所が城の人々に愛され、また、この無邪気さを守るためにも日々の仕事を頑張らねばと皆が思っているのだから、このままでいて欲しい気もする。 私は・・・・・・・ 姫の相談役という役目を与えられている神官は目を細める。 とにかくあなたを見守っていきますから・・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 巨大な笹を担いで現れ、短冊を書くように迫る愛娘の前でサントハイム王は嘆息した。 「よくもこれだけの短冊を書いて貰ったものだ。50人分を越えるではないか・・・・・皆の仕事の邪魔にはならなかったのか。」 姫は少しむっとした。 「迷惑がかかることなんてしてないわ！休憩時間を狙っていったから大丈夫！それよりお父さま、書いて、書いて！」 王は執務机に向かい、どっしりとした字で書き付けた。 それを見てアリーナは満足そうに微笑んだ。 「『皆が幸せであるように』・・・・うんうん、お父さまならこう書くと思っていたわ！・・・・・あ、お父さままで私に読めない字を書いている。やっぱりお呪い？」 「ん？ああ、まあそのようなものだ。・・・・・私の他にこのような字を書いていたものがいるのか？」 「ええ。さっきクリフトが。ほら、そのうす緑色の短冊。」 王は短冊を読む・・・・平和に、という願いに付け加えられた二つ目の願い・・・・・ 『姫さまが、笑顔を絶やさずにいられますように』 自分が付け加えた『我が娘が健やかであるように』という願いとよく似た願い・・・・あの神官はだんだんと自分に似てくるような気がする。 （まあ、あれが笑顔でいられるかどうかは、クリフトよ、貴殿を含めて周りの者皆が笑顔でいられるかどうかにかかっているのだが・・・・・・） そして、神官がやや小さな文字で書いた三つ目の願いに吹き出した。 『そしてもう少し、いえ、かなりあとでもよろしいですが、最終的に姫さまが良き伴侶に恵まれますように』 ……まさに自分が考えていることと同じではないか。 アリーナは王の書いた短冊を結ぶと一礼した。 「どうするのだね？」 「これから私のお願いを書くの！じゃ、お父さま！ありがとう！」 ひゅん、といなくなったアリーナを見送り、父王はくすり、と笑った。 今はアリーナが笑顔でいられるかどうかを心配する必要はなさそうだ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ アリーナは薄黄色の短冊に、子供の頃、クリフトから習った飾り文字で一つの願い事を書き上げにっこりした。 『世界最強』 短冊を左手で持って目の高さまで持ち上げ・・・・ちょっと眉を下げる。 「あああ・・・・これだけじゃ、あまりにもあんまりにもだわ。・・・・・」 ２枚目を手にとる。 『皆の願いが叶いますように』 「これで・・・・いいわ！ブライの願いはともかくとして、ミランダのもランデルのも、メイのも、司教様のも、クリフトのも、お父さまのもみんな叶って、神様の愛は満ち溢れて、平和になって、皆幸せになるものね！」 それからそっと３枚目を手にとる。 「・・・・・・・」 そこに何事かを書いて結びつけると、彼女は笹を担いでバルコニーに出て行った。 サントハイム城で一番高い尖塔の上に、笹飾りが結び付けられていた。なるべく星に近いところへ、という考えからのことだったが、こんな所に来るものは人間ではアリーナ以外に有り得ない。であるからアリーナの書いた3枚の短冊を目にしたのは、夜の散歩に出てきた白猫だけであった。 『世界最強』 『皆の願いが叶いますように』 そして、３つめの短冊には…… 『・・・・・お母様、ずっとそこから見ていて下さい。アリーナはがんばりますから』 字の読めない白猫はにゃあと鳴いて大きな欠伸を一つした。 アリーナの笹飾りが効いたか効かないかはともかくとして短冊に飾られた願いの殆どは叶ったらしい。 ただし、ブライ老の願いはまだ一つとして叶っておらず、アリーナは城内を笑顔で走り回っているということである。 |
| 七夕だったので・・・・・ 何やらまたわけのわからん話です。皆の願いが叶いますように、ということで、アリーナは自ら、自分が笑顔で健康で、ついでに将来よき伴侶に恵まれるということを願っていることになってしまいました。 なので、それを実現させなくてはなりませんね。 しかし神官、「お兄さん」越えて「おとうさん」になりつつありますね。・・・・まずい。 ↑多分この文を初めにサイトアップしたのはサイト開設７ヶ月目だと思われます（１度パソが壊れたので更新記録がぶっとんでしまって定かではありません）読み返してみたところ、キャラクターの口調が違っていたり、文章が不親切だったりしましたので、かなり加筆訂正をしました。（確か、門番の名がジェフ君だということも決まっていなかったのでしたっけ…） 初期の文を改めて読み直し、「ああ、うちのクリフトとアリーナは昔からずっとこういう関係なんだな」と苦笑しました。きっといつもこんな風。結婚しても、齢を重ねてもこんな風…(2006.6) |