暑い時には・・・・寒い時には・・・・

その夏は、サントハイムにしては珍しく熱波が襲い掛かってきた年であった。 普通なら日が落ちればそれなりに涼しい風が吹いてきて涼を取れるのに、夜になってもまだ暑く、夜明けになるまで気温がほとんど下がらないという有様。城の者たちも夏ばてでずいぶんと消耗した顔をして、が、それでもだれることなく真面目に職務にあたっている。 　しかし、夏ばてはほとんどしていないものの、ぶつぶつ不平をいう者がここに約１名。 　「暑い、暑い、あーつーいッ！」 　部屋から大きな声が聞こえてきて侍女や衛兵がくすりと笑う。この国の王の一人子アリーナ王女の声は遠くにいても、ドア越しであってもよくもまあというほどにはっきり聞こえる。 　暑いのは気候のせいばかりではない、先ほどこっそり部屋を抜け出して表で武闘の稽古をしてきたのが・・・・・そして、いい汗をかいたその直後に裁縫の稽古などというものに立ち向かう羽目になり、嫌々ながら（通常の貴族令嬢たちが身につけるドレスよりアリーナのドレスは十分簡素であったのだが）暑苦しいドレスに袖を通す羽目になり・・・・・・裁縫教師のグレタにやっと解放されて、先ほどの叫びになったという次第。まだ１３才とはいっても、王女。作法の教師の耳に入らなかったことは幸いであろう。 アリーナは仕立てのよい薄紅のドレスをぱあっと脱ぎ捨てて椅子の背にかけると、着慣れた黄色いチュニックを頭から被った。 　「暑いーッ！・・・・・って怒鳴っても涼しくはならないのよね、これが・・・・」 　テラスに出てもこんなときに限って風はそよとも吹いてくれない。 　「・・・・・・昨日のデザート、おいしかったなぁ・・・・」 　夕食の時、氷を削った上から、蜂蜜と果汁を煮詰めたシロップをかけて薄青いガラスの器に入ったものが出された。夏の暑い時期に何度か出されるデザート。アリーナは毎日でも、いや、毎日３度でも食べたい気持ちであったがそうはいかない。氷はこの時代、かなりの貴重品である。一般庶民は氷など口にすることはなく、王侯貴族でも毎日使いたいだけ使うということはできない。 　「・・・・・・ちょっとくらいなら・・・・・・きっと大丈夫よねッ！」 　何事かを思いついた姫は、にっこり笑ってテラスから遥か下を窺った。 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　「おや・・・・・？」 　ついこの間18歳になったばかりの城詰めの神官、クリフトは、半開きになっている重い扉を見てその端正な顔を心持ち傾げた。神官学校の幼年組の授業を一つ受け持っている彼だが、今日は特別の行事があり、休講となったので、気に入りの涼しい木陰で本を読もうとここまで来たのだが・・・・・普通開けはなしにはされない扉が開いている・・・・・・ 　「・・・・・・・」 　長年・・・・ほぼ８年間、姫のそば仕えの任についてきた彼の頭に警鐘が鳴り響いた。いつものようなことがきっと起こっているのに違いない。その事態を他の者になるべく知らせず収拾するのは他でもない彼の役目である。 　「はあ・・・・・・」 　クリフトは持ってきた神学の本を扉の脇にある大きな石の上に置き、扉の中に入っていった。割合大きく開いていた扉をしっかりと閉めることも忘れない。城の者に知れたら、またありがたい叱責が待っているのだ。 　薄暗い部屋の中は全面石造りで、歩くたびに音がする。神官はわざとカツーンカツーンを足音を響かせるようにして長い通路を経てその先の部屋の中央に立った。 　「姫さま！ここは入ってはいけない場所です！暑いのはわかります！しかし、ここは姫さまの避暑の為の部屋ではありません！」 　部屋はしーんと静まっており、返事はない。 　「もうわかっているのですからね！黙ってやり過ごそうとしても無駄ですよ！」 　相手は王女であるが、叱る時、諭す時、クリフトの口調は随分きっぱりとした厳しいものになる。ふう、と神官がタメイキをついたとき、奥の物陰からアリーナが赤みがかった金髪を覗かせた。 　「どうしてわかったの!?」 　ああ、やっぱりだ、とクリフトは肩を落とす。しかし、一つ咳払いをしてアリーナの前に立つと見下ろしてお説教する。 　「・・・・・暑い、暑い、と叫ぶ姫さまの声が少し前に聞こえ・・・・・そしてあっさりと静かになり・・・・これはきっと何か思いつかれたのだと思いました。そして、氷室の扉が開いているのを見たなら、これはもうわからぬわけがないではありませんか！」 　氷室・・・・・文字通り氷を入れておく部屋である。部屋には筵で丁寧に包まれた氷が山と積まれている。これらは冬の間に最寄の湖から切り出され、何台もの馬車で運びこまれたものなのだ。 　「・・・・・・・凄いわクリフト。何でもわかっちゃうのね。」 　「・・・・・・・私が何年姫さまのそば仕えをしているとお思いですか！」 　アリーナは立ち上がるとよいしょと掛け声をかけて大きな氷の上に座った。筵が分厚くかけてあるのでそうやっても服が濡れる心配はない。 　「・・・・・・でも、少しくらい涼ませてくれたっていいじゃない！こんなにたくさんの氷、ひと夏で使い切っちゃうことなんてないわ！私、知っているんだから。新しい氷を運び込む時、前の年の氷を随分捨てているってこと。これだけの氷、使わなきゃ損よ！クリフトだって氷を使ったお菓子を食べたいでしょ??」」 　そういうアリーナが肩からかけているポシェットの口から、皿と小刀とシロップの入ったビンが覗いているのを見てクリフトは笑いそうになるのを必死で押さえた。ああああ、まったくアリーナときたらいつまでたっても子供っぽい。 　「私はそういうものを食べたことがないので・・・・・・」 　「え!?」 　「暑い時には井戸から汲みたての冷たい水が飲めれば私には十分です。」 　「なあんだ！だったら食べてみたらいいわ！とっても冷たくて美味しいんだから!!」 　目を輝かせていう姫に神官は言い聞かせる。 　「・・・・姫さま。この氷室の氷がどういうときに使われているのかご存知ですか。」 　「・・・・・・・夏に冷たいお菓子が出るときは必ず使われているわ・・・・・・言われてみるとそれくらいしか使われているの見たことがないわ。」 　神官は優しく問いかけた。 　「実際に見たことがなくても想像してみて下さい。氷はどんな時に使いますか？」 　「・・・・・病気になって熱を出した時に使うわ。それから・・・・・あとはわからない・・・」 　「この部屋にいくつかの別の扉が続いているのがみえますでしょう？鍵がかかっていて入れないようになっていますが、あそこには、温度が高くなると効力を失ってしまう薬や魔法の道具がしまわれているのですよ。・・・・・・氷がなくなってしまったらたいへんですよね。」 　アリーナはプン、とむくれる。 　「でも少しだけなら大丈夫じゃない！さっきいったけど、毎年氷は余っているのよ！城の人が病気になるっていってもそんなにたくさんじゃないはずよ！」 　神官は中腰になって姫と目の高さを合わせた。 　「・・・・・もしも城下で、例えばサランの町で熱病が流行ったらどうしますか？」 　姫は小さく声をもらしたようだった。 　「そ、そういうときはブライに呪文で氷をいっぱい作ってもらったらいいわ！」 　「・・・・・じいさまはいつも城にいるとは限りません。それにじいさまが病気になることだって考えられます。・・・・・・サントハイムは魔法王国と呼ばれていますが、陛下は何事も魔法に頼らない方法を確保しておくべきだとおっしゃられています。・・・・・・・熱病が流行って、氷が必要になったとき、氷がなくなった。あとひと掬いの氷があったら小さな子供の命が助けられたのに・・・・・・そういうことがおこらないと姫さまは断言できますか？」 　アリーナは俯いた。氷から飛び降り、首を振り、うなだれる。 　「ごめんなさい・・・・・・私が悪かったわ。・・・・・・・もうここには入らない。・・・・・・・氷を使ったお菓子ももう絶対に食べたりしない！」 　そういう極端な話ではないのだが・・・・・・言いすぎただろうか、と神官は濃い青の髪をぽりぽりと掻いた。そして姫の肩を軽く叩いた。 　「姫さまは楽しいことがお好きでしょう。美味しいものを食べることもお好きですよね。私もです。だから少し・・・・・ほんの少しだけならいいのですよ。人はそういう楽しみがあるから生き生きと毎日を暮せるのですから。さあ、もう外に出ましょう。ね。」 　すっかりしょんぼりしてしまったアリーナの前にたってクリフトは歩き出して扉に手をついた・・・・その顔色が変わる。 　「どうしたの？」 　クリフトは尚も押していたが、アリーナに向き直って言った。 　「誰かが扉の閂を外からかけてしまったようです！」 　・・・・・・・クリフトは背に冷や汗が伝うのを感じたが、アリーナもまたじゅうぶんヒヤッとしてきたのであった。 　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　「・・・・・・ここが開けられるのは次に氷が使われる時ですね・・・・・若しくは私たちが居なくなったことに気づいて捜索されるときか・・・・・。」 　どちらにしてもそう遠い未来のことではないだろう。しかし、ここは寒い。氷室の中は確実に気温０℃以下である。夏服の二人は既に冷気が体の中に侵入してきているのを感じていた。 ふっと上を見上げたアリーナは遥か上の空気穴を見上げた。 　「あそこから上がれないかしら。」 　「無理ですね。」 　「叫んでもダメ？」 　「・・・・・・確かあそこは城からの抜け道の一角ですよ。殆ど人は通りません。」 　 　「そもそもなんで冷やしておかなくちゃいけないところに空気穴が開けてあるの？」 　「・・・・・・冷たい空気は暖かい空気より重いのです。だからあのくらいの穴ではどうということも。」 　「そういえば、なんだかそんなことを習った気もするわ。あれは何の話の時だったかしら。えーとえーと・・・・・・」 　姫が勉学意欲に目覚めたわけではない。何か話していないと余計に寒いらしい。 　「こうなったら、扉を蹴破って見るわ！」 　「・・・・・・・鋼鉄張り、厚さ３０cmの扉ですよ。さらには閂も金属製です・・・・」 　当時のアリーナの力量ではまだこの扉を粉砕することは叶わなかった。（ほら、だって、まだ13才！） 　「・・・・・・・それに、氷室に勝手に入ったことに加え、扉破壊のお説教がじいさまから長々と・・・・・・」 　今にもトライしそうになっていたアリーナが動作を止める。叱られるのは慣れっ子になっていたが、このところ・・・・・丁度クリフトが18才になってから、何かアリーナが不始末をしでかすと、大臣がクリフを無闇に叱り飛ばすのを彼女は知っていた。 　「待ってみましょう。・・・・・・捜索されてしまっていたら仕方ありませんが、運が良ければ炊事場の誰かが開けてくれるでしょう。そうしたら誤魔化しようもありますし・・・・・・姫さまが中に入っている状態で閂をかけてしまった者へのお咎めもなしになります。悪いのは私たちの方で、閂をかけた人はあたりまえのことをしただけなのですから。」 　そう言って壁にもたれかかった神官だが、冷気はしんしんと染み込んでいく。アリーナといえば、通路を全速力であっちに走ったりこっちに走ったり・・・・・・気持ちはわかるが、汗だくになってそのあとこの気温で冷やされたら・・・・・・いくら丈夫なアリーナでも風邪をひくだろう。 　少し前だったら・・・・・・何の躊躇もなく二人して身を寄せ合って暖をとったのであろうけれど・・・・・・アリーナがはしゃいでクリフトにとびついて遊んでいるのを見た大臣から、１８の成人の年を迎えながらそんなことでは困ると叱責されたことが頭を掠めた。・・・・・・そんなつもりは全くないのだが・・・・・・身分の違いは承知していても彼にとっては小さな姫は大切な大切な妹なのだけれど・・・・・何を迷っていることがある？大切なのは寒さから姫を護ることではないか。クリフトは薄い夏物の神官衣を脱いでアリーナを呼んだ。こんなものでも二人してくるまれば、少しはマシになるだろう。 　「姫さま。一緒に温まりましょう。」 　アリーナが目を輝かせる。 　「嬉しい！クリフトはこのごろちっとも自分から声をかけてくれないから、もう二度とこういうことってないんじゃないかと思ってたわ！じゃ！クリフト！」 　姫はかろやかに駆け寄って行き・・・・・・・ 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　「・・・・・で、アリーナ王女様、どうしてこういうことになってしまったのですか？閉じ込められたところまではわかりましたが・・・・」 　調理場の隅のベンチに寝かされたクリフトの手当てをしていた炊事場のミランダはもじもじしているアリーナに丁寧に声をかけた。 　結果としてそれからほどなく扉は開けられた。幸いにも通り掛ったミランダが、神学書が石の上に置かれているを不審に思って閂を外してくれたのだ。二人とは幼い頃から何かと面識のある（アリーナがつまみ食いにきたり世間話をしにきたり、勉強から逃げて隠れに来たり・・・・・それを追って来るのがクリフトで・・・・）ミランダなので、アリーナのする大概のことには驚かなくなっていたが、氷室の中でぐったりと倒れているクリフトを見たときには心臓が飛び出すほどに驚愕した。 　アリーナは肩をそびやかす。 　「クリフトがね。一緒にあったまろう、って言ったの。私、嬉しくって！だって、この頃クリフトは昔ほど私の相手をしてくれなくなってたの。それが、自分から、一緒に武闘の試合をしようだなんて！ぱあって上着まで脱いで、やる気十分だったから、私も気合い入れてとびかかっていったんだけど・・・・・・クリフトったら最初の一撃でのびちゃうなんて・・・・・・・変よ。あの位の攻撃、前はクリフトだって余裕でかわしてたのに・・・・・・どうして??」 　そりゃあ、飛びついてくると思うのと飛び掛ってくると思うのとでは、心構えが違うだろう・・・・・ ミランダは心のそこから、この目の前に横たわっている神官を気の毒に思った。 　「王女様・・・・・・おそらくそれは誤解です・・・・・・クリフトは武闘の試合をしようとしていたのではありません。」 　アリーナは不審な顔をし、目を上に上げ、下に下ろし、ぽん、と手を打った。 　「そうよね！いきなり試合だなんて、嬉しくて舞い上がっていた私が馬鹿だったわ！やっぱり最初は組み手からよね！」 　意識を取り戻していたクリフトは蹴られてがんがんする後頭部に当てられている氷嚢の冷たさを感じながら、これから先、そば仕えの仕事をまっとう出来るかとかなり真剣に悩んでいたのであった。

クリ坊さんの「掲示板書き込み５００人目様キリリク」の短編です。“アリーナがクリフトにひやっとさせられる話”ということでしたが・・・・・・ひやっこい場所ではありますが、何か違うような・・・・・そして相変わらずギャグです。他のサイト様ならぎゅーってしてぎゅーってしてぎゅーってしてｖ・・・・・残念ながらウチのにはそういうのができない模様です。 例によって碌でもないものになってしまいましたが、どうかお許し下さいませ・・・・・(T_T) 　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　戻ります