| はじめての挨拶 |
「あ〜疲れた！」 部屋に戻ってくるなり、アリーナはドレスのまんま、大きなベッドに仰向けに倒れこんだ。ふかふかの羽根布団の感触を背に感じながら見上げる天蓋は薄い緑色。ちら、と目を横に移せば、壁紙も従来の“軟弱そうでどこが良いのかわからない”ピンクの花が散っているものではなく、落ち着いた緑だ。アリーナはにまぁ、と笑った。この改装は成功だ。今までの部屋よりずっと武人の部屋らしい。 と、上の方から声が振ってきた。 「疲れているのはわかります。しかし、横になるのなら、着替えてからの方がいいと思いますが？皺を作るだけではなく、破きでもしたら、折角ドレスを縫ってくれたメイさんに申し訳がないでしょう。」 むく、と上半身を起こすと、クリフトが腰に手をあて、咎めるように…ああ、これはいつものお説教モードだ…自分を見ている。幼いときからずっと自分の傍仕えとして身近に居てくれた神官はコホン、とひとつ咳払いをした。 「それに、靴も脱がないで倒れこむというのは決して行儀がいいとは…」 アリーナは大きく足を振って、踵の高い白い靴を自分の足からぽいぽいと絨毯の上に転がして見せた。 「アリー・・・！」 クリフトは何か言いかけたが、いきなり首に飛びついてきたアリーナに驚いて言葉を切り、ああ、もう仕方がない人だ、と心の中で呟いてから、笑顔で彼女の細い腰を抱き上げてくるくると３度ほど回った。・・・３回転目で真顔に戻ったクリフトは王女を降ろし、ぽん、と一度肩を叩いた。 「正直な話、着替えてきたらどうです。・・・・この数時間の間に『誰がコルセットなんて発明したの!?』って私に何度言ったか覚えていますか？苦しいんでしょう。」 アリーナは舌を出し、『は〜い！』と言って隣の衣裳部屋に消えた。 一人残されたクリフトはふうっと息をついた。もう真夜中を回ってからだいぶになる。窓からは前庭でのドンちゃん騒ぎがまだ聞こえてくるが、クリフトもアリーナと同様にこのまま仰向けにひっくり返りたいくらいの疲労を感じていた。 ここはアリーナが子供の頃から使ってきた部屋だ。壁紙の張替えなどの大々的な模様替えが行われたが、調度などはあまり変わっていない。唯一増えたのは書き物机と大きな古びた本棚。そこにはクリフト自らが運び込んだ聖典がぎっしりと詰まっている。王女夫妻の部屋としては殺風景ではあるが、華美なものや日常に不必要なものを好まないクリフトにはもうこれ以上望む物はなかった。 いや、新妻の笑顔さえあれば他になにもいらない。 ・・・・・・とまあ、普通の男性ならそう思ったのかもしれないが、生憎とクリフトにはそういう想いはあまりなかった。アリーナがまだ小さな時から、王女としての公式の顔ではなく、泣き顔も、怒った顔も、笑顔も…日常のありのままの姿を見てきた。そしてまたアリーナもこの神聖魔法の大きな力を持った真面目で優しい青年を『薬のいらない便利な救急箱』役として、武術の稽古でつけた傷を癒して貰い、また、新しい必殺技の練習台とし、…怒りも涙もストレートにその胸にぶつけてきた。だから、もちろんいつも笑顔で居て欲しいが、そういうわけにもいかないのだから、すべての表情を今までどおりに見せて欲しいと彼は願っている。 それに、アリーナさえ居れば他に何も要らない、などというのは傲慢すぎるのではないだろうか。・・・自分がここにいるのは、両親や、ブライや、その他沢山の人々が支えとなってくれたからこそである。 神の前で夫婦となる誓いをたてたからと言って二人の間にあるものが急に変わってしまうことはないのだ。その…少しはいままで言わなかったことをいったりいわなくなったりするかもしれないが。 「クリフト！着替えてきたわよ！どう？」 だーっとアリーナが走り出てきた。…早業である。よっぽどドレスが窮屈で嫌だったらしい。 クリフトはアリーナの服をみてぽかんとした。褐色の太い糸で織られたざっくりした風合いの部屋着で、襟ぐりと袖と裾のところにはサントハイムではあまりみないような動物や植物を意匠化した刺繍が紺色と深紅の糸でぐるりと成されている。結婚第一日目の夜に相応しいかどうかは置いておいてアリーナによく似合っていた。 「似合ってますよ。」 「よかった！これ、贈り物なの。貰ったのはマーニャさんからなんだけど生地を織ったのも縫ったのも刺繍したのもミネアさんなんですって。この刺繍はミネアさんたちの故郷のリオレラ大陸で幸運を呼ぶっていう模様なんですって!!」 「ミネアさんが・・・・」 嘗ての冒険の仲間の名前が出てクリフトは微笑んだ。 「おや・・・・左手のところ・・・・糸が出ていますよ。」 「あら、ほんとうだわ。」 クリフトは机のところにいってはさみをもってくるとほつれた糸を切ってやったが、もう一本のほつれを発見して首を傾げた。アリーナもまじまじと服を見る。 「右袖と左袖の様子がまるで違いますね。もしや・・・・・・・間違っていたら問題ですが、左袖のまつりぬいはマーニャさんがしたような気がするのは私だけでしょうか。・・・・」 「・・・・ううん。刺繍も良く見るとなんだか他と違ってるのが少し混ざってる。」 二人は顔を見合わせ笑った。モンバーバラの踊り子は決して裁縫が巧くはないが、心を込めて妹と合作してくれたらしい。・・・・しかし、自分も手伝ったのだといわないところがマーニャらしいといえばマーニャらしい。 「あとでこれ以上ほつれないように直しておかなくちゃ。」 「・・・・縫えるんですか？」 「・・・・・・できはともかくほつれないようにすることはできるわよ！・・・・うーん、できると思うんだけど…」 ああ、これはメイさんに連絡をとって指導してもらった方がいいかな、と思いながらクリフトはふくらはぎのあたりに手をやって軽く叩き、ついでその手を肩にやってやはりトントンと叩いた。 「あ、クリフト。疲れた？・・・うーん、そうよね。立ちっぱなしだったものね。」 クリフトは頷いて見せたが事実は少し違う。・・・・・低位の神官として、教会の長々しい儀式に出席したことは数知れないが、この生真面目な神官はまわりの同僚が足をひらいたり頭を傾がせたりする中で、直立不動を何時間続けても決して弱音ははなかったし、疲れもあまり感じなかった。 今感じている疲れは、平民出の自分が王女と結婚するのを決して良しと思ってはいない貴族や大臣達と言葉を交わさねばならなかったことからくる精神的なものが大きい。それと・・・・たっての願いでアリーナが城に招いた懇意にしている人物たち・・・・・クリフトの幼馴染のリアや城下町サランの石工の親方、フレノールで世話になったターブレ神父・・・等など数え上げれば二十人を軽く越えた人々が少し下がった場所にいるのをアリーナが目ざとく発見し、国賓の貴族たちをほったらかしにして話をしにいき、挙句に『クリフト、なんでぐずぐずしてるの！早く来て！』と物凄い勢いで引っ張りまわされたことによる。 アリーナは本当に無茶苦茶な速さで会場を走り回っていた。あの高い靴でよくぞ、とクリフトは感心していたが、途中で、高い靴を履いているにしては身長が普段と変わらないことに気づき、ドレスの裾が長いのをいいことに、靴下のままで走っているのだとわかったときには苦笑した。それにしたってアリーナは自分の２倍以上は走っていたはずだが、足については疲労はないらしい。・・・普段からの鍛錬の賜物か。 「よーし！ちょっと待ってね！」 アリーナはテラスに続く開き窓を両手で一杯に開け、くるっと身を翻すと、背もたれのついた立派な布張りの椅子を二脚、ひょいと掴んで見事なつる草の意匠が凝らされたテラスの手すりから50cmほど離れたところにストン、と置いた。更に、ソファーからクッションを二個もってきてそれぞれの椅子の背にセットする。 「はい、どうぞ！」 「・・・・・・・・・ええと、ここに座るんですか？」 「ええ、ほらほら、こんな風に座って・・・よいしょっと！」 アリーナはひとつの椅子に座り、ぐっと背をもたせかけて高々と足を上げるとつる草の花のひとつに踵をひっかけた。 夜の風が部屋着のスカートを翻す。 「ほーら、こうすると足から血が下がってくるし、風が冷やしてくれるしとっても気持ちいいのよ！」 「・・・・・・・・・・・しょっちゅうこんなことをやってたんですか!?はしたないですよ!?」 アリーナはぷうっと膨れて見せた。 「・・・・・足が疲れたときにはこれが一番なのよ！・・・・あら、座らないの？」 空いている椅子を持ち上げたクリフトに、少し寂しそうに言うと、クリフトは椅子をずるずるとかなり後ろにずらしてから座った。 「・・・・足の長さがだいぶ違いますから。」 そうして靴を脱ぎ、アリーナと同じようにつるくさの花のところに踵をひっかける。 「ああ、・・・・・・なるほど、これは気持ちいいですね。楽ですよ。」 「でしょう？ああ…星が一杯見える・・・・・・明日もいいお天気だわ。」 初夏の夜の風が二人の足のあたりを吹き抜けていく。城の楽師たちが奏でていた演奏は止んでいたが、下働きの者達の歌声や手拍子はまだまだ彼らの宴が最高潮だということを示している。クリフトはしばらく目を閉じて手をだらん、と脇にたらしていた。何かの気配を感じ、ぱち、と目をあけるとアリーナがこちらを覗きこんでいる。 「どうしました？」 「ううん。怪我とか病気とか、冒険の時の焚き火の番の順番のせいとか、そういうことでないときって、私が起きててクリフトが寝てたことなかったな。って。」 「・・・・・そう言われて見れば・・・・・クシュン。」 小さなくしゃみをしたクリフトにアリーナはあわててベッドから羽根布団を引っぺがすとどさりとかけた。 「・・・・・・・・・・」 羽根布団に埋もれ、クリフトはじたばたして首をひょこんと羽根布団から突き出した。 「・・・・・・・この布団はいささか大きすぎると思います。」 「うーん、だったら何がいいかな・・・・」 「もうすぐ夜も明けます。足の疲れもおおよそ取れましたから、部屋に入っても・・・・・」 「それはダメ。」 「は？」 「ここに居るの！」 「は？・・・・・いつまでですか？」 「夜明けまで。」 アリーナは何か面白い悪戯を考えているような顔で目を細めた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 明けの明星が朝の光の中に融けて消えていく。 「さあ！始まるわ！」 はずみをつけて立ち上がったアリーナが、テラスの真正面、南に広がるサランの街を指差した。 「いったい・・・・何が・・・・・」 「ほら！クリフト！見て！」 東から太陽が昇ってくる。初めは頼りなげだったその光はすぐさま力強いものとなり、街の外に広がる草原を照らし始める。薄墨色だった草原は光を受けて緑色を現し、そして日の光は街まで届いていく。教会の鐘付き塔を、宿屋を、商店を、職人の家を、民家を照らし、東側の白いしっくい壁が眩しく見える。照らされて生み出されたくっきりとした影は長々と西に向かって伸びるが、太陽がぐんぐんと昇るにつれてその長さを短くし、更に強くなってきた日の光にしっくいの白さはますます際立っていく。 クリフトは目の前に広がっていったこの一連の光景に目を釘付けにし、こんなに近くにこんなに素晴らしい光景があったことに驚きを感じていた。 「素敵でしょう？・・・・・晴れた日はいつもこうしてお日様が昇ってくるのが見えるの。・・・あのね、クリフト、私、これを見て、お城が空に聳えるように建てられる理由をひとつみつけたのよ。」 「なんです？」 「…歴史の本に載っていた答は、国民に対して王族の権威を示すためと、いつも見張っているから悪いことをしちゃいけないと警告するため、そして城下町で何かが起こったときにすぐに見つけるための三つだったわ。私が見つけたのは４つめ。・・・・お日様が昇っていく時に私は思うの。あ、教会の神父様はもう起きているだろうな。昔『お化け祭』のときにお菓子をごちそうしてくれたおばさんは元気かな、石工のおじさんのところの子供達はおねぼうだからまだまだ寝てるんだろうな・・・・って。それでね、みんなきっとお日様が差し込んできたら窓をいっぱいにあけて、そして一番初めに出会った人に『おはよう』って声をかけるんだろうな、って。……あのお日様が射し込んでいる街には沢山の建物があって沢山の窓があって、もしかしたらそれと同じくらいの人が住んでいる。そういうことを感じたら、どんな王様だって、皆の為に今日も一日働こうって思うんじゃないかな。…きっと、そのために、お城のバルコニーはサランが見える向きに作ってあるんじゃないか・・・・って。 きっとそれは単に窓を南向きに作っただけのことであるとクリフトにはわかっていたが、目をキラキラさせながら自分をまっすぐに見上げてくるアリーナにうん、と頷いてみせた。と、アリーナがあっ、といって真剣な顔になった。 「どうしました？」 「挨拶を忘れてたわ！…クリフト、おはよう！」 優雅に腰を折ったアリーナにクリフトも深々と頭を下げた。 「はい、おはようございます。アリーナ。」 アリーナは背の高い神官の手を引いてもう片方の手でサランの街を指差した。クリフトにはアリーナがしようとしていることがよくわかっていた。 「おはよう。」 「おはようございます。」 二人はサランの方に向かって大きな声で挨拶をした。 それから暫くの間、クリフトは風景を眺めていた。きっとこれから何度も二人して朝日を見るに違いない。自分はその度に爽やかな声でサランの人々に挨拶ができるだろうか。志を高く持っていても次第に安きに流れがちとなる人間の性は自分にもあてはまりはしないか。・・・・しかし、それは少なくともすぐには起こらない気がする。・・・おそらく・・・自分が人々に対して責任を果たさなくなった時は、伴侶たるアリーナが後頭部にとび蹴りしてでも目を覚まさせてくれるに違いない。…アリーナのまっすぐな心だけは変わらない。いや、変えさせてはいけないのだ。 と、クリフトは自分に凭れかかって来たアリーナに気づいてあわてて抱きとめた。見れば寄りかかった姿勢のままくーかーくーかーと実に気持ち良さそうに寝ている。クリフトはくすくすと笑い、そのまま彼女をひょいと抱き上げるとベッドに降ろして絨毯の上に落ちたままになっていた羽根布団を運んできて肩まで被せた。そして、自分がまだ典礼用の白い装束を着ていたことに気づくと、苦笑しながら隣の部屋に行って急いで緑の神官衣に着替えた。王女の婿となった今でも豪奢な衣装よりこの緑の神官衣のほうがよほどしっくりとくる。今からならばまだ朝のおつとめに余裕をもって間に合うだろう。 「おはようのあとに言うのもなんですが、ゆっくり休んでください。」 寝ているアリーナの額にかかった髪をそっと人差し指で撫でつける。 「そして、次に目が覚めたとき、また“おはよう”の挨拶をして下さいね。」 小声でそうアリーナに声をかけ、クリフトは廊下の警備兵に挨拶をし、階段を下って聖堂へと歩んでいった。 |
| この二人の結婚式からその次の朝にかけてのお話はいろいろなサイト様にあるようですが、内容はギャグだったり、シリアスだったり、○○だったりいろいろですね。それじゃうちのだったらどうなるんだ？と思い、折角結婚したみたいですので、書いてみようとしたのがもうかなり前のことでした。 で、実際書いてみて・・・・甘くはないがギャグでもなくドシリアスでもない。自分で書いていうのもなんですが、わけがわかりません。 考えてみれば、うちの神官君はまだキスのひとつも奥さんにしておりませんね。このあとクリフトが戻ってきてアリーナが目をさましても、おはようのキスをするどころか 「うわーッ！朝稽古をさぼっちゃったッ！」 と光の速さでアリーナは部屋を飛び出して行きそうです。 ま、まあ、先は長いので、甘い話はまたあとでごゆっくり（うちのサイトでは無理ですが） 因みに、うちのクリフトは結婚しても丁寧語で話しますが「アリーナ」と呼び捨てにすることには躊躇は皆無です。いや、なんとなく、その方が、うちの奴にとっては自然かな、と思いまして。 気に入らなくなったら多少変更したり取り下げたりすることがあるかと思いますが、その点ご容赦下さい。 (追記）この話の中ではゲーム中の設定を無視してサランが城の南にあることになっています。城とサランがどれだけ離れているのか不明ですが、城が大きなものだとすると街が影になってしまうのじゃないかな、という余計なおせっかいのためです。…長編の方では北にあることになっていますので、切り離してお考え下さい。 |