| 一番の枕 |
「……ですから、私は何度同じことを言わなければいけないのですか。」 空には既に一番星。夕食にした豆のスープを煮ていた鍋は既に片づけられ、焚火は魔物除けの用途のためだけにちろちろと燃えている。野宿用の毛布の上に正座したクリフトの前には、同じように正座したアリーナ。クリフトは腕組みをし、難しい顔をしてアリーナにお説教している。 「……黙って出かけることはもうしないと約束しましたよね。」 アリーナはにこにこしている。 「えーっと！書き置きはしたわよ？」 クリフトは、はあ、と息をつく。 「確かにありました。……しかし、私の祈祷書に挟んでおくというのは書き置きとしてどうなんですか？」 「えーっと。どうなのかしらね？」 「あああああああ、私が考えていることはおわかりでしょうが！……時間稼ぎをするのが目的なのは明白。……昼の祈祷まで私が祈祷書を開かないのをアリーナ様はよくご存じですから。……それに、一人で出掛けるとは何事ですか。魔物と単独で戦うということが如何に危険であるかは、幼いころから武人として心身を磨いたはずのアリーナ様はよくご存じのはずではありませんか。」 「……そりゃあ、危ない魔物だったら、単独での戦闘は危険だわ。でも、今回の魔物は一人で十分に対処できると判断できたから一人で来たのよ。……それとも、私の判断が間違っていたのかしら。」 クリフトは天を仰ぐ。……アリーナと婚約して一カ月以上が経過したが、婚約したからといって、アリーナの性格が変わるわけがなかった。それまで通りに城のあちこちを回り、身分に拘らずに城の人々と親しく話し……そして、門番から、彼の故郷がキラースコップの群れに襲われ、苦労して育てた作物がこのままでは根こそぎ食べられてしまうかもしれない……との情報を聞き、即座に行動を起こしたのが、今日の朝食後すぐ。アリーナがいなくなったのに気づき、皆で捜していて、クリフトが祈祷書に挟まっている紙片を発見したのが昼。そこで婚約者となっても依然として傍仕えの役目を未だ負っているクリフトが馬を飛ばして件の村の近くの森に到着したのが、日が少し傾いたころ。……そこで彼が見たのは、急所を殴られて昏倒し、青い毛皮の小山をつくっていた50匹を超えるキラースコップだった。村の作物がいくら美味しくてもこれだけ懲らしめとけばもうやってこないわよ！とアリーナは楽しげに笑っており、大声で『喝！』と叫ぶとキラースコップは『キャッ！』と叫んで蜘蛛の子を散らすように森の奥、本来の自分達のすみかへと逃げて行った。 ……殺さぬように手加減しつつ攻撃した……つまり、アリーナにとって50匹のキラースコップなどというものは、危険という言葉を使うのが可笑しい可愛らしい生き物なのだろう。……判断は間違っていない。だが、だが、しかし！ 「困っている人がいて、自分がその人たちのためにできることがあるのなら、進んでそれを行うべきだということを私は小さな頃クリフトから教わったわ。そりゃあ、黙って出たのは悪かったかもしれないけれど、私がここに来たことで、少しは困っている人の役にたてたわ。サントハイム城で政務の勉強をするのよりも何十倍も役に立てたと思うの！ 確かに、確かにそうなのだ。政務の勉強をしつつ時折欠伸をし、眠くなったといっては椅子から立ち上がり正拳突きや蹴りの型をやりはじめ……そういったことに比べれば遥かに役に立っている…… 「しかし！……アリーナ様にとっては確かに弱い相手だったのかもしれません。しかし、その弱い相手から頬に爪の一撃を喰らったのはどこのどなたですか！」 アリーナの頬に横一線にはしる、微かな引っかき傷を指し、クリフトは眉根に皺を寄せる。 「ああ、これ。手加減するのがちょっとだけ難しくって。」 「アリーナ様は一国の王女なのですよ！お顔に傷をつけるなどとは！」 「……顔に傷があってもどうってことはないわ。顔に傷がついている人は醜いなんて思う人は間違っているわ。人を外見であれこれいうのは間違ってる。」 ……確かに、確かにそうだ。それもクリフト自身が教えたことだ。 「この傷は浅いからすぐに消えるけれど、もしも残ったとしても、それは私にとっての勲章だわ。人の役に立とうとしてついた傷ですもの！」 うーん、と唸ってからクリフトは反撃する。 「確かに、人を外見で判断するのはよくないことです。しかし、アリーナ様は考えたことがありますか。……もしも顔に傷が残ったとして、それを見た方はどう思うかということを。想像してみて下さい。ミネアさんやマーニャさんが、戦いで顔に傷を負ったとしたら……。……話をするときに、人は自然と顔を見ます。そこに傷があったら、きっと思うはずです『あの傷を負った時、きっと痛かっただろうな、今も痛むかもしれないな』と。そして、心配をします。そうではありませんか。 アリーナは少し考えて頷き、だがしかし、『でも、』と反論しかけた。 クリフトは話を続ける。 「そして、その人が傷を負った原因に関係がある人は、その人が誠実で真面目な人であればあるほど傷を目にするたびに深刻に自分を責めるでしょう。ああ、あの傷は自分達のせいだ。自分達はもっと何かできたのではないか、と。そうは思いませんか。…………アリーナ様がサントハイムの王女として……いえ、王女としてでなくとも国に住まう者たちのことを大切に考えているとき、国に住まう者達もアリーナ様のことをとても大切に思っている。それを忘れてはいけません。」 アリーナはさっきより長く考えていて、うん、と頷いた。 「……反省しましたか。」 アリーナは頷く。 クリフトは微笑む。アリーナは考えなしのこともするが、人と人との関わりのことについては、とても真剣に考え、約束を違えることは殆どない。クリフトは、ならばよろしいです。お説教はもう終わりです。と言うと、アリーナは正座していた足をくずして膝を立てて座った。 アリーナを発見した時に声を荒げて一喝したが、それから夕食を食べ終わるまではクリフトは無言で通しており、正直アリーナは居心地悪いことこの上なかったのだ。 「ねえ、クリフト。」 「何です。」 「怒ってない？……私、何度も何度も同じようなことを繰り返してる。今回もやっぱりクリフトにうんと迷惑かけちゃってるし……許してくれる？」 「……許せないのなら、遥か昔に傍仕えの任を辞して聖地巡礼の旅に出発してますよ。」 「本当？私のこと、嫌いにならない？」 「……嫌いなら婚約なんてしませんよ。」 言いながら顔が赤らんでくるのをクリフトは感じたが、『よかったー』とアリーナに背中から抱きつかれぎゅうと閉められたので、思わずげえ、と声が漏れた。そんなことはお構いなしに、アリーナは明日は夜明けには出発よ！と勝手に宣言し、毛布を整えてその上にごろりと横になりくるまった。その隣にクリフトが横になり、すっと腕を差し出した。 「何？」 クリフトはまた顔が赤らむのを感じた。横になってこう腕を伸ばせばそれは『腕枕』というものに決まっているのではないだろうか。……本来、こういったことはしない。アリーナは枕なしで寝てもぐっすりと眠れるし、枕をするにしても背負い袋の柔らかな部分に頭を載せて眠っていた。……だが、婚約者となったからにはこういうことをするのが良いのではないかと考えた末の彼らしからぬ結構決死の行動だったのだが……きょとんとし、ハシバミ色の瞳でパチパチ瞬きを繰り返すアリーナをちらりと横目で見てクリフトは目を手で覆った。 「何、といいますか、私の腕を枕に、と思いまして。」 アリーナはきゃらきゃらと笑う。 「大丈夫よ！」 そして、一度目を閉じて人差し指を振りながら言う。 「『武人たるもの、岩を枕にし、眠りをも修行の時間と心得るべし。』ってね。ロン先生のお言葉だけど、それがもののたとえだってことはもうわかってる。でも、いろいろ鍛えて、私は本当にカチカチのの岩を枕にしたって体を休められるわ。」 楽しげに語るアリーナを前に、複雑そうな表情のクリフト。アリーナは考える。ここはクリフトの好意を無にしてはいけないのだろう。そう判断して蓑虫のようにくるまった毛布ごとくるりと転げて神官の腕に頭を載せて空を見る。 「……」 無言のアリーナにどうしました、とクリフトが問う。 「びみょー。」 「は？」 「……硬いかって言えばそうじゃないのよ。柔らかすぎるってのも違う。でもちょうどいいわけじゃあないの。クリフトは武人じゃないし、かといって、根っからの文官でもないし、……なんだろう？中途半端というかなんというか。高いわけでも低いわけでもないんだけれど、絶対に枕じゃない。うん、なんか落ち着かないわ。」 神妙な顔をしてぶつぶつと言うアリーナは、恋人の腕枕だから落ち着かないといっているのではなさそうだ。 「ゴメンなさい。折角腕を貸してくれてるのに、これじゃ眠れない。」 横向きにこちらを向いた顔にも赤味の一つもなく言葉に照れの欠片もない。すると、みるみるうちにぱあああっとアリーナの顔が明るくなった。そして、さらにくるんと一回転横に転がると、クリフトの脇の辺りに頭を持たせかけて左手だけを毛布から出してきゅっとクリフトの緑の上着を握る。 「これだったら、落ち着くわ……小さい頃にクリフトの部屋に行って、ベッドに潜り込んでよくこうやって眠ったわよね。……ここが一番安心できる。」 そして、クリフトの顔をまっすぐに見る。上目遣いの可愛い笑顔。その笑顔で、『でも、これじゃ迷惑？』と聞かれて『迷惑です』と答える筈もなく…… 子供の頃によくしたように、右腕をアリーナの背に回すと、昼間の疲れからかアリーナはすぐに寝息を立て始める。 ……全く、……全くこのおてんば姫と来たら!!……婚約してもまだまだ子供で、人の心を大切にするといっても、男女の機微にはとんと疎くて、男心をわかっちゃあいない。全く全く、このお姫様ときたら!!!なんてなんて…… 「なんて、可愛いんだろう。」 声に出して呟いたが、アリーナはそれに気付かず眠ったままで、クリフトは、やれやれ、といった風に毛布にくるまったアリーナを毛布ごとしっかりと抱き、額にキスしてから、星がはっきりと瞬き始めた夜空を見上げた。 |
250000ＨＩＴ記念自爆企画に「ぽーん」といただいたお題アリーナとクリフトで「腕枕」です。
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