| コッツン |
「……」 パトリシアの牽く馬車の前に立って歩くアリーナは、先程から何度も振り返って後方を確認していた。と、斜め後ろを行くクリフトと目があった。クリフトはにっこりと笑いかけ、アリーナはむすっとして少し肩を怒らせ、頭を元に戻す。その様子を見てクリフトはまたクスリと微笑んだ。 今日の朝からクリフトは少し調子が悪そうだった。咳をしているとかくしゃみをしたとか、そういうことではない。気分が悪いと自分から訴えたわけでもない。……そもそもクリフトは、他人の体調には過剰とも思えるくらいの気遣いをするが、自分のことはあまり構わず、我慢をしてしまうほうだ。それなのに、なぜ、アリーナには調子が悪いと思えるのかというと……これが、根拠のない『勘』であったりする。しかしながら、アリーナは自分の『勘』を全面的に信頼していた。どこがどう、とまではわからないが、クリフトの調子が悪いのはわかる。それは、足の運びだったり、カチャリと音をさせて装備を確認する手さばきの様子だったり、他の皆に声をかける間隔やその内容だったり、そういったことから感じ取られることどもからである。理論的に説明できるものではないが、とにかくアリーナにはわかる。何せ、物ごころついたときにはクリフトが傍に居て、アリーナはずっと彼と一緒に育ってきたのだ。 アリーナは昔に比べて少し心配症になった。今も相変わらずポンポンと『鍛え方が足りない』『全く、武人ではないのだから』など言葉をぶつけてはいる。が、クリフトがミントスで熱病に倒れ、生死の境を彷徨ってからは、少しでも具合が悪そうに見えると、『誰かが倒れた時に、回復魔法を使うクリフトが倒れてたらどうしようもないじゃない！馬車の中で寝ていなさい！』と腰に手を当て、背の高い彼を見上げてできる限り怖い顔をして言うようになった。先程の休憩でもそう言ってみたのだが、『具合の悪いことなどありませんよ。』と穏やかにしかしきっぱりと否定されてしまった。 否定されても、気になってしまう。だからアリーナは先程から機嫌が悪い。 他の仲間達はどうかというと、実際のところ、クリフトの調子が少し悪いのは皆気づいてはいた。長年の付き合いであるブライは目で会話をし、マーニャはしなだれかかりつつ冗談交じりで具合を確認した。出発の時、クリフトは馬車の中にいたが、途中からミネアと交代して馬車を守る役目に変わった。クリフトと同様に癒しの技術を持つミネアも、そのときにさりげなく訊いてはみていた。クリフトは、『少し風邪をひきそうなかなという気配はありますが大丈夫ですよ』と答え、更に『大丈夫、駄目そうでしたら、休ませて貰いますから』と返事をし、だからそれはそこまででお終いになった。年嵩の人々は判っていた。長い旅の中で、彼は自分の体調を冷静に判断することができるようになってきていたし、クリフトは無理をする性質ではあるが、仲間に迷惑をかけるような無理は余程のことでない限りはしない。……今は道中を急いでいるときではなかったから、クリフトが無理をするわけがないのだ。 しかし、アリーナは理性の判断より感情の判断を優先する少女だ。だから、『具合が悪いことなどない』といわれても、信用できないし、心配だし、……だから物凄く機嫌が悪かった。どうにも自分は誤魔化されている気がする。本当は相当具合が悪いのではないだろうか。クリフトは要らぬ気遣いをして平気な風を装うことが、昔から多かった。……熱があるのではないだろうか。うん、きっとそうだ。私はちゃんと鍛えていたからそんなことはなかったけれど、クリフトってば、昔っから時々熱を出して寝込んでいたもの！ そう、勝手に結論を出すと、アリーナは手袋を外した、そして暫く考えていたが、くるりとまわれ右してクリフトの前に走り出ると、軽くジャンプして、背の高い自分の傍仕えの額に小さな手のひらをピタン、とあてた。 「ほら！熱があるじゃないの！」 アリーナの大声に、仲間達が足を止める。パトリシアも耳をぴくりと動かして、馬車はガタリと音をたてて止まった。馬車の中からブライとトルネコとモンバーバラの姉妹が飛び出してくる。 クリフトは首を傾げ、自分の手を額にあてる。 「いや、別に熱はないと思いますが……？」 「熱かったわ！絶対に熱かったわよ！」 むっすー、と自分を睨んでいるアリーナに、クリフトはポン、と一つ手を打つと、 「姫さま、姫様の手をご自分の額に当ててみて下さい。」 と言った。 アリーナがその通りにして、目を大きく見開くと、 「結構冷たいでしょう？わかりましたか？人にもよりますが手というものは冷えていることが多いものですよ。」 「で、でも！」 トルネコがクリフトの額に手をあて、自分の額にもあて、またクリフトの額にあて……アリーナを納得させるように微笑んだ。 「お姫様、クリフトさんに熱はありませんよ。あ、いやいや、普通に人肌程度にあったかいという意味では熱はありますけれどね。ご心配なく！」 人の良いトルネコにそう言われてアリーナは引き下がったが、暫く歩いていると、また心配になってきた。……もしかして……もしかしてだけれど……トルネコさんに限ってそんなことはないと思うけれど、クリフトと共謀して、本当は熱があるのに嘘をついて心配ないなんていったんじゃないかしら。私が触ったのは確かに飛び上がって手をあてた一瞬だったけれど確かに熱かった気がする。ううん、きっと熱かったんだわ。クリフトも、みんなも、私に心配をかけたくなくて誤魔化しているんだわ！私だって子供じゃないのに！具合が悪いんだったら素直に休めばいいのよ！……ようし……熱が本当にあるんだってことをちゃんと証明すればいいのよね。……ううう、どうして私は背が低いんだろう。クリフトよりも高かったら、せめてトルネコさんくらいの背だったら、さっきみたいに代わり番こに自分の額とクリフトの額に手をあてて、熱があるかどうか確かめられるのに……飛び上がっている一瞬で手の温度と比較したって、またさっきみたいに逃げられちゃう……かといって、歩いているクリフトに、腰をかがめて、なんて頼んでも絶対にしないだろうし。転ばせれば頭は低くなるけれど、受身の下手なクリフトはいきなりだったら怪我しちゃうかもしれない……………… 一生懸命考えて、アリーナは一つの方法を思いついた。それはとてもいい考えに思えたので、彼女は早速実行した。 アリーナがくるりと振り向いて、嬉しそうにこちらに向かって走ってきたとき、クリフトはとても嫌な予感がした。それは、あくまで予感だったが、この十年以上、アリーナ絡みのことに関してはその予感は外れたことがなかった。 そして、今回もその予感は当たった。 「クリフト〜」 かなり遠くから、勢いをつけて一度腰を沈めて踏み切って、頭を一度後ろに反らして、それから前に突き出して…… コッツン いや、それはコッツンではなくゴッツンであり、ありていに言ってしまえばそれは随分と気合いの入った頭突きであった。 生真面目な神官は、ああ、思えば短い生涯だった、と頭の片隅で考えながら、倒れていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 小気味よい揺れを感じる。目を開ければ、馬車の幌が目に入る。ああ、まだ生きていたか、と思った時に、コツン、と額に圧迫を感じ、目を開ければ、ハシバミ色の瞳がじいっと自分を見ていた。額に当てられたのはアリーナの額。 「ああ、良かった。目を覚ましたのね！」 クリフトははああああああ、と息を吐き出した。 「…………もう少しで姫さまに天国に送りだされるところでした……」 「んもう、あれくらいで死ぬわけないでしょう？」 いや、額が割れなかったのが僥倖だと思うのだが。 くすくす、とミネアが笑う声がする。おそらく彼女がすぐに回復の精霊魔法をかけてくれたのだろう。 「姫さま、ならば、額をもう離して下さい。押さえつけられると少々ですが痛みますので……あ、いや、あれ？」 と、クリフトは難しい顔をした。 「…………熱いですよ。私の額より姫様の額が。」 「え？」 見れば、確かにアリーナはとろんとした目をしている。神官は馬車の床に肘をついて起き上がり、アリーナを横たわらせる。アリーナは素直に言うことをきく。……これは本格的に調子が悪い証拠である。 アリーナは、人並み外れて丈夫だが、ちょっとした精神的な揺れで簡単に熱を出す。今日もきっとそれなのだろう。病気ではないので、ぐすっり眠ればすっきり良くなる。でも、だが、もしかして、ということもある。クリフトは自分の前髪を上に持ち上げて額をコツンとアリーナの額に合わせる。 「ああ、やっぱり熱い。」 目を閉じて、眠ってしまって下さい。目が覚めたらきっと熱は下がっているはずですから、優しく言い聞かせるように囁いてアリーナの目を閉じさせた。何アレ、無茶苦茶色々間違えてるわよ、とマーニャはクリフトに聞こえるように言ったが、彼女の顔もまた、他の仲間と同様に穏やかで、それから時折熱を測るために額をそっとコツンとつける神官を、外から馬車の中に戻ってくるたびに、微笑みながら見守った。 |
250000ＨＩＴ記念自爆企画、そらまめさんよりいただきました、「おでこコッツンでお熱を測る」のお題で一本。「甘い話に挑戦!!!」というのが今回の自爆企画の趣旨だったのですが、
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