アリーナは、焼き菓子をつまむミネアの顔をじっと見つめていた。ミネアはこんがりと……いや、こんがりと、という形容は10人中９人までが『いやいや！それは違う！』と涙目で言うだろうほどに黒に近い焦げ茶に焼きあがったクッキーをぽり、と齧り、苦笑した。

　「そうね、ちょっと焼きすぎたかしらね。それから、お砂糖がバターと混ざりきっていなかったかもしれないわ。でも、ココアの混ぜ加減はいいのじゃないかしら。」

　アリーナはふぅ、とため息をついた。

　「……折角おもてなししようと思って焼いたのんだけど……ごめんなさい」

　しゅん、となったアリーナをちら、と見たマーニャは、三つほどをまとめて口に入れた。

　「でも、これはこれでパリパリして悪くはないわよ。そうね、お酒のつまみにはいいんじゃないかしらていうか、もっと凄いモノが出てくるかと思って身構えてたけど、なんだ、ちゃあんと人が食べられるものじゃない！」

　それは一般的には褒めているのかけなしているのか微妙な物言いであったが、アリーナが過去に生産した「ケーキ(←何か黒い塊)」「チョコレート(←歯では咀嚼できない塊)」を知る者にとっては十分な褒め言葉だった。

　アリーナは、テーブルの上のクッキー皿を自分の方に静かに引き寄せ、そのできそこないのクッキーを齧った。

　「お菓子って難しい。……やっぱり付け焼刃じゃダメなのよね。武闘と同じなんだわ。お菓子をうまく焼こうと思ったら、それだけの修行をしなくちゃダメなのね。マーニャさんとミネアさんはそっちのお皿のを食べて。そっちはミランダ小母さんに手伝って貰ったやつだから味は保障するわ！すっごく美味しいわよ！」

　モンバーバラの姉妹は形の整ったクッキーを口にする。さくっとした歯ざわりのあとに、バターの芳醇な味わいが口いっぱいに広がる。なるほど、これはおいしい。

　モンバーバラ大劇場の一座はエンドール王に招かれて公演を行った。その帰り道、ミネアとマーニャは回り道して、サントハイムの大切な友人のもとに立ち寄ったのだ。アリーナは手焼きの菓子でもてなしてくれたのだが……クリフトと結婚してしばらくたつが、お菓子の腕前はあまりあがっていないらしい。

　マーニャはしかし、腕を伸ばすとアリーナの前の皿から焦げ茶のクッキーをわし、と掴んだ。

　「でも、これ、本当にお酒のつまみには合うわよ？甘みがあまり無くって、少し苦くて。こういうクッキーがあってもいいわ。少なくともあたしには向いてる。……ふふ、でも、あのバカ神官はおいしいおいしいって全部食べてくれるんでしょう？」

　アリーナはぽかんとする。

　「ねーえ、そうなんでしょう？」

　にたぁり、と笑うマーニャの前で、アリーナは口を尖らす。

　「？？？クリフトはおいしくないものをおいしいなんて絶対に言わないわよ？さっきのミネアさんみたいに、ここがおかしい、ここが悪いってバンバンいうわ。……何か1つはいいところを見つけてくれるし、全部食べてはくれるけれど。」

　あのバカ神官、手放して褒めてあげたらいいのにさ、とマーニャが毒づくと、アリーナはつん、と澄まして口を尖らせた。

　「クリフトはバカなんかじゃないわ。クリフトは嘘をついたりしないのよ！いつでも私の悪いところはちゃんと悪いって言ってくれる。手放しで褒められたりなんかしたら、私はクリフトを思いっきり蹴飛ばしちゃうわ！」

　マーニャは前につんのめり、ミネアは苦笑した。一応惚気も入ってはいるが、アリーナのクリフト評は新婚だというのに甘々とかいちゃいちゃとは程遠い響きがある。

　「……あ、あのねー。お姫サマ、あんた、あのバカ神官と結婚したんでしょーが！もうちょっと、その、あまぁ〜い話なんて聞けないのかしらぁ？あたしはそういうのを期待して来てるんだけど。」

　ねえさんッ！と小声で叱責する妹を片手の一振りでいなしながらマーニャは仕切りなおし、とばかりに再びにたぁりと笑う。

　アリーナはうーん、と考え、

　「簡単に話せそうなところでは、とりたてて甘い、っていうことはないみたい。」

　と笑った。

　「正直、あまり前と変わらないの。……変わったところは……ええと、一緒に居る時間が長いせいか、クリフトのお説教は長くなって回数も多くなっちゃったわ。……あ、それから私、必殺技の練習はクリフト相手にはほとんどしなくなったわ。クリフト、聖堂でお話すること多くなったでしょう？そんな時に目の周りに痣なんてあったらまずいじゃない。だから、近衛部隊長のランデルに相手を頼んでいるの。彼、クリフトより強いし、私も手加減しないでばっちり拳をふるえて、あのね、聞いて！」

　アリーナは目をキラキラと輝かせる。

　「この間、これは、っていう新しい技を完成させたの！体の捻りをきかせるところがミソなんだけれど、」

　「そんなことは聞いてなーいッ!!」

　目を輝かせてまくしたてるアリーナをマーニャの大声が遮った。

　「あのね、あんた、新婚でしょ。ラブラブでしょーが。なんで修行の話になるのよ。」

　立ち上がるマーニャ。それに反応してアリーナも立ち上がる。

　「？？？？？？？？？？だって、毎日修行しているし、私の夢は、世界一強くなることなんだし。」


　「まだそれが目標!?」

　大声で応酬しあう二人を、ミネアは座ったまま困ったように二人を見上げ……そして少し心配になる。あの旅の途中、ガーデンブルクへと向かう中、ミネアとアリーナは焚き火を前にゆっくりと二人きりで話をする機会があった。女の子なんて嫌だ、女の子なんて駄目だというアリーナに、ミネアは“女の子であったことを良かったと思えるようになって欲しい”と語り、そしてあのときアリーナは“男の子に負けない世界一強くて素敵な女の子”になる、と宣言したのだった。……今、姉と言い合いをしているアリーナは昔と同じくまっすぐな気持ちを持っていて、しっかりと明日に向かって自分で一歩一歩進んでいっていて……それは快いのだが、少々心配にもなってくる。



　「アリーナ……あなた、今は、女の子に生まれて良かったって思えているかしら。」



　小さいがはっきりとした声で言ったミネアに、言い合っていた二人は言葉を切った。
　じっと二人の瞳がこちらを見ているのに気づいて、ミネアは少し頬を赤くする。

　「あ、ゴメンナサイ。でも、ちょっと気になってしまったものだから。」

　マーニャはきょとんとする。

　「……ミネア、あんたばっかじゃないの？アリーナはあのバカ神官と結婚したのよ？クリフトと結婚できたのも女の子だったからだわ、女の子に生まれて良かったわ〜！、って思わないわけないじゃない。女の子でなくちゃあーんなこともこーんなこともできないんだから。」

　アリーナは首を傾げた。

　「マーニャさん、それは何か違うわ。それだったら、もしもクリフトが女の子だったら私は女じゃなくて男の子に生まれてよかったって思うってことになっちゃうじゃない？それはほんとうの“よかった”じゃないわ。」

　なんだか哲学的にも思えるアリーナの言葉にマーニャは“ギ……”というような妙な声をあげて表情を凍りつかせた。

　アリーナは続ける。

　「女の子は男の子より体格が小さい。瞬発力もない。持久力もない。女性が就けない職業は男性が就けない職業よりずっと多い。自分がしたいことに熱中することを男性は許されることが多いのに女性は許されることが少ない。」

　女性について否定的な言葉を並べ立てるアリーナにミネアははらはらとする。

　しかし、アリーナはにっこり笑った。

　「前にミネアさんにも言われて思ったのだけれど、どんな人でも……小さな子でも、結婚していない人でも、誰でも女の子にだけしかできないことは1つだけだわ。それは『男の子になりたい！』って思うこと。女の子なんか嫌だ嫌だって思いながらどうして女の子に生まれちゃったんだろう、男の子だったらよかったのに！って思うこと。」

　アリーナが何をいいたいのかわからないモンバーバラの姉妹はひとまず静観する。

　「あのね、だから、私は女の子に生まれてよかったって思うのよ。私は、自分が女の子だっていうことがやっぱり嫌だってずっと思ってた。自分にないものをねだって、折角の神様に頂いた体のつくりを悔しく思って、自分の努力不足を棚にあげて不満に思って……神様は、そんな自分を恥じなきゃいけませんよって思って、私を女の子にしたんだわ。小ささや弱さをいつも感じて、逆に、だからこそ、頑張らなくちゃって前向きになれるように女の子にして下さったんだわ。……女の子の中にたくさんの“素敵な事”を探し出せるミネアさんには関係ないけれど。ミネアさんは男の子に生まれても女の子に生まれても、ちゃんとそれを“よかった”って言える人ですもの！とにかく、私がちゃんと生きていくには女の子だってことが必要だったのよ！「女の子は不便だけれど世界一強くてステキな女の子を目指す」という目標を昔たてたけれど、今はそうじゃないわ。私、「世界一強くて素敵な人」を目指したい！女、とか、男、とかそういったことにとらわれるのは子供のすることだわ。男、女に関係なく、何が大切なことなのかを考えていかなくれはいけないと思うの！




　しばらくの沈黙の後、マーニャはぼそりと言った。

　「アリーナ、それ違うから、何か違うから。」

　「ううん、違わないわ！神様の前では女も男もないのよ！」

　「違うからッ!!そーいうんじゃないのよッ!!この甘々ラブラブ期間にそういうわけわかんないこと言わないでよッ!!」

　「訳がわからないのはマーニャさんの方だわ!!」

　口角泡を飛ばして言い合う二人。二人の論点は全く違うところにあるので、会話が噛みあうはずもない。半ば呆れるミネアは肩にポンと手が置かれたのを感じた。

　「クリフトさん……。」

　「ミネアさん、お茶に遅れてすみません。やっと書類を片付けられました……ところで、二人は何を喧嘩しているのですか？」

　ミネアはくすっと笑う。

　「クリフトさんのせいかも、です。」

　「？？」

　「……あなたが、小さな頃から手塩にかけて優しく生真面目にアリーナを教え導いてきた結果……とでもいえばよいでしょうか。」

　「はあ……？」

　ミネアはクリフトに座るように勧め、お茶を入れる。そして、クリフトが上出来のものではなく焦げ茶のクッキーをつまんで口に運んだとき、にっこりと微笑んだ。