V

　モンバーバラの街の宵。クリフトはミネアと一緒に買出しに出ていた。あたりには露店が立ち並び、二人が見せの前を通るたびに店主たちの呼び込みの声がかかる。ミネアが顔を出すと、『ああ、ミネアちゃん！帰ってきたんだね！』と昔なじみの顔になり、ほとんど投売りに近い値で薬草やらなにやらを売ってくれるのだった。それだけでなく、果物や魚の干物までをオマケにつけてくれるものだから、クリフトが背負っていた皮袋はぱんぱんに膨れ、二人の両手も塞がってしまった。

　「ミネアさん、重くはないですか。」

　「大丈夫です。……でも嬉しい。おじさんやおばさんたち、私のこと、覚えていて下さって。随分安く売って下さったし。」

　「……安く売って下さったのは、きっとミネアさんの人柄からですよ。」

　と、クリフトが遠くを見た。

　「姫さまの声が……」

　ミネアにはその声は聞こえない。怪訝そうに背の高いクリフトを上目遣いに見上げるとクリフトは微笑んだ。

　「ほら、あそこで手を振ってらっしゃる。トルネコさんに何か買ってもらって頬張っているようですよ。」

　なるほど。クリフトが指差す方を見ると、アリーナの青い帽子が見えた。

　ミネアは感心したように頷く。

　「ミネアさん、どうしました？」

　「クリフトさんはアリーナの声を遠くからでも聞き分けることができるのですね。やはりずっと長い時間を共に過ごしてきた人は違いますね。」

　え？とクリフトはやや間抜けた声を出してから苦笑した。

　「そうですね。もう十年以上にもなりますから。」

　これがマーニャならば『やっぱり愛があるわよね～～』などとからかってくるのだが、ミネアはそういったことは言わない。

　「それってやっぱり愛のなせる技よね～～。」

　この、ふにゃっと背後からしなだれかかってきた感触は……

　「マーニャさん！いきなり抱きつかないで下さいッ!!」

　赤くなり、向き直り、引き剥がす。

　「あら～。荷物もちの手伝いしようと思って来てあげたのに、その言い方はないじゃない！」

　マーニャと一緒にやってきたアレクがミネアから荷物を受け取った。

　「マーニャさん、そう言うのなら、クリフトさんの荷物を持ってあげて下さいよ。」

　マーニャは、あ、そう。そうだったわね、と、クリフトが抱えている二つの荷物のうち小さな方の袋を抱えもった。

　「で？やっぱ、愛のなせる技でしょ？こんな賑やかな場所であの子の声を聞き分けることができるなんて！」

　クリフトははあ、と息をつく。

　「……ええと、自分の子供の声がわからない親っていませんよね。」

　「は？」

　「……愛がどうの、というのはよくわかりませんが。そば仕えというのはお世話役ですから、不遜ではありますが、平たく言えば乳母か親のようなものです。姫さまからは名前をよく呼ばれましたし、姫さまは何かというとあちこちで面倒を巻き起こしておいででしたから私も姫さまの声が聞こえたら例え遠くでも反応できるように耳が慣れていったのでしょう。」

　マーニャは半目になっていた。

　「説明してもらっても、そういうのって、全然ッおもしろくないんだけどー。」

　クリフトは微笑んだ。

　「こういうのは面白い面白くないのことではありませんよ。マーニャさんだって、ミネアさんの声は遠くからでもよくわかるでしょう？ミネアさんもマーニャさんの声がわかるはず。」

　姉妹は顔を見合わせる。ミネアは目を糸のように細くして微笑み、マーニャはポリ、と一回頭を掻いた。

　「まー、そりゃ、長年そばにいりゃあ、そういうことになるわよね。確かに、あたしがこの世で一番たくさん耳にしてるのって今現在じゃミネアの声だわ。」

　ミネアがくすっと笑う。

　「そうですね。好む好まざるは別として、私も姉さんの声を一番たくさん聞いていますわ。」

　ちょっと、好む好まざるは別としてってのはどういうことよ。とマーニャが大声で言うがミネアは聞き流す。

　すると、黙っていたアレクがにっこり笑いながら言った。

　「僕もマーニャさんの声を一番たくさん聞いていることになります。」

　へ？

　間の抜けた返事をしてからマーニャははっとして顔色を変えた。アレクは故郷の村で彼以外の村人を皆殺しにされている。家族も、幼馴染も、皆、命を落としている。だから、今、この世に生きている人間の中で最も長く会話している者は、冒険の初期に出会った自分達姉妹ということになる。ミネアよりも自分がお喋りなのは明らかだから……うん、そうだ。アレクと最もよく話しているのは自分だ。出会ってまだ二年もたっていない。そんな自分がアレクにとっての“いちばん”というのは酷く悲しいことに思えた。

　「……勇者ちゃん。御免。」

　いつもと違って少し肩を落とした踊り子にアレクは慌ててじたばたと腕を振った。

　「いや、僕もいちいち落ち込んだりはしませんから、大丈夫ですって。……母さんや父さんの声、幼馴染の友人の声、皆はっきりと覚えていますし。……ただ、覚えている声が、本当にその通りの声だったか、というとちょっと自信がなくなってきているんですけれど。」

　マーニャは頷く。マーニャも両親を亡くしている。それもアレクよりずっと以前に。父エドガンの声はともかく、物心がつく前に亡くなった母の声は、朧な記憶だけで、実はもうよくわからないのだ。……親子の声はよく似るというからもしかしたらミネアの声に近いのかもしれない。そんな気がする。ミネアの声は澄んでいて目を閉じて聞いているととても快い……もちろん、マーニャを叱責するときの声はキンキンしていて耳障りであるが。

　(クリフトだって……)

　マーニャは見守るようにアレクの横に立っている神官を見る。

　(確か、両親と妹さんを火事で亡くしているんだったわね。)

　クリフトー！と呼ぶ声が近づいてきた。アリーナは揚げ菓子の入った紙袋を持って走ってきて皆に差し出した。

　「これ、美味しいわ。みんなもどう？」

　からっとあがった揚げ菓子は粉砂糖がまぶされていて香ばしい匂いを放っている。さっそく皆1つずつ頬張るとアリーナは満足そうな顔をし、クリフトは長身を屈め、アリーナにありがとうございます、おいしいですよ。と微笑んだ。話している言葉こそ敬語であるが、マーニャには二人が兄妹のように見えた。もしかして……もしかしたらクリフトはアリーナに死んだ妹の姿を重ねているのかもしれない。アリーナがクリフトを呼ぶ声は、そのまま、妹が自分を呼ぶ声のように感じているのかもしれない。

　「ところで、何の話をしていたの？」

　アレクがかいつまんで話すと、アリーナは懐かしむように空を見た。

　「私はお母様の声、はっきり覚えているわ。……」

　そうなの？アリーナは記憶力がいいのね、とミネアが言うと、アリーナはくすっと笑った。

　「お母様と似た声の人が身近にいるから。」

　あら、それは誰？と問われてアリーナはクリフトを指差した。

　「は？」

　自分で自分を指差し、クリフトは間の抜けた声を出した。

　「私……ですか？……だーっ！私は男ですよ。王妃さまの声とどうして似てるんですかッ!!」

　アリーナは口を尖らす。

　「そりゃ、声の高さは全然違うわ。でも、話し方とか調子が似てるんですもの。お母様の一人娘の私がいうんだから間違いないわ。」

　「…………」

　神官は二度、三度、瞬きをし、アリーナが言った事を反芻し……そのあと脱力した。その表情はひたすら情けない。

　「……姫さま。私は喜ぶべきなんですか。」

　アリーナは胸をはる。

　「当然喜ぶべきよ!!お母様に似ているのだから!!」

　断言するアリーナに、タメ息をつくクリフト。いつもなら茶々を入れるマーニャも、今回は言葉は使わず大笑いするだけに留めた。アリーナがそういうのだからきっとクリフトの声は亡き王妃にそっくりなのだ。彼女にとって、世界で一番優しい声。最もそばで聞きたい声。ずっとずっと聞いていたい声。

　(ツッコミ入れるのはまた今度にしようかしらね)

　横をみやると、ミネアとアレクも幸せそうにサントハイムの王女とそば仕えを眺めていた。

　

うちの神官は「兄さん属性」だと思っていたのですが、もしかしたら「オカン属性」かもしれないです。