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　「はい、今日の書き取りはこれまでです。」

　クリフトが宣言すると、アリーナはニコニコとし、まだ乾ききっていないインクを吸い取り紙で押さえた。

　「クリフト、私、上手に書けたかしら。」

　小さな王女は今日練習した飾り文字が彼によく見えるように、革の表紙がつけられた大きな帳面を見習い少年神官に高く掲げて見せた。

　「お父様に見せたら褒めてくださる？」

　クリフトは立ち上がり、アリーナの椅子の横に立った。今日の書き始めから書き終わりまでざっと目を通すと、一度帳面をテーブルに置かせ、鵞ペンを手にすると赤いインクで大きな花丸をつけて先程のアリーナと同じように吸い取り紙で押さえた。

　「はい、今日は先週よりずっと綺麗になりましたよ。このDの形やRの形、僕が注意したことをこの一週間で練習してくださったんですね。」

　喜色満面のアリーナの頭に手を置きぐりぐりと撫でる。こうすることは大臣達の気に障るらしいのだが、小さな子は言葉でも態度でも褒めてあげなければいけないとクリフトは思っている。と、帳面をパタンと閉じたアリーナがおねだりするように傍らに立っているクリフトを見上げる。

　「クリフト、喉が渇いちゃった。」

　「……僕と書き取りの練習をする前がお茶の時間だったのではありませんか？」

　すると、アリーナは床に届かず浮いている足をぶらぶらとさせて俯いた。

　「……だって、一人でお茶を飲んでもちっとも美味しくないんですもの。」

　アリーナの気持ちはよくわかる。夜、眠気を抑えるために濃いお茶を一人で飲むことはあるが、それが最高級のお茶だとしても時間だからと目の前に置かれたカップから会話もなしにお茶を飲むのはこの小さな少女には酷だと思った。

　「それでは、お茶にしましょうか。」

　ぱああ、とアリーナの顔が輝く。

　「少し待っていて下さいね。じいさまからお菓子をいただいたんです。それも持ってきましょう。」

　部屋を出たクリフトは侍女たちの控え室に寄り、事情を話した。侍女頭は苦笑する。こういうことは今まで何度もあったので、クリフトは顔を覚えられているのだった。茶器と茶葉を借りる約束をし、一度神官学校の寮に戻ってブライから貰った菓子をポケットに入れ、控え室に戻ると、銀のお盆にティーポットとカップ、それに砂糖壺とスプーンが用意されていた。クリフトはしゅんしゅんと湯気をあげている薬缶からポットに少し湯を入れ、手で振ってから流しにこぼした。まずこうしてポットを暖めるのだ。それから茶葉を入れる。一杯目はアリーナの分、二杯目は……固辞しても『一緒に飲まなきゃ駄目！』アリーナが言ってくるので自分の分、そして三倍目はポットのため。そして改めて薬缶から湯を分量入れて蓋をしめる。そして砂時計を倒す。白い陶器の中はよく見えないが、紅茶の葉がお湯の中を上下に踊っているのだろう。

　「クリフト君、これを忘れちゃ駄目よ。」

　侍女頭はキルティングで作ったティーコジーを神官見習いに手渡す。クリフトは頭を掻き、ティーコジーをすっぽりとポットに被せ、砂時計を倒す。

　「いってらっしゃい。」

　侍女頭に見送られてクリフトはアリーナの勉強部屋へと早足に急ぐ。クリフトの帰りをを今か今かと待っていたらしいアリーナが、足音を聞きつけたのか、クリフトが部屋の前に立つとすうっと扉が開いた。

　「お待たせしました。」

　銀のトレイをテーブルの上に置き、ポケットから紙で包まれたお菓子を取り出し、アリーナの前に置く。

　「手は洗いましたか？」

　アリーナはインクで汚れた手を見、部屋の隅にある水差しが置いてあるところに走っていった。戻ってきて綺麗でしょうというようにクリフトに手をかざしてみせているうちに、砂時計の最後の一粒が落ちる。

　「さあ、注ぎますよ。」

　アリーナは紅茶を注ぐ瞬間が好きなようだった。白いカップにオレンジ色の液体がみたされ、ふわあああ、といい香りが立ち込める。水面が静かになると、覗き込んだ自分の顔が映り、縁のところに金色のわっかができたような輝きが見えて……

　「さあ、姫さま、いただきましょうか。」

　楽しいお茶の時間が始まった。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　それからしばらくたって、クリフトは神官学校の授業が終わってすぐに王宮に向かって歩いていた。司教のディルトからブライ宛の書類を頼まれて届けにいく用事があったのだ。と、アリーナの甲高い声が上のテラスから降ってきた。

　「お茶なんか飲まない！」

　そのあと、侍女の声がしたが、何と言っているかは聞き取れなかった。

　「一人でお茶を飲んだって楽しくないもの、全然美味しくないもの!!」

　また侍女の声。アリーナを諌めているのだろうが、やはり言葉は聞き取れない。

　「いらない、いらない！そんなものいらないわ!!」

　また侍女が何か言った。しかし彼女は激しているわけではないようで、アリーナの叫びしか聞こえない。

　「いらないっていってるでしょう!!もういいわ、出て行って！出て行ってよ！」

　アリーナの鋭い声に、何故かクリフトは冷水を浴びせられたような気がした。彼は門を守る兵士に丁寧に会釈し、中に入るとできるだけ早足で階段を駆け上がった。……しかし、目指したのはアリーナの勉強部屋ではない。彼が向かったのは侍女の控え室だった。廊下からはすかいに中を見ると、一人の若い侍女が椅子に座って俯いていた。彼女の横の机には手のついていないお茶のセットとクッキーが盛られた皿。同い年くらいの侍女が肩を叩いて慰め、その前には侍女頭がどうしたものかというように腰に手をあてて立っている。

　クリフトは廊下で侍女と同じように俯いていた。

　多分、自分は間違ったのだ。
　アリーナによかれと思ってお茶をいれることを続けてきたのだけれど、きっとどこかが間違っていたのだ。かける言葉が余計だったり足りなかったりしたのだ。

　届ける書類を胸に抱いて、クリフトはとぼとぼとブライの部屋に向かって歩き出した。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　その翌日だった。
　書き取りの練習のあと

　「クリフト、喉が渇いちゃった。」

　と、アリーナがまた言った。

　「……さっきお茶の時間だったのではないですか。」

　「だって、一人じゃ楽しくないし美味しくないもの。」

　「わかりました。……でも、今日は姫さまも僕と一緒に準備をしましょう。」

　クリフトは厳しい顔をした。そして、立ち上がるとアリーナの手をひいた。アリーナは嬉しそうについていく。クリフトと一緒だったらなんだって楽しいし、初めてのことはドキドキワクワクして特に楽しい。クリフトはアリーナの手をひいたまま、建物の外に出て行く。これにはアリーナも驚いた。

　「クリフト……お茶をいれるのじゃないの？」

　「ええ、お茶をいれるんですよ。」

　厨房近くにいくと、クリフトは一度中に入って、水がめを持って戻ってきた。

　「それはなに？」

　「水がめです。井戸からこれに水を汲んでお湯を沸かすのですよ。」

　クリフトはアリーナに水がめをもたせ、井戸のつるべをひく。それがとても面白そうに見えたのか、アリーナは自分でやりたがった。クリフトは頷いてつるべをひかせる。

　「随分力がいるのね。」

　「水って重いんですよ。とっても。」

　渾身の力を込めてつるべを引くアリーナとクリフトは途中で交代し、水がめに水を移した。軽くかめの周りを手拭で拭い……水がめをアリーナに持たせる。

　「重い……」

　でも、クリフトはお構いなしに建物の方へと戻っていく。アリーナは水がめを引きずらないように注意しながらそば仕えのあとを追う。クリフトは侍女の控え室の前で待っていた。侍女達は隣の部屋に居るのか誰も姿が見えなかった。水がめをアリーナから受け取り、流しに置く。そして……じんわりとオレンジ色に燃えていた炭を炭床から火箸で取り出すと流しに出してその火を消してしまった。しゅわーっと水蒸気が立ちこめ、炭は光を失ってただの黒い塊になる。

　「さあ、次は火をおこしましょう。」

　クリフトは白い灰が敷き詰められた炭床に新しい炭を置き、火種箱を用意した。火種箱の中では線香の端をゆっくりと火種が燃え進んでいる。

　『さあ、』と言われても、アリーナにはどうやって炭に火をつけたらよいのかわからない。呆然と立ち尽くしていると、クリフトはアリーナから火種箱をひったくるように受け取り、まずほくちに火をうつして灰の上に置いたそこに炭を乗せてふうふうと口で吹く。何度も吹いているうちにやっと炭に火が移った。

　「火はつきました。お湯をわかしましょう。」

　クリフトはアリーナにひしゃくで水がめから水を汲ませ、薬缶に移させた。炭火の上に五徳を置き、火にかける。アリーナはじっと見ていたが、やがて飽きた。

　「ねえ、まだお湯は沸かないの？いつだってお茶が欲しいっていえばすぐにお茶がもらえるじゃない。」

　「お湯は一瞬で沸くなんてことありません。……いつもここでお湯がいただけるのは侍女の皆さんが炭を絶やさないように燃やし続け、お湯が切れないように水を足しているからです。」

　「うっすら湯気が出てきたわ。もういいんじゃない？」

　「紅茶は沸騰したお湯でないと美味しくいれられないんですよ。」

　随分長い時間がたってから湯がやっとわいた。
　アリーナは紅茶の缶から茶葉を入れようとする。

　「姫さま、駄目です。まずお湯でポットをあたためなくては!!」

　「クリフトは何でも知ってるのね。」

　「……僕だって初めは姫さまと同じ事をしようとしました。知っていたわけじゃないんですよ。教えてもらったからわかるんです。」

　お湯を入れて捨てる。今度こそ、というようにアリーナはスプーンで茶葉をすくい……どれだけいれたらよいの、と首をかしげてみせた。

　「これも教えていただいたことですが、お茶を入れる人数分に一杯足すのが普通です。……そのお茶の葉っぱは少しでにくい葉っぱですからさらに一杯足す必要があります。みんな、みんな、侍女の皆さんに丁寧に何度も教えていただいたことです。」

　湯を注ぐ。砂時計を倒す、ティーコジーを被せる。

　クリフトは銀のトレイにカップとポットと砂糖壺とスプーンを載せた。そのトレイをアリーナに持たせた。カタカタ、とカップが鳴る。

　「さあ、運んでいきましょう。」

　この部屋に来たときと同じようにクリフトはさきにスタスタと歩いていってしまった。アリーナは苦心してトレイを傾かせないように歩く。助けて貰おうにも頼れるそば仕えは遙か先を歩いている。

　やっとなんとか勉強部屋につくと、クリフトが迎えてくれた。アリーナは机にトレイを置く。慣れない事をしたせいか、腕がつってしまったように感じる。ぐるっと一回肩をまわしてからアリーナは椅子に座った。

　「さあ、お茶にしましょう。クリフトも座って!!」

　すると、クリフトは深々と一礼した。

　「すみません。随分と時間がかかってしまいました。僕は一緒にお茶を飲むことができません。今日はこれで失礼いたします。」

　頭をあげ、振り返らずにクリフトは廊下に出て扉を閉めた。

　取り残されたアリーナは一瞬ぽかんとした表情をした。そして、くしゃっと泣きそうな表情になった。アリーナにはクリフトが何を言いたかったのかわかった。が、悲しかった。悔しかった。そして、怒鳴った。

　「クリフトなんか大嫌い！」

　どうしてなのよぅ、大嫌い、大嫌い。

　そう叫ぶ小さな王女の声を聞きながらクリフトはしかし戻らなかった。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　アリーナがあんまり叫んだものだから、この件は大臣達も知るところとなり、翌日、クリフトはこっぴどく叱られた。……一国の王女に水がめやお茶のセットを運ばせたのだ。無理もない。クリフトは神妙に謝ってみせたけれど、ブライに対しては自分は今でも間違ったことをしたとは思えないのです、でも間違っているのでしょうか、と項垂れながら、泣きそうになりながら心情を吐露した。
　クリフトは心の強い少年ではあったけれど、誰かに頼りたくなるときもある。今日がそれで、厨房のミランダのところに立ち寄り、その話をすると、ミランダはあらあら、と驚いて言い、ついで笑った。クリフト君、今日のお茶の時間、アリーナ様のお部屋をそっと覗いて御覧なさい。きっと、あなたの気持ちがおさまるから。と肩を叩いた。

　ミランダの謎のような言葉に従い、クリフトはお茶の時間にアリーナの勉強部屋の廊下が見える曲がり角へとやってきた。扉は固く閉じている。そば仕えであるクリフトは、アリーナの許可さえとれば昼間はこの部屋に入ってもよいことになっている。しかし、なんだか入るのは憚られた。と、逆の曲がり角からいつかの若い侍女が銀のトレイを持ってやってきた。トレイの上にはお茶のセット。またアリーナに拒絶されるのかと予想してか、表情は優れない。

　「アリーナ様、お茶をお持ちしました。」

　侍女が扉をノックし、アリーナが扉を開けた。そしてまた扉が閉まる。クリフトは走っていき、そっと扉に耳をつけた。またこの間のようなことがあったら、大臣に何を言われようと飛び込んでお説教をするつもりだった。中からアリーナの声が聞こえる。

　「だから、嫌なの!!一人でお茶を飲んだってつまらない!!」

　むくれる王女を前にして、侍女は眉を下げた。

　「ですが、王女様。」

　「だから、一人は嫌だっていってるでしょう、だから!!」

　と、アリーナは魔法のように白いカップを机の引き出しから取り出してみせた。……厨房に行き、ミランダに頼んで借りたものだ。

　「一緒にお茶にしましょう！！」

　侍女の頭の中はでんぐりがえった。どこをどうしたら侍女が王女とお茶を一緒に飲めるのか。

　と、いろいろ察したらしいアリーナはツン、と頭をそらすと言った。

　「これは王女命令ですから!!一緒に飲んでくれなかったら、お父様に言いつけます!!……教えて！お茶の入れ方、お菓子の作り方、お城のいろいろな事。だって折角のお茶ですもの。楽しいお話しながら飲みたいもの!!……そして、いっぱい謝らなければいかないこともあるの!!」

　扉の前で聞き耳をたてていたクリフトはへなへなと崩れ落ちた。

　安心した。

　……とても、安心した。

　でも、なんで涙が出るんだろう。

　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊

　以降、アリーナのお茶の時間には、城内の様々な人々が招待されることになる。それは将軍や大臣や文官のこともあったし、下働きの者や下級兵士のこともあった。やがて、城内にはアリーナのお茶会に参加したことがない者の方が少なくなった。

　「でね、ゴン爺さんが教えてくれたの。お花を綺麗に咲かせるコツはどんなお花でも一緒なんですって。」

　「そうなんですか。で、そのコツって一体どういうことなのですか。」

　「あのね、こうなの！よく聞いてね。」

　皆とのお茶会が増えたことで、アリーナとクリフトの二人のお茶会もまた今まで以上に楽しく話の弾むものとなったという。

　

小さなアリーナと少年クリフト。
アリーナは小さな頃から優しい良い子ですが、王妃さまが亡くなったことで周囲から甘やかされた部分もあり、諭してあげないと我がまま勝手になってしまうこともあったのじゃないかと思います。うちのクリフトは徹底的に諭し役。
少し厳しすぎるように思えますが、この話をこうすることはずっと前から決めておりましたのでご了承下さい。

ドラクエ世界の王宮生活というのはよくわかりませんが、「お茶を出す」というのは一般の民家よりもなんだか大変なことだったように思われます。水とか火とかの管理だけ考えても気が遠くなります。厨房にはそれなりの設備が整っていたと思いますが、厨房からかなり離れた場所でお茶を飲むには現代の給湯室のような場所があったのではないかと思って今回の文章を組み立ててみました。
アリーナとクリフトの間の絆はもちろん強固なものですが、この二人(アリーナは特に)は城の皆から愛されていて欲しいと思います。