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　「やあッ!!」

　アレクの剣が一閃し、魔物がバランスを崩したところを、王宮戦士がその剛剣でとどめをさした。地響きをたてて大地にその巨体を横たえる悪魔族。アレクは大きく息を吐き、手の甲で額に浮き出た汗とも冷や汗ともつかぬものを拭った。苦戦であった。不意をつかれたとはいえ、８人すべてが馬車の外に出て戦った総力戦だった。

　「勇者ちゃん、額に血。」

　マーニャに言われ、初めて自分の手が魔物の血で紅く染まっていたことに気付き、袖で顔を拭った。ミネアははあ、はあと戦闘で乱れた息を整えていたが、ライアンが肩から血を流しているのを見、回復呪文を唱えるために歩み寄る。ライアンも、アレクも、今回はトルネコも軽からぬ傷を負っていた。

　「おい、クリフト、クリフト!!大丈夫か！」

　後方からブライの叫びが聞こえた。仲間達が振り向くと、右手で左膝を押さえ、クリフトが蹲っていた。

　「クリフト、怪我したの!?」

　アリーナが膝と手をついて、がば、と彼の横にしゃがむ。

　「……大丈夫です。浅い傷ですから。ただ、血が止まらないだけで……。」

　彼は小さく神聖呪文を唱えたが、傷を押さえた右手の指の間から染み出す血は止まらない。……この神官、他人の傷を治癒することにかけては並びたつものはないが、何故か、自身の傷を塞ぐことを苦手としていた。

　ったく、難儀な奴ぢゃ。とブライが呆れる中、アリーナは馬車に駆け込んで、自分の背負い袋を開けると、急いで中から薬草を取り出した。しかし、アリーナがクリフトのところに戻る前にアレクが神官のもとに走った。クリフトの手を傷からどかし、アレクは血管を片手で強く押さえてもう一方の手をかざす。天空人の血を引く青年の掌からは清浄な光が溢れ、傷はみるみる塞がっていく。傷が塞がったことが確認できると、ミネアが水で湿した手拭で傷を綺麗に拭いてくれた。

　「大丈夫ですか。」

　「ありがとうございます、ミネアさん。アレクも世話をかけたね。」

　マーニャがパカン、とクリフトの神官帽を鉄の扇で横殴りに殴りつけた。

　「ったく！あたしたちの怪我はバッチリ治せるのに、どうしていつもこうなんだか。ちょっと修行が足りなかったんじゃない？」

　クリフトは失血で多少白くなった顔に疲れたような微笑を浮かべる。

　「心配かけてすみません。……ただ、こればかりは、修行云々ということではないようで……自分を癒す呪文は私の手に余るようです。」

　そう穏やかに返されることをマーニャは予想していなかったらしく、もう一度神官帽を殴りつけると、ま、それ以外は呪文に関しては言うことなしなんだから、そう簡単に自分を卑下すんじゃないわ！と怒鳴った。
　その間にも、ミネアとアレクは座り込んだまま動かないトルネコの具合を見ていた。どうやら腱を傷めたらしい。トルネコは呻いていたが、ミネアが呪文を唱えるとすぐに目に見えて表情が柔らかくなった。

　アリーナは使うあてのなくなった薬草を片手にぽつんと立っていた。そして、無言でその場を離れていった。
　しばらくしてアリーナの居ないのに気付いたクリフトはあとを追った。

　「……」

　アリーナは走っていったのか、中々クリフトは追いつくことができなかった。

　「……姫さま。」

　木の根元に、薬草を片手で握ったまましゃがんでいるアリーナの横に、クリフトは座る。と、アリーナが震えているのに気付いた。これは尋常ではない。

　「どうしたんですか！しっかりして下さい！」

　先程自分がマーニャにされたように、ちょっと乱暴に思える位強く、アリーナの帽子のつばを叩く。

　アリーナは膝を立てて座っていたが、その膝の間に顔を埋めた。

　「私、どうして呪文ができないんだろう。」

　「は？」

　「……お母様はいろいろな魔法を唱えることができたってじいから聞いたわ。お父様だって、簡単な回復呪文は唱えられる。だのに、どうして私は魔法ができないのかしら。」

　クリフトにとって、それはあたりまえのことだった。アリーナに魔法の素養がないのは周知の事実だが、努力に努力を重ねれば誰しも……アリーナのようによほど素養がなくとも……簡単な魔法なら扱うことができるようになる。しかし……アリーナは魔法の学習をする機会と時間のすべてを放棄して武術の鍛錬にかまけてしまった。……努力もしないで呪文が唱えられるわけがない。そして、呪文を唱えて傷を治したり敵を攻撃する暇があったら改心の一撃を放って敵を撃破すればいいと豪語したのはいったいどこの誰だったか。

　しかし、このアリーナの落ち込みようは……

　「私ね、小さな頃、自分が回復呪文を唱えられるんだって、信じてたの。」

　「回復呪文を……ですか？」

　コクリ、とアリーナは頷く。

　「……お母様、亡くなる前はずっとお加減が悪くて、ずっとベッドに寝ていらしたの。……私、お母様のところに行くたびに、何かしてあげたくて、でも、できなくて……自分で考えて呪文を唱えたの。お母様から病気なんか出て行け！出て行っちゃえ!!って気持ちで。そしたら、お母様、にっこり笑っておっしゃった。“アリーナの呪文のお陰で随分楽になったわ。元気になれそうよ”って。……だから、私、毎日呪文を唱えたの。お母様が早く元気になるようにって。

　でも、あんな呪文、なんの役にもたってなかった。お母様の病気はどんどん悪くなって、亡くなってしまわれた。呪文のことは、お母様が一生懸命な私のことを気遣って下さっておっしゃってただけだった。……治したいのに治せない。魔法王国サントハイムの王女なのに、小さな魔法の呪文ひとつ唱えられない……さっきクリフトが怪我したとき、お母様のことを思い出したの。……そして、またクリフトに心配かけちゃったわ。……お母様のときと同じ。私、役に立ちたいなんて思っていても、結局、皆に迷惑をかけているんだわ。」

　クリフトは、アリーナのチュニックの背をつまんで頭を上げさせた。

　「それは姫さまの勘違いですよ。」

　「え？」

　どこが、と、アリーナは普段から大きな瞳を更に大きく見開く。クリフトは目を細めた。

　「姫さまの呪文は、王妃さまのことを間違いなく癒したに違いありません。」

　訳がわからない、というように見つめるアリーナにクリフトは優しく語る。

　「手当て、という言葉がありますね。」

　「ええ。」

　「手当て、というのは、普通は治療のことをいいます。私達神官は神聖魔法を使い、呪文を唱えて手当てをします。でも、傷が塞がったら、痛みが無くなったら、それで手当ては終わりなのでしょうか。そして、呪文を唱えられない人や、医術の心得がない人は手当などてきないのでしょうか。……私はそうは思いません。助けたい、治してあげたい、一緒にいてあげたい、そういった気持ちで人に接するとき、その気持ちが病気の人や怪我をしている人に伝わって、本当に痛みを和らげることができるのです。『手をあてる』、まさにそれだけのことでも。なんとなくわかりますか。」

　「……本当になんとなく、だけど。……たとえば」

　アリーナはクリフトの左膝に手を乗せた。

　「……呪文で塞いだ傷はしばらくじんじん疼くけど……これで少しは違うの？」

　「……はい。……全然違いますよ。そうだ、呪文を唱えてみて下さいませんか。王妃さまに唱えた呪文を。」

　アリーナは鼻の辺りを少し紅くした。でもはっきりと言った。

　「『痛いの痛いのとんでいけ、悪いの悪いのでーていけ。』」

　クリフトはずっとニコニコしていた。なので、アリーナも笑顔を返した。

　クリフトは立ち上がり、帽子を被る。それに合わせてアリーナも立ち上がる。もうアリーナは毛の先程も震えてはいない。

　「あのね。」

　「なんでしょう。」

　クリフトより先を行くアリーナは振り向く。

　「クリフトは自分のこと治せないけど、他の人の手当ては世界一よ！傷を塞ぐのも、痛みを取るのも……そして、そのあとの『ほんとうの手当て』も！」

　なんだか照れくさくなったのか、アリーナは走っていってしまった。随分遠くなってから振り返ってクリフトを呼ぶ。

　クリフトは手を振り、ゆったりと歩いていく。先程膝に負った傷は、アリーナの手がのっていたせいか、仄かに暖かさが感じられる。

　「『痛いの痛いの飛んでいけ』……か。」

　もう膝に痛みは感じなかった。

　

♪恋の呪文をかけてあげるワｖうふッｖ

みたいな話は夢のまた夢でした～～

呪文を全く唱えられないアリーナですが、彼女のまっすぐな気持ちは、対クリフトに限らず、呪文に匹敵するような効果をもたらしてくれることがあると思いますです。

うちのクリフトは、心の奥底に暗い部分があり、「自分の傷はうまく治せない」という設定になっております。