　「姫さま！またサランへお忍びで出かけましたね!?」

　「姫さま！またお勉強から逃げましたね!?」

　「姫さま！裏庭の石像を壊したのは姫さまですね!?」

　「姫さま！必殺技の練習ばかりなさっていては先が思いやられます！」

　クリフトが「姫さま！」と叫んでアリーナを叱らない日はなく、城の者たちも彼の叫びを聞かないとなんとなく不安を感じるという……サントハイムのアリーナ姫は日夜彼女のそば仕えを翻弄し、それがサントハイム城の日常となっていた。

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　「はあ……」

　筆頭王宮魔道士ブライの私室でお茶をふるまわれていたクリフトは、声に出してタメ息をついた。秘蔵のハチミツ菓子をツボから小皿に出していたブライは、指についた蜜をぺろっと舌で舐め、ボウルの水で指先を洗ってから丁寧に布巾で拭いた。

　「なんじゃなんじゃ、何をタメ息ついておる。タメ息をつくたびに幸せがそこから逃げるというぞ。」

　生真面目な神官ははあ、ともう一度息をついてから、ならば、私の幸せの在庫はもう、とうに底をついているかもしれません、と鹿爪らしく言った。

　どうせ、ささいなことを、バカがつくほど真面目な思考回路で増幅処理して悩んでいるのだろう、とは思ったが、老人は椅子に座ってなお身長差の激しいクリフトの瞳を見上げた。太い眉の下からぎょろりと覗くブライの目玉はその気がなくとも睨みつけているように見える。

　「何かは知らんが、このじいに話してみるがいい。姫さまをお諌めする役目のおそば仕えがそんなことでは、城の者も安心して日々の生活が送れぬというものじゃて。」

　確かに……クリフトという押さえなくしてアリーナが暴走した日には、翌日石工と大工と鍛冶屋を城に呼ばねばならぬというもの。

　クリフトは背筋を伸ばし、一度濃い紅茶で唇を湿してから語った。

　「今日、内務大臣様からお呼び出しを受けまして。」

　「……うむ、あの偏屈者か。今度は何をいってきよったか。」

　「……じい様、あまり悪くおっしゃられるのもどうかと。実際、じいさまの方が大臣よりちょっと偏屈の度合いが高いのではないかと。」

　「……!!冷静に分析などするな!!して、何をあいつは言いよったのじゃ？」

　クリフトは膝を手に置き、一度頷くと、淡々と言葉を紡ぐ。

　「いや、いつもと変わりはない叱責でした。姫さまに王族としての自覚を促すよう、もっと厳しく指導せよ、とか、それとは別に、もう姫さまもご結婚できる年齢に達せられたのだから、分をわきまえてあまり身近に接するな、とか。……うーん、厳しくご指導するには身近でないと難しいところがあると思うのですが、現場の状況を知らない方には私もうまく説明できないもので、歯がゆい思いをしています。」

　ブライはフォークでハチミツ菓子の塊を突き刺すと、口に運んで旨そうに舌鼓をうった。

　「なんじゃ、全くもっていつもとおなじじゃな。それにしてはお前さんのタメ息の回数が多いように思うが、気のせいか？」

　クリフトはテーブルの上に出ていた茶筒を片手でぎゅっと握った。

　「いや、今日は、別のことも言われまして……あと数年のうちには姫さまも女王となるやもしれない、と……」

　その可能性はある。ライル国王は今のところ健勝であるが、アリーナが婿を迎えたならば、ライルは自ら退位して、若い二人に政務を任せる意志をもっているかもしれない。

　「それは、過去、私も考えたことがありましたが、こうして他者からつきつけられるとまた違った思いがありまして……ああ、そうか、姫さまが女王となられて、私がまだこの城にいるようなことがあったら、『姫さま』ではなく『女王陛下』とお呼びせねばならないのだな。と思い……」

　ブライの顔が柔らかい表情になる。いつもいかつく跳ね上がっている眉の端も少し下に下がっているようだ。

　「むう……その気持ち、わからんでもない。かくいうわしも、姫様のことはずっと姫様とお呼びしたい気持ちもあるからの。」

　クリフトは握った茶筒を左右に振った。

　「ええ、でもいつまでも姫さまとお呼びすることはできませんよね。……で、困ったなあ、と。」

　ん？

　「おい、クリフト、お主、なんで困るんじゃ？寂しい、とか胸が苦しい、とかそういう類の反応は容易く想像できるが、なんで困るんじゃ？」

　クリフトは茶筒を激しく振る。

　「じいさま、『姫さま』とお呼びするのと『女王陛下』とお呼びするのでは、全然違うのです!!」

　「？？？？何がじゃ？」

　クリフトはわからないのか、といいたげにドン、と茶筒をテーブルの上に置いた。

　「声に出してみればわかりますよ！『ひめさま』は四文字しかも『さ』は無声音扱いできます。『じょおうへいか』は五文字、しかも無声音がありません!!」

　ブライはますますわけがわからなくなってきた。

　「だから、お主は何がいいたいんじゃ！」

　聡明な神官は首をふる。

　「ああ、じいさまも、現場のことはおわかりにならないのですね！いいですか、姫さまが城の尖塔の上に戯れで登られたとします。それを見つけたときに当然注意をするわけですが、

　『姫さま！お止め下さい！』

　というのと

　『女王陛下！お止め下さい！』

　というのでは、かかる時間が全然違います！」

　ブライは頭の中でクリフトの言葉を反芻し……

　「……どう考えても１秒も違わんじゃろうが!!」

　「その１秒が姫さまにとっては大問題なんです!!その失われた１秒が、私が姫さまをとっつか……いえ、確保できるかどうかの分かれ道になるやもしれません。いいえ、今までそういった場面はいくらでもありました！昔『アリーナ様』とお呼びしていた時期がございましたが、そこから『姫さま』とお呼びするようになったとき、お名前を呼べないのには人としてどうだろうかという葛藤がありましたが、とにかく呼びかけが短くなったというそれだけでなんか、こう、非常に楽になった部分がッ!!」

　熱弁する神官の横でブライは剣呑な瞳で二つ目のハチミツ菓子を頬張った。

　「クリフトよ。お主、姫様が女王となられた暁にもまだ、尖塔に登ったりあちこち壊したりというお前に叱られるような事態を引き起こすと思うのか？」

　クリフトは即答した。

　「じいさまこそ、姫さまが女王となったくらいで、尖塔登りや武闘の必殺技研究を諦めるとでもお思いですか!?」

　真剣な熱を帯びたクリフトの瞳を見、ブライは今一度に考え……

　「……だな。我らの姫様に限って、立場が変わったからといって即、振る舞いが変わることはあるまいて。」

　そうです、だから私はタメ息をついたのです。とクリフトは言い、でも、姫さまが女王となったら、自分は今までよりも少しは楽になるかもしれないですね、と微笑んだ。

　「なんじゃ？さっきと言うことが違うぞ？」

　「いや、一人味方が増えるわけでしょう？」

　味方？増える？

　「ほら、じいさま、姫さまが女王に即位なさるということは、婿殿がいらっしゃるということでしょう？私達が共同戦線を組み、婿殿に気合を入れて姫さまを諭し、叱り、導いていただければ、私達の苦労も軽減されることは疑いなしかと……」

　ああ、そうだそうだ。む、今まで姫さまの婿殿を考えるときに、その見地からの人選は考えたことがなかったですが、それも頭にいれておかねばなりませんね、とにっこり笑ってハチミツ菓子を口に入れたクリフトに、なんとツッコミを入れてやろうかブライは一瞬考えたが、面倒くさくなって止めた。そして、棚からツボを持ってくると、また新たなハチミツ菓子を皿の上に出した。

　「じいさま、何かおっしゃりたいのです？」

　「いいや、……クリフトよ。物事は考えているほどにはうまくは運ばんもんじゃ。肝に銘じておけ。」

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　そして、月日が流れ、アリーナは婿をとったのだが、ブライの言葉通りに、相変わらずクリフトはアリーナを諭し、叱り、導き……

　結局何にも楽にはなっていないのだった。

　

何かギャグっぽいもの。「身分」を考えるとどうしても湿っぽくなりそうなお題だったので、逆、逆、と考えてこうなりました。そして、アリーナが出てこない。(ギャー、マイスター、ものを投げないで下さい！)
そういえば次はおもむろに「身分」ですね…まともに取り組むとこちらも湿っぽくなりそうなので、また逆、逆、と考えてみようかと思います(そして気付けば糖度ゼロ)

追記：この短編をアップ後、半日もたたないうちに複数の方から掲示板およびメールで

クリフトはこの後「陛下！」と呼べばよいことに気付くと思います。

と、至極もっともなご意見を賜りました。
うわ、確かにそうですね。しかしまた、これもご意見の中にあったのですが、「国王陛下もいらっしゃるのに、ただ『陛下！』と叫ぶわけにも参りません」とうちのバカ神官は「女王」付けに拘るやもしれません。
結局奴は「女王陛下」という呼び名を使わずじまいに終わってしまうわけですが、ご意見有難うございましたｖｖ