　サントハイムの城にはいくつかの城門がある。

　まず、第一に、王宮の正面にある大門。正門ともいう。これは、馬車が二台余裕ですれ違えるほどの大きなもので、他国からの使節団などはここから入城する。美しく装飾した金属で補強したどっしりとした木の門扉は朝に開かれ、夜になるとぴっちりと閉められ、中から厳重に閂がかけられる。警備も強固で、その腕を将軍がじきじきに認めた兵士がきらびやかな軍装に身を固め、門の両脇に配置されていた。

　そして、第二に、横手にある門。これは正門よりも小さい門であるが、一番の賑わいを見せる門である。なぜなら、これは物資を運び込む門であるからだ。荷車に荷を満載にしてやってくる商人。野菜籠を背負った農民。そして、彼らの相手をし、人と荷をチェックする役人の声。人の流れが激しいここには、常時４人の兵士が置かれている。そのうちの二人は通常の門番の役で、正門と同じく槍を手にして門の両脇に立っているが、あとの二人は、剣こそ腰に帯びているが、人々の誘導を主に担っていた。忙しさにおいては正門の上を行き、この門にはいつだって人々の大きな声が飛び交っている。

　さて、これでおしまいだろうか。

　実はもう1つ門がある。他の二つに比べてずっと小さな可愛らしい門は、身分に関わらず、城に住むものの出入りに重宝されていた。例えば国王陛下がお忍びに近い形で愛馬と遠乗りに出かけるときにはその門を使った。下働きの者たちが宿下がりでサランに出るときにもその門が使われる。そして、その門はあまり城の守りを固める上では重要ではないと位置づけられていた。何故なら、その門を出たところは広い広い草原であり、賊が出ようとしようが、入ろうとしようが、城の物見代の上から目を光らせている監視兵に気付かれないことはなかったからだ。金属製で背が高く幅の狭い門には、内側から鍵がかけられ、その鍵は門番が持っており、必要に応じて開錠していた。配置されるのは一人。もともとが平和なサントハイムである。割く人員は一人で十分だったのだ。

　つまりはここの門番は、鍵開けが主な仕事で、基本的には門番の中では最も危険度が少ない

　……はずだった。

　そう、少なくとも、毎日のように身の危険を感じるような持ち場ではなかったはずなのだ。だから、警備隊長も、兵士としての訓練を終えたばかりの新兵をここに配属したのだった。
　新兵の名をジェフ、という。

　ジェフにとって、この小さな門を守るように命じられて詰める様になってから、夢のようなことが幾度もあった。大臣や、司教や、国王陛下その人がうちうちにこの門を通ることがあったからだ。時間交代で同じ門を守っている古参兵に、目を輝かせながら今日はこれこれの人にあったと嬉しそうに話すのがジェフの日課で、いつだってピンと背筋を律儀に伸ばして生真面目に門の横に立っていた。

　嵐がやってきたのは、門番になってひと月もたたないうちだった。

　城のほうから、黄色のチュニックを来た小さな姿が走ってきた。

　（あ、あれは……)

　近づいてくると、それは赤みがかった蜂蜜色の特徴ある髪色をした、目がパッチリと可愛らしい小さな女の子だった。

　（あれがもしかしてアリーナ王女さまだろうか？うわあ、可愛いなあ。でも、王女さまといったらドレスを着ていらっしゃるのじゃないのかな。あの格好はまるで男の子みたいなのだけれど……）

　と、可愛らしい女の子は、ジェフの前に来るとぴたっと止まった。

　「こんにちは、門番さん。」

　鈴を振るような声で挨拶され、ジェフもぺこりと頭を下げる。

　「はい、こんにちわは。あ、あの、アリーナ王女さまですか？」

　女の子は、こくんと頷いた。

　「ええ、私がアリーナよ。」

　（ああああ、やっぱり王女さまだったんだ！本当に可愛いなあ。)

　ニコニコし、感激しているジェフの前で、アリーナは言った。

　「門番さん、私、サランに遊びに行きたいの。門をあけてくれませんか。」

　え？

　返事が返ってこないのを見、アリーナはもう一度言った。

　「あのね、私、サランに行きたいの。門をあけて？」

　えええええええ？

　「駄目です駄目です駄目です！だって……王女さまお一人でサランになんて危険です。」

　「あら、だったら門番さんも一緒にいってくれたらいいじゃない。」

　「え？自分ですか？いや、自分は持ち場を離れるわけには……いやいやいやいや、そういうことではなくて、陛下の……王女さまのお父上のお許しがなければ、お城からお出しするわけには参りません。どうぞ、この城壁の中で遊んで下さいませ。」

　顔を赤くし、あたふたしているジェフが面白いのかアリーナはにこにこと笑っている。

　「あの……わかっていらっしゃいますか？」

　アリーナは答えず、

　「もっと右に行って。」

　と注文した。

　訳がわからなかったが、ジェフは移動した。何せ相手は王女なのだ。

　「もうちょっと後ろ。」

　言われたとおりに動く。

　「ええっと、それで、お辞儀して。」

　「はあ、お辞儀ですか？これでいいですか？」

　「ええ、それで、両手を膝に置いて。」

　言われるままの姿勢になると……ドン、と大層な衝撃を背中に感じ……驚いて上体を起こすと、アリーナがこともあろうに城壁の上に乗っているのが目に入った。どうやらジェフを踏み台にして、そこまで跳び上がったらしい。

　「わわわわわわわわわわわわわ！」

　アリーナはくすくす笑った。

　「じゃあ、門番さん、いってきます！」

　そして、壁の向こうへぽーんと飛び降りてしまった。

　置いていかれた格好のジェフは、あわてて警備隊長の下に走り、状況を説明し……近衛の精鋭がサランへと派遣され、アリーナを連れ戻す騒ぎとなった。

　しかし、それで収まるアリーナではない。収まるわけがない。

　その日以降、ジェフは心休まる日がなかった。何せ、ジェフは新兵。かたやアリーナは、今までも何度も城を抜け出したてだれ。警護の固いはずの正門からも物資の門からも抜け出したことがあるのだ。勝負になるわけがない。アリーナが走ってくるとジェフは身構え……懸命にアリーナを阻止しようとした。しかし、アリーナはいともやすやすとジェフの又の間をぬけて向こうへいってしまったり、素早い動きで左右に揺さぶってジェフをジェフ自身の足に躓かせて転倒させたり……挙句に、後頭部を強打されて昏倒させられ……意識を取り戻したときに、空を向いたジェフの瞳に入ったのは、あざやかな夕焼けだった。目が潤んだのは自分が情けなかったからで、夕焼けの美しさに感動したわけではない。

　そして……

　「馬鹿者!!いくら新兵といえど、お前は小さな王女殿下すら留めることができないのか!!」

　警備隊長の叱責が毎回ジェフのさして強くは無い心臓へと突き刺さった。『小さな王女殿下すら』……あの王女さまは特別だと思うのだけれど。それでもやっぱり阻止できないのは僕がふがいないせいなのかな、隊長さんがそういうのなら、きっと僕は駄目な兵士なのだろうな。そう思うと悲しくて、はあ、はあ、はあ、と幾度もタメ息が続けて出た。

　そういう間にもアリーナの『門番突破』は一向に止まず……というより、以前よりも頻繁に、そして過激に展開されていくのだった。

　隊長は怒りまくり……ジェフに謹慎を申し付けた。

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　「あのね、クリフト。」

　アリーナが飾り文字を教えてくれているそば仕えに聞いた。

　「なんでしょうか。」

　アリーナは鵞ペンを置いてクリフトから視線をそらす。何か気になることがあるときのアリーナの癖だ。

　「……あのね、あの一番小さな門の門番さんが違う人に代わったみたいなの。どうしたのかな。病気なのかしら。」

　アリーナはいつもなら外にいきたくて体をむずむずさせている時間なのに、今日はきちんと椅子に座っている。

　「ああ……その門番さんなら、何か失敗をしたようで、隊長さんから叱られてしまったらしいのです。一生懸命頑張っていたみたいだったのに、どうしたんでしょうね。」

　「そう……」

　その日から、アリーナは、サランに遊びにいこうとしなくなった。彼女が外に出るための障害となるものは、城壁のみ。だが、アリーナはジェフのかわりに門をまもっている兵士だってジェフと同じように翻弄し、見事障害を乗り越えることが容易くできたはずなのに、それを越えようとはしなかった。

　やがて、謹慎期間が解けてジェフは門の横に戻ってきた。彼は以前と同じように背筋をぴんと伸ばして生真面目に立っていたが、時折深く深くタメ息をつくことが、以前の彼とは違っていた。

　と、ちら、と遠くに黄色のチュニック姿が見えたような気がした。ジェフは当然緊張して身構える。

　しかし、王女が走ってくる気配は無い。……結局その日はアリーナの姿を見ることはなかった。

　しかし……建物の陰、茂みの横……黄色のチュニック、赤みがかった蜂蜜色の髪、青い帽子……アリーナの姿(正確には姿の一部)が毎日毎日ジェフの目に入るようになった。こちらに近づこうとはしない。それが幾度か繰り返され。

　「王女さま、アリーナ王女様！」

　ジェフは叫んだ。茂みの中に隠れていたアリーナは、門番に呼ばれて身を起こした。まるで叱られたようにうな垂れている。

　「どうか、どうかこちらにお越し下さい……！」

　言われるままに、アリーナは門番のもとにゆっくりと近づいた。

　「もう、……もうサランへはお出かけにならないのでありますか？」

　アリーナはぎゅっと拳を握った。

　「もう絶対にサランへはいかないわ。だから門番さんも安心して。」

　アリーナが黙ると、静寂が訪れた。長い長い静寂。するとジェフはふるふるっと首を振った。

　「そんな……そんなそんな悲しそうなお顔をしないで下さい。そんな悲しそうな顔をなさるのなら、自分は、王女様にここを突破された方がよほどマシであります!!」

　アリーナは目を見開いた。

　「そりゃあ、自分は隊長殿に叱られたくないであります。王女様に殴られたくはないでありますが……王女様は前みたいにニコニコ笑っていらっしゃらなくては駄目なんです！そんな、そんな悲しそうな顔は駄目なんであります。」

　こんな門番……突破しろといってくる門番なんてはじめてだ。アリーナはにこっと笑い……くるっと後ろを向くと、城中に走っていった。

　その日、アリーナは堂々と正門突破をやらかし……今度は正門を守る敏腕兵士が警備隊長に叱り飛ばされた。

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　「……サランに遊びに行くことは止めたのだと思っていたのですが。」

　サランへ出、アリーナを見つけてクリフトは城への帰路を急いだ。逃げられないようにクリフトにぎゅっと腕を掴まれているアリーナは嬉しそうににこにこしている。

　クリフトは、アリーナが暫くはサランに行くのをやめるだろうと予想はしていた。……アリーナがあの新しい門番のいる門を突破していることはクリフトの耳にはいってきていたので、時々様子を見て、アリーナが門番を気に入ったこともわかっていた。アリーナに突破されたことで、門番が謹慎処分になったことも。

　アリーナが城から外に出ることを止めるのは非常に難しい。いくら城壁が障害になるとはいっても、アリーナにとっては、簡単な踏み台とちょっとの足がかりさえあれば、軽々と登ってしまえるからだ。

　アリーナを止めるにはどうしたらよいか、クリフトにはわかっていた。
　本当の障害となるもの、アリーナに越せないものは何なのか、クリフトはよくわかっていた。

　だから、あの日、アリーナにあの兵士が何か失敗をしたらしくて叱られたと言ってみたのだ。
　アリーナを罠にはめたようで、また、アリーナを試してしまったようで少し後ろめたさを感じないでもなかったが、王女がクリフトが考えていた通りの行動をとってくれたことに、安堵も感じていた。

　「あのね、クリフト。さっき嬉しいことがあったの。」

　「何ですか？」

　「……言わない。言ったら叱られるから。」

　「……？」

　その後、クリフトの期待空しく、そしてジェフには災難なことに、アリーナの『門番突破』は再開された。

　ただし、アリーナは事あるごとにいかに自分が武闘にすぐれているかということを、石像を叩き割ったり回廊の床に足蹴りでひびをいれたりして警備隊長に誇示し……

　『門番突破』も『アリーナ様が相手では仕方ない』ということになって、ひとまずは、ジェフが厳しく叱責され謹慎させられることはなくなったという。

　

すいません。今回こそクリアリからの大逸脱でオリジナルキャラクター大爆走。

ただ、うちの神官がアリーナの性格をよく理解していることは確実なようです。