　「もう！どうして私のことを名前で呼んでくれないのかしら！」

　トルネコとブライが分かれ道で地図を広げていたときに起こったアリーナの不機嫌な大声に皆が振り向く。アリーナの前にはクリフト。少し離れたところにマーニャとアレク。皆の視線は当然のことのようにクリフトに集まる。しかしクリフトは首を捻り、肩をすくめてさっぱり訳がわからない、という仕草をした。

　こういう場面にマーニャが食いつかないはずはない。

　「バカ神官。あんたがずっと姫さま姫さま言っているからお姫サマが拗ねちゃったじゃないの。ちゃんと名前を呼んであげなさいよ。」

　「いえ、私は姫さまの横を通っただけで、別にお話していたわけでは……」

　「はーん、はぐらかそうっていうのね。もう、そういう態度からして改めた方がいいわよｖ」

　「だから、私はたまたまここを通っただけで……」

　するとアリーナは、怒ったようにマーニャを見上げた。いや、睨んでいる。確実に睨んでいる。

　「私が悪いって言うの？あたしはずっと勇者ちゃんと話をしてたのよ。どうしてお姫サマが怒るのよ。」

　するとアリーナはますます眉をあげ、背伸びをし、マーニャに食って掛かった。

　「マーニャさんは、アレクのことだって名前で呼ばないじゃない。勇者ちゃん勇者ちゃんって、アレクにはアレクっていう名前があるのに!!」

　アリーナが何を怒っているか初めはわからなかったクリフトも、徐々に怒りの理由がわかってきて、ポン、と手を打った。

　「つまり、姫さまは、皆が名前で呼び合わないことが気に食わないと。」

　「そうよ!!……そして、ちょっと考えただけで、私を確実に名前で呼んでくれるのってアレクしかいないじゃない!!」

　確かに。

　クリフトは考える。皆が仲間内で普段どのように呼ばれているのかを。

　アレクの場合
　　　ライアンは　「アレク殿」
　　　アリーナは　「アレク」
　　　ブライは　「アレク殿」
　　　トルネコは　「アレク」
　　　ミネアは　「アレクさん」
　　　マーニャは　「アレク」と呼ぶこともあるけれど「勇者ちゃんｖ」と言う事が圧倒的に多い。
　　　クリフト自身は　「アレク」　と呼ぶ

　ライアンの場合
　　アレクは　「ライアンさん」
　　アリーナも　「ライアンさん」
　　ブライは　「ライアン殿」
　　トルネコは　「ライアンさん」
　　ミネアも　「ライアンさん」
　　マーニャは　「朴念仁」または「ライアン」
　　クリフト自身は　「ライアン殿」　と呼ぶ

　ブライの場合
　　アレクは　「ブライさん」
　　ライアンは　「ブライ殿」若しくは「老師殿」
　　アリーナは　「ブライ」若しくは「じい」
　　トルネコは　「ブライさん」
　　ミネアも　「ブライさん」
　　マーニャは　「おじいちゃん」
　　クリフト自身は　「じいさま」と呼ぶ。

　トルネコの場合
　　アレクは　「トルネコさん」
　　ライアンは　「トルネコ殿」
　　アリーナは　「トルネコさん」
　　ブライは　「トルネコ殿」
　　ミネアは　「トルネコさん」
　　マーニャも　「トルネコさん」
　　クリフト自身も　「トルネコさん」と呼ぶ。

　ミネアの場合　
　　アレクは　「ミネアさん」
　　ライアンは　「ミネア殿」
　　アリーナは　「ミネアさん」
　　ブライは　「ミネア殿」
　　トルネコは　「ミネアさん」
　　マーニャは　「ミィちゃん」若しくは「ミネア」
　　クリフト自身は　「ミネアさん」と呼ぶ

　マーニャの場合
　　アレクは　「マーニャさん」
　　ライアンは「マーニャ殿」
　　アリーナは　「マーニャさん」
　　ブライは　「マーニャ殿」
　　トルネコは　「マーニャさん」
　　ミネアは　「姉さん」
　　クリフト自身は　「マーニャさん」と呼ぶ。

　クリフト自身の場合
　　アレクは　「クリフトさん」
　　ライアンは　「クリフト殿」
　　アリーナは　「クリフト」
　　ブライも　「クリフト」
　　トルネコは「クリフトさん」
　　ミネアも「クリフトさん」
　　マーニャは　「バカ神官」

　そしてアリーナの場合
　　アレクは　「アリーナ」
　　ライアンは　「姫殿下」或いは「アリーナ姫」
　　ブライは　「姫さま」
　　トルネコは　「お姫さま」
　　マーニャは　「お姫サマｖ」
　　ミネアは　「アリーナ」
　　クリフト自身は　「姫さま」と呼ぶ。

　「ははあ、なるほど。姫さまはアレクとミネアさん以外からは名前で呼ばれていませんね。そして、アレクは皆を名前で呼んでいる。更にマーニャさんはいつも名前で呼ぶのはトルネコさんのことだけという状況ですね。」

　瞬間的に確認して、抑揚無くそう呟くと、その言い方が気に入らなかったのか、アリーナがむくれる。

　「どうして名前を呼ばないのよ。……私は「お姫さま」って名前じゃないわ。アリーナって名前があるのよ。……マーニャさんもどうして皆を名前で呼ばないの？勇者ちゃんだの、おじいちゃんだの、馬鹿神官だの、ふざけたみたいな呼び方ばっかりして。ブライはマーニャさんのおじいさんじゃないわ。」

　「あー、はいはい、確かにそれはそうなんだけどね。」

　「クリフトだって、軟弱だけど馬鹿じゃないわッ!!」

　クリフトが前にのめりブライが吹いた。

　トルネコは全くの傍観者という風情でうんうん、と頷いている。

　「名前を呼ぶのは人の心を掴む第一歩ですからね。アレクはそのことをよく心得ていらっしゃる。いやぁ、さすがは我らがリーダー。」

　「は、はあ、恐れ入ります。」

　尚もアリーナは怒鳴っている。

　「ライアンさんだって朴念仁って名前じゃないわ。…………ええと、朴念仁ってどういう意味？」

　またクリフトが前にのめった。今度はアレクも一緒にのめる。

　アリーナがあまりにぎゃんぎゃん言うので、マーニャも反撃しようと身構えたとき、アリーナはこういった。

　「名前は、名前は……お父様とお母様が一生懸命に考えて付けてくださったものなのに、どうしてそれを呼んでくれないの！私のお母様も、マーニャさんのお母様だって、アレクのお母様だって、ライアンさんのお母様だって、皆皆一生懸命に考えて名前をつけたはずよ！」

　反撃しようとしていたマーニャは口をつぐんだ。……マーニャもまた、アリーナと同じく幼い頃に母親を亡くしている。アリーナの言わんとしていることは、なんとなくだが理解できた。と、ブライが前に出て、ぽん、とアリーナの肩に皺だらけの手をのせた。

　「姫様、姫様もこの爺のことを名前ではなく『じい』と呼ばれることがございますな。それは何故でございますか。」

　言われてアリーナは俯いた。

　「そうね、そうだわ。……御免なさい。」

　ブライは微笑む。

　「何を謝る事がありましょうぞ。じいは『じい』と呼んでいただくことが嬉しいのですぞ？」

　アリーナは顔をあげる。

　「……姫様に『じい』と呼んでいただけるのは、世界広しといえど一人だけでございますからな。ありがたいことですじゃ。見ず知らずのものから百篇名前を呼ばれるよりも、姫様から一度『じい』と呼ばれることのほうがよほどじいにとっては嬉しいことなのですぞ。……姫様は……王女というご身分は誰にとっても同じでございますから、誰からも王女さま、姫様と呼ばれます。じゃが……わしやクリフトにとって、その『姫様』という呼び方は、姫様が『じい』と呼ぶのと同じなのですじゃ。そうじゃな、クリフト。」

　黙って頷いたクリフトの隣に立ち、マーニャが真顔で言う。

　「あたしがいくらアリーナのことを名前で呼んだとしても……例え百回呼んだとしても、アリーナのお母さんが『アリーナ』って呼んだ一回の価値には到底及ばない。……アリーナが気にするのなら、なるべく名前で呼ぶけれどね。」

　アリーナはぽかんとし、にまぁ、と笑った。

　「マーニャさんって、真剣になるとあたしのことを名前で呼ぶのね。」

　マーニャは目を見開き……片方の口角だけを上げて笑った。

　「……分析するんじゃないわ。ま、これから先、誰しも呼ばれ方なんて変わっていくかもしれないわよ。ね、馬鹿神官。いつまでもアリーナのこと姫さまなんて呼び続けるつもりじゃないわよね。」

　クリフトは、生真面目に頷いた。おおッｖと色めき立つマーニャの前ではっきりとした口調で言う。

　「それはもう、姫さまが女王となった暁には女王陛下と呼ばせていただ……いてて、マーニャさん、なんで耳を引っ張るんですか。」

　「あたしがあんただったら、そんな言い方、ぜえったいにしないんだから!!この馬鹿神官!!」

　一方、アリーナはブライの首に腕を回し、しっかりと老いた魔道士を抱きしめていた。

　「ねえ、じい。」

　「なんですかな、姫様。」

　「……これからずうっと……ずうっと私はじいのことをじい、って呼ぶわ。いい？」

　「じいでもブライでも結構ですじゃ。……気持ちを込めて呼んでいただければいいのです。クリフトのことも……これから先何がどうなろうとも気持ちを込めて呼んでやってくだされ。『クリフト』でも『馬鹿神官』でも『軟弱者』でもなんでも構いません。あ奴は姫様の名前をお呼びしていなくとも、確かめるまでも無く、姫様のことを気持ちを込めて呼び続けますゆえ。」

　アリーナは頷いた。

　その後、アリーナは忠実なそば仕えから長きにわたって名前で呼ばれるようになるのだが、それでも、アリーナの母が……アリーナが小さな頃に身罷ってしまった王妃がアリーナの名前をありったけの愛情を込めて優しく呼んだ回数には到底及ばなかったのであった。

　　

主従関係にある男女が思い思われる関係になったとき「いつ敬語ではなくなるか」というのは、注目されることですね。でも、正直な話、愛情が篭っていれば敬語だろうがなんだろうが別にいいんじゃないかな、と思ってもみたりします。
　そんなわけで、うちの神官はずーっと「姫さま」呼びし、伴侶になったら躊躇なく名前呼びに変えそうです。敬語でも名前呼びでも愛情てんこもり。

（図らずも『母の日更新』のようになりましたです……)