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「いや～っ！まだここにいるの～っ！」

　もうおやすみの時間ですよ、陛下のところにおやすみの挨拶をしに参りましょう。と優しく話しかける侍女に向かって小さな王女はぶんぶんと首を振った。

　「クリフトにご本を読んで貰うの!!」

　豪奢などっしりとした本棚に小走りに駆け寄り、お気に入りの絵本を抱きしめて戻ってきたアリーナは、笑顔で『はい！』と、ぽつねんと立っているクリフトにそれを差し出した。
　アリーナ姫さま、それではそのご本をお部屋まで持っていきましょう。と侍女が言うと、アリーナはまたぶんぶんと首を振る。

　「アリーナはご本が一人じゃ読めないから、クリフトに読んで貰わなきゃダメなの。」

　嘘だ。アリーナはその絵本が大好きで、すみからすみまで暗記しているし、第一、よほど綴りが難しい単語以外は、この頭の回転の速い王女はすらすら読めてしまうのだった。

　困り果てた侍女が、それでは、私がベッドの横で読んで差し上げますから、と言ってもアリーナはぶんぶんと首を振る。

　「クリフトがいいの！クリフトに読んで貰うの!!」

　自分の名前を連呼する王女、そして、どうすればよいのか途方に暮れるまだ年若い侍女を目の前にして、クリフトは静かに歩みより、アリーナの赤みがかった蜂蜜色の髪にそっと手をのせた。本を読んでくれるのだと思い、アリーナはニコニコしながらクリフトを見上げている。

　「アリーナ様、もうお休みの時間ですから、本はしまいましょう。」

　「いやー。クリフトに読んで貰うの！」

　「駄目です。陛下や、侍女の方々とお約束した時間は守らなくてはいけません。そして、夜にしっかりと眠らないと、楽しい夢もみられませんし、神様が与えてくださる気持ちのよい朝も眠くて眠くてつまらないものになってしまいますよ。」

　アリーナは尚も絵本をクリフトに差し出していたが、クリフトががんとして譲らないのを見ると、しょげてもとあった場所に本を戻し、差し出されている侍女の手をおとなしく握った。

　「アリーナ様、おやすみなさい。また明日遊びましょうね。」

　「おやすみ、クリフト……」

　しかし、アリーナはそのまま退出はしなかった。大きな瞳をことさら大きく見開いてじっとクリフトの方を瞬きひとつせずに見つめている。

　「どうなさいました？」

　侍女が心配して言うと、アリーナはすたすたすたとクリフトに近づく。そして、更に目を見開こうとした。

　「な……なんです？」

　「私の目に、クリフトは映ってる？」

　クリフトがハシバミ色のアリーナの瞳を覗き込むとそこには生真面目そうなクリフトの顔が映っていた。

　「はい。僕の顔が映っています。あの、でも、なんでですか？」

　「あのね、お母様がベッドで寝ていらしたとき、おやすみなさいの挨拶をしにいったらアリーナに『もっと近くでよく顔を見せて』っておっしゃったの。どうして、っておたずねしたら、『お母様の目にアリーナを映しておくとね、目を閉じてもアリーナのことがはっきり見えるの。夢の中でもアリーナに会えますからね。』っておっしゃったの。だから、アリーナの目にクリフトを映しておけば、夢でクリフトと遊べるから。」

　そういうと、アリーナは少し離れた。

　「今度はどこまで映ってる？」

　「胸のところまでは。」

　するとアリーナはもっと離れた。

　「今度は？足まで映ってる？」

　「えええ？」

　「だって足まで映っていないと、クリフトと一緒にかけっこできないわ！」

　ああ、夢の中でまでかけっこをさせられるのか、そして、きっと僕は負けちゃうのだろうな、とクリフトは苦笑する。もう遠くなりすぎてアリーナの瞳にクリフトのどこからどこまでが映っているのかは目をこらしても到底わからないが、必死で目を見開くアリーナに、クリフトは真剣な声で答えた。

　「大丈夫です。僕の頭の先から爪先まで映っていますよ。」

　それを聞き、アリーナはぱたん、と目蓋を閉じた。なんだかこの小さな王女に『つかまえられてしまった』ような気がした。

　「おやすみなさい、クリフト。夢でかけっこしようね。」

　「おやすみなさい、アリーナ様、よい夢を。」

　手をひかれて去っていくアリーナの姿をじっと見つめる。きっと自分の灰青色の瞳にはアリーナの姿がはっきり映っているのだろう。クリフトは先ほどのアリーナと同じようにぱたん、と目蓋を閉じようとしてやめた。自分の瞳の中に『捕らえて』しまってはアリーナにとって窮屈この上ないだろう。

　そんなことを考えながら、本棚からでっぱっている絵本を並べなおし、目を閉じる。

　もう実際には見ることができない、しかし目蓋の中にははっきりと見えている顔に向かってクリフトは語りかける。

　(おやすみなさい、父さん、母さん。)

クリフトがアリーナを呼ぶときの呼び方は　　お姫さま→アリーナ様→姫さま　で、第一人称は　僕→私　です。
今回の時期はそば仕えとなってしばらくして、お城での生活に慣れた頃、です。