Distance(距離)
「よいしょっ……と。」 両腕で抱えて運んできた分厚い本の山を一度机の上に置き、部屋に据え付けられた古びた本棚にたてていく。随分隙間があるが、神官学校を卒業するまでには、きっと本や書き写したノートで一杯になるのだろう。 季節は変わり目を迎え、このまえ卒業式があったと思ったら、真新しい上着に身を包んだ新入生達が入学の日を迎えた。学寮の中でも部屋の移動をする者が幾人かおり、クリフトもその一人だった。 だが、それは生徒が入れ替わったからでないことをクリフトはよく承知していた。 両親と妹を火事で亡くし、遠縁であるブライに引き取られたクリフトは、平民の出ながら、初め筆頭魔道士であるブライの部屋に近い小さな一室を与えられていた。それは異例のことであったけれど、ブライが強く手元に置きたいと主張したのと、アリーナ王女のそば仕えに任じられ、呼ばれればすぐに参上することが必要と判断されたからだ。 クリフトが神官学校の中学年となると学寮に移るよう命じられた。その時には、ああ、これが普通のことなんだな、と感じていたけれど、今回の部屋替えは違う。王宮に程近い棟から、最も離れた棟への引越しだった。 昨日も大臣が面と向かって言ってきた。 「そば仕えに任じられているとはいえそろそろお前も姫さまと距離を置くべき時期となった。あと五年もせぬうちに、姫さまもどこぞの王子とご婚約されるであろうからな。」 それは以前からよくわかっていたことだ。平民出身のクリフトが一国の姫とずっと一緒にいられるはずがないではないか。ただ、早すぎはしないか、とも思う。まだアリーナは10歳にもなっていないのだ。王族というものは市井の者達と違い、早く婚約するものかもしれぬが、アリーナは本当にまだ幼くて……やっていいこととやってはいけないことの区別すらついていない。日夜厄介ごとにつき合わされ、必殺技の被験者にされ、姫がいない、クリフト、知らないか？ならばお探し申し上げろ、と命じられて奔走する日々……しかし一方、アリーナが寂しがりやであることもクリフトはよく知っている。元気者のおてんば姫も悲しいときには彼の傍でじっと膝をかかえて座っているのだ…… であるから、やはりまだ、アリーナが自分を必要としているときには、話を聞いてやりたい、頼られたいと思っている。時が来てどこかの誰かがクリフトの代わりにアリーナを支える役目を始めるまでは。そうしたら自分としても心安らかに聖典の研究をし、或いは夢見ている聖地への巡礼の旅を始められるというものだ。 最後の一冊を本棚に並べ終え、クリフトは椅子に座り、背もたれに体を預けると長い腕をうーん、と上にあげて伸びをした。折りしも聖堂の鐘が３回なった。もうこんな時間か。この鐘が鳴るとアリーナ姫の「おべんきょうの時間」が終わりになる。何か話したい事、見せたいものがあるときにはアリーナはたーっと走ってクリフトのところまで来たものだが、ここに引っ越したからにはそうそう気軽にはやってくることができ…… 「わあ、今度のクリフトの部屋は眺めがいいのね。」 濃い緑色のカバーがかけられた寝台の上に、アリーナがちょこなんと腰掛けていた。 「姫さま!?」 クリフトに叫ばれたことを、叱られたのだと勘違いしたアリーナは、立ち上がって会釈した。 「御免なさい、黙って入ってしまって。扉があいていたからつい……これからはちゃんとノックするから。」 「そんなことを言っているのじゃあありません!!お勉強を途中でさぼっていらしたのですか!?」 アリーナは口を尖らせる。 「今日はちゃんと最後までお勉強したわ!!」 「嘘をおっしゃってはいけませんよ！先ほど聖堂の鐘が鳴ったばかりではありませんか!!」 にたぁり、とアリーナは笑って楽しげにベッドに勢い良く飛び乗るように腰を下ろした。クリフトはピン、と背筋を伸ばす。なんだかいやぁな予感がする。小さな姫は得意そうに細い体をそらした。 「クリフトの部屋が遠くになったって聞いたから、私、早く来られるように工夫したの！」 工夫？……どこをどうすればこんなに早く来られるというのだ。 「あのね、お勉強をしている部屋にはテラスがあるでしょう。」 「……ありますね。」 「テラスの前に大きな楡の木があるでしょう。」 「……ありますね。」 「あのね、まず、テラスからあの木にとびつくの！」 クリフトは思わず顎を落としそうになった。テラスの手すりから木までは少なく見積もってもアリーナの背の二倍以上は距離があるはずだ。しかし、アリーナは、クリフトの唖然とした顔には気付かなかったようだ。 「それからね、途中までするするって降りて、赤い屋根に降りるの！」 屋根に……降りる？ 「それから、屋根を伝って走っていって、隣の緑色の屋根に飛び移るの。それからまた走って、ここの屋根に移るの。そうしたらね、走っていくと丸い窓があいているからそこから入るのよ!!」 「あかり取りの窓から入ったんですか!?」 床までゆうに４メートルはあるはずだが!? 「大丈夫、私はちっちゃいからつっかえたりはしないのよ!!」 伝わってない、伝わってない。クリフトの気持ちは伝わっていない。見習い神官の少年は頭を抱えた。 「どうしたの、クリフト、頭痛いの？」 「だーっ!!何を無茶をしているんですか！怪我でもしたらどうするんです！この間の必殺技の練習で足の指がとんでもない向きに曲がってとっても痛かったのを忘れたんですか。」 「怪我したらクリフトに治してもらうもん。」 「僕の注意を聞かずに姫さまが無茶をして、勝手に怪我しても僕は治しませんよ!!」 一瞬、アリーナの顔が歪んだようだったが、すぐにつーんと澄ましてあさっての方を向いた。 「ここだったら、クリフトでなくってもみーんな治してくれるもん。みーんな回復魔法が使えるもん。」 クリフトはアリーナに向かい合うように椅子を移動させた。そして、神様はアリーナが怪我をすることを望んでいないこと、いくら自信があっても、ちょっとの間違いで命を落とすかもしれないこと、アリーナの父である国王陛下がこれを聞いたらとても心配するだろうということ……そんなことを懇々と話した。するとアリーナは口をへの字に結んだ。 「クリフトが悪いんだから!!」 「え？」 「……クリフトがお引越しして遠くに行っちゃったから、工夫しなけりゃいけないんだから!!」 クリフトは眉を下げた。王女の好意は嬉しいが、やはりこれはやりすぎだ。……というより、距離が離れても、クリフトのところに来るまでの時間は今までよりも縮まってはいないか？考えてみれば、ブライのそばにいたときより、寮に初めて移ったときより、今の方が、アリーナの部屋からの到達時間が短くなっている。 おかしい！ 遠くなるほど近くなるなんて!! 「姫さま」 疲れたようにクリフトは言う。 「僕はこれからずっと勉強を続けますし、卒業をしたらどこかの村に行って神様のことばを伝える仕事をします。いつまでもお城にいるわけじゃありません。やがては聖地への巡礼の旅にも出ようと思っています。」 だから、離れていることにも少しずつ慣れて下さい、とクリフトが言う前にアリーナは言った。 「だったら、私も一緒に行くわ！クリフトは巡礼。私は一緒に行って、悪い魔物をやっつけて歩くの！修行の旅なんて素敵だわ!!」 ああああああああ。 ……いや、アリーナももう少し大きくなればわかってくるはずだ。いつまでも一緒にいるなどということは有り得ないのだということを。 それまでは…… クリフトは棚から石版を取り出すとアリーナの前に差し出した。 「今日はお手紙の書き方を習ったのですよね。僕に書いてみせてくれませんか。」 嬉しそうに石版を受け取るアリーナをクリフトは静かに見守った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「いいわ！来たいのなら勝手に後から付いていらっしゃい。けれど、私は私の行きたい ところに行ってやりたいことをやりますからね！」 壁に蹴りを入れ、大穴を開け部屋から脱出。修行の旅に出たアリーナを追ったブライとクリフトはサランの街でアリーナに追いつき、“一人で行きたい”とぶんむくれるアリーナに無理やりついていくことになった。 「はあ……」 ためいきをつくクリフトの横で、ロバに乗ったブライはくるくると魔道士の杖を回しながら笑う。 「なんじゃなんじゃ。……しけたツラをしおってからに。……ため息ばかりついていると禿げるぞ。」 「いや……お城にいるときには、あまり姫さまの近くにいるな、と大臣の方々にきっつく言われておりましたのに、結局私が陛下の命を受けて供をすることになり、これはいったいどういうどういったことなのかと……」 「嘆くな。わしも、お主も定位置についたまで。」 「定位置？」 「わしは教育係として、お主はそば仕えとして、姫さまのお隣じゃ。隣も隣、べったり隣じゃな。」 「…………」 黙ってしまったクリフトの帽子を、ブライは杖を伸ばしてポカ、と叩いた。 「なんじゃ、その反応は。」 「…………姫さまお一人を旅に出すことはとても心配ですし、御供することはやぶさかではありませんが……しかし、……あの、爺様、冷静になって考えてみますと、朝となく昼となく夜となく、姫様の跳びぬけた天衣無縫ぶりに付き合わされるということはどういうものなのかと。……爺様、どう見ても、姫さまは城内よりも数段パワーアップしていらっしゃいますよ。」 ブライは悠然と微笑んだ。 「運命じゃと思って諦めることじゃな。……お主、神官ならば、わかるじゃろう。神様のたてたご計画には反抗せずにしたがうしかあるまいて。腹をくくれ。腹を。」 「そんな！」 クリフトとアリーナの距離は、開きもしなければ縮まりもしない。出会ったときから、ずっと先まで、クリフトの隣にはアリーナ、アリーナの隣にはクリフト。 ブライの言うように、それが運命なのか？……正直、20歳を過ぎてなお、アリーナのおてんばっぷりに引きずり回されることになろうとは予想もしていなかったのだが。……そう、こんなに苦労をかけられ、ひっかきまわされ、……そして幸せな時間が続くとは思っていなかった。 「どうしたの？ついてくるんならちゃんとついていらっしゃい!!」 随分前を歩き、でも、時々後ろを振り返ってちゃんと二人がついてくるのを確認してくるアリーナに、ブライとクリフトは顔を見合わせ、微笑しあった。 |
| クリフトもブライもアリーナのことが大切。アリーナもクリフトやブライのことが大切。 ……物理的な距離、身分の距離はアリーナが粉砕。うちの姫は頭よりも体が先に動くタイプです。 ……って……やっぱりコレ、恋物語じゃあないじゃないか!!(Xにいくまでにどうにかなるのか!?) |