「……!!」 鬱蒼とした灰色の森の道を進んでいるとき、勇者アレクは殺気を感じた。御者をしているトルネコに合図をし、馬車を止める。 勇者の様子に気付いたライアンは剣を抜き、精神を集中させる。ミネアはパトリシアの横に立ち、手綱をしっかりと持ち、不安げに辺りを窺う。クリフトは勇者の後ろで、「不可視の盾」の呪文を唱えるべく、印を結んだ。 「来た!!」 何かが木々の間から高速で滑空してくる。羽を持った小さな竜だ！似た魔物は以前に見たことがあるが、色が全く違う。滑空してきた小竜は、空を旋回しつつ、キラキラと輝く鋭い氷の小片を吐き出した。アレクは素早く避け、ライアンは盾で氷を払い、接近してきた小竜の羽を薙ごうとしたが、敵はあと少しのところで体を捻って王宮戦士の斬戟を逃れた。 そのとき、馬車の中から、トルネコを押しのけてポーンとアリーナが飛び出した。 「待って！待って！わたしが倒すわ！わたしが倒すわ！」 「姫さま!!危険です！」 有能なそば仕えが、突出したアリーナに向かって、アレクにかけようとしていた「不可視の呪文」をかけようとしたが、アリーナはクリフトの視線すら追いつけない勢いで走りながら右手に愛用の鉄の爪をはめ、旋回して再度襲い掛かってきた小竜に狙いを定める。空中の敵までの高さをしっかりと測ると、だっと走り、思い切り良く踏み切ると、こともあろうにアレクの肩を踏み台にし、ライアンの兜を蹴り、空中高く跳び上がった。 魔物はいきなり自分と同じ高さにまで上がってきた人間に狼狽し、咄嗟に鋭い牙で噛み付こうとしたが、それより早くアリーナの鉄の爪が翼をずたずたに切り裂いていた。飛ぶすべを失い、地上に落ちた小竜は、カッと口を開け、氷の息をアリーナに向かって吐いた……つもりであった。アリーナはにっこり笑うと素早く避けて、小竜の脳天に突きをお見舞いした。 それきり小竜は動かなくなった。 アリーナは一度馬車に戻ると、すぐに鼻歌を歌いながら戻ってきた。手には分厚い帳面が握られている。もう動かない魔物の観察をし、特徴を書きとめ、前のページをパラパラとめくり……目をキラキラと輝かせた。 「やった！やったわ！この種類の魔物を倒すのは初めて!!これで遂に100種類の魔物を倒したのよ!!」 ぎゅーっと帳面を胸に抱きしめ、「やったぁ！」とばかりにぴょんぴょんと飛び跳ねる。トルネコは拍手し、ミネアは苦笑し、一応馬車の中で臨戦態勢に入っていたマーニャは「あー、そうなの、はいはい。よかったわねぇ。」とさして感慨なさそうに言う。と、ブライが魔道士の杖をくるりと回し、赤い宝玉のはめ込まれた柄でアリーナの頭をぽかりと叩いた。 「いったぁーい。」 一度目を閉じ、開けると、ブライが文字通り鼻を突き合わせて立っていた。 「なぁにが100種類達成ですじゃ！爺は姫様をこのようなことで喜ぶようなお方に育てようとは髪の毛の幅ほども思っておりませんでしたぞ！あぁ、お后様が生きていらしたら、どんなにか嘆かれることか……」 アリーナは口を尖らせた。ブライが自分を『おしとやか』に育てたかったのはよくわかっている。しかし、もうすでにこんな風に育ちきってしまったのだし、だったら、少しくらい自分と一緒に喜んでくれたっていいではないか。 口には出さなくとも、アリーナが何を思っているか先刻承知のブライは、ことさら顔を顰め、目を剥いて続けた。 「それに、姫様、昨日、勇者殿と約束いたしましたな？」 「約束？」 「……嘆かわしい。もう忘れてしまわれたのか。魔物が出て、戦闘になったときは、我ら導かれし者一同は勇者殿の命に従って行動すると、そう決めましたな？……ったく。約束した舌の根も乾かぬうちに。姫様はいつから約束破りになられましたのか!!」 お転婆だ、乱暴だ、と言われてもてんで凹まないアリーナであるが、「約束破り」と言われたのは堪えたようだった。アリーナはしゅん、として、アレクの前に行くと深々と頭を下げた。 「御免なさい。アレク。私、アレクとの約束を破ったわ。……100種類目の魔物だ、って思ったら浮かれて考えるよりも体が先に動いてしまって。」 アレクは微笑んだ。 「もういい。でも次からは気をつけてね。いきなりアリーナが飛び出してきて、僕は肝を冷やしたよ。」 ライアンも頷く。 「いくら勝算があったとしても、浮付いた心は隙を作るもの。心めされよ。」 尚も小さな声で御免なさい、と謝るアリーナにアレクは笑いかける。 「そうだね、僕やライアンさんを踏み台にするのはもうこれっきりにして貰える？」 そう言われて初めてアリーナも上を向き、少し笑った。 「確かにねー。」 馬車から降りてきたマーニャがミネアの隣に並んだ。 「お姫サマが暴走しちゃうと、止められる人間がこのパーティーにはいないのよねー。あたしも結構素早いほうだけど、お姫サマには負けるし、もし追いつけたとしても、腕力じゃまけるし。止めるとしたら、勇者ちゃんやライアンの素早さをお爺ちゃんの魔法で上げて貰って捕まえるしかないか……」 すると、ブライが首を振った。 「マーニャ殿。姫様の暴走を止められる人間は確かにおらんかもしれぬ。物理的にはな。」 「何？どういうこと？何が言いたいの、お爺ちゃん。」 息絶えた小竜の傍らにクリフトはしゃがんでいた。そして、アリーナの攻撃で裂かれた翼の根元を手袋を嵌めた手で持ち、叢へとその屍を移した。 「クリフト、何をやっているの？」 「魔物とて、自らの屍を道に晒したくはないでしょう。……埋めてやりたいところですが、私達も先を急ぐ身、それは叶わぬことですから。」 クリフトは屍の方を向き、黙礼し、簡単な祈りの言葉を唱えた。 「あ、あのね、クリフト、その魔物で、私が倒した魔物、100種類になったのよ!!凄いでしょ。」 クリフトは疲れたような微笑を浮かべた。 そして言った。 「姫さまと一緒に喜ぶことができなくて申し訳ございません。……姫さまが100の魔物を倒した、ということは、100の種類の命を天上へと送ったということになります。……姫さまが、それを喜ばれるならば、姫さまに代わって、私が彼らの為に祈ります。……私は神官ですから。」 アリーナは口を尖らせた。 いつだって、クリフトはこうなんだから!!神官は命を大切にする仕事だってことはわかる。私だって命の大切さは知っている積もり。花も、小さな動物も、どんな命だって大切に思ってきた。でも、相手は魔物じゃないの！みんなを傷つけようとして襲ってきた魔物なのよ！私が倒さなかったら、誰かを傷つけたかもしれない凶暴な魔物なのに!! そう、大声でクリフトに向かって言葉をぶつけたかった。でも、それはできなかった。 割り切れない想いがふつふつと沸いてくるけれど、クリフトが間違っているとは思えなかった。 低い、優しい声で祈りを捧げるクリフトの神官衣の裾をアリーナはおずおずと引いた。 「気になさらず。……私には大きな戦う力はありませんから……私は神官です。祈るために私はいるのですよ。」 アリーナは裾を握ったまま首を垂れた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ブライはくるりと魔道士の杖を回す。 「武器を持って試合をしたならば、姫さまと五分に戦えるのは勇者殿かライアン殿くらいじゃろう。しかし……それ以外の時には……姫様との戦闘に勝てるのは、あ奴しかおらんて。」 へーえ、と声を出したマーニャも含め、６人の仲間達は祈るクリフトと、傍で俯くアリーナを見守っていた。 |
本編でも何度か書いている「祈り」の話。長編の「バルザックの最期」と重なっている部分があります。
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