| 志水君の憂鬱 |
「ねえ、香穂子、あれ見て、あそこ。」 天羽に小さく声をかけられて香穂子は教室のドアのところに目をやった。 ちらっと頭が見えるだけだが、あのふんわりとした金髪は音楽科１年、チェロ専攻の志水桂一に間違いない。 香穂子のことを探してこの普通科棟へふらふらぽややん現れることが結構頻繁にあるのだが、今日はそうではないらしい。そもそもこの部屋は香穂子のホームルームではない。今日はたまたま天羽や他の友達と昼ごはんを一緒に食べているため香穂子はこの教室にいるが、本来この教室には志水の知り合いといえば、ピアノ弾きの土浦梁太郎しかいない。 そしてドアに半分隠れるようにして、彼がじいっと見つめているのはまぎれもなくその土浦の姿であったりした。 「・・・・・・あれって・・・・・志水君だよね。」 天羽が確認するかのように言い、香穂子は頷いた。 「うん。でも桂一君、何やっているんだろ？」 志水は、大きな弁当箱から豪快にご飯をかきこみ、サッカー部の連中と昨日のＪリーグの話題に花を咲かせている土浦を、その青い透き通るような瞳で見つめ続け・・・・・・・そしてふうっと息を吐いた。それは体中の空気がそのため息と一緒に出ていってしまうかのような大きく、そして悲しげなもので、志水はその場を離れて起きたばかりの人が歩くような歩調でふらふらと廊下を歩いて去っていった。（いや、ことによったら実際にも起きたばかりかもしれない） 「本当だったんだ・・・・・・志水君が土浦君に注ぐ熱視線！」 天羽が紙パックのジュースのストローを咥えたまま目を見開いて言うと、香穂子もこくこくと頷いた。 「うわぁ！でもどうしてだろ・・・・・・・」 香穂子はちょんちょん、と天羽の肩をつついた。 「ん、あ、悪い悪い、で、何？」 「天羽ちゃん、その熱視線の話なんだけど・・・・」 天羽はぽかん、と香穂子を見ていたが、手をひらひらと振って笑った。 「ああ、心配しないで！報道部の習性で情報収集だけはしちゃうんだけど、記事にしていいことと悪いことの区別はつけてるつもり。報道部の記事には恋愛関係は載せないことにしてるから。」 と自分で言ってから天羽は顔を赤くした。 「・・・・・・あ、あ、あれって恋、なのかな？ま、まさかね。」 香穂子は笑う。 「恋なんてわけないじゃない。・・・・でも、皆が誤解しちゃったら土浦君にとってもも志水君とってもにも迷惑よね。・・・・」 「うーん。つっちーは迷惑するだろうな。・・・・・志水君はどうだか・・・・・何言われてるか把握できないかも・・・・」 「そ、そうかもしれない・・・・とにかくきっと何か理由があるはずよ！・・・・・ね、天羽ちゃん、お願い！どういうことなのか本当の所を探って！報道部の意地と根性で。」 「え？あたしがー!?」 「うん。だって、天羽ちゃんが得意とするところでしょう？」 「んー。で、でも、こういうのは私も初めてかも・・・・」 「駅前のクレープ屋さんのイチゴスペシャル奢ってあげるからｖ」 「・・・・・・・よーし、乗った！」 というわけで天羽の探索は始まったのであった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊ 確かに志水のこの頃の行動はおかしい。天羽が調べれば調べるほど怪しい行動が発覚していった。 昨日は校庭でサッカーのリフティングに挑戦している志水が目撃されていた。（サッカーボールに乗ってしまい、後頭部から倒れ、動かなくなったので心配して何人か駆け寄ったらそのまま昼寝していた） その前は土浦の留守に彼の教室に入ってカバンを持ち上げため息ついていたらしい。 そしてその前は下校する土浦の約十メートル後方から必死で歩いていく姿が目撃された。（コンパスが長い上にアレグロヴィヴァーチェの歩調で歩く土浦のスピードに敵うわけはなく置いていかれたらしい） 「・・・・・・・・・えーと、志水君は・・・・・あ、いたいた。」 放課後、志水はやはり土浦にはりついていた。土浦は月森の練習に伴奏者として付き合っていたのだが、休憩に購買でパンを買いに出てくると、どこからともなく現れた志水もぽやぽやとついて来たのだ。もちろん天羽は気づかれないように尾行している。 土浦はエントランスのベンチに腰掛け、放課後奇跡的に売れ残っていたヤキソバパンを齧りながら牛乳を飲んでいた。 その姿を見つめながらまた志水がはぁぁぁぁぁとため息をつく。 志水の周りの女生徒たちが、志水を指差し、土浦を指差し、強張った笑いを浮かべた。（そして目を爛々と輝かせていた！） 天羽はあちゃあ、と空を向いた。 （もしも・・・・もしもこれが本当に恋ならば、もっと忍んで行動すればいいじゃないの！それをこのぽやぽや君は・・・・・・。） とにかくこのままでは香穂子が危惧していることが起こるのは時間の問題だ。 （ええい、これじゃ埒があかないわ！こういう時には正攻法あるのみよ！） ヤキソバパンを食べ終え、練習室に戻る土浦を志水はため息つきつつ見送った。その背後から天羽は声をかけた。 「志水君！」 「あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ええと・・・・・・・・・・・・ （間） ・・・・・・・・・・・報道部の？」 天羽はこくこく頷いた。 「・・・・・・・・・・・・・天羽・・・・・・・・・さん。」 ここでいらいらしてはいけない。これが志水本来のペースなのである。 「あのね、清水君、ちょっと質問があるんだけれど、いいｖ？」 「・・・・・・・・・・・・好きです。」 ここで驚いてはいけない。続きをきかなければ志水の会話は完結しない。 「・・・・・・天羽さんの声も。・・・・・なんだか元気になれるかんじで・・・・・・」 「うんうん、ありがと。あのね、聞きたいのは、どうしてずっと土浦君を見てるのか、ってことなんだけど。」 志水は、何故そんなことを質問するのかな、というようにちょっと首を傾げた。 「あ、香穂子もね、どうしてなのか気になってるみたいで。」 「こう先輩が・・・・・・・？・・・・・・・・あの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土浦先輩はまっすぐなんです。」 「は？まっすぐ・・・・・？」 「・・・・・・・・・火原先輩もまっすぐでしたが、土浦先輩は凄いんです。・・・・・・・・・・・とってもまっすぐなんです。・・・・・・・・・僕も・・・・・・・・あんな風にまっすぐに・・・・・・・・・なりたいな・・・・・・・・・・背がすらっと高くて・・・・・・・・がっちりしてて・・・・・でも・・・・・・・・僕は駄目なんです・・・・・」 目を点にした天羽を残して志水は去って行った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「香穂子！もう駄目！志水君、もうあっちの世界に行っちゃって私たちじゃ手が届かなくなっちゃったらしいわ!!う・・・・・・・・・こんなことってゲームや小説の中だけで起こることかと思ってたのに!!!ショック!!」 落ち着いて、落ち着いて、と背をさする香穂子の前で天羽は錯乱状態寸前であった。と、そこに土浦と志水が連れ立って歩いてきた。 「うわッ！」 驚く天羽に土浦の方が驚いた。 「何だよ、天羽。俺の顔がそんなに怖いか？」 ぶんぶんと首を振る天羽の傍らから香穂子が土浦に声をかける。 「土浦君。志水君と何を話してたの？」 「ん？ああ。ちょっとこいつの相談に乗ってた。」 土浦は志水の方を向いて笑った。天羽がまた真っ赤になる。 「いや、そんなに深刻なことでもないんだが、こいつにとっては大切なことなんだ。」 土浦が目で促すと志水はぽつんぽつんと話し出した。 「チェロが・・・・・・・重いんです。」 「はぁ？」 天羽の声には反応せず志水は続けた。 「・・・・・・・毎日頑張って背負ってるんですけど、やっぱり重いんです。・・・・・・・・中学の時から今に慣れるって言われていたんですが・・・・・・・・・・・高校になっても重くて・・・・・・背負っている方の肩が高くなったり、逆に低くなったり・・・・・・まっすぐ歩く ことができないんです。 土浦先輩は凄いんです。・・・・・・・・・あんなに重たいカバンを持っても肩が上がったり下がったりしないでまっすぐ歩くんです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 火原先輩もまっすぐでしたけど、火原先輩のカバンは土浦先輩のに比べてなんだかずっと軽かったんです …………何故かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あ、そう。それで、もう少し背が伸びてくれないと、チェロ、ときどき引きずるんです。だからどうやったら背がのびるのか知りたくて・・・・・土浦先輩くらい背が高くなりたくて・・・・・・」 「なーんか、少し前から俺のまわりをうろちょろしてるなー、と不思議に思ってたらそういうことだったってわけだ。」 「・・・・・・・・・・でも、土浦先輩みたいにサッカーできないですし、歩くのも遅いですし、あんなに沢山お昼を食べられないですし、まして放課後にパンまで食べられないですし・・・・・」 「志水、気にすんなって。ま、牛乳沢山飲んで、適度な運動することくらいは心掛けたらいいが、お前はまだ高一だろ。なんにしてもこれから背が伸びて筋肉もついてくるんだからな。俺の真似なんてしなくていい。黙ってても今にチェロに振り回されなくなるさ。」 土浦は清水の髪にポンと手を置いた。天羽はなーんだ、という顔をし、香穂子はにっこり笑っている。 志水もにっこりした。 「そうですかー。・・・・・・・・焦ったらいけないんですね。・・・・・高２になったら僕も背が伸びてがっちりして・・・・・・・・・・・・・・・ お姫さまだっこだってできるようになれるかもしれませんね ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ えーと・・・・・・・・・・・・・何の話でしたっけ。あ、牛乳ですよね。帰りにさっそく買って帰ります。土浦先輩。有難うございました。」 志水はペコリ、と一度土浦に向かって頭を下げるとチェロを背負い帰っていった。・・・・・・なるほど、まっすぐには歩いていない。 しかし・・・・・・ 「何だ？あの『お姫さまだっこ』ってのは？」 「さあ？何かしら？」 「うーん、やってみたいんじゃないのかな・・・・？」 「・・・・・・・・無理がある気がするが。奴が誰かをお姫さまだっこするより、奴をお姫さまだっこする方がずっと楽だ。・・・・・・・・・・な、なんて顔してるんだよ！俺はそういう趣味はないぞ！抱き上げるんなら男より女の子の方が・・・・・・・!!!って・・・・・・・！忘れろ！今俺が言ったことは全て忘れてくれ！」 土浦はダッシュして消えた・・・・・・・・ふらふら歩いていた志水は瞬時に追い抜かれていった。 「ま、誤解はとけたわけだ！でも・・・・・志水君にドレス着せてお姫様になってもらって土浦君が王子様って構図、なかなかイケルかも！」 「え？・・・・・・・・・・・やだ！似合うかも！」 天羽と香穂子は顔を見合わせて笑った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ そして１年後・・・・・・・ 志水は相変わらずチェロに振り回されているという。 （志水君の憂鬱 おわり） |