| 年輪 |
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アーデルハイドの大通りを、華奢な娘が一人走っていく。地味なカーキ色のマントはすっかりくたびれた様子だが、軽やかに足を踏み出す彼女の動きに翻った裾から覗いた柔らかなクリーム色のドレスは極上の絹だ。町の人々は彼女の姿を目にしてゆったりと微笑む。走っているのはこの国の皇女。彼女はお忍びのつもりなのだが、町の者で正体を知らぬものはない。そして、彼女がどこへ向かって走っているのか知らぬ者もいない。 ああ、あの渡り鳥達が帰ってきたんだね、そうよ、私、さっき宿屋の前でみかけたわ、と顔を見合わせ嬉しそうに噂話に興じる。 人々が会釈をすると娘も律儀に会釈をするが、足は止まらない。止めようとしても止まらないのだ。ああ、もう何ヶ月ぶりでしょうか、今度はどこに行ってきたのかしら、どんな話を聞かせてくれるのでしょう。沢山の聞きたいことと、沢山の聞いてもらいたいことが、セシリアの頭の中でぐるぐると回転し、このまま放っておいたらポン、と音をたてて爆発してしまいそうだ。宿屋の玄関へ続く５段の階段を一段抜かしで駆け上がり、大きな扉をぐいと引いてあけると、宿屋の主の愛想のいい丸顔が彼女を出迎えた。 「あ、あのこちらに泊まっている方からお手紙をいただいて来たのですが・・・」 不安げに目で宿屋の中を見回す。時間に間違いはない。新たに作られた教会の鐘がごぉんごぉんと今も鳴り響いている。“宿屋の食堂で待っている”手紙には確かにそう書いてあったのに。 部屋で休んでいるのかしら、それとも何か急な用事が…？ 少し肩を落としたセシリアの両側から、すいっと手が伸びてきて、彼女の肩を叩いた。びっくりして顔を上げると、右には黄土色の長いコートを着、にやっと笑った長身の渡り鳥が、左には頭を掻きながら済まなさそうにしている青い髪の優しげな青年が居た。 「ザックさん！ロディ！」 と、足元にいた空色のカゼネズミがえへん、と咳払いした。 「まったくさぁ、ザックってば子供っぽいんだから。扉の両脇にはりついてセシリアをびっくりさせようなんて考えるなんて、大人のすることじゃないよ。」 「何を理屈捏ねてるんだ。毎回毎回同じように出迎えちゃ面白味がないだろうが？…おい、姫さん、どうした？」 セシリアは俯き、手で目のあたりを拭っていた。 「おいおい、そんなにビックリしたのかよ？泣くほどのことじゃあるまい？」 と、セシリアは勢いよく顔をあげ、ザックの胸をどんどんと拳で叩いた。 「泣くほどのことですッ！私、私……何かがあって、会えなくなってしまったと思って……私にとっては十分に泣くほどのことなんですッ！」 と、うしろからロディが、ごめん、といい頭を下げた。 「あ、あやまらないで下さい。」 「だって、セシリア、まだ泣いているし……」 「……びっくりした涙はおしまいです。これはまた会えて嬉しい涙ですから。」 そして、二人の腕を引き寄せて抱きしめてきたので、今度は男たちが慌てる方だった。こうして城の外で会うときは、この皇女様は昔とちっとも変わらない。あれから何年もの年月が経ち、彼女が国政に深く関わるようになり、また、国民たちが一向に婿を迎えようとしない皇女にやきもきしようと彼女の本質は変わることがなかった。 「さあ、座って下さい。今日は私がおごりますから！」 王宮での晩餐会より遥かに楽しい夕食が始まろうとしていた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「でだ、その部屋の奥に隠し部屋を発見した俺は…」 「発見したっていっても、実はトラップにひっかかってそこに転送されちゃったんだけどね。戻り方がわかんないもんだから、おいらが休止してたコンピュータを復活させて別ルートを割り出して近くまで行ってロディがARMで壁を壊してくれなかったら、ザックはあの部屋で骨になってたよ。ね、ロディ。」 「……俺たちの仕事は結果オーライだろうが！それにあの部屋に行けなかったら、遺跡の調査はいつまでたっても終わらなかったぞ！そうしたらあのエマ博士にどんだけキリキリ締め上げられたか。」 嵐のように喋り続けるザックとハンペンの横でロディはときどき合いの手を入れ、セシリアはじっと耳を傾けていた。 「……それにしたって、腕利きのトレジャーハンターを自称するならもっと慎重になんなきゃ。いい加減イイ年なんだからさ。」 「おいおい、お前のような400歳を越える年寄りと俺を一緒にするなよ。俺はまだまだこれからだ！」 「ふ〜ん。にしちゃ、この頃目尻の皺がとみに目立つようになってきたけど？」 「？……目尻の皺？なんだ、それ。」 「ああ、ザックは鏡なんて見ないもんね。セシリア、鏡持ってる？」 皇女が手鏡を差し出すとハンペンは鏡を抱きかかえテーブルの上に斜めに立てた。 「ホラ、これ見て。そしてさ、に〜って笑ってごらんよ。に〜ってさ。」 ザックはいわれるままに目を細め…そして“うッ”と押し殺したような声をあげた。 「ほらほらほらほら、実に見事な笑い皺だよね！数も深さも申し分ないだろ！これこそ笑い皺って誰もが太鼓判を押すような典型的な笑い皺だ！」 ザックは呆然としていたが、弾かれたように反撃に出た。 「……うるせぇ！笑い皺なんてのはな、渡り鳥だったら誰でもあるんだよ。荒野を歩いて、砂嵐に吹きまくられ、カンカン照りの太陽に晒されりゃ、若くったって皺は出来る。言わば渡り鳥の勲章みてぇなもんだ。」 「……今まで認識してなかっただけにショックが大きかったみたいだね、ザック。」 「……だ、か、ら、この皺はトシのせいじゃないと言ってるだろうが！」 「ザックさん、私はザックさんの皺、好きですよ？なんだか年輪、っていう感じで素敵です。」 ザックはテーブルに突っ伏した。 「姫さん……それはフォローになっていねぇぜ。……太陽にあたると皺になるってのは事実なんだぜ。」 「あはは、だったらさ、ロディだってザックと同じように太陽にあたってるんだから皺ができてもおかしくないじゃないか。やっぱり若さ、若さだよ。」 と、微笑んでいるロディの顔をじっと見たセシリアがあら、と目を見張った。 「ザックさんのいうこと、本当です。ロディにもほんの幽かですけれど、笑い皺、あります。」 ハンペンとザックがそれこそ食いつくようにロディの顔を見る。確かに…ほんの僅かだけれど、目尻に皺があった。 見つめられたロディは“本当？”と尋ねた。二人と一匹にこくこくと頷かれると……にっこりと笑った。 「そうなんだ。俺、皺ができたんだね。とっても嬉しいや。」 二人と一匹は顔を見合わせ、叫んだ。 「「「嬉しい」」」「ってどういうことだよ」「ってどういう意味なのさ」「って何故なんですか」 三人の前でロディは目を細めた。本当に幽かな笑い皺がまた現れる。 「だって、それは俺が皆と共に老いていって、同じ時間を生きられるってことだから。」 セシリアははっとした。ロディはホムンクルス……人の手によって生み出された戦闘用の人工生命体だ。現在、彼以外にこの世界にホムンクルスは存在せず、過去の大戦のときに稼動していたホムンクルス達は、彼らに老いが来るのかを誰も確かめる以前に、戦の中ですべて破壊されていった。 ホムンクルスの寿命も、年を経たあとの外見の変化も、ロディ自身にも何もわからないのだ。しかし、皺ができた…それは、まぎれもなく、彼に単なる成長ではなく“老化”が起きることを示している。そう、ヒトと同じく、彼も老いるのだ。 「俺も、年をとるんだね。……俺も、ザックやセシリアと同じ時間を生きていけるんだね。……俺……だから……」 少し無言の時間が流れた。と、元気よくハンペンが言った。 「そっか。おいら、ロディとずっと一緒にいられるかもと思ってたんだけどな。ちょっと残念。」 ザックは目を細くし、セシリアとロディは逆に目を見開いた。ほとんど無限に近い寿命を持つカゼネズミは、人間とは全く違う時間軸の上で生きている。ザックも、セシリアも、……そしてロディもハンペンをこの世界に残して死んでいくのだ。ハンペンは一人残されるのだ。 「ハンペン……さん。」 セシリアの細い指がハンペンの毛皮に触れた。皇女の体温を仄かに感じながらハンペンは笑う。 「嫌だな、湿っぽくならないでよ！おいら、もう400年生きてるんだ。そこらへんのことはとっくに覚悟したり、気持ちの整理をつけたりしてるってば！ヒトより長く生きられるってのは、楽しみだったりするんだよ？考えてご覧よ。おいらは皆の人生の何回分にもあたる月日を生きるんだ。だから、皆の出会う何倍もの人に出会うんだよ。これまでも出会ってきたし、これからも沢山の人に出会うのさ。そしたらさ、おいら、その人達に話すんだ。弱虫のかっこつけしいのトレジャーハンターのこととか、ヤキソバ五皿をペロリとたいらげちゃうとんでもない女の子のこととかさ！あ、怒らないでよ！最後に大切なものを大切な人に返すことのできたとっても勇敢な騎士サマの話とか、涙の欠片を手にして運命に立ち向かった皇女サマの話とか、どんな人間よりも優しいホムンクルスの話とかさ。おいらがそういった話をするだろ。そしたら、皆が聞いてくるんだ。そんなことが本当にあったのか、よく出来た作り話じゃないのか、って。そしたら、おいらは胸をどん、と叩いてそっくり返って言うのさ。」 ハンペンは実際に小さな体をテーブルの上でそらせてみせた。 「『嘘じゃないさ！だっておいらはその人たちをこの目で見たんだからさ！』ってね！ そういうことを話すには、当事者がこの世に居ないほうが何かと気楽だしね。ザックが傍にいたんじゃ、ザックの馬鹿な話とかザックの情けない話とかザックの意気地なしな話とか自由にできないじゃない？」 と、ザックが手を伸ばし、ハンペンの身体を後ろから掴んだ。 「このげっ歯類が！一体俺の何を後世に伝えようとしてやがるんだ！第一、お前が俺達より長生きする保障はどこにもないんだぞ。……例えば今ここで俺がお前をネズミ鍋にして食っちまったらお前のとんでもない将来計画もご破算だ!!」 尻尾をつまんでぶーらぶらとハンペンを振り回すザックにハンペンはにいっと笑う。 「そうそう、そういうことだから、セシリアもロディも落ち込まないでよ。」 勢いをつけて身体を振り、ザックの手から抜け出すと、ハンペンはきゅっとヒゲをしごいてピンとさせた。 「ねえ、ロディ。ロディは長生きするかもしれないって思ったとき、何が悲しかったの？」 青年は言った。おそらく一人になることが悲しかったのだ、皆に死なれてしまうことが寂しかったのだ、と。 セシリアが首を振った。 「……ロディ。人にはそれぞれ与えられた寿命があります。また、事故や病気で寿命をまっとうしないうちに死ぬこともあります。……先に逝く人があり、残される人もあります。……でも、それでも人は生きていきますし、一人きりになってしまうことはありません。私も……父が亡くなった時、世界が終わってしまった気持ちになりました。一人きりになったように思えました。でも……ロディ、今、私は一人ぽっちでしょうか。私の周りには家族にあたる人は誰もいないのでしょうか。」 「ああ、そうだそうだ。それにロディ、お前は、死んじまった奴がこの世界から完全に消えちまうんじゃねえことを先刻承知のはずじゃねえか。……」 ロディははっとした。そうか、そうだ。……自分の祖父、偉大なるアームマイスターの面影を頭に浮かべ、青年はひとつ頷いた。 「とにかくさ、皆長生きしてよね！皆が長生きしてくれればくれるほど、おいら、将来話すネタが増えるし……やっぱし、一緒にいられる時間が長いほうが断然嬉しいから」 ああ、そうだな。そうですね。そうだね、と三人は頷き合った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「……それでさ、“いかにも怪しいです”ってオーラを発している光った床をどーんと踏んじゃってさ、どっかに転送されちまって。おいらさ、さすがに見限ろうと思ったんだけど、同行してた仲間が実に優しい奴でさ、助けに行こうっていうからしぶしぶおいらの脳細胞を論理的に働かせてさ……全く毎度毎度やんなっちゃってたよ。」 水の都ミラーマの酒場、テーブルの上で客に熱弁をふるうカゼネズミの話を客達は笑いながら聞いていた。 「はっはっは！随分とハンペンの話を聞いてきたが、おまえさんの相棒って奴は、とんでもなく間抜けな奴だったんだな！」 「だろ、だろ？だろ？」 「ああ、それでよく渡り鳥が務まったもんだぜ!!ネタの宝庫みたいな奴だな。お笑い系のトレジャーハンターってのは珍しいな！」 「ほんとにさ、あんな男、もう二度とお目にかからないと思うよ？ある意味ある種のお茶の間アイドルに匹敵する破壊力だ。」 「そいつの間抜け面、拝めるものなら拝んでみたかったぜ。」 と、客の前にたたきつけられるようにしてジョッキが置かれた。 「……ハンペン、てめぇ、おおっぴらにそういう話をするのは俺が死んでからにしろ！」 「いやいや、こうしてザックが怒る様子を見て楽しむのも面白いよね、なんて思ってさ」 「食う！絶対に食う！今日こそお前を食ってやる！」 中年となり、以前にも増して顔に皺が目立ってきたザックと、相変わらずくりくりとした青い毛皮のハンペンの不毛な応酬を前にして、ロディとセシリアは笑った。二人の目尻には笑い皺。 三人と一匹はまだしばらく共に歳を重ねていく。 |
| WA突発短編。といいつつ２年くらい前から暖めていたものです。ハンペンにしてもマリエルにしても、ゼットにしても、人間よりずっと長い寿命をもっているわけですが、ロディは自分がどのくらい生きるのかわからないですし、100年以上生きているわけでもなく、いろいろ不安でしょう。 ハンペンはきっと400年以上の人生で、ロディが感じていた不安は既に乗り越えているでしょう。そして生きる時間の長さとは関わり無く、すべての生き物が生きていることに肯定的意味を見出していると思います。 ３人＋１匹の20年後というのはちょっと想像ができませんが、健在であって欲しい。そして、やはり渡り鳥を続けていて欲しい…ジェーン＆マクダレンと並んで伝説の渡り鳥チームになるといいなあ。もちろん、マクダレンさんも現役で…（む、無理??） 外で働く人には皺が多い気がしますが、実にいい顔の方が多いですよね。ザックにはそういう皺をたくさん刻んで欲しいです。（ロディとセシリアは…それなりに…） |
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