いつまでも一緒

　盛夏を過ぎたのは、風でわかった。

　ファルガイアの荒野を吹く風は、熱風から涼しさを含んだものに変わり、風向きも変わった。それは、セシリアが避暑という名に隠れての、二人と一匹の渡り鳥の仲間達との旅からアーデルハイト王宮へ帰還する季節になったことを意味していた。

　セシリアは、その夏の旅の始まりから、いつもとは少し違っていた。人々への被害がない、ということで放置してあった、砂漠に潜む古のゴーレムの脅威を排除しましょう、と自分から持ちかけたり(そして、彼らは勝利した)、コートセイムに足を伸ばして、ジェーンの実家である孤児院を訪ね、子供たちと終日遊んでみたり、ミラーマでは、エルミナの勤める料理屋で、主人に頼み込んで、自ら焼きソバをつくって、仲間に振舞ったりした。野宿のときにも、城でじっとしている間にいろいろ考えたのだ、と言って、限られた食材でいろいろな料理を作ったりもした。

　アーデルハイトはもう目前だった。野宿をしていて、王都の方角はすぐわかった。街の発する灯り……漆黒の闇の中で、その光は弱く、だが、しっかりと街の存在を彼らに示していた。明日には城下町に到着できるだろう。
　いつの旅でも、最後の夜はセシリアは少し感傷的になる。冬に会うまでお別れですね。元気でいてくれなければ嫌ですよ。困ったことがあったらすぐに知らせて下さいね、などと、少し眉を下げ、ロディとザックとハンペンの顔を代わる代わる見ながら言う。……しかし、今夜は違った。セシリアはとても機嫌よく、鼻歌さえ歌いながら夕食の片づけをし、今度の旅はとても楽しかった。とてもいい思い出ができました、などと言い、笑顔で星空を見上げるのだった。

　それが、普通でないことは、付き合いの長い二人と一匹にとっては明らかなことだった。膝をたてて座り、空を見るセシリアの膝の上に、空色毛皮のカゼネズミは駆け上がった。

　「セシリア。あのさ、言いたい事があるなら、どーんと言っちゃいなよ。」

　え？と皇女は目を見開き、後頭部への軽い打撃に驚いて振り向いた。そこには、手を伸ばせば届く距離にザックとロディが座っていた。ザックは先程セシリアの頭を小突いた姿勢のまま、多少呆れた表情をし、ロディは心底心配そうだ。

　「あ、あの、私に言いたいことがあるって、どうして、そう思うんですか。」

　二人と一匹ははあ、とため息をつく。

　「どうしても何も、姫さんはわかりやすすぎるんだよ。ダダ漏れってのに近いぜ。」

　「だ、ダダ漏れ、ですか？」

　ロディの方を向けば、ホムンクルスの少年……を経て、今や立派な青年であるロディも頷いた。

　「セシリアが嫌じゃなければ、言って。……俺達ができること、あるかもしれない。」

　「要約するとだね……

　まだ膝の上に陣取っているカゼネズミは、ひげをピン、と引っ張って頷いた。

　「二人とも、……おいらもだけど、セシリアとは付き合いが長いからさ、わかっちゃうんだよ。なーんかおかしいって。話し方とか、身振りとか……ほらさ、今も左手で髪の毛触ってるよね。それは、何か悩み事がある印だ。うん、おいらとロディは外側から見えてる通りに心配してるし、、ザックだって、外側から見えるとこから考えるのの100倍くらいは心配してる。……話しちゃったらどう？知性派を自認する齢400才の亜精霊であるおいらに言わせて貰えば、言って後悔するより、言わずに後悔する方が、人間って奴は多いものだよ。」

　セシリアは、また、二人と一匹を代わる代わる見た。ハンペンはピン、とひげを引っ張ってうんうんと頷き、ロディはゆっくり一度頷き、ザックはそっぽを向きつつ、目で話すよう促した。

　セシリアは、しばらく考えているようだったが、うん、と自分を促すように頷くと、つとめて明るい声で言った。

　「多分、私、これが、最後の旅になるんです。」

　二人と一匹は黙っていた。それは、いつかはやってくる時であった。セシリアはアーデルハイトの唯一の公女であり、人と守護獣を繋ぐ力を秘めた『涙のかけら』の継承者である。ザックたち定宿を持たない渡り鳥と違い、彼女が暮らす場所は本来王宮の中なのだ。しかし、旅している間、彼らはそれを無限遠の未来に起こることとして、自分達を誤魔化してきたのだ。少なくとも、こんなにも早くそのときがやってくるとは思っていなかった。

　随分長い沈黙があってから、ザックが口を開いた。

　「最後の旅だと？……まあ、姫さんが抜ければ、旅の食費は随分少なくて済むが……穏やかじゃあねえなあ。一体何があったんだよ。」

　「今度の旅の始まるとき、ヨハンおじ様が、おっしゃったんです。今度私が帰ってきたときには、お婿さんを用意しておくって。」

　ロディは琥珀色の瞳を見開き、ザックはばりばりと髪をかきむしった。

　「なんだぁ？……んなもん、嫌なら、魔法の一発でもおみまいすればいいじぇねえか？……姫さん、あんた、前に俺に魔法かましてくれたことあっただろうが、ああいう悪質な歓迎をしてやりゃあ、どんな奴でも逃げ出すだろうぜ。」

　「魔法はそんなことに使うものではありません！」

　セシリアは怒ったように眉を吊り上げる。

　「じゃあ、何で、俺に魔法かました！」

　「アレは、ザックが悪かったのではないですか！」

　「おいおいおい、人が心配してやってるのに、真面目な顔で怒るなよ！」

　「そういうことではないんです！私は嫌というわけではないのですから！」

　「あー、そうかいそうかい、嫌というわけじゃ……」

　ん？

　「おい！？姫さん、あんた、嫁に行きたいってのか！？ま、まあ、そうだな、あんたもまあ、二十歳を過ぎて随分になるからな、だが、俺にいわせりゃ、女の魅力ってぇのは、もう少し年がいってからで……」

　「はあ！？私、お嫁に行きたいなどとは言っていません。嫌ではない、と言ったのです。……………………これから先、ずっと先のことを考えたら、私も家族が欲しいと思います。母が父に出会い、そして、私が生まれ……そんな家族が欲しいと思います。そして、ヨハンおじ様は、政略などということを考えていらっしゃらないことを私は信じています。ヨハンおじ様の眼鏡にかなった方ならば、きっといい方のはず。まだ、会ってもいないうちからこういうのは変ですが、きっと私も好きになるのではないかと思うのです。でも……」

　一度、セシリアの膝から降りたハンペンが、セシリアの肩に乗った。

　「ありがとう、ハンペン。大丈夫です。一人でちゃんと言えますから。………………でも、とても変な感じがして…………私、ロディや、ザックや、ハンペンと何年もの間、旅をしてきました。一緒に泣いて、笑って、喧嘩して……私なりに、ですが、皆さんのことをよく知っているつもりです。そして、私のことも知って貰っていると思います。大食いだったり、ちょっと意気地なしだったり、逆に時として強気になったり…………『公女』としての私のことを知っている人でも、そんなことは……素の私のことは、知らないんです。………………そんなに私のことを知っていて、私も知っている人から離れて、何も知らない人と結婚するというのは、どういうことなのか、と。…………きっと優しい人でしょう。きっと私のことを理解してくれるでしょう。でも、私を皆さんとの旅に送り出してくれるとは思えない。…………世間一般ではそれはあたりまえなのでしょうね。結婚した女性が、夫を置いて渡り鳥の仲間と旅に出るなんておかしいのですよね。……でも、私にはそれが辛い。だって、私は……ハンペンのことも、ザックのことも、ロディのことも、大好きなのですもの……」

　セシリアの考えはどこかおかしい。そう言うのは容易かったが、どこがどうおかしいのかは彼らの誰にも指摘できなかった。なぜなら、彼らの誰もがその『おかしな考え』を心の内に秘めていたからだ。

　「セシリアがさ、」

　ハンペンが口を開く。

　「納得できるなら、そうすりゃいい。じゃなけりゃ、魔法をうつのは過激すぎるけど、駄々捏ねればいい。」

　「ああ、助っ人くらいはしてやるぜ？」

　と、それまで黙っていたロディが寂しそうに微笑んだ。

　「でも、セシリアは、逃げようとは思わないんだよね？」

　セシリアは頷く。

　「だったら……今、俺たちにできることはないかな。」

　セシリアはまた空を見る。

　「……皆で星を見たいです。……いつだかの時と同じように、三人で毛布にくるまって。」

　「ん、ああ、アレか。姫さんが、泣きそうになっていた……」

　「違います。ザックが一人で黄昏ていたときに……」

　「俺が火の番してて、寒くて震えてたときじゃなかったっけ？」

　三人が三人とも違ったことを言い、ハンペンがセシリアの肩からうんと身を乗り出して真実を告げる。

　「ああ、全部アタリだよ。……今までの旅で、そういうこと全部あったよ。他のときもいっぱい……皆で、並んで、星を見ていたよ。」

　しょうがねえな、というように、ザックが毛布を自分の肩にかけて座ると、右にセシリア、左にロディが体をつけて座る。これが子供二人を無理なくくるむための定位置だったが、ロディの背がザックに迫った今も、その位置は変わらない。ファルガイアの夜は初秋でも肌寒い。三人は身を寄せ合う。

　「こうして黙って観て居りゃいいのか。」

　ダメだね、ザックは。こういうときには、なんということもない世間話をするのがベストだ。とハンペンがさもわかったように言い、一同は笑った。


　そうか、これが、俺たちの最後の旅か。ザックは、セシリアを見る。最初はこんなに長く旅をするなどと思ってもいず、また、王族というだけで随分辛くあたってしまったが、こうして傍にいることが当たり前になっていた。……一人だけで旅をしていて、まずハンペンと出会い、そして、ロディとセシリアが加わり……きっと三人と一匹の旅は、出会ったことそのもののがファルガイアの奇跡の一つなのだろう。奇跡は永くは続かない。そもそも、公女サマと渡り鳥風情が肩を並べているだけでもおかしな話なのだ。埃だらけの荒野を歩き、モンスター達を討伐し、時には便利屋として少々情けない仕事も請け負い……それをセシリアの『日常』とさせてしまったことが間違いだったのだ。……魔族の侵攻を退けたとき、城から抜け出し、セシリアが自分達を追ってきたとき、追い返すべきだったのだ。そうすれば、王都で一年に一度くらい会って話をするくらいで、こんな思いをさせずに済んだのだ。保護者失格だな……保護者？いつの間に俺はこの姫さんの保護者になったんだ。そんな性格じゃあないだろうが。


　三人は出会ったときの話をした。旅をしているときの話をした。今の話をした。ザックは二人の肩を抱き、セシリアの右手とロディの左手は、ザックの膝の上でしっかりと組み合わされていた。明け方、いくつかの流れ星が流れるのを観たとき、ロディは目を閉じて祈った。何を願ったんだ、というザックに、セシリアの幸せ、と答え、セシリアが泣き出して、ロディが指でその涙を拭い、ザックが二人まとめて抱き寄せた。





　翌日、三人と一匹は、アーデルハイトに到着した。城下町の宿屋兼料理屋で昼食をとったセシリアは、立ち上がり、別れを告げるときに、微笑んでいた。旅はできなくなるかもしれませんが、会えなくなるわけではありませんから。アーデルハイトに寄ったなら、必ず連絡を下さいね。私の魔法が必要なときには特に。そんなときには、おじ様の制止を振り切ってでも駆けつけます、と。
　セシリアが去ってから、セシリアのことも、ザックやロディのことも知っている宿屋の主人は、どうしたのかね、とザックに尋ねた。ザックがところどころ伏せながら説明すると、主人にはそれで通じたようだった。

　「あんたたちのどっちかがかっさらっちまったらいいんじゃないのかねえ。」

　「そーもいかねえだろうが。」

　かっさらう？とロディが首を傾げると、ハンペンは、ま、ザックにはそんな甲斐性ないからさ。エルミナにだってなーんにも告白していないんだしさ、と嘯いて、この、げっ歯類め、今日こそネズミ鍋にしちまうぞ、とザックに尻尾を掴まれて振り回された。




　宿に部屋を取り、夕食を食べ終わってから、ロディは外出してくる、とザックに告げた。

　「どうした？宵市にでも行くのか？」

　「うん。宵市にも行く。それから、ちょっとセシリアに会ってくる。」

　「……まさか、かっさらったりしないよな？俺はアーデルハイト騎士団と一戦交える気はないぞ？」

　「そんなことしないよ。……とにかく、いろいろともやもやしていて嫌なんだ。きちんと話して……そしたら気が済むから。」

　俺が一緒でないほうがいいんだな、と言うとロディは頷き、ああ、じゃあ、気をつけて行け、とザックはベッドにゴロンと横になったが、ハンペンをロディにつけることは怠らなかった。そのハンペンはしばらくして一人で帰ってきた。齢400歳のカゼネズミは、宵市で買い物をするところまで付き合ったけれど、おいらも疲れていたからね、明日、ロディに聞くといい、と、いろいろ追求するザックの枕元で丸くなって眠ってしまった。




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　鎧戸を開けると、朝日が公女の部屋に差し込んできた。まだ寝間着を着ているセシリアは、室内を振り返る。そこではロディが身支度をしていた。素早くブーツを履いたロディは、セシリアに並び、窓枠に手をかけた。

　「セシリア…………次の旅のときに……いつも通り、俺とザックとハンペンで待っているから。」

　「ええ。いつも通りに。」

　セシリアは左手をあげた。薬指には指輪が嵌っている。

　「あの、ロディ！」

　今にも窓から飛び出そうとしているロディの肩にセシリアは触れ、頬を染める。それが意図するところをホムンクルスの青年は汲み取って、こちらを向くと、公女を左腕で強く抱き寄せ、右手で長くのびた金の髪を優しく撫でながら唇をそっと重ねた。

　「いってくるね。」

　「いってらっしゃい！」

　ロディは窓枠から無造作に空中に身を躍らせ、見事になんなく着地すると大きく窓に向かって手を振った。窓から公女は手を振り返した。……城を見張る衛兵は、彼の姿を視界に捉えていたが、咎めはしなかった。……セシリアのおじであるヨハン公より、『いつもの渡り鳥の青年』がここにくるかもしれないということを伝達されており、黙認するよう命令されていたのだ。ヨハンは兵達に命令するときに笑っていたという。セシリアに、次に帰ってくるときに用意をしておくことを約束したのだ、と。



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　ロディが朝になって戻ってきたとき、ザックはニヤニヤ笑いをしていた。

　「で、どうだった。首尾は。うまくできたのか。」

　「うまく……かどうかわからないけれど、言いたいことは言えた。セシリアは次も一緒に旅ができるようになったよ。」

　ザックは訝る。ロディは多少頬が紅潮してはいるけれど、一気に大人の階段を上った風でもない。

　「お前なあ、姫さんに何言って何をした。」

　「…………セシリアが誰かと結婚しなければいけないのなら、俺と結婚したらどうかな、って。…………俺、昨日まで考えたことがなかったけれど、セシリアとずっと一緒にいられるのならば、結婚することも全然嫌じゃない、って思って。」

　ザックがロディの胸倉を掴んだ。

　「おいおいおいおいおいおい、そりゃ、壊滅的に何か違うだろう!?」

　「え？どこかおかしかった？セシリアは同意してくれたんだけれど。」

　「どどどど、どういう同意だ。」

　「『そうですね』って。だから、俺、宵市で買った指輪を贈って、……結婚したんだ。」

　「……一応聞いておくが、お前の言う結婚の中身ってどういうことなんだ。」

　「え……だから……指輪を贈って」

　「そこはもういい。」

　「……大好きだって言って、キスして……それからいろいろ話をしたよ。本当に色々。…………それくらいかな。……何か足りなかった？間違っているかい。」

　ザックは目を手で覆う。

　(…………………………同情するぜ、姫さん…………すまん、あっちの方の教育を怠ってた俺にも責任はある。)

　「ザック……俺がしたことが、何かおかしかったのなら、言って。場合によっては謝りにいかないと。」

　ザックは二三度ぶるぶると頭を振ったが、最後には笑った。

　「いーや、何にもおかしくねえや。少なくとも俺たち的にはな。」

　ハンペンがロディの肩に飛び乗って、ま、これからおいらが微に入り細に入り伝授してあげるから、次の旅のときに実践してごらん、と偉そうにいい放ち、バカやろう、姫さんはメスのげっ歯類じゃあねえんだ、こいつには俺が基礎から教え込んでやるとザックが怒鳴る。ロディは不思議そうに二人の言い合いを聞きつつ、自分の指に嵌った指輪にキスをした。
いつかは書く、と決めていたWA話です。非常に妙な風合いの話なのですが、当初からこんな雰囲気にすることは決めていました。結婚とか恋愛とか、そういったものとは違う形の絆や愛情があってもいいな、逆に、３人＋１匹の場合、そういう形の方がしっくりくるな……と。WAコンテンツをお持ちの大好きなサイト様の影響を大きく受けております。はい(随分似通っている印象を持たれるかもしれません。そうでしたらすみません)。

この後、一緒に旅をする途中、ジェーンに「結婚式をしていないですって!?あきれたッ!!信じらんないッ！いいこと、あたしが仕切ってあげるからコートセイムでやっちゃいなさい！」なんて、ことになるとイイ。でもって、本番に泣き出しちゃうジェーンをマクダレンさんが「お嬢様、偉かったですよ。」と慰めているとイイ。しばらくして、(ハンペンとザックの教育の結果)子供が生まれて、「ホムンクルスの君が父親になるとはね、偉いぞ！」といいつつ、エマさんが色めき立ってあれやこれや調べようとするとイイ。アーデルハイトの城下町の人々がこうなることを最初から予測していればイイ。そしてヨハンおじ様が自分がお膳立てしたあれやこれやがうまく行って、悦にいっているとイイ。

　そして、３人＋１匹は永遠に！
(↑毎度のことですが、これが言いたい)
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