鼓動
機界ロレイラルより召還されしものにより作られた都市。ここで動いているものは、一人の融機人を除いて、血の通わないマシンばかりだ。ここに来る機会は余り無いけれど、テコはぶーん、と音をさせて空を飛ぶ機械や、ピカピカと何かの規則に従って光る電気といったものが楽しくて、あちこち探検するのが大好きだった。 複雑な機械も面白いが、この小さな獣は踏むとドアが開く単純な自動ドアの仕掛けが気に入った。ドアの前に立つと扉が開く。横に退くと閉まる。そーっと近づいていくと、ある一定のところで開く。 全ての扉が同じ仕掛けでできているわけではない。体を平たくして、這うようにしてドアの前で腹ばいになっていれば開かないドアもある。起き上がると開く。これはドアの上から光が出ていて、それを遮ると開くようになっていることがわかってテコは得意になった。 かと思うと、ドアについているボタンに触れないと開かないドアもある。もちろんテコは飛び上がってボタンを叩いて開けてみた。 ウィルやアティに叱られない限りはテコは探検を続け、どんなところにどんな扉があるのかを大体覚えてしまった。 どんなことをやっても開かないドアもある。それは『カードキー挿入』や『指紋照合』や『網膜パターン照合』をしないと開かないのだとウィルは教えてくれたが、それはテコには難しくて、何故開かないのかな、と残念に思っていた。 そんな『どうしても開かない扉』の1つが或る日たまたま開いていた。テコは喜び勇んで中に入っていった。 「みゃあ？」 そこは清潔な、白一色で統一された部屋だった。あまりに整然としていてテコは少し怖いような感じもした。その端にあるデスクにかけたまま、この部屋の主、融機人のアルディラが背もたれにぐっと凭れ、静かに目を閉じていた。彼女はテコの声に目を覚まし、自分の部屋への闖入者を視界の端に捉えた。 テコは縮み上がった。叱られると思ったのだ。しかしアルディラは穏やかに微笑んだ。 「ロックをし忘れたようね。疲れていたとはいえ情けないわ。あなたはウィル君の友達ね。怒っていないからこっちにいらっしゃい。」 テコは呼ばれてアルディラの膝に飛び乗った。アルディラの華奢な長い指がゆっくりとテコの首や耳を撫でる。その感触がくすぐったくてテコは目を糸のように細くして膝の上で丸くなる。と、その手が止まった。アルディラはテコの首筋に白い人差し指をそっとあてている。 「トクトク、って脈を打っているわ。」 それを確かめるように彼女は指をあてたまま目を閉じる。 「ここには心臓の鼓動を持つ者は私以外にはいないのよ。こうして血管の中に命のリズムをもっているのは私一人。」 それを意識したことは昔はあまりなかった。…マスターに会うまでは。マスターは…私の首にそっと手を置いて、『君の鼓動を感じる』と言ったわ。私は…マスターの胸に耳をあてて、同じように鼓動が打っているのを聞いていた。…マスターが…ハイネルがこの世界から消えてしまってから、私は自分の鼓動をときどき自分で確かめる。この都市のどこに触れても鼓動を持っているものなどなく、冷たい金属の感触だけが伝わってくるの。そんな中で自分の手首に触ると、いつもトクントクンと心臓が血液を送り出すリズムを感じるわ。…それが何故だかとても不思議なことに思えて、どうして私一人が鼓動をもっているのかと悲しくなって・・・・」 と、テコの中にいる誰かがテコの体を支配した。テコはアルディラの膝の上に立ち上がり、のびあがり、前足をアルディラの首筋に注意深くそっと触れさせた。 トクン、トクン 鼓動に合わせ、テコは『ミャ、ミャ、ミャ』と啼いた。 アルディラは笑った。 「あなたはマスターの次に私の鼓動を確かめてくれた子よ。」 テコの頭を撫でようとして、アルディラの指がテコのメガネに触れた。 「あの人のメガネにそっくり。小さな字の本を読むときだけに使っていたあの人のメガネ…でも、そんなわけはないわね。あの人のものをあなたがかけているなんて。・・・え？」 フレームをなぞる様に撫でて、彼女は驚く。 「金属なのに、どうして暖かいと感じるのかしら…」 テコは無言でアルディラの長い髪を何度も撫でた。 そこにクノンが入ってきた。医療用の看護人形だ。 「テコさん、そこにいたのですか。アティ様とウィル様があなたを探していらっしゃいます。」 テコはミャア、と啼いた。 アルディラはクノンの横にならぶと、このアンドロイド少女の腕に軽く触れた。 「・・・あなたも暖かいのね。・・・いいえ、私が今まで気づかなかっただけなのかしら。」 「私達看護人形は、お世話する患者の方に無用の緊張を与えないよう機体の表面温度を36℃前後に保つ機能がついています。アルディラ様もご存知のことだと理解しておりましたが。」 「いいえ、そういうことではないの。絶対的な温度のことではなくて…」 「相対温度ですか？何を基準とするのでしょう。」 アルディラはクノンの首に手をあてる。 彼女は感じた。クノンの体の中のマシンが刻む周期的な電圧の変化。それはクノンの鼓動。彼女がここに存在している証。 「鼓動は・・・・この世界にも満ちているのね。」 テコはアルディラとクノンを交互に見、少し安心したような顔をして部屋から出て行った。 |
| アルディラはどうやったら救われるのか、正直言ってわかりません。いつか、クノンのボケとツッコミの妙技に大口開けて笑えるようになって貰いたいのですが。 事情はわかるんですが、ハイネルさんも罪作りなお方です。 |