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夜の夜中に目が覚めた。 カイユンは起き上がってベッドの端に腰掛け、足をぶらぶらさせた。 これは昨日の夕食のあとに淹れたコーヒーの量が彼にしては珍しく多すぎて、勿体無いから残った分を全部自分で飲んでしまったということあたりが関係しているかもしれない。白地に青の格子縞のパジャマの上に空色の上着をひっかけ、ベッドから降りる。同室の住人−−−爆破屋−−−は昨日どこぞでしたたかに酔って帰ってきたせいか、いつもよりも深い寝息をたててぐっすりと眠っている。 寝ぼけ眼をこすり、部屋から出、洗面ルームに歩き出すと同時に、彼の鼻が一種異様な臭気を嗅ぎ当てた。…キッチンの方からだ。そして、何か物音もする。一辺に眠気が覚め、方向転換してキッチンに向かう。臭気はますます酷くなる。 「誰か居るんですか!?」 キッチンの隔壁を開けるとほぼ同時に、それまで漏れていた明かりが突然消えて非常灯の心細い光に切り替わる。 「!?」 先ほどまで暗い廊下に居たとはいえ、光量の変化は彼から視覚を奪った。 （一体これは!?） むせ返るような臭気……喉を苛み頭の奥にまで侵入してきたそれは彼の頭をずきずきと痛ませた。パジャマの袖を口にあて、吹っ飛びそうな意識を辛うじてしゃんとさせる。と、床に、不自然な姿勢でうずくまっている人影があった。 「ソーンダイクさん!?」 ソーンダイクはひじと膝をつき、俯いている。その彼の傍らには何か黒っぽいものが転々と…彼から少し離れたところにはもっと小さな姿が…パトリックが四肢を力なく伸ばしてうつ伏せにぺたんと倒れていた。 「パット！」 照明のスイッチを押したが反応はなく、黒っぽいぬめっとした物が手についた。 （これは…まさか血!?） 目をこらせば壁にも黒っぽいものが点々とついている。 「パット！パット、しっかり！一体何があったんだ！」 粘調な液体のように呼吸器に絡みつく濃密な臭気の霧の中を泳ぐようにしてパトリックに駆け寄り、その小さな体を抱き起こす。 「パット！」 と、次の瞬間、カイユンは首筋の後ろにぴり、と刺激を感じ、同時に意識を失った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 目がさめたのはベッドの上だった。今まで似たような経験は数多くあるが、毎度毎度意識を失う羽目になる自分がカイユンは情けなかった。いや…ここはアケルナルの中だ。…あれは夢だったのか……それにしてはヤケに鮮明であったが…… ヘンな夢を見たなあ、と、天井を見ながらゆっくりと瞬きをする。…しかし、何かおかしい。普通ならばこうして天井を見ると視野の半分にマリオが寝ている上の寝棚が入ってくるのに、それがない。 「気がついた？」 聞きなれた声がし、カイユンはがば、と毛布を跳ね除け起き上がり、頭痛にうめき声を上げた。 「ちょっとちょっと、大丈夫？」 男物の縞のパジャマの上に、作業ジャケットをひっかけたジョーが、ベッドの横に寄せた椅子に座って首を傾げた。 「パットとソーンダイクさんはどうしました!?」 立ち上がろうとするカイユンの両肩に手を乗せ、ぐいと下に押してジョーはベッドに彼を座らせた。 「落ち着いてよ。パットとソーンダイクって何のこと？」 「毒ガスみたいな匂いがして、キッチンに、キッチンで二人が倒れていて!!そして僕は気を失って・・・！」 ジョーは眉根に皺を寄せる。 「あたしはカイユンの叫び声が聞こえたからキッチンに行ったのだけど…あなたが倒れている他には誰の姿もなかったわ。一応異常がないか他の部屋も見てみたけれど、パットもソーンダイクもごく普通に寝ていた。ひとまずカイユンをそのままにもできなくて、キッチンに一番近いあたしの部屋に運び込んだんだけど？下手に騒いであまり大したことでもなかったらマリオのおちょくりの標的にもなっちゃうし。」 「？？え、でも・・・確かに何か酷い臭気が…僕はあれで頭痛がして…あれは何らかの毒ガスだと思ったんですが…」 「毒ガス…ってなんの匂いもしなかったけど…」 カイユンはくんくんと音をさせて空気の匂いを嗅いだ。 「…ここは…あの匂いとは違いますけど、なんだかとっても甘い匂いがするなぁ。…何だろう…」 ジョーは一瞬表情をを強張らせたが口元に手をあてくすっと笑った。 「私は何も匂わないんだけど。…ええっと…あの…それって…私の匂いかも…」 「は？」 「………女 の 子 の に お い とかそういうこと。」 カイユンは目の前の人物の香りを嗅ごうとし…慌ててぶんぶんと首をふると真っ赤になった。 「と、とにかく、僕、自分の部屋で寝ます！」 立ち上がり歩き出した青年の後ろからジョーはついていった。途中、キッチンに寄り、カイユンは中を確認した。…キッチンは静まり返っている。黒いものがついていたはずの床も、スイッチも、壁もしみ1つない。調理器具も彼が常日頃から整えているとおりの場所に鎮座している。もちろんソーンダイクやパトリックは倒れていない。…そして『毒ガス』のような臭気も全くなかった。 あっけにとられているカイユンの横で、ジョーはポンポンと背を叩いた。 「なんか、だいぶ無茶苦茶な夢を見たみたいね。…カイユン、寝る前にブラックコーヒー３杯くらい飲んでたでしょ？あれがいけなかったんじゃない？あなた、コーヒーは飲みつけないし、あなたの種族の人たちにコーヒーの成分がどういう作用を及ぼすかはっきりしていないし。」 「…そうですね…そうかも…」 「ともかく今日はもう寝なさい？…マリオには黙っててあげるから。」 「……はい。……」 自室の前でカイユンは大きく…息の音がはっきり聞こえるほどのため息を漏らした。 「どうしたの？」 「…いや…僕、夢遊病の気があるのかなぁ、って思ったらちょっと怖くなっちゃって。」 ジョーは手を伸ばし、くしゃ、と一度カイユンの髪をかきまぜた。 「大丈夫大丈夫。さっきも言ったけどきっとコーヒーのせいだってば。」 尚もため息をつくカイユンを、悪戯っぽい瞳で見、ジョーは小首を傾げると彼の顔を見上げて小声で囁いた。 「不安だったら一緒に寝てあげようか？」 青年の顔が一気に真っ赤になった。 「けけけけけけ、結構です遠慮します逃げますすみませんご免なさい一人で大丈夫です一人の方がいいですそれじゃおやすみなさい！」 ドタバタと音をさせながら部屋に入り扉を閉めたカイユンを見送り、ジョーはしばらくクスクスと笑っていた。 「…ったく…いつまでたっても坊やなんだから……」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 翌朝、朝食の終わりごろ、パトリックがいきなり席を立ち食堂を飛び出していって籠を抱えて戻ってきた。そこには赤いリボンで口を結んだポリエチレンの袋がいくつか入っていた。中にはチョコレート色をしたものが入っている。その袋の1つをパットは取り出し、カイユンに差し出す。 「これはね、『有難う』のきもちなの。カイユン、いつもおやつを有難う。これは僕からのお礼。ソーンダイクと一緒に作ったんだよ！」 カイユンはぽけっとし、はしゃぐパットと無表情ながら全身から幸せのオーラが立ち上っているようなソーンダイクを見、ついで、クスクス笑っているジョーの顔を見、ああ、細かな事情はわからないけれどそういうことだったんだ、と合点して手の上のものに目を落とした。コーンフレークに溶かしたチョコレートをかけて固めた簡単なお菓子と、チョコレートをたっぷり使ったパウンドケーキを２センチくらいの厚さに切ったものだった。『食べてみて』と目で訴えるパットにこたえるよう、綺麗に結ばれたリボンを解いてコーティングされたフレークのひとかたまりを口に入れ、パウンドケーキをぱくりと一口齧って噛み締める。 「すっごく美味しいよ！パット、どうも有難う。」 実際、初心者にしては上出来だ。（しかもパートナーがソーンダイクだったのだからこれは奇跡に近い）パットは他の袋をロマノフに、マリオに、ジョーに、そして自分とソーンダイクにも配った。 「うん。これは美味しいね。」 「よく頑張ったわね。」 「・・・・・」 「うわ、なんだか味見したときよりも美味しいよ。ね、マリオ、どう？どう？」 甘いものの苦手なマリオもしぶしぶリボンを解いてパウンドケーキの端を口に放り込んだ。 「ん、そこそこ酒が効いてるな。…こういうのはブランデーみたいな奴には合うかもな。」 皆から好意的な言葉を聞き、パトリックは得意だった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ コクピットで計器点検をしているジョーの横にロマノフは静かに立った。 「ご苦労様。中々美味しかったよ。」 ジョーは不思議そうな顔をし、ついで笑った。 「あ、ばれてた？」 穏やかな笑みを浮かべたロマノフはナビゲーション席にゆったりと座り頷いた。 「あの菓子が基本的なものだったとしても、パットとソーンダイクの二人で作るのは少し無理な気がしてね。それに、あの袋は綺麗にリボンで縛ってあった。…ソーンダイクはリボン結びができない。パットはリボン結びをするとねじれる。協力者がいるとすれば君以外にはあり得ないだろう。３人で作っていたのかい？」 ジョーはぶんぶんと首を振った。 「夜中にソーンダイクに叩き起こされて。飛び起きたら気を失っているカイユンの足を持ってキッチンから引きずってきてるじゃない。とにかくカイユンをあたしのベッドにつっこんでから事情を聞いたら…ま、説明はソーンダイクじゃなくてパットがしてくれたんだけど。カイユンをびっくりさせたくて内緒でお菓子を作っていたんだけどばれそうになったので、主電源を落として倒れた振りをしてた。そして、カイユンがパットを抱き起こしたときに、ソーンダイクが備え付けてあったパラライザーでカイユンを麻痺させたっていう…で、キッチンに行ってみたら凄いことになってて。床にも壁にもチョコレートの飛沫が散ってるし、よくみりゃソーンダイクの服もチョコレートだらけだし…カイユンが来たとき、隠そうと思って、チョコレートの入った容器を抱きかかえて床に伏せたらしいの。それに匂いが凄かったわ。…なんていったらいいのかな。単純に焦げたとかそういうのじゃなくて…作業台の上にレシピが広げてあって、どうやらパンケーキのようなものをチョコレートでコーティングしたものを作ろうとしてたらしいの。でもそれに相当するものは影も形も見当たらなかったから、どんな風に作ったのか聞いたら…凄いことをやってた。要するにそのレシピはソーンダイク向きじゃなかったのよ。究極のデジタル人間に「少量」とか「適量」とか「ほどよいとろみ」なんて書き方は無謀だったったという…」 「どういうことだね？」 「ソーンダイクはパンケーキのたねをつくるとき『少量』と指示されたバニラエッセンスをたっぷりティースプーン１杯入れ、チョコレートの香り付けに『適量』入れると指示されたお酒をコップ１杯入れた。しかもそれが製菓用のお酒ではなく、マリオの飲みさしの銀河に名だたる悪名高い安酒“クラッキングダイナマイト”だった。チョコレートを溶かすとき『湯で』と指定され、彼はボールに入れたチョコの上から湯をかけた。それを少量の生クリームと一緒に熱していたけれど、『とろみ』は付かないでなんだかお湯の上に油の様なものが浮いてきて、おかしいと思ったけれどこれは加熱と攪拌が足りないからだと思って超高速でかき混ぜながら熱し続け…飛沫がそこら中に飛び散り、更に熱しすぎて焦げ…それだけじゃあんな匂いにはならないはず。ソーンダイクが他にも何かしたんだろうけれど明確な解説はあたしにも不可能。…ビネガーとか豆板醤のビンが出ていたのと何か関係があるとは思うんだけど。」 …壮絶な何かが出来ていたらしい…… 「カイユンが『毒ガス』と言ったのも無理はないわ。キッチンの中はアルコールの気体が充満していた。アルコール耐性ゼロのカイユンの身体的特性を考えればほんとうにアレは毒ガスだったのよ。」 「…それで…どうしたんだね。」 「どうした…って…パトリックは泣きべそかいているし、ソーンダイクはいつもの調子だし、あたしは二人に片づけを命じて、あたし自身はそこにあるもので簡単にできるものを考えて作った…っていうそれだけ。最終的に片付けにも手を染めたけどね。それからカイユンの麻痺が取れるころだったから部屋に戻ってばれない様に最後の取り繕いをしたわ。…カイユンが『甘い匂いがする』なんて言ったときはびびったけど。お菓子の匂いがあたしに染み付いていたんだわ。」 ロマノフはまだお菓子が入っている袋を取り出した。 「ジョーがここでお菓子をつくるのは初めてだね。」 「…子供の頃は作ったことあるし…実際、スポンジケーキみたいな難しいもんじゃなくてこれくらいの簡単なものだったらレシピをどこかからひっぱりだしてその通りにやれば誰にでも作れるわ。……みんな、作らないだけで……あなたにだってマリオにだって作れる。ただやらないだけじゃない？」 それはそうかもしれないが、と言い、ロマノフは微笑んだ。 「でも、妙齢のお嬢さんの手作りお菓子を貰えるなんて嬉しいものだね。」 「菓子作りなんて私の柄じゃないけどね。あ、あとの二人には…」 「判っているよ。マリオはいつもの如くに無理矢理に冗談の種にしようとするだろうし、カイユンは『キャプテン、これをミランダ星域のアレックスさんのところまで届けにいきましょう』などと言いかねん。いずれにしてもジョーは不機嫌な顔をするんだろう？…今のところは言わないで置くよ。」 「じゃ、秘密、ってことで。」 「パットとソーンダイクも知っているのに？まあ、いいだろう。……ジョー、私は思うのだけれど、別にそれほど身構えて生きなくとも…」 ジョーは不機嫌な顔をした。 「…やれやれ、うちのお嬢さんは頑固ものだね。カイユンもマリオも喜んで食べていたじゃないかね。」 と、ジョーはあっと短い声をあげた。そしてメディカルルームに走りこんだ。…そこでは医療機器に寄りかかるようにしてカイユンが床に座り込んで眠っていた。 「…無意識にラム酒をかなりいれちゃってたわ…酩酊状態…」 あとからやってきたロマノフがカイユンを背負い、部屋に連れて行くと、そこでは昨日の晩の『迎え酒』で気持ち良さそうに眠っているマリオがいた。カイユンをベッドに寝かせ、隣の部屋に行くと、昨晩の奮闘で疲れたソーンダイクが眠っており、パットも彼の小さな部屋で寝息をたてていた。 「酔っ払いと睡眠不足の巣窟ね…」 ジョーがいうとロマノフも頷いた。 「昼まで寝かせておこうか。……それでは、私はお菓子のお礼に昼にパスタでも作るかな？」 「あら、できるの？」 「君のいう、『作れるがやらないだけ』という奴かな。少なくとも家内には好評だったよ。」 「それじゃご馳走になろうかしら。」 「はい、了解しました。お嬢さん。」 いつもと少しだけ違う日。湯気の上がったスパゲティにメンバーが舌鼓を打つのはこの少しあと。 そして、ソーンダイクが『もっと物凄いもの』を図らずも生産することになる日も実は近かったりする。 |
| …2005年バレンタイン企画。（ええ、もうどなたが何を仰ろうとこれはバレンタイン企画なんです。恋愛ないですけどバレンタインなんです。甘いどころか壮絶な「何か」ができてますがバレンタインなんです！）皆、それぞれ他の人の為に料理をしています…って…爆破屋だけは何も作っていませんが… 以前本編にも書きましたし、年賀短編でも書きましたが、姐さんは子供の頃お菓子は作ったことが何度もあります。しかし、本人、自分の現在の生き方の中で「菓子作り」をするようなキャラクターに自分を分類させたくはないようです。 しかし、色気のない話ですね… よし…来年の今頃はゴロゴロと転がれるようなだだ甘のお話を…書けるわけがないですね…私には… |