| 今日買ってきたお砂糖は、妙に甘味が薄い。マリオさんに言ってみたら、 「上等だ。俺は甘いものは苦手だからな。」 ・・・・マリオさんに言ったのが間違いだった。キャプテンは、 「あたしにはわからないわね。」 とおっしゃる。 僕の気のせいかな、と思ったら夕食のとき、僕自身はいい味だと思っていたスープはとっても辛かったのだそうだ。どうやら風邪をひいたらしい。喉の痛みなどの自覚症状はないが、風邪薬を飲んで早めに寝ることにする。風邪は早めが肝心だから・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 今日は、朝の紅茶がちゃんと甘かった。だけど妙に体がぽっぽしてて、試しに測ったら四十度を越していた。僕は、熱がある以外は元気だったので、大丈夫ですっていったのに、キャプテンは僕を医療室のベッドに無理遣り押しこんだ。 「変な病気だったらどうするの？あたし、カイユンに病気をうつされて死にたくはないわ。いいわね。おとなしく寝ていなさい。」 ああ、暇だ。掃除もしたかったし、洗濯もしたかったのにな。 午後になって、皆さんが代わる代わる様子をみにきてくださった。申し訳ないな。医療コンピュータは、はっきりした原因を示してくれなかった。でも、こんなに元気なんだから明日になれば熱は下がるだろう。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ どうしよう。また熱が上がっちゃった。四十二度。風呂の熱さだ。キャプテンがほとんど付きっきりで居てくださる。でも、僕は元気で食欲もある。トイレにいくときもしっかり真直ぐに歩ける。どうなっているんだろう。 「キャプテン。僕に構わず他のお仕事をやってください。」 僕はそういったけど、内心はとっても不安。 遺言書でも用意しておいたほうがいいかしら。 うーん。僕はこんなに元気なのにな。書く気になれない。キャプテンが、すりおろしたリンゴをスプーンで食べさせてくれた。小さな子供になったみたいだな。 明日こそは、熱が下がっているだろう。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ まだ下がらない。依然として四十二度。 止せばいいのに、マリオさんは、ケイトさんとアンリさんを呼んできた。 それって誤解されません？僕は元気なんですよ！死ぬんじゃないんだから！そんなにされると余計に心配になっちゃうじゃないですか！僕、これからまだ生きていきたいんですから！第一、僕が死んじゃったら、誰がご飯を作るんですか！ 「それだけは困るな。」 なんていって！マリオさんなんか嫌いだ！ ケイトさんとアンリさんは、僕が元気なのを見て、一応安心して帰ったけれど、僕の方は気分が沈んでしまっている。ひょっとして、これは本当に重い病気かもしれない。元気でいて、いきなりころっと死んでしまう・・・・・そんなの嫌だ！ 夜中、キャプテンがやってきて、 「平気よ、カイユン。平気なのよ。」 っていつになく優しい声でおっしゃったから余計不安で、がばと起き上がってこれを書いている。 父さん、母さん、僕、死にたくないよ！ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 熱は下がったけれど、体中の関節が痛む朝だった。 とうとう、毒が回ったかな、明日あたり死ぬかな、と思ってキャプテンに、 「あの、そんなに残すものありませんけれど、形見の分け方をお話しておきます。」 と言ったら、 「バカ！バカ！バカッ 」 いきなり首を抱き締められて、額にキスされた。 「死ぬなんてこと、絶対にないわよ。あたし、あなたの種族のこと、コンピュータで調べてみたの。カイユン、何も聞いてなかった？いい？カイユン、あなたね。大人になるのよ、大人に。」 そういわれて、僕の頭に、母さんの言葉が蘇ってきた。”大人になるときには熱が出るのよ、カイユン。”って。 そうとわかれば寝てなんか居られない。 でも、キャプテンは僕が起きるのを許さなかった。 「ここがカイユンの故郷のマーリナ２なら何ら問題はないけれど、ここはリマンよ。カイユンは、リマンの病原菌には弱いでしょ？今、カイユンの体の中で、子供の体の構造が壊れて大人の組織に変わっていく。だから、感染症が心配なのよ。リマンはマーリナに比べて、重力も気圧も低いし・・・・その影響だって、どんな風に出るか・・・・だから、しばらくこの部屋のなかで、じっとしていてね。」 わかりました。・・・・・関節が痛いのは、骨がのびてきたからなんだな。 でも・・・・・大人になるって・・・・・実感ないなあ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ お腹がすいた。 滅多やたらにお腹がすいた。 とにかく食べたい。肉でも、魚でも、野菜でも、とにかく食べたい。卵の殻すら食べてしまいたい。 関節も物凄く痛い。食べて、食べて、あとはうんうん唸っている。ペンを持つ手も震えてきた。 こんなこと、いつまで続くんだろう。大人になるのも楽じゃない。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ あんまり僕が苦しそうだったらしく 「重力と気圧、上げてみようか？」 と、キャプテンが言ってくださった。 でも、僕はこれからもリマンで暮らしていくんだ。リマンの環境に合わせて大人にならなくっちゃ。 今日もとにかくよく食べた。特に、煮干しが涙が出るほどおいしかった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 体がちぎれそうに痛い。 母さん。助けて。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ （ここで、約三十日間の空白）←作者註 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ようやく、ふらふらしながらも歩けるようになった。（声はまだ出ないけど。）ソーンダイクさんに肩を貸してもらってリビングへ出た。変だなぁ、ソーンダイクさんの肩がそんなに高くない・・・・と思ったら、僕の背がかなりのびていたんだ。 鏡の前で、自分の姿を見たら、ひょろっとして、骨張っていて、僕じゃないみたいだった。一番のショックは、キャプテンの背を追い越してしまったこと。僕は、キャプテンより大きくなるような性格じゃない。いつだってキャプテンを見上げていたい人間なんだ。・・・・何か、とっても申し訳ない。 今まで、台所のことを皆さんにやっていただいていたお詫びに、まだ体が痛かったけど今日は頑張って白身魚のムニエルと、シチューと、フルーツサラダを作った。食後のコーヒーをいれているときに、普段は”コーヒーより酒を出せ”と騒ぐマリオさんが感激してくれた。不思議に思って筆談で尋ねてみたら、 「あの泥水を飲んでみて、お前のコーヒーがうまいものだとはっきりわかった。」 のだそうだ。 ”泥水”って誰が作ったんだろう。 （恐くて、とても口に出しては言えないそうだ。） ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 経過は良好。まだまだ体は痛いけれど、身長ののびが止まるまでは仕方ないよね。僕は、四六時中煮干しを齧っている。体が要求しているのかな。 さて、困ったことが色々出てきた。 まず、いままで着ていた洋服が全部着られなくなってしまった。セーターはほどいて毛糸玉にした。あとのもののいくつかはキャプテンが引き取ってくれた。・・・・僕、背の割には手が長かったし、キャプテンは痩せているから僕の上着が着られるんだ。 僕自身が着る服は、始め、マリオさんに貸してもらった・・・・ら・・・・似合わない・・・・・。マリオさんの服はモノトーンで、鎖がじゃらじゃらついていたりする。僕が着ると、なぜか滑稽になってしまうのだ。マリオさんも、着せてくれたあとに一言、 「カイユン、俺の服はやめておけ。」 ・・・・かといって、体格が違うから、ロマノフさんの服は僕にとっては壊滅的にぶかぶかだ。ソーンダイクさんの服は、横はいいんだけど、手も足も出ない。そうしたらキャプテンが、 「あたしのパジャマのシャツを着たら？ズボンだけ、マリオのを借りておきなさいよ。」 お言葉に甘えて着てみたら、なかなかいい。（と、ロマノフさんは言ってくれた） マリオさんは、 「シャツに女の匂いがしみついていて変な気がしないか？」 といったが、変な気なんかしないですよ。 今度町に出たら、衣料品を買い集めてこよう。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 僕は、シャワー室の大きな鏡に体を映してみた。 僕の父さんや母さんとは全く違った体。もしも、僕が故郷の星を離れなければ、父さん達と同じ、がっしりした体になったのにな。今の僕は”ヒト”とほぼ同じ姿。この姿で故郷のマーリナ２に帰っても、母さん達は僕のことを僕だとわかってくれるかしら。 僕はもう、昔の僕ではない。昔には帰れない。小さい頃思い描いていたマーリナ２での平和な暮らしは望めない・・・・ そこへキャプテンがやってきた。僕は、反射的にバスタオルを腰に巻いた。（下着一枚だったんだ！）キャプテンは、僕の横に並んで、僕の鏡に映った姿をじっと見つめた。 「骨が浮いているわね。もすこし筋肉を着けなきゃ。背ののびが落ち着いたら、トレーニング再開するわよ。」 ・・・・背ののびが落ち着かないことを祈る。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 声が出た・・・・。 我ながら気持ちが悪い。まるで他人が話しているようだ。マリオさんや、ソーンダイクさんやロマノフさんに比べれば高い声なんだ。でも、キャプテンよりずっと低い声になってしまった。 マリオさんは、声変わりは仕方ないから、話し方をかえろという。 ”はいっ！”だの、”そうですねっ”だの、”僕はこうだと思うんです”だのは、甲高い、子供の声で言ってこそ可愛げがあるのであり、今の僕の声で言ったら、まるでおかまさんが話しているように思えるのだそうだ。 「だったら、”ああ”とか、”そうだ”とか、”俺はこう思うんだ”とか言うんですかぁ？」 と、僕が言ったら、 「それもぞっとしねえなあ。」 と言う。 ・・・・いいんだ。大人になったからといって、僕の人格が変わったわけじゃなし、いつも通りの言葉遣いをしようっと。 それにしても、マリオさんはともかく、ロマノフさんまで僕のことをからかうんだから参っちゃう。 「これを機会に、ジョセフィーヌのことを”キャプテン”ではなく”ジョー”にしたら？我々はそう呼んでいるよ。」 ジョーなんて呼べるわけないでしょう!?僕、無理して呼んだら、きっと真っ赤になってしまいますよ！”ジョセフィーヌさん”だったらいくらでも言えるけど。（ただし、キャプテンに殴られる） 結局、一番安心していられるのは、ソーンダイクさんの傍だ。 変なこと言わないで居てくれるから(変じゃないことも言われないが・・・・）。 キャプテンは、本気か冗談か、こんなことをおっしゃった。 「背ものびたし、声も変わったし・・・・リクエストがあれば、女の子の引っ掛け方、教えてあげるわよ。覚えておけば、仕事をする上で便利でしょ？」 ・・・・僕は、マリオさんのような節操なしにはなりたくない！絶対にならないぞ！キャプテン！僕は、女の子を引っ掛けたりしませんからね！ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ マリオ リベラ主催、下町ツアー第二弾。 「大人になったんだから、気持ちを新たに夜の町に繰りだそう！」 あー。常識ないんだから。キャプテンは、盛大に殴っていた。当たり前。それでも、僕はマリオさんと一緒に出掛けた。一つには、もう１度エレーヌさんと会いたかったから。もう一つには、もしかして大人になったら、前とは違って夜の町に対する気持ちが変わるかな。と思ったから。 結果的に、僕はやっぱり夜の町には向かないことが判った。エレーヌさんの踊っている小屋では、最初のうちこそエレーヌさんに向かって手を振る余裕があったけれど、最後は、下向いたっきり、ぎゅっと目をつぶってた。心臓の音が、こめかみのところでどくどく脈打っていて気持ち悪いくらいだった。 エレーヌさんは、僕の姿と声がちょっとの間で変わったことにびっくりしていたが、僕は”よく見つめると”そんなに変わらないのだそうだ。とくに、目が昔と全く同じらしい。”キラキラしていて、あどけない”と、エレーヌさんは言った。（”どんぐり眼で、知性的ではない目だ。”とマリオさんは言う。） そのあと、三人で酒場に行った。僕は、エレーヌさんに勧められた、”ごく弱い甘口の果実酒”を舐めてみた。”いけそうだな。”と思って、くいっと一口飲んだら、例によって酔った。気付いたところは、エレーヌさんのアパートのベッドの上だった。エレーヌさんは、氷の入った水をくれて、酔いが醒めるまでここに居なさいね、と言ってくれた。 そのあと、エレーヌさんと、お料理の話をした。エレーヌさんは、安い品物で豪華な料理を作るのが得意みたいだな。話に花が咲いちゃった。 マリオさんは、横っちょから口を挟んで、エレーヌさんを誘惑しようとしていたようだったけど、エレーヌさんと僕ではねつけちゃった。不純ななお付き合いは辞めなさい。（あくまで、マリオさんにだけ言っている。） アケルナルに帰ってきてから、 「お前、外側は大人だが、中身はまだ餓鬼だ。早いとこ精神的にも成長しろ。そうしたら、男の大人の楽しみを教えてやる。」 と、マリオさんは言った。キャプテンは、僕は僕なんだから、無理してマリオさんに付き合うことはないとおっしゃったが、 「女性に興味がないというのは問題ね。あたし、カイユンには、ごく普通に結婚して、家庭を持ってもらいたいんだけどな。」 と、付け加えた。 「でも、今、発情期じゃないですし。」 僕が言ったら、四人ともびっくりしていた。発情期ってものがない人間の方が、おかしいと僕は思うけどな。いつも発情している生きものなんて、他にないですよ！ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ トレーニング再開。ああ、いやになっちゃう！もともと僕は、格闘は苦手なんですよ！今は、それに加えて、筋肉は落ちてしまっているし、骨は痛いし、重心が上の方に移ってしまったものだから、キャプテンにこてんぱにやられてしまった。ひょろっとしていると、足払いって決まりやすいんだなあ。 「人にはそれぞれ、向き、不向きってあるでしょう？僕は、格闘よりも、家事一般の方が好きだし得意です。家事をやったほうが、皆さんにも喜んでもらえます。・・・・・どうして、僕がこんなことやらなくてはいけないんです？」 ついつい膨れて言ってしまったら、キャプテンは答えた。 「生き残るためよ。」 って。 判ってたことなんだけどね。キャプテンだって、本来は不向きなことをやっているんだ。キャプテンって人は、素敵な人と結婚して、子供達に囲まれて、幸せに、幸せに暮らさなくちゃいけない人なんだ。キャプテンは、僕にとって、かけがえのない人だから、早い所、落ち着いた生活をしてほしいのだけれども、それを勧めると、ひどく怒られる。だから、この頃は、口に出して言わないことにしている。 でも、ここには書いてしまおう。 キャプテン、早く普通の生活してくださいね！ 今から、キャプテンの部屋にお茶を持っていくのだが、いつものようにコーヒーではなく、甘いミルクティーを入れてしまおう。それが、僕のささやかな反抗だ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 故障した通信衛星の回収の仕事をしに、宇宙に出た。０Ｇになった途端、体がスーッと楽になった。人間は、いかに重力によって痛めつけられているか実感した。体の調子が万全ではないので、オペレーター席に座りっぱなし。背中が痛くなっちゃった。相変わらず関節も痛いし。 とは言うものの、一時期に比べればずっと気分は良くなって、久しぶりにお菓子を作った。フルーツババロアをフィンガービスケットで囲んだ奴で、”家庭の友”別冊に載っていた。形はかなり崩れてしまったけれど、味は我ながら中々のものだったと思う。お皿に取り分けてから、たっぷりお酒を掛けたせいか、マリオさんも喜んでくれた。（アルコールがかかっていさえすればいいんだ、マリオ氏は。）しかし、キャプテンは、僕の方を見て、顔をしかめていた。 あのことを怒っているのかな。今日の、格闘の訓練のとき、僕は何でもないタイミングで前へつんのめってしまった。それを、キャプテンが支えてくれたのだが、キャプテンは、僕の体重が飛躍的に増加したことを念頭に置いていなかったので、支えきれず、僕が押しつぶしちゃった。あのとき頭でも打ったのかしら。 それに何より格闘技の基本も身に着けていないし、倒れた時に咄嗟に手で支えることもできなかった僕を情けなく思ってるんだろうな・・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「あの、倒れた時、打ったところ、痛いですか？」 朝食のとき、聞いてみた。キャプテンは、きょとんとしていたが、僕が説明すると、ロマノフさんの所に行って、 「判ったでしょう？・・・・よろしく頼むわね。」 と、ロマノフさんにおっしゃった。 僕は、お皿の片付けが終わって、コクピットの掃除をやろうとしていたら、ロマノフさんに、ロマノフさんの部屋に来るように言われたのでエプロンをかけたまま行った。 まず、昨日の状況を話してほしいといわれたので、出来るだけ正確に話した。 「で、その時に、他には何も思わなかったのかな？」 そう、問い返されて、 「あ、やっぱり、キャプテンどこか打ったんですね？僕は痛くなかったんですが。悪いことしちゃった。」 と僕が答えたら、ロマノフさんはため息を付いた。ロマノフさんは、キャプテンが心配するのも無理はないといい、僕を椅子に座らせて、手を握った。 「いいかね。・・・・君には誰も教えてくれる人が居なかった。だから私が教える。体が大人になるときに、君の中身が変わるわけではない。しかし、体が大人になったなら、知っておいたほうが良いこともある。」 そんなふうな出だしだった。聞いていて、ちょっと顔が熱くなるような内容だった。・・・・子供のときは良いけれど、大人はやたらに人に抱き付いたり、踊り回ったり、馴々しく声を掛けて挨拶してはいけないそうなのだ。もしやると、とても目立ってしまう。特に、女性に対しては気を付けるべきで、幾ら僕が発情期ではないとはいえ、外見からは判らないのだから、注意して行動すべきだ、ともおっしゃった。その外、アドバイスをたくさん。 ・・・・大人になるって、自分の感情に素直に従ってはいけないということなのかなあ。 一応、キャプテンには謝っておいた。 「すみません。今度、同じことがあったら違うことを考えられるようにします。」 キャプテンは、吹き出して”期待してるわよ”っておっしゃった。何を期待しているんだ？ 船外活動で、人工衛星に当たった隕石の残骸を吹き飛ばしてきたマリオさんに話してみたら、 「そんなことがあったのか？で、どうだった？あいつだって女なんだから柔らかかったろう？」 柔らかいって・・・・・覚えてないし、第一キャプテンに触れられるものですか！誰か、そんなことする奴が居たら、僕は殴ってやる。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 回収した衛星から、壊れた部品を取り除き、持ってきた新しい部品を付けて作業完了。アレックスさんに報告。・・・・僕が大人になったって、未報告だったのにもかかわらず、アレックスさんは知っていらした。Ｃ・Ａは、僕が医療機にかかっている間のデータを入手していたそうで・・・・（アケルナルには、それなりの監視装置がある・・・・）それは、キャプテンも重々承知のことで、だから、驚いたのは僕一人だった。 「あとで、プレゼントを送るよ。」 アレックスさんに言われて、スクリーンに向かってＶサイン出しちゃった。キャプテンは、お話しすればいいのに、必要事項の報告しかしない。なぜだろう、なぜかしら。 一度、宇宙ステーションの”アルテミス”に寄って、あとから届く器材を持って、航路整備作業に出発せよとの指令を受けた。アルテミスには行ったことがあったから、着いたらすぐに機体整備を済ませ、食料品を仕入に出掛けた。安い、いいお茶があったので、箱で買った。この頃、紅茶の消費が増えている。誰かが僕に黙って、自分でいれているんだな。僕に言ってくれればすぐにいれるのに。 市場で嫌なものを見た。市場の付近をにしている人たちの喧嘩。一本のマフラーを取り合って殴り合いしていた。周りの人たちは、気付いているのに、ついっと目をそらして通りすぎていく。僕も、足早に通りすぎてしまった。・・・・通りすぎた途端、なんで何もしなかったんだろうと、後悔で一杯になった、なら、引き返して何かすればいいようなものだけれど、引き返さなかったんだ。 ああ、僕って嫌な奴だ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ キャプテンが、買物に一緒にきてくれた。 「カイユン一人じゃ、どんな服買うか知れたものじゃないもの。」 僕の常識は、相当に疑われているらしい。市場に行って、安売りの品物を見付けてくれるのかな、と思ったら、有名な専門店に連れていかれた。少々値がはっても、良い品物を揃えたほうが、結局は得だ、と言うのがキャプテンの主張。パジャマでは、専門店には入れないので、ロマノフさんの服のうち、多少大きくても違和感の無いものを貸してもらった。キャプテンは、前にも着ていたのを見たことのある黄色のワンピース。 そこで、スペーススーツとジャッケットを二枚買った。丈夫で、動きやすく、ある程度の寸法直しが出来るというもの。（まだ、僕生長するから。）色は水色。キャプテンより、ちょっと若いくらいの店員さんが薦めてくれた。この人は、僕の目の前で、頻りと目をパチパチさせていたけれど、目が霞むのかしら？（キャプテンに話したら、ヒイヒイ笑われた。） そのあと、市場に行って、ワイシャツ、Ｔシャツ、ズボン、セーター、靴、コート、靴下、ベルト、下着まで見立てて下すった。着せ替え人形になったような気がした。 下着まで見てもらって、良かったのかなあ。ずうっと以前に、キャプテンの下着を、他の買物のついでに買いに行ったら、キャプテンは物凄く怒ったけどな。 両手に包みを下げて、アケルナルに戻る途中、昨日喧嘩があった場所の近くを通りかかった。そうしたら、昨日とは違う人だったけれど、また、激しく罵り合いながら殴り合いの喧嘩をしていた。僕は行きかけて、でも、やっぱり気になって振り返ってしまった。パンチが決まったところで、一人の人はどこが切れたか判らないけれど、血が出ていた。 父さんはよく言っていた。 「心の中がもやもやしてきたら、少し恐くても、しなければいけないと思うことをやってごらん、それで失敗してしまってもいいからね。」 だから、僕は、その二人を引き離しにかかったんだ。やっと引き離したら、”なんだ、てめえは。”って、今度は二人がかりで僕に殴りかかってきた。僕が殴られるのならいいけれど、その人たちはキャプテンにまでちょっかい出そうとしたから、僕はキャプテンの前に立って、二人を押さえた。殴り返さなかった。僕が我慢して殴られていればその場が収まるような気がしたから。 公安官の人が来て、二人の人は逃げていった。僕は、痛みは差程でもなかったが、目の上が切れて血が目に入り、気持ちが悪かった。近くの水道で、キャプテンは目を洗ってくれながら僕を叱った。 「子供らしい正義感なんでしょうけれど、ああいうときは黙って通りすぎるのが、面倒を起こさないためには必要よ。そういう割り切りも、大人になったらわからなければ駄目。汚いこと、不条理なこと、社会にはそんなことばかり。まともに生きようとすれば、そいつが馬鹿を見ることになるわ。」 僕は、大人になることがそんなことを伴うのならば、大人になりたくないと思った。 「第一、あたしに誰かが殴りかかってきたとしても、あたしが危険になるとでも思ってんの？」 うう。確かに・・・・目のぬらぬらが取れて、片足踏みだそうとしたら、ふらついた。 キャプテンは、笑って、僕に肩を貸してくださった。僕は、有り難く肩に腕を掛けて寄り掛かってしまった。瞬間、平手打ちされた。 なんで？僕はただ、もたれかかっただけで・・・・でも、キャプテンが理由なしにこんなことするはずないので理由を聞いてみた。 キャプテンはちょっとぽかんとした顔をなさって、それからにこっと笑った。 「・・・・いいわよ、減るもんじゃなし。・・・・人畜無害の何も知らない坊やなんだから。」 そういってまた優しく肩を貸してくれた。何のことなのかさっぱりわからない。でも、僕の自尊心は、ほんのちょっと傷つけられた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 大人になるって、本当にどんなことなのだろう。醜いことを知って、うまく立ち回る術を覚える、それが”大人”ってことじゃないはずだ。 今度の仕事は、大きな漂流宇宙船を航路から抹消する仕事。マリオさんは燃えている。入れかわり、立ちかわり、誰かしか船外に出て作業をしている。自然、食事も時間差攻撃になった。その度に、僕はスープを沸かしにキッチンへ出て、”大人になるってどんなことなんですか”と聞いてみた。 先ずは、ソーンダイクさん。 「人間の場合、、普遍的定義はありません。」 これだけ。 マリオさんは、 「お前にも理解できるように言えばだな。性別の違う人間と・・・・ こんなのばっかし。ただ、こう付け加えた。 「お前、判んねえなら、無理に大人になる必要はないんだぞ。」 ロマノフさんは、 「宇宙法で言えば、二十才をすぎた人間のことを言うが、それではカイユンの欲しい答えにはならないね。・・・・私にも、はっきりは判らないよ。ただ、色々なことを豊かな心を持って深く考えることの出来る自立した人間であることは確かなようだ。実際に大人といわれている人がどうであるかは別として。」 キャプテンは、 「人に聞くことじゃないわ。」 尚も、 「キャプテン自身はどう思うんですか。」 と、尋ねたら、ただ笑ってた。 尚もしつこく尋ねたら、 「うるさいわね。キスしてあげようか！」 キスされたくないので、僕は逃げた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 船外作業で外に出た。 近くの惑星がとても綺麗でみとれちゃった。青い海に大きな大陸。その全体を緑が覆っている。その分作業が遅くなって、一緒に作業していたキャプテンに叱られた。キャプテンの叱り方は、僕がチームに入ったときと変わりがなく、事故につながるミスをしたときは物凄い剣幕で怒る。今回も、トーチを泳がせてしまったので、 「このあほ！何年やってんのよ！」 すいません。（ひとまず２年です） でも、作業が終わって、キャプテンの顔を見たら、ほほえんでいた。可愛いな、なんて、失礼だけれど思ってしまった。 「カイユン、あんた、これからどうするつもり？」 いきなりキャプテンは言った。 「これから、どんな人生を送りたいの？カイユンの夢ってなに？」 僕は、答えられなかった。運命に流され続けてきた僕の生活。自分から”こう”と決めても、それとは関係なくなるようにしかならないような気がしている。 「考えておきなさいね。」 キャプテンは一人でエアロックに入ってしまった。 作業は終了した。明日はリマンへ帰る。僕はそのあとにすぐ、研究所に送られて、血液や運動機能などの検査を受けることになっている。 ・・・・それにしても・・・・僕の夢ってなんだろう。これだけは実現させたいって言う夢は・・・・・ ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ マリオさんに送られて、研究所に到着。僕のことを、小さい頃から追跡観察している顔馴染みのお医者さんが迎えに出ていた。昔は、ホームシックにかかって、あの人をてこずらせたこともあったな。研究対象と研究者の間柄だけれど、一種の親近感があるから不思議だ。だからね、マリオさん。恐い顔で睨まなくたってよかったんですよ。 白衣を着せられて、一先ずは脳波や心電図、そして、Ｃ・Ｔによる徹底的な検査。約五時間何もせずにじっとしていた。これも、もう百遍近くやってきたことだなあ。その間、昨日のキャプテンの質問を考えていた。 夢ならば幾らでもある。 父さん達と会って、ホワイティーを連れてきて、子供の頃の夢通りに生物学者になって・・・・僕は、依然としてアケルナルの中にいる。大きなお盆に、クッキーの山と、たくさんのティーカップを乗せてリビングに出ていく。すると、たくさんの人がソファーに座っている。ロマノフさんは、ちっちゃな可愛い金髪の女の子を膝に乗せている。ソーンダイクさんは、可愛いお嫁さんと隣り合わせに座っている。マリオさんは、さもおもしろくなさそうに膝の上で爆破装置をいじっている。 僕がテーブルの上にお盆を置くと、小さな栗色の髪の毛の男の子がやってきて、クッキーを取ろうとする。だけど、僕はぴしゃっと手をたたいてやるんだ。その代わりに、肩車してやる。お茶を配って、アレックスさんが一つクッキーを摘んで言う。 「おいしいね。」 キャプテンは、笑って見ている。女の子が、キャプテンの所に走っていく。そして言うんだ。 「ママ、ロマノフ伯父さんにお話ししてもらったの。」 ・・・・そんなときが持てれば、たとえ今のまま、シークレットだって構わない。僕はろくな死に方をしないと思うけれど、（たとえば、マリオさんの爆破から逃げ損ねて死ぬとか。）それでもいいや。僕の好きな人たちが幸せになって、その人たちのそばに居られれば僕はいい。 夜になって、お医者さんが僕の部屋に来てくれた。お医者さんは、あと五日で定年なのだそうだ。 「私が言うのも変だが、元気で、長生きしなさい。」 その声には、真心がこもっていた（僕はそう思った）。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 再び、将来のことについて。 何のかんの言って、僕は皆さんが大好きなんだ。 皆さんとずっと一緒に居たい。 誰が何といっても、これが今の所僕の一番の夢なんだ。しかし、これは、将来の希望といえたものではないなあ。たとえ、父さんでも、 「キム カイユン・・・・もっと他に何かないのかね？」 と、呆れるかもしれない。 そういわれたら、僕は父さんに何といって答えるだろう。 「もう少ししたら、一生の目標が見つかるかもしれないけど・・・・」 父さんならば、このくらいで勘弁してくれそうだな。 お医者さんが、僕の部屋に、一人の男の子を連れてきた。驚いたことに、その子は僕の故郷マーリナ２から来た子だった。リマンには、研究対象として、僕と同じ種族が、二百人以上居るのだそうだ。男の子は、一年前にこの星にやってきたが、故郷が忘れられずに泣いてばかり居るということだった。 お医者さんは、すぐに出ていったので、僕と男の子はお揃いの白い入院着で床に並んで座った。偶然にも、その子は僕の住んで居た集落の出身だった。初め、いじけて下を向いていた男の子も、僕の生い立ちを知ると、急に元気になって生き生きと話しだした。 「お兄ちゃんは、キム ウェンシェンさんのとこの子供なの！うん。僕知ってるさ。だって、キムさんとこのおじさんは、とっても有名だもの。ママが”漢字”の博士で、変わりものだけれど、立派な人だっていってたよ。僕、海で遊んでて、会ったこともあるよ。」 男の子は、僕が行ってしまってからの町の様子を教えてくれた。マーリナは、昔と丸きり変わらないようだった。父さん達も元気でやっているらしい。記憶が曖昧だけれど、僕の家は二十人以上の家族になっているそうだ。ああ、会いたいな。二十人って、誰だろう。僕は、何人の子の伯父さんになったんだろう。兄さんや姉さんたちのお嫁さんやお婿さんはどんな人かしら。 ・・・・・僕がいなくとも、僕の思い出の中に居る人たちは、別のところで生き続けている。だけれども、それは、居なくなった人を忘れているということじゃない。僕だって、男の子の話を聞いていて、まるで、父さん達が、すぐそこに居るような気になったのだもの。経験を共有することはできなくとも、僕はいつだって、マーリナの人と一緒だ。僕は知っている。僕が忘れないように、父さんも僕を忘れないって。 そういったら、男の子は泣きだした。 「本当にそう思う？ママは、いつまでも僕のことを覚えていてくれるかしら？」 僕は言った。 「当たり前だよ。僕は君に会ったばっかりだけど、一生の間、君を忘れないと思うよ。お母さんが忘れる訳ないじゃないか。」 でも、男の子は泣き止まなかった。僕は、どうすることも出来ずに、男の子が泣き疲れて眠ってしまうまで、背中をさすっていてやることしか出来なかった。 僕は忘れないぞ。 男の子のこと。 絶対に忘れたりしないからな。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 今日は、病院暮しの最終日。 お医者さんが、ささやかながら、ご馳走をしてくれた。以前は、こんなにまで優しくはなかったような気もするんだけど・・・・きっと、昔は親切なとこ、隠してたんだよね。 乾杯のお酒を薦められて、僕の体には、アルコール耐性がほとんどないことを言ったら、”初耳だ。酵素の分析するかな？”と、肩をたたかれた。以前のお医者さんなら、すぐにでも僕の肝臓標本を取っただろうけれど、今回は冗談だった。 「帰りたいだろうな。」 「当たり前です。」 そんな話をしているうちに、お医者さんはしきりに僕に向かって謝りだした。 「恨んでいるだろうね。無理遣りに家族から引き離され、何千光年も離れた星に連れてこられて。私だったら、耐えられんな。何人もの、子供達の様子を見てきてそう思った。あるものは無気力になり、あるものは暴力をふるい、思い出と恨みだけを生きるエネルギーにしている。君の場合は、それに加えて、シークレットというとんでもない仕事に放りこまれた。すまない。」 僕は、お医者さんに対しては、何の悪意も持っていない。謝られても返す言葉がない。だから、素直に言った。 「確かに、故郷を離れたことは悲しかったけれど、僕、あることでは感謝しているんです。」 お医者さんは、眉をそびやかした。 「僕は、物事を深刻に考えないたちなんです。悲しいことよりも、嬉しいことを一杯見付けなくっちゃ、っていつも思ってるんです。自分が不幸だと思ったらおしまいですよ。僕は、元気なだけが取り柄なんですから。・・・・もし、僕がここに来なかったならば、僕はたくさんの人に会うことが出来なかったんです。素敵な人たちですよ、みんな。あの人達と会えなかったら・・・・と、考えるのが難しい程です。・・・・だから、感謝。」 お医者さんは、僕に向かって”大人だね”と言った。おかしいな。僕は子供の頃から、同じような考え方をしてきた筈だのに。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 再び、アケルナル。 もう、どうして僕が留守にすると、キッチンがメチャクチャになるんだろう。強力洗剤付けて、たわしでごしごしやっていたら、キャプテンがコーヒーを入れた。・・・・マリオさん。あなたは正しかった。あれは泥水です！どうすればあんな味が出るんだろう。粉からだったら、とてもあんな味は出ない。僕が、豆を煎るところから模範演技（？）したら、 「ワープするより面倒だ。」 ・・・・まあ、焙煎から試みたことは評価してあげましょう。でもね・・・・ 「それよりか、体の具合はどう？」 話題のそらし方、相変わらずうまいなあ。お医者さん曰く、”もうじき生長は止まる、しかし、しばらくの間、関節は痛むだろうし、ほんの少しずつ背が延びる。”その通りに話した。 「よかったわ。背ばっかりずるずる延びたらうっとおしいからね。」 僕は、この前まで、キャプテンの背を追い越したことが何となくいやだったが、今はそれなりに、この体格を気に入っている。前に、アレックスさんにも話したことなのだが、踏み台を使わなくても物が取れるのはいいことだ。他の人の手を患わせないでも済む。それに、上の方から見下ろすと、キャプテンは何というか、下から見上げていたときよりも、”女の人なんだな。”と素直に思えるんだよね。 キャプテンの姿、マリオの姿、ロマノフさんの姿、ソーンダイクさんの姿。目の位置が変わっただけでちょっと違ってきた。いつも、頼るだけしか能の無かった僕と皆とのかかわり合い方。それも、少しずつ変わっていくかもしれない。 夕方、アケルナルの外に出て、月を見ていた。 「どーした？また、熱っぽいの？」 心配して出てきてくれるキャプテンの心遣いが嬉しかった。 「いえ。また考えていたんです。僕の夢のこと、僕の将来のこと、キャプテンにきかれてからずっと考えているんです。」 そうして、僕が思い浮べたことを、全部キャプテンに話した。キャプテンは、黙って聞いていたが、僕が話し終えると、一言 「そうはならないわよ。」 と言った。 「カイユン、今、どう思っているかは別として、あんたはここを離れていくわ。・・・・それに、そんな夢を見てもらうには、あたし達はすりきれすぎてる。・・・・何か、別の夢を見なさい。」 僕は、黙って月を見ていた。寂しかった。 「例えばどんな夢を見ればいいんです？」 小さな声で、やっとそう言い返したら、キャプテンは 「人にきくことじゃないわ。」 と答えた。前にも同じようなことを言われた。僕は、”ずるいですよ、それって逃げた答え方ですよ、”と、抗議したら、 「・・・・例えば、あたしだったら、生きている間中、宇宙を駆け巡っているのが夢。・・・・知らないものを知って・・・・今までの物を断ち切って・・・・」 「それはたしかに凄い夢ですけれど、”現状維持”的なことだって大変なんですよ。」 僕が言ったら、キャプテンは小さく笑った。 「・・・・カイユンも、あたしに楯突くようになったか・・・・ま、いいや、カイユンらしい夢よね。・・・・納得できない内容だけど。こんど言ったらひっぱたくわよ。今日は、これくらいにしとく。」 と、何か布みたいなものでばしっとたたかれた。よく見ると、濃い青のＶ字ネックのセーターと、大きなデニムのエプロンだった。セーターは、アレックスさんが送ってくれたもので、エプロンは、マリオさんが気紛れに買ってきたものだそうだ。 「入ってきて。コーヒーが飲みたいわ。」 ・・・・コーヒーか・・・・ マリオさんのにはブランディーをいれて、ソーンダイクさんは薄いアメリカンコーヒー、ロマノフさんはマイルドコーヒー、キャプテンは、濃くって苦いコーヒー・・・・ 「いれてあげますよ。しょうがない人たちだな。コーヒーのいれ方も知らないんだから・・・・」 僕は、もう一度月を見た。キャプテンの言うとおり、僕はいつかここを離れていくようになるかもしれない。しかし、それは今日明日のことではない。・・・・いれてあげますよ。それまでは・・・・ |