| それはうたかたの夢のごとくに |
機械類・エネルギーパックなどの買い物を終え、品物をバックパックに注意深く収めたユーリ＝ロマノフは開拓途上惑星の青い空を見上げた。 彼のチームはこの惑星で宇宙船のワープ機関の整備などのまっとうな仕事をし、彼らとしては穏やかな日々を送っている。彼の懐には万一のときのために高性能の銃が収められていたが、それを使う機会は幸いなことにこのところない。 ・・・・・しかし、いざ、というときが訪れたなら、彼は誰よりも早く引き金を抜き、標的を正確に射抜くだろう。・・・・・平穏な日々でも彼は肉体の鍛錬と射撃の訓練を怠らない。・・・・・・宇宙連邦の十指に入るスナイパーは、命を奪うことを嫌った。それが例え敵であっても。・・・・だからこそ彼は銃の腕を磨く。殺さずに無力化するだけの技量を身につけるために。殺傷力のないパラライザーだけで戦うことを可能にするために・・・・・ 仕事屋たちが集まってくるこの界隈は多少物騒な地域ではあったが、今日はいつになく静かであった。 露天の店先に、こういった場所では珍しく製菓用品が並べられていた。気づいた彼は、ふっと微笑んですぐに小銭と引き換えにそれを買い求めた。知力、運動能力共に、同年代の子供よりもずっと上回っているパトリックであるが、他の子供と同じようにお菓子は大好きだ。そして、作る手伝いをすることも。・・・・魚の形とロケットの形の型抜きとタルトの型・・・・カイユンはこれを使ってパットと共に菓子をを作るだろう。・・・・・・ （私もたまには二人と一緒に菓子を作らせて貰うかな。） ロマノフは大切そうに腰の物入れに金型を入れた。 本当に・・・・・・・・平和な日だった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 何故私はここにいるのだろうか。 答がわかってはいるが、納得はできないことを自問し、宇宙戦艦ギャラクティックジョーズの有能なる副官は、深く長いため息をついた。その大きな息の音に、彼の近くに並んでいた若い娘がびくうっと肩をそびやかす。・・・・・・190cmを越える身長をもつ、軍服ではないのだがかっちりとしたスペーススーツを身につけたガタイのいい男・・・・・・・そんなニンゲンはこの行列の中には彼の他にはいなかった。彼の後方50ｍあたりで、プラカードを持ち、黒い小粋なエプロンを腰につけた青年が先程から同じことを繰り返し叫んでいる。 「お客様にお伝えいたします。本日発売予定の『フロレの夢』、こちらにお並びの方で既に完売となっております。また来季のご来店をお待ちしております。」 『フロレの夢』・・・・それは銀河のパティシエの目標となっている至高＆究極の菓子の名である。フロレの夢、それは限られた者だけが限られた期間にだけ味わうことのできる奇跡の甘味・・・・・・恋人のキスより甘く、舌も心も蕩かす魔法の美味。 惑星ラーナにのみ自生する植物フロレ。その開花期にハナバチが巣に集めた花粉を特殊な技術で微粒子とする。その粉を純粋なフロレの蜂蜜を少量加えて練り上げる・・・・・・これが菓子の“皮”の部分となる。その中に包み込むのは、前年に作って１年熟成させたフロレの実のジャムだ。３度にわたって裏ごしされたジャムには、みずみずしいフロレの花びらの細切りが混合される。そしてそこにも蜂蜜が加えられる。フロレの花からのみ集められた透き通るような黄金色の蜜だ。・・・・・・ジャムのもつ微かな苦味、花びらのしゃっきりした食感と仄かな酸味、そして蕩けるような蜂蜜の甘さ・・・・・・・・それはナイフで切ったとき、とろりと流れ出る寸前の柔らかさに調製されている。切ると同時にあたりにふわりと立ち込める花の香り。陽射しがあたればその光を反射して蜜がきらりと輝く。指でそっと持ち上げればその感触は赤ん坊の肌よりも柔らかく、思わず手を引いてしまいそう・・・しかしそれはしっかりとした弾力を持ち、崩れることはない・・・・味覚、視覚、嗅覚、触覚・・・・・四つの感覚でこの菓子は楽しむものなのだ。 『フロレの夢』を食べてから死ね。 誰が言ったか、その大げさな言葉はしかし、フロレの夢を食べたならば誰もが頷く言葉だという。 限定製作品の３分の１は、連邦の資産家によって予約され買い占められる。しかし、パティシエはこの菓子を一部の人間だけの独占品にしたくないという希望を強く持っており、３分の２は店頭販売されるのだ。・・・・・不幸な副官が並んでいるのはむろんそのための行列である。 彼のすぐ前に居る、若い女性の３人組が広げている情報雑誌は、某司令官が嬉しそうに振り回していたものと同じに違いない。・・・・・・“銀河甘味100選”・・・・全く、どこの誰が司令官にあんな雑誌を献上したのやら・・・・ （誰だかわかったら、胸倉を掴んで締め上げてやりたい・・・・・） 並び始めてから販売開始まで４時間。販売開始から実際に手に入れるまでが２時間。列に並んだ女たちの嬌声にいささか辟易しながら、並び続けたブルーは、６個の『フロレの夢』が入った洗練されたデザインの紙箱２つを持ち、大きくため息をついた。 ・・・・・こういう用事は「火種」「火消し」関係の派遣よりは遥かに良い。懐に隠し持っている武器を使うかもしれないような任務を楽しむような神経は彼にはないのだ。・・・・しかし、極秘の視察任務を終え、データを山ほど抱えた人間に、 「おお、ブルー。貴公、派遣先から帰還する前にちょっとばかり用事を頼まれてくれ！」 と、ばさりとマントを翻すか？普通・・・・・・思えばあの発言をする前に司令官のマントは異様なほどにはたはたとはためいていた。・・・・・ジンベエが何か言う前に逃げ出しておかなかったのは失策であった。 ・・・・・・・・そもそも派遣惑星とこのフロレは１000パーセクばかり離れているのだが・・・ 懐から断熱シートと保冷剤を取り出し、箱を手早く包むと彼はもう一度大きくため息をついた。 「キャーッ！」 「何よ、アレ！」 悲鳴が起こった。辺りの人々が一斉に空を指差している。ブルーは咄嗟に隠し持って居た銃に手をやる。 それは異様な光景だった。空間の一部がどす黒くなり、その中心にまばゆい小さな球が出現し、そこから周囲に向かって奇怪な生物が触手をのたくらせるように火花がスパークしている。この現象は・・・・・・・・ （時空転移か!?） 士官学校で大雑把に教えられた知識が頭を駆け巡る。時空変異の瞬間は初めて目の当たりにする。あ、いや、変異が起こった艦に乗り合わせたことはあるが・・・・ （ま、まさか・・・・・・） 少し青くなり、約束どおりに胸ポケットに入れていつも持ち歩いている蒼い絹糸のような髪束に布地の上から手をあてた。 （いや、そんなに早くは来ないと約束したはずだ・・・・しかし・・・・・） あの格闘娘は約束を破ったのか!? 冷や汗をかくブルーの目の前で黒い球体は膨れ上がり、スパークの光も規模も大きくなっていく。 カシッ！ 何かが砕ける音がした。あたりの風景は一瞬ポジからネガへと変わり、空間の構成物がガラスのような破片になって飛び散るような気配がした。そして・・・・向こう側に見える光景が変わった。・・・・・・洒落たブティックやレストランが並んでいたはずであったのに、今見えるのは乱立する埃っぽい怪しげな店たち・・・・・ そんな中、空中に一人の少女の姿が浮かんだ。いきなり現れた少女は誰かに追われているように背後を気にしていたが、ブルーたちを見下ろして高さに目が眩んだのかふっと気を失ったように10メートル以上の高さから落下してきた。 「いかん！」 ブルーは少女を受け止めようと走り出たが、前に居た一般人に突き当たって前に出るのが遅れた。思わず目を瞑ったブルーが目を開けたとき、そこに見たのはは少女を見事に受け止めた一人の男がしゃがんだ体勢からゆっくりと立ち上がる姿だった。 この男、只者ではない・・・おそらくは自分より遠い位置からダッシュし、的確な位置で少女を受け止める技量を持つもの・・・・・ブルーは身を固くした。ロマノフはといえば、異常な辺りの状況に気を配りながらも、腕の中で目を閉じている女の子を気遣っていた。・・・・・６歳くらいだろうか？暖かい茶色の素直な髪。ぎゅっと目を閉じているが、その顔は非常に可愛らしかった。手縫いのものらしい水色のギンガムチェックのエプロンドレスが似合っている。・・・・・・死んでしまった彼の娘のアニタのことを思い出し、ロマノフは少女の頚動脈に指をあて、脈がしっかりと打っていることに安堵の息をもらした。 「君は？」 いきなり声をかけられブルーはびくっとした。 「君はこの状況に何か関係があるのか？懐の銃といい、気配といい、一般市民ではないようだが。」 この男の前では誤魔化しは効きそうにない。ブルーは口を開いた。 「自分は・・・軍属です。この状況とは関連がありません。その子を受け止めようとしただけです。」 「・・・・コスモアーミーのどこに属しているのだね。」 「コスモ・アーミー？それは一体・・・・」 ここに到って、二人はそれぞれが異なった世界に属する者なのだと予測がついた。 「どうやら私達の世界では、時空転移と呼んでいる現象が起こったようです。」 ロマノフはこの青年を信用することにした。嘘をついている気配はないし、・・・・・この青年は少女を助けるために飛び出そうとしてくれたのだ。 「・・・・・・・『可能性』ということでは私も学んだが、実際にそんなことが起こるのか・・・・・・」 辺りを見回し、ロマノフは驚愕した。人々が動きを止めているのだ。どうやら自分が飛び込んだこの黒い球体付近では時間の動きがひどく遅くなるらしい。 「その子はいったい・・・・」 「私にもわからないが・・・・」 ロマノフは静かに少女を地面へと下ろした。少女の背はブルーが支えた。少女は肩から花の刺繍がされた布製のポシェットを提げていた。素性を示すものがないかとロマノフは探ったがイチゴ模様の小さなハンカチと髪の毛を止めるための、綺麗な桃色のガラス球がついたゴムが出てきただけで他には何もなかった。 と、少女はそっと目を開けた。長い睫に縁取られた円らな瞳は黒かった。 「大丈夫かい？痛いところはないかい？」 ブルーに言われ、少女はじっと自分の右に居る彼の顔を見たが、左側のロマノフ の顔を見た途端、ブルーから顔を背けてロマノフに甘えるようにギュッと齧りついた。 「大丈夫だよ。」 しっかり抱きしめるロマノフと、その腕の中で震えながらも安心しているらしい少女を見てブルーはショックを受けた。・・・・自分が強面であるとは自覚していたが、この見知らぬ男も自分も少女にとっては初対面のはず。・・・・・こうまで嫌われるとは・・・・ 一方のロマノフは少女の様子を心配していた。・・・・・この子は喋らない。泣く事もしない。何かのショックで言葉を失ってしまったのではないだろうか。 ジジジジ・・・・・・ 低い音が断続的に響いている。黒い球体は再び活性化して何かを吐き出そうとしていた。ロマノフはしがみ付いていた少女をブルーに託し、自分は銃を構えた。・・・・・・・・スペーススーツにフルフェイスのヘルメット姿の男が出現した。ロマノフはパラライザーを男の肩口に向かって放ったが、ダメージは与えられなかった。 「特殊素材か・・・・」 出力をあげ、レーザー領域に合わせる。その隙に男は空中から飛び降りていた。 男はブルーが抱える少女を見、ヘルメットの陰で笑った。そうだ、逃げられはしないのだ。こんなに素晴らしい素材を放っておけるわけがない。 男はブルーの額を狙って銃を撃った。ブルーは少女を降ろし、後ろに庇って自分も銃を抜く。・・・それが間違いだった。・・・・・敵は一人ではなかったのだ。２人目、3人目が次々と現れ、回り込んだ一人が少女を素早く抱え上げた。 「！」 一人の足を撃って負傷させたロマノフが向き直ったが間に合わなかった。少女は声こそあげなかったがロマノフに向かって「助けて！」というように必死の眼差しを向けていた。・・・・・少女を抱えた男は再び黒い球体の中に飛び込んで消え、負傷した男も、もう一人も次々に飛び込んで消えていった。 ロマノフは躊躇しなかった。自分は小さな自分の娘を助けられなかった・・・・しかし今度は助けられるかもしれない。黒い球体の中に飛び込む。・・・・・息苦しさが一瞬彼を襲ったが、すぐにそれは消え・・・・・・・鋼鉄の壁で作られた何かの施設らしきところに転移した。 「ここは・・・・・」 自分の横に大柄な青年が立っているのに気づき、ロマノフははっとした。 「君も来たのか。」 「・・・・・・・あの子から腕を放してしまったのは私ですから・・・・・・」 「私の名はロマノフ。」 「私はブルーといいます。」 「ブルー君か・・・・・・宜しく頼む。」 二人の大柄な男は握手をした。 カンカン、という足音が聞こえる。そして床には先程ロマノフが撃った男のものらしい血のあとが・・・・ 「行くぞ！」 銃を構えた二人は音の方に駆け出していった。 |
| 43210hitを踏んでいただいたAkiさんからのリクです。総合的な能力はどちらが上なんだろうかというと、単純な力（と薔薇のトゲ抜きや顎落とし）を除いてロマノフの方じゃないかと思うので、年齢のこと（ロマノフ39歳、ブルー29歳）もありますから、このコンビではロマノフ主導です。 『フロレの夢』は川原泉さんの漫画『ブレーメンII』に出てきた『惑星フロリナの花粉団子』を参考にさせていただきました。・・・・・・司令官のお使いって多分こういうことなんだろうと思ったんですが・・・Akiさん、こんな出だしでよろしいでしょうか・・・・少し間は空くかもしれませんが頑張って続きを書きます。 |