銀の硬貨・金の硬貨
「あの、そんなにレースをたくさん使わなくともよいのではないでしょうか。」 微かな光沢を放つ雪白の生地の上に山ほどの、そして様々な模様のレース飾りを広げられ、アルテナは戸惑いつつ言った。 すると、背の低いお針子頭が胸をそらし、鼻息荒く言った。 「これでも地味なくらいです！……アルテナ様は普段はいつも軍装でいらっしゃいます。私達は丈夫で分厚い生地を縫い続け、太くて長い針ばかり使って参りました。うちの宿六には、“馬具を縫っているのか”とさえ言われたことすらございます。……しかし、いいですか、今度は結婚式なんですよ！私達お針子に腕をふるわせてくださいまし！どうか薄い絹地やふんわりしたレースを思う存分縫わせて下さいませ！」 「でも、……おそらく一度しか着ないものですし……」 「花嫁衣裳を二度も三度もお召しになられるわけがないでしょう!!」 アルテナは肩をそびやかした。いつも凛としているミーズの女太守は、このお針子頭の前ではいつだって見知らぬ場所に連れ出された小さな少女のように落ち着かなかった。 「私達は全身全霊を込めてアルテナ様のご衣装を調えさせていただきます。それに、お考え下さい。きっとフィン様も美しく装われれば喜ばれますよ。」 アルテナは、先ごろ婚約した槍騎士のことを思い、左手に嵌めた飾り気のない銀の指輪を触りながら首を小鳥のように傾げた。 「そうではないと思います。婚約式のときに縫って下さった、あの薄桃色の地に細かな花の刺繍があるドレス。……リーフやナンナは褒めてくれましたが、フィンはあまり熱心に見てくれませんでした。“どうですか”って訊ねたのですけれど、目を反らされてしまいました……私は長い間武人として過ごしてきましたから、ドレスなど着てもあまり似合わないのでしょう。」 至極真面目に嘆息するアルテナを見、もう十分にいらいらしていたお針子頭はここで爆発した。誰が見たってアルテナは稀代の美女ではないか。そりゃあ、軍装だって似合う。女であっても惚れ惚れするほどだが、細い腰も、なだらかなうなじの線も、お針子だったら着せたいドレスが次から次へと頭にうかぶじゃないか。それを、あの槍騎士殿といい、御本人といい……。 「それはフィン様が朴念仁すぎるからですわ!!いいえ、アルテナ様も鈍感すぎます!!いいですか！お二人はご婚約なさっているのでしょう？今度ご結婚なさるんでしょう！指に嵌めていらっしゃる銀の婚約のリングは、もうすぐご結婚の証の金のリングに変わるのですよ!?」 「はい。何事もなければ。……そうあって欲しいと思います。」 ああ、もうもっと浮かれて下さってもいいのに!! 「とにかく！」 お針子頭はトン、と生地をへらで打った。 「この中からお好きなレースを選んでいただきますからね！袖口と、衿ぐりと、裾と、スカートと！さあ！さあ！どうぞお選び下さい。」 六人のお針子達に取り囲まれ、アルテナはがっくりと頭を垂れた。ここで“ひらひらふわふわしたもの”との格闘をしない限り、政務や槍の修練には送り出してくれそうにはなかった。 「……ということを言われたのだけれど、私は鈍感すぎるのかしら。」 レンスター城に弟を訊ね、彼の伴侶であるナンナと午後のお茶を楽しんでいるとき、アルテナは淡々と話した。 「リーフ、ナンナ。あなたたちが婚約しているときにはどんな風でしたか。」 リーフは口に含んでいた紅茶を吹きそうになり、ナンナに笑われた。 「どんな風って……ナンナとは子供の頃からずっと一緒でしたから、婚約したからどうってことはあんまりなかったのじゃありませんか？姉上が見ていらした通りですよ。そりゃあ、二人っきりの時にはちょっとまあ違ったかな。」 ねえ、ナンナ、という夫に、ナンナは頷いた。 「姉上だって今までとは違うでしょう。」 アルテナは微かに頬を染めた。 「それは……仕事が終わった後、必ず話をしにきてくれるようになりました。今までしてくれなかった話もいろいろ聞きました。リーフ、貴方達が小さかった頃のことも…………そうですね。あとは……フィンはなんだか以前より難しい顔が多くなりました……」 「はあ？」 「だから難しい顔、です。……嬉しいのですけれどね。取り繕った表情を見せられるのではなく、素の顔を見せて貰えるのは。」 さすがのリーフも前にのめった。 ｢姉上。それ、何か違いますから。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ……ということで、国境付近でも大過なく……どうしました？」 夜、騎士が部屋に来ているとき、アルテナは少しぼうっとしてしまったらしい。あのあと、リーフたちと話をしてみたが、フィンと自分の今の関係は、世間一般の婚約者同士とは今一歩、いや、相当ずれているらしい。……幸せでないというわけではない。こうして一日の終わりに寄り添って話をし、相手の指に嵌められた自分と揃いの指輪をみるたび、頬がふわっと温かくなる。しかし、武人として育てられたアルテナとても、恋する娘らしい欲はある。小さい頃の記憶として胸に焼き付いている、傍から見れば気恥ずかしいほどの仲睦まじさだった父と母のようになりたいと幾度思ったことか。だが、その欲は、自分達には似合わないものだと思っていた。 「な、なんでもありません。」 「加減が悪いのでしたら、医師を呼びますが……」 心配げに顔を曇らせ、額に手をあてる騎士からアルテナは遠ざかった。 「なんでもないのですってば！フィンこそ気をつけて下さい。今日もだいぶ激務だったのではありませんか。ゆっくり休んで下さい。」 槍騎士は私は大丈夫ですよ。アルテナさまこそ、ゆっくりお休み下さいと言い、深々と一礼し、部屋を辞した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 翌日、自室で寛いでいるフィンのもとに、大きなトレイを持ってアルテナが現れた。トレイの上には切り分けた四角い茶のケーキが載っていた。 「どうなさいました。」 「宜しかったら味見してくださいませんか。カパドキアに滞在しているコープルが城にやってくるのです。もてなしの為に簡単な菓子を焼いたのですが。」 鼻先にトレイを笑顔で突き出されたフィンは顎に手をあて、四角いケーキを眺めた。そして、角の、最も小さく、少し焦げているところのある少し形の崩れたひとかけを手にとり、齧った。いい味だ。ただ、甘いものが好きなコープルにとっては、少しものたりないかもしれない。二口目を口に入れ、フィンはおや、という顔をした。歯にあたった金属の感触。そっと手のひらの上に受けてみれば、それは一枚の銀貨であった。 「すみません。私は“特別な一かけ”を引いてしまったようです。」 レンスターには、客人をもてなす時、ケーキの中に硬貨を入れることがある。昔、エスリンもキュアンやアルテナの誕生日、そして、自分の誕生日にも硬貨をいれてケーキを作ってくれた、そう、フィンは思い出した。確か、硬貨の入ったケーキを食べたものには幸運が訪れる。そうだっただろうか。何かもっとあったかもしれないが、忘れてしまった。 アルテナは首を振った。 「コインは裏から見えないように差し込んでおきますから大丈夫です。それより味はどうだったでしょうか。」 「落ち着いた味で、私はおいしいと思いました。でも、コープル様にはもう少し甘味を強くした方がいいかもしれません。お持ちいただいて有難うございます。一息つけました。……」 アルテナの左手をとり、接吻しようとしてフィンはやめた。まだこのようなことをしてよいときではないだろう。自分は騎士で、彼女は主君だ。 アルテナは何か言いたそうであった。が、結局何も言わなかった。彼女は嬉しそうであり、また悲しそうでもあった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「……と、このようなことがあったのだが。」 生真面目に相談してきたフィンに対し、グレイドは髪を掻いた。 「貴様、のろけているのか。」 「……のろけているように見えるか。」 「いや、他の男ならばともかく貴様の場合には見えん。だが、通常は婚約した相手が手作りの菓子を持ってきたことを他人に話すのはのろけ以外の何者でもないだろう。……俺に何を相談したいのだ。」 「いや、アルテナ様の表情がどうにも気になる。いろいろなことを一人で抱え込む方だから、或いは私に相談したいのだが、できないことがあるのかもしれぬと思えてな。」 すると、小さな娘を寝かしつけてからやってきたセルフィナが呆れたように言った。 「確かに。言いたいけれど言えないことがあるのでしょう。ウチの旦那様も鈍感ではあるけれど、フィン、あなたはそれに三重に輪をかけたくらい鈍感なんですから……ケーキの中の硬貨にどんな意味があるか、私も子供の頃にあなたに教えたことがあったはずよ。お菓子の中に入ったコインは幸運を運んでくるというけれど、普通は銅貨を使うわ。金貨と銀貨にはまた別の意味をもたせることが多いの。思い出せない？」 フィンとグレイドは顔を見合わせた。確か……フィンは古い記憶を掘り起こした。昔、エスリンが食べたケーキに金貨、キュアンが食べたケーキに銀貨が入っていたときには…… 「そう。フィンはわかったようね。」 旧くからの知人の表情の変化を見、セルフィナはくすくすと笑った。 「つまりアルテナ様は、あなたにケーキから銀貨を見つけさせてお願いがしたかったのよ。」 「しかし、私があの一片を取ることはアルテナ様にもわからなかったはず。あの四角いケーキは16の断片に分かれていたのだ。」 「いいえ。アルテナ様は、フィン、あなたが、その特別な一片を取ることをご存知だったのよ。」 「？どういうことです。」 セルフィナは新人の騎士にしきたりを教える教官のように一語一語噛んで含めるように言った。 「あなたが取った一片は、少し形が崩れていて、小さかった。そう言いましたね。……いかにもあなたが取りそうな条件を揃えているわ。そして、フィン、焦げているように見えたということだったけれど、食べた時に焦げた味はしました？」 「いや、そういわれてみると……」 「おそらくココアの粉でもといて塗られたのでしょうね。……そういう方だわ、アルテナ様は。あなたがアルテナ様の思うとおりに硬貨を入った一片を取ってくれて、きっととても嬉しく思われたのでしょう。でも、あなたはそのときの対応を間違ったわ。あなたは、謝罪するのではなく、『私は銀貨をひきました。願いはなんでしょう。どうぞおっしゃって下さい』と言うべきだったのよ。……よいこと？婚約中というのは幸せだけれど強く不安を感じる時期でもあるのだから。いろいろと気遣ってあげなくてはいけないわ。あなたはアルテナ様よりもずっと大人なんですからね。」 そういうものなのか、というグレイドにセルフィナはそういうものなのよ、と確信を持っていった。しかし、フィンは首を振った。 「いや、そういうことはないと思う。……もし、私に対して何か願いがあってもアルテナ様はそのような子供じみたことはなさらないのではないだろうか。今回の銀貨のことはやはり偶然なのでは。」 尚も納得がいかないらしいフィンに、セルフィナはむっとした。 「それじゃあこうしましょう。……あなたが偶然と思うのなら、偶然でもいいでしょう。あなたにはとことん偶然に振り回されて貰います。そうね、一週間くらいしたら、私は金貨を入れてケーキを焼きます。それをアルテナ様の所に持って行って一片選んでいただいて頂戴。そこに金貨が入っていたら、あなたはアルテナ様のお願い事を無条件で聞くこと。そうだわ、そういうことにしましょう。残りのケーキは返して下さいね。無駄にはしたくありませんから。」 本人の意思に無関係にセルフィナは楽しそうに言った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ セルフィナが焼いて来たのは、大きな丸いケーキであった。ケーキの縁のぐるりには、12個の胡桃が飾られ、その胡桃が一つずつ入るように切り分けられている。 「何でもセルフィナ殿の最高の自信作ということです。アルテナ様ご自身で一片選んで欲しいと言われました。」 ケーキは形よく作られており、12個のそれぞれにはほとんど差はないように思えた。アルテナは少し視線をさ迷わせてから一つを皿に取りわけた。 槍騎士が見守る中、王女はケーキを口にし、あら、と言って、口の中から金のコインを取り出した。 偶然とは怖ろしいものだ、とフィンは思いながら咳払いをした。そして、セルフィナ達との話をし、願いがあるのなら、遠慮せず言って欲しいと言った。アルテナは、言おうかどうしようか随分迷った末にある願いを言った。 するとフィンの顔色が変わった。ありていに言って真っ赤だ。 「……それは……」 「へ、変ですか？でも、リーフ達はそうだった、と。フィンが嫌だ、というのなら、聞かなかったことにしてください。」 「いえ、変、ということではなく……過去、自分がいかに畏れ知らずであったかと……」 「ダメ……ですか？」 しごく真剣に必死に……そして、何より、無闇に可愛らしく上目遣いに自分を見つめるアルテナにフィンは慌てて顔の前で手を振る。 「いいえ……本日より善処いたします。……いや、それは“善処する”というようなことではありませんね。……他にも何かおっしゃりたいことがあるなら、どうぞおっしゃってください。……ご覧の通り、私は不調法者ゆえ、アルテナ様への配慮が足りない部分が数多くあることでしょう。」 するとアルテナが立ち上がり、フィンの胸に頭をつけると袖を両手でぐっと握った。 「……多くは望みません。……お母様とお父様のように睦まじく居られれば。」 長い沈黙があった。 「……それだけは無理かもしれません。」 え？と顔をあげたアルテナの目に、眉を下げたフィンの顔が映った。 「キュアン様とエスリン様のようなことは……さすがに気恥ずかしくて私には無理かと。」 アルテナが笑った。フィンはその様子に目を細めた。 後年、自分達がキュアン達をも凌ぐ睦まじさで周囲を驚かすことを、この二人は夢想だにしていない。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その翌日、フィンに会ったグレイドはその仏頂面に驚いた。一体どうした。例の件はどうなったのだ、と聞くと、フィンは“偶然とは怖ろしいもので、アルテナ様は金貨の入った一片を選ばれた。私もセルフィナ殿との約束を守った。”と答え、鼻のあたりを赤くした。 「憂慮していたようなことはなかった。アルテナ様の願いはほんの小さなことだった。」 「どのようなことだったのだ。」 「『子供の頃にしてくれていたことをしてほしい』と、ただそれだけだっだ。」 それは一体何だ、と聞くとフィンははあああ、と息をはいた。 「訊くな。これでも俺は最大限にのろけているのだぞ。」 それのどこがのろけているのだ、と追求する前にフィンには逃げられたが、その後、幸せそうなアルテナとすれ違い、グレイドはきっと物事はよい方向に動いたのだと感じた。 館に戻り、セルフィナにことの首尾を報告すると、奥方は満足げに微笑んだ。 「昔から感じていたけれど、フィンはこういうことに関してはつついてあげないと駄目な人ね。ああ、でも、今回のことは我ながらうまくいったわ。」 そのことだが、とグレイドは不思議そうに訊ねた。アルテナ様が、金貨の入った一片を選んだのはどういう仕掛けなのか。事前にお報せしたのか、と。 するとセルフィナはくすっと笑った。 「そんなことはしません。……そんなことをあの潔癖なアルテナ様がお認めになるわけがないでしょう？」 「ならば、特別な魔法でもかけてあったのか？」 「そんな魔法があるのならお目にかかりたいものだわ。……魔法はかかっていませんけれど、あのケーキには随分とお金がかかっているのよ。」 訝しがる夫に、セルフィナは片目を瞑って見せた。 「何せ、中に12枚も金貨が入っていましたから。」 |
| ６周年記念リク聖戦 甘いの書いてみましょう 聖戦で何を書こうか床ローリングしまくって悩みまくっておりましたが、悩んでいるうちにエイプリルフールを迎え「も、もういっそ、ここは“だだ甘になりそうにもない人たちでだだ甘の話に挑戦するという、通常ではありえない管理人にしては高いハードルを設定して勘弁していただこう」という暴挙に出てみました。 ……って、これ甘いのか!?(自分的にはだだ甘です)いやはや、甘いの甘いの甘いのと呪文を唱えながら書こうとすると、中身がなくなるものですね。……とにかく今回は内容なしで甘いの甘いの甘いの…ということでつっぱりしりました。 アルテナはエスリンとキュアンの血筋なので、フィンがいくら堅物でも、ゆくゆくはあんな風になってくれたらイイ。あの世からキュアンとエスリンが叱咤激励してくれたら素敵だ。歳の差身分差万年新婚夫婦万歳！(←普段書き付けないものを書いて頭のネジがすべてゆるんでいるようです) そしてアルテナがフィンにした「お願い」は皆様がそれぞれに想像してやってくださいませ。私自身が設定したモノはあるにはありますが、皆さんがお考えになるものの方がきっと甘くて素敵なことだと思います。個人的に“甘いの”って、個人の想像に任せられた余地があるほうが“甘さ三千倍(←なぜに三千？）”になると思うんですよね… そして、ゲームそのものでは守備がほとんど上がらず扱い辛かったセルフィナさんが書きながらどんどん好きになっていきました。いや…つくづく幼馴染とか旧友とかそんなのに弱い管理人です。 |