世界にただ一つの・・・・・
１ はじまり 地上から遥かに離れた雲の上に、壮麗な白亜の城がある。そこには龍の神が住んでおり、この世界を見守っているという。その城を『天空城』といい、純白の羽と強大な魔法力を持った『天空人』と呼ばれる美しく穏やかな人々がそこで暮らしている。 天空城の傍らには、広い花畑があり、いつでも可憐な花が咲き乱れている。地上にあるすべての花でここにないものは無く、地上には咲かない花さえも丹精込めて育てられている。 この花園の護人（まもりびと）はさぞや徳を積んだ天空人であろう・・・・・咲き乱れる花を見た訪問者は誰でもそう想像するらしい。しかしながら実際にはここで花を咲かせているのは、一匹の小悪魔なのであった。邪悪な気配は全く感じられないのだが、二本の角、尖った尻尾、そして体を覆う紫色の毛は紛れも無く悪魔そのものであった。 あいつは過去の贖罪のために花を育てているんだよ。 事情を知る天空人は言う。 その言葉に間違いは無い。しかしながら、花を育てるという行為は龍の神が小悪魔に課した刑罰ではない。龍の神がこの小さな魔物を拾い上げたとき、言ったことはただ一つであった。 『汝、小さき魔物よ。汝自身が成すべきだと思うことを成せ。』 小悪魔は何をして良いのか全くわからなかった。天空城に連れて来られたものの、彼には頼る者が誰もいなかった。天空人たちはなぜ彼らのマスターである龍の神が小さな魔物に拘るのかがわからず、小悪魔に寄せる視線は冷たかった。 城から出、ここでは地面に相当する雲の上に座り込んでわあわあと泣いていると、涙が零れ落ちたところから小さな草が芽を出した。小悪魔は目を丸くした。自分は卑しい存在であり、その自分が流した涙から、こんなに綺麗な緑色の植物が育つとは思わなかったからだ。 その草を育てて小さな花が咲いたとき、それは優しい香りを漂わせた。甘い蜜はミツバチを呼び、天空人たちは、微笑みながら誰がこの美しい花を咲かせたのだろうと口々に言い合った。 一人ぼっちの小悪魔は嬉しかった。花を咲かせられたことも嬉しかったが、花を見て天空人たちが幸せな顔をしてくれるのが嬉しかった。 ・・・・・・・その嬉しいという気持ちは、天空城に来る前には感じ得なかったことであった。 小悪魔は龍の神のところにいき、花を育てる場所を貸して下さい、と頼んだ。何をしてよいのかわからないけれど、自分にできることから始めたいから、と。 小さな花園はだんだんその広さ増して行き、見渡す限りの花の絨毯のようになった。小悪魔は一日に水の湧き出る泉と花園を何十往復もして運んでいたが、あるときを境として、彼の使っていた古ぼけたじょうろからは光のシャワーが吹き出すようになり、その光で、植物は水を浴びたのと同じように、いや、それ以上に生き生きとして成長し花を咲かせた。そして草花の出す小さな声を聴くことができるようになった。丁寧に世話をすると草花は喜んでくれる。それを知ってますます小悪魔は張り切った。 如雨露を片手に、三本の短い指の生えた手で移植こてを握り、大きな麦藁帽子を被って作業している小悪魔に優しい声を一人の天空人がかけ、それからすぐに多くの人々がやってきて花園を褒め、小悪魔と握手し、時には作業を手伝ってくれた。今では天空城が立てられたときからの住人のように扱われ、無くてはならない存在となっていた。 それでも小悪魔は寂しかった。自分は他の天空人たちとあまりに違っているのだ。・・・・・善行を積めば、あの美しい人たちと同じになれはしないだろうか、と彼は夢見ていた。龍の神が魔法で姿を変えてくれるのではないかと期待していた。 しかし、いくら花園を拡げても、いくら美しい花を咲かせても、こうもりのような羽は純白の羽毛に変わってはくれなかったし、尖った尻尾は短くさえなってくれなかった。・・・・・・・ここではやはり自分は一人ぼっちなのだ。自分は天空人ではなく紫色した小悪魔なのだ。 水平線に沈む太陽が、雲を下から茜色に染めている。その暖かな色の光の中で小悪魔はすっかりしょげて花園に座り込んでいた。ぽろりと涙が一つこぼれ、何をやってよいのかわからなかったときのようにわあわあと泣いた。彼が丹精込めて育てた花たちが、 “ナカナイデ” “キミガナイテイルトカナシイヨ” と慰めてくれていたが、今の彼には草花たちのことばも聞こえていなかった。 「どうしたの？」 優しい声が上からかけられた。小悪魔がしゃがんだまま見上げると、そこには天空人の美しい女性が一人立っていた。燃えるようなオレンジ色の髪は豊かに波打って腰まで届き、サファイアのような瞳がじっと小悪魔を見つめている。 今までにもここに何度か来た人だった。しかし、その背から生えている純白であるはずの羽は、少し黒ずんでいた。 “私もあなたと同じように、昔罪を犯したの。だから汚れてしまったのよ。” 彼女は自分から教えてくれた。それ以来小悪魔はこの美しい女性に親しみをもっていた。 「おいら・・・・おいら、本当にここで皆の役にたっているのかな？」 赤い髪の女性は微笑むと頷いた。 「皆、花園を美しいと言っているわ。そして、ここにくると安らげる、優しい気持ちになれる、って。」 小悪魔は一度しゃくりあげると首を振った。 「それは・・・・おいらのせいじゃない。この花たちが頑張って咲いてくれたからだよ。・・・・・・おいらは魔法が使えない。役に立つ道具をつくることもできない。おいらは魔物だよ？悪魔だよ？しっぽがあってこうもり羽が生えた悪魔だよ・・・・・・。おいら・・・・・・ここではみんな良くしてくれるけど、この雲の下に下りたらきっと人間たちはおいらに石を投げるだろう。悪い魔物だっていじめるだろう。・・・・・・・・・・おいら、地上ではいいことなに一つもせず、悪いことばかりしてた。・・・・・・・・そんなこと考えたら悲しくなってきちゃって・・・・」 女性は小悪魔の隣にしゃがむとそっと彼の頭を撫でた。 「あなたは“しるし”が欲しいのね？」 「・・・・・しるし・・・・・？」 きょとんとする小悪魔に女性は頷いた。 「役にたっているという印。病人が回復する、とか、険しい山道に道ができて旅がしやすくなる、とか。地上の人間にも自分が認めてもらえる印がほしいのね。」 しばらくたって小悪魔はこくん、と頭を前に倒した。 「・・・・・・・・あなたはここから動くことはできないけれど、地上の人たちに贈り物をして御覧なさい。そして、あなたの贈り物を人間がどんな風に受け取るのかをここから“遠見の鏡”で見てみるといいわ。贈り物を本当に喜んでくれたなら、あなたは人の役にたっていることがわかるわ。」 それはとてもいい考えのように思えた。が、小悪魔ははあ、と息をついた。 「おいら、そんなことできる力、もってないよ。」 「私が力を貸しましょう。」 「え？・・・・い、いいの？天空人さんたちって龍の神様に断らないで地上に関わっちゃいけないって・・・・」 女性はくす、と笑った。 「良いことをするのにマスターが反対なさるわけはないのよ。・・・・もしものときには私が責任を持つわ。」 小悪魔は喜んで花園の端の方まで走っていくと、仄かな光を放つ、赤ん坊の拳ほどの大きさの球根をいくつかすぐに掘ってきた。 「これ、頑張って作ったんだ。おいらのじょうろからの光のシャワーがなくっても、強い想いを感じれば、それに見合った花がきっと咲いてくれる球根だよ。」 三本指を器用に使って魔法の布で作った落下傘に結びつける。 「こうすればきっと遠くからでも気づいてくれるよ！」 数個の落下傘を手早く作った小悪魔はそれぞれの球根のぐるりに腰の物入れにいれてあったとっておきの色とりどりのリボンを苦労して蝶結びで結んで飾り、一度球根をぎゅっと抱きしめてから女性に渡した。 女性は球根を空中に投げ上げた。魔法によって浮遊した落下傘つきの球根は、一度空中の一点に集まり、その直後にきらきらとした光の軌跡を残して四方八方へと散っていった。 「どこに落ちるのかな？誰が拾うのかな？」 「それはあなた自身の目で見てごらんなさい。」 小悪魔は女性が懐から抜き出した手鏡を覗き込んだ。 ここから遠く離れたどこか。世界さえもちがうどこか。 誰が球根を拾って、どんな花を咲かせるのか・・・・・あなたも小悪魔と一緒にご覧下さい。 |