ソーンダイクと昆虫採集

宇宙には”仕事屋”と呼ばれる者達がいる。彼らは惑星開発、物資輸送、科学的調査、救難作業、産業スパイ……技能に応じてだがありとあらゆる仕事を引き 受ける。そのほとんどが十名前後からなる小規模のチームであり、苛酷な状況の中を生きていくだけあって、多少の危険はものともせず、利益の為とあれば人殺 しも辞さないあらくれ男の溜り場であった。 　彼らは大きな仕事が山ほどあり、食いはぐれることのない開発宙域に結集してくる。 　今、ここにそんな仕事屋の定義からは少し外れた奇妙な仕事屋チームがいる。 　彼らの愛機はとある温暖な気候の惑星に滞在中である。 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　宇宙船アケルナル内で某家事担当が『居間』と呼んでいる空間の、ふかふかしたソファー(「ソファーっていうものはふかふかしていなければいけないんです！」とカイユンは力説する。)に腰掛け、当年とって七歳のパトリックは、大きな分厚い図鑑を膝の上にたてて開きじいっと見入っていた。 　このくらいの年の男の子のごたぶんに漏れず、パットは図鑑が大好きだ。きっかけはカイユンが買い与えた『うみのいきものずかん』だった。イルカにクジラ、魚からタコイカカニイソギンチャクからウミウシのページにいたるまで何度も読み返しページの端は随分擦り切れていたけれど、手軽にダウンロードできる３−D映像の方がより実物の姿をダイレクトに伝えているけれど、今でもパトリックの一番大切な宝物だった 　本棚の図鑑は少しずつ増えている。恐竜の図鑑、星の図鑑、船の図鑑…………そして、この惑星に到着してすぐに本屋に行ってカイユンと一緒に買ったのが今夢中になっている『こんちゅうの図鑑』だった。特にお気に入りなのはカブトムシ。古今東西、虫の種類に数あれど、子供達が夢中になるのはつやつやと黒光りして大きくて強い虫。パトリックの目はその中でもひときわ大きな奴に釘付けになっていた。 　虫の横に書かれた説明を読んで、パットはがば、と辺りを見回した。……ジョーとロマノフはお仕事に行ってしまった。カイユンは夕ご飯を作っている。マリオは……なんだかよくわからないけれどとにかくアケルナルの中にはいない。 　となれば……やっぱり…… 　「ねえ、ソーンダイク！」 　ソーンダイクはパコパコとキーボードを叩いている。しかし、パットは知っている。ソーンダイクは目立った反応をしてくれないけれど、パットの言うことはきちんと聞いていてくれる。 　「ねえ、凄いんだよ、このカブトムシ。１ｋｇもあるおもりを引っ張って動けるんだよ。この星で一番強い虫でね、森の王様って言われてるの。木の幹から染み出す蜜を舐めるんだけれど、蜜を横取りしそうな大きな虫がきたら、蹴散らしちゃうんだ。でも、小さな虫や蝶々は追い払ったりしないんだよ。王様だから、ちっちゃな虫がちょっとだけ蜜を分けて貰いにくるのはぜーんぜん気にならないんだよ。ねえねえ、ソーンダイクはこの虫の名前を知ってる？」 　ソーンダイクはちょっとだけ図鑑に目をやって首を傾げた。数字や文字の情報は博覧強記といってもいい彼であるが、実のところこういった分野は常人よりも弱かったりする。……つやつやと黒っぽく光っている体から六本の足が生えている。…………皆同じだ。どの虫も皆同じに見える。 　「知らないの？」 　パットはなんだか嬉しそうだった。 　「ツヤムラサキオオカブトムシっていうんだよ！すっごく格好いいよね！すっごく！」 　パットは瞳をキラキラと輝かせ、ソーンダイクの顔の前に図鑑をぐい、と差し出した。ソーンダイクは濃茶のサングラスの奥からじいっと「ツヤムラサキオオカブトムシ」の記述を網膜に焼き付けた。 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　「え？ソーンダイクさん、何ですって？」 　大鍋の横で夕食の支度をしながらカイユンは聞き返した。 　「…………節足動物門…………」 　「え？節足動物ですか？……今僕が持っているカニも節足動物ですよ。」 　カイユンはカニを握って差し出した。全長40〜50ｃｍはある大きなカニはわきわきと幽かに足を動かしている。ソーンダイクがカニの足の動きに合わせて、ぴく、と肩を動かすと、カイユンは嬉しそうにカニを振り回した。 　「見事なカニでしょう？市場で魚屋さんのおじさんがすっごくオマケしてくれて、安く買えたんですよ。あ、お湯が沸いた。でも、このままじゃ大きすぎてお鍋に入らないや。」 　カイユンは躊躇せず、まな板の上にカニを置くと、包丁を握って笑顔でスコーンとカニの足を切り落とし、足も、本体もぐらぐら煮立った湯の中に嬉々として放り込んだ。ソーンダイクは片足立ちになりシュタッと飛び退る。 　スプラッタ？ 　いや、カイユンは新鮮な食材をセオリー通りに調理しただけなのだが。 　「あの、それで、節足動物がどうしたんですか。」 　片足立ちになったままのソーンダイクをちょっと心配そうにカイユンは見、調理の手を止めて、キッチンの隅にある丸椅子を持ってきて座らせた。 　「…………節足動物門　六脚亜門　外顎鋼」 　「外顎鋼というと、昆虫ですね。昆虫が何か？」 　「節足動物門　六脚亜門　外顎鋼　甲虫目　コガネムシ科」 　「……えーっと……もしかしてカブトムシのことですか？」 　コクリ、と一つ頷き、尚もソーンダイクは続ける。 　「節足動物門　六脚亜門　外顎鋼　甲虫目　コガネムシ科　カブトムシ亜科　真性カブトムシ族　ツヤムラサキオオカブトムシ」 　……………………博覧強記、恐るべし。 　「…………わかりました。けど、そのカブトムシをどうしたいんですか。」 　「……捕まえ方。」 　何故捕まえたいのかはわからないがこうなったら答えを知るまでソーンダイクは梃子でも動かない。 　カイユンも『ツヤムラサキオオカブトムシ』を捕まえたことはないが、一般的なカブトムシの捕まえ方を伝授した。曰く、夜から明け方に捕まえに行くこと。曰く、幹から樹液が滲みだしているところを探すこと、曰く、手の届くところなら背中側から手で掴んで、高い場所なら補虫網を使うこと、………… 　「でも、ソーンダイクさん、一人で捕まえに行っちゃいけませんよ。捕まえたいときには僕に声かけて下さい。そしたら一緒に網を持って……」 　最後の注意のときには既にソーンダイクは聞いちゃいなかったのだが、カイユンはそれには、気づいていなかった。 　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　深夜、宇宙港に程近い森。 　身長190ｃｍのヒョロ長い怪しい人影が、どこで調達したのか子供用の補虫網を片手に持ち、緑色のプラスチック製の虫籠を肩から斜めにぶら下げて、ヘッドランプを点らせてひょこり、ひょこり、と歩いていた。 　ただただ、ツヤムラサキオオツノカブトムシを捕まえるため。 　捕まえて、パトリックの喜ぶ顔を見るため。 　因みに、他の面々は仕事に出掛け、ソーンダイクはパトリックと留守を任されていたはずだったのだが……まぁ、留守番はパトリック一人で十分だろう。……いや、パトリック一人の方がいろいろなものを撃退しやすいかもしれない。 　先程から木の幹をじっと見ながら移動しているのだが、それらしきものは見当たらなかった。……写真は頭からすっかり抜けてしまったけれど、名前ははっきり覚えている。ツヤムラサキオオカブトムシ……カブトムシのようなものは何匹もいたけれど、ツヤがなかったり、ムラサキでなかったり(ソーンダイクはサングラスを外して確かめたのだ。たしかにアレはムラサキではなかった)、大きくなかったりした。ツヤムラサキオオカブトムシというからには、ツヤがあってムラサキで大きくなくてはいけないに違いない。 　ソーンダイクは悲しんだ。 　これではパトリックを喜ばせることができない。 　さっきから随分歩いているのに、ちっとも見つけることができない。 　ここにはツヤムラサキオオカブトムシはいないのではないだろうか。 　どこかに旅行に出掛けてしまったのではないだろうか。 　もしかして旅行ではなく仕事にいっているのかもしれない。 　昼に太陽に当たりすぎて熱が出て家で寝ているのかもしれない。 　実際には、ソーンダイクは大きな円を描くように歩いていて同じ場所をぐるぐると回っていたのだが、ゆうに二時間たっても彼はそれに気づいてはいなかった。 　……はあ、と大きく息をついて上半身を倒した途端、濃茶のサングラスを通してソレは彼の目に飛び込んできた。大きい！艶々している！そして、サングラスを外してじっくり見ても紛れもないムラサキ色だ！ 　ソレは植物のツルのようなものに捕まって、森の中を吹く風にゆうらりゆらりと揺れていた。ソーンダイクははやる気持ちを抑え、そうっと近づき、目を瞑って(なぜ瞑ったかはわからない、とにかく反射的に瞼が閉じたのだ)ソレを指で掴み、緑色の虫籠の蓋をあけると中に突っ込んだ。ソレはぎゅうぎゅうと押し込まないと蓋を閉めることができないくらい大きかったのだが、ソーンダイクはとにかく詰め込むことに成功した。 　ソーンダイクは小躍りした。 　「節足動物門　六脚亜門　外顎鋼　甲虫目・コガネムシ科　カブトムシ亜科　真性カブトムシ族　ツヤムラサキオオカブトムシ！！」 　彼は(彼にしては)脅威の速さでアケルナルに走って戻った。 　朝起きたらすぐにパトリックに見せてやらねば。 　……ソレは疲労困憊しているのか、カサリとも音をたてなかったが、ソーンダイクが寝床に入って毛布を顎のところまで引っ張り上げる頃には、じーわ、じーわ、と奇妙な小さな鳴き声を立て始めた。 　ああ……ツヤムラサキオオカブトムシは、このように鳴くのだ。 　そんなことを考えているうちに、ソーンダイクは眠りに落ちていった。 　惑星に停留しているときには外の日の出と同時刻にアケルナルの船内灯のスイッチが入るようカイユンは設定している。しかし、昨夜の疲労からかそれから随分たってから目を覚ましたソーンダイクはツヤムラサキオオカブトムシのことを思い出して飛び起きた。 　「…………!?」 　ない、無くなっている!?デスクの上の虫籠がなくなっていて……そこに残っているのは赤黒い液体…… 　スプラッタ？ 　あまりにぎゅうぎゅう詰め込んだものだから、怪我をしたのかもしれない。だとしたら……だとしたら…………だとしたら??? 　じたばたしていると、ひょい、とカイユンが顔を覗かせた。 　「ソーンダイクさん、起きました？僕たち結局徹夜していま帰ったところなんですけど、朝ごはん一緒に食べてから仮眠とることにしますから、食堂に来てください。」 　ソーンダイクはのろのろと着替え、食堂に向かう。 　「おはよう、ソーンダイク。パットに聞いたけど、こっちは何事もなかったみたいね。」 　「全く、待たせるなよ、俺たちは寝不足と空腹で倒れそうだぞ。」 　「おはよう。留守番ご苦労様。」 　椅子にかけると、そこにはいつもどおりの朝食が並べられていた。自家製のパン、卵料理、具沢山のスープ、ミルク。それに加えて大人たちの前にはコーヒー(むろん、ソーンダイクの前には人肌にあたためた豆乳)。……そのほかに、今まで見たことのないものが、皿に入れられていた。紫色をしていて、上から同じ色の液体がかかっていて…… 　スプラッタ!? 　カイユンが固まっているソーンダイクを見て笑顔になる。 　「ソーンダイクさん、こんな素敵なものよく見つけましたね！ありがとうございます。あ、随分汁が出ちゃってましたから、傷んじゃいけないと思ってお料理しちゃいました。ちょっと醗酵していてじわじわいっていましたけれど、これくらいが丁度食べごろなんです。コンポートにしてみたんですけど……パット、これはね、とっても珍しいものでとっても美味しいんだよ。それじゃ、いただきまーす。」 　パットが、ジョーが、ロマノフが、マリオが、カイユンがその紫色のものを口に運ぶ。 　「ソーンダイク、どうしたの。これ、とっても美味しいよ。食べてごらんよ。」 　パットに言われ、ソーンダイクもおそるおそるソレを口に運んだ……そして途端に笑顔になる。少し酸っぱくて、さらりと甘くて、喉越しがするっとしていて……うん、これは美味しい。 　「美味しいね、ソーンダイク。美味しいもの、有難う。」 　パットがソーンダイクに微笑みかける。ソーンダイクもにっこり笑った。 　「節足動物門　六脚亜門　外顎鋼　甲虫目　コガネムシ科　カブトムシ亜科　真性カブトムシ族　ツヤムラサキオオカブトムシ……」 　何だ、その怪しい呪文みたいなものは、とソーンダイクの呟きをききつけたマリオは言ったが、それ以上追求はしなかった。 　ソーンダイクは満足そうに一人頷き……でも、なんでアレを虫籠に入れたんです？というカイユンの声は聞こえてはいなかった。 　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　ソーンダイクはその日、日記にこう書いた。 　“今日はツヤムラサキオオカブトムシを食べた。美味。大満足。” 　ソーンダイク、夏の一日の体験であった。

見事にいろいろ間違っているソーンダイクの夏の一日。 彼が捕獲(?)したのは、アケビのようなツル性植物の実で、ナスみたいな形のものというつもりです。 風に揺られていたところを捕まえ(?)られ、完熟していたため、ヘタのところからジーワジーワと中の液と醗酵気体が湧き出していたのをソーンダイクは鳴き声と間違え、最後はスプラッタ展開(笑)。 このときからソーンダイクの脳には「カブトムシ＝美味しいもの」という認識がインプットされ、後にエライことになります。 尚、とことん優しい性格の家事担当ですが、皆の為に料理を作るときには新鮮(=生きている)素材に対してスプラッタな所業に及ぶことは厭いません。育った環境が他のメンバーと違い「生きることは他の命を貰って食べていくこと」をはっきり理解していると思います。

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