 慎一とかき氷 |
「すみませーんｖ写真撮らせていただいてよろしいですか？」 広い広い空間にキャピルンｖという感じの声が響く。背後からかけられたその声に、慎一はまたか、いったいなんでだ、というように息をついた。しかし、その声に返事をしたのは慎一ではなく隣をスキップ気味に歩いていくくるみだ。 「はーいｖどうぞどうぞ〜ｖツーショットで撮るのならシャッター押しますけどぉ〜ｖ」 え、でも、あたし違うジャンルのコスしてるし……そう？でもそのコスなかなか素敵だわ〜ｖ異ジャンルカップリングっていうのも萌えるんじゃない?え、そ、そうですか、じ、じゃあ、初めに単体で、次にツーショットで、いいですか？いいわョ！ デジカメで一枚パシャリとやられ、次にその見知らぬ女の子は控えめに慎一に寄り添ってきた。 「はーい、もうちょっと寄って！はーい、バッチリ！」 パシャ！ 青いロングヘアーのかつらを身につけ、濃紺のメイド服の腰にロングソードをさした少女はぴょこん、とお辞儀をして走って去っていった。 しかし…なんだってこうもさっきから写真をとられるんだか。 慎一は特に変わった格好をしているわけではない。いや、大学では普段着だが、学校外では不可解かもしれない。白のポロシャツにブルージーンズ、その上から白衣。……しかし、いろいろと他に山ほど気合いの入った服装をしている人々がいるため、あまり目立ちはしない。 （白衣を着ていると無闇に暑いんだが……これを着て歩き回るというのがくるみとの約束だからな…） うちわでばたばたと風を起こしながら、息を吐く。もう少しここにいたら暑さで熱線でも吐けそうだ。 （慎ちゃーん！再来週の日曜日、白衣着て一緒に来てくれたら今日焼肉食べ放題奢ってあげるわｖ） というくるみの有難い誘いにその場でこくりと首を縦に振ってしまったが、こんな場所だとは……あの日に焼肉を奢って貰った以上、途中撤退するわけにもいかず……ここはコミケ、いわゆるくるみの属する「ギョーカイ」の人々が“その青春の熱き血潮と涙を天の高みへと昇華させる神聖なる場所”である。（←定義はくるみ談） 「あ、あの！写真、いいですか！」 また声がかかった。くるみが嬉しそうに対応する。 慎一は全く知らないことであったが、この春から「宇宙警察スペースＲ」にセミレギュラーとして加わった人物が彼に生き写しなのであった。日本人ではあるがドイツ警察でリヒトと同僚だったというその人物は隠されたリヒトの過去を知っていると共に、まだまだいくつも謎がありそうで、「ソレ系」のキャラが好きな女性のハートをギュッと鷲掴んでしまったのであった。もちろんくるみがこの僥倖(?)を有効活用せぬはずがない。ギョーカイの友達に慎一のことを教え、（くるみの場合、一人の友人に話せば50人の仲間に伝わるというのが専らのウワサである。）この会場にひっぱっていって皆で盛り上がろうとしたのだった。(因みに教授とナナちゃんもいうまでもなく大いに盛り上がっており、現実世界とリンクするはずもないのだがこの頃ミョーに慎一に優しかったりする） 先程、ニューカレドニアの浜辺から空を見上げれば光っている金銀砂子の天の川が目の中に流れちゃってます、くらいに瞳をキラキラと輝かせたくるみの大親友達に引き合わせられた慎一は暑さと空腹のためくらくらして何を言われているのかさっぱりわからなかったのだが不気味なほどに熱烈大歓迎されているのだけはわかった。 しかし…くるみの体力は底無しだな、と慎一は思った。満員の電車の中でも喋り続け、会場の前で並んでいる時にも喋り続け、中に入ってから西に渇きで呻いている者があれば冷えたお茶を渡してやり、東に店番で動けぬものあれば、代わりにブツを買ってきてやり、大手サークルのなんぞやを買い損ねたと嘆く友あれば、私は二冊買ったから、と快く分けてやり、コスプレの服が破れたと泣く少女あれば駆け寄って”コスプレ界の神の手”を存分に奮って直してやり、カップリング批判をする輩あれば、間に入ってつまらないからやめろといい、お気に入りのジャンルのお気に入りのカップリングの予期せぬ宝を見つければ子供のようにはしゃぎ……西から東、東から西へと蝶のように舞い、猪のように突撃していってはその都度何やらゲットし…… 自分の横でまたなにやら上機嫌に喋っているくるみを慎一はジッと見つめた。 「？慎ちゃん、私の顔に何かついてる？」 「……いや、くるみは元気だな、と思ってな。……こんな湿度も高く暑い中、そのエネルギーはどこからくるんだ？」 くるみは、きらーん、とメガネを光らせてから慎一を真顔で見上げた。 「……萌え、よ。」 「？」 なんだかこれ以上追求するのも異議を唱えるのも飲酒運転での信号無視なみにまずいような気がした慎一は黙り込んだ。 「しかし……ほんとうに暑いな……腹も減った。」 「あー、ゴメンゴメン！もう会場内で会おうって言ってた子とは一通り会えたし、目的のブツは残らずゲットしたし、オフ会は夕方からだから、外出て冷たいものでも飲む？あ、心配しないで、お昼も奢ってあげるからｖ」 二人がとびこんだファストフードの店は、駅から外れた場所にあるせいか、ぱらぱらとだが空席が存在した。 注文し、トレイを持って二人がけの席に座る。 「うわ！今更ながらにすっごい量ね！」 ダブルバーガーにフィッシュフライサンド、照り焼きバーガーにフライドポテト、コーンスープ、グリーンサラダにアップルパイ、季節のシェイクにトロピカルスペシャルフラッペ。……食欲大魔王の慎一にとってはさして驚くべき量ではない。 一方、くるみのトレイにはラップサンドと Sサイズのポテト、そして烏龍茶だけが乗っていた。 「あぁ〜ん！フラッペ美味しそう！それ、今年から始まった期間限定の奴なのよね！」 「……欲しければ注文すればいいだろう。金がないのならそれくらい俺が出せるぞ。」 くるみはふるふると首を振る。 「ううん、そうじゃなくって！……くるみ、ここが我慢のしどころよ！夏バテに負けない体を作ろうと思って梅雨時からテレビとかでヘルシー志向の女子大生で大ブレイクしてるって宣伝してた体に良いもの色々食べてたら…食べ過ぎちゃったらしくて体重が増えて、今ダイエット中なの！甘いものは控えてるのよ〜うゎーん、目の毒〜慎ちゃんのいけず〜」 いけず、などと言われる理由はない。第一女の子は何故にかくもダイエットというものが好きなのだろうか。本来ダイエットといったら、食事療法のことだったのではないだろうか。ならば、痩せたものが太ろうとするのもダイエットではないのか？ガリガリに痩せたいのなら、ダイエットなどという言葉を使わず単に『体重をやたら減らそうとしてる』といえばいいだろうに。 慎一はいくら食べても太らない、いや、太れない体質だ。つまり燃費が悪い。食糧危機がきたなら真っ先に倒れるタイプだ。食べればすぐに身となるくるみが羨ましくあるが、くるみにとっては慎一のような体質こそが理想なのだろう。 と、慎一がハッと大きく目を見開いた。 「くるみ…もしかして、かき氷はかなりの低カロリー食品じゃないのか？」 全身からクエスチョンマークを千手観音の手の如くに発散させているくるみの前で慎一はダブルバーガーを包んでいた紙を広げ、胸ポケットからボールペンを取り出した。 「ひとまずかき氷のカロリーを考えてみよう。今、シロップのカロリーは不明なので糖はブドウ糖とする。俺は食い物のカロリーはわからんが、生物が酸素呼吸でもってブドウ糖１モルをエネルギーに変えるとき、得られる熱量は688kcalだ。今、１人前のかき氷に20ｇのブドウ糖が使用されているとする。……ブドウ糖の分子量は180つまり、１モルの質量は180ｇということになる。20ｇのブドウ糖を摂取し、エネルギーに変換したときには…こうなる。 慎一は 20÷180×688≒76kcal と紙に書いた。 「水にはカロリーがない。つまり食品としてのかき氷のカロリーは76ｋcalということになる。」 「それじゃ、ダイエットになるわけないじゃない！」 「まぁ、聞け。確かに水には食物としてのカロリーはない。しかし、だ。固体の水、つまり氷を液体の水にするときには外部から熱を加えてやる必要がある。融解熱という奴だ。これがなかなか馬鹿にできない。０℃の１モルの氷を0℃の水にするときに吸収される熱量は1.4kcalだ。一人前のかき氷に使われる氷の量を液体の水にして180ｇ程度と考えることにしよう。水の分子量は18だからこれは10モルということになる。その量の水が氷から液体になるとき、14kcalの熱を吸収することになる。 その熱は当然のことながら我々の体温だ。つまり、我々は自分のエネルギーを使ってかき氷を融かしているんだ。 ならば、結局我々がかき氷を食べて得ることができるエネルギーとは 76−14＝62kcal 砂糖だけを摂取した時に比べ実に20％近くの熱量ダウンだ。」 慎一が最後まで言い終わらないうちに、くるみは席をたってトロピカルスペシャルフラッペを購入して戻ってきた。 「いただきま〜す！融けないうちに食べないとダメなのよね！わ、結構酸味が効いてるけど、そこがまた美味しいわｖｖ慎ちゃん、慎ちゃんもどんどん食べてｖｖ」 幸せそうにフラッペをぱくつくくるみに慎一はぽかん、と口を開けた。そして頭を掻いた。 （何か間違っているような気がするんだがなぁ……さっきの理論でいくと、『氷を舐めてダイエット』なんて本が出そうなんだよな） ま、いいか。ダイエットダイエットと騒いで甘いものを我慢するくるみより、こうしてきゃいきゃい言いながらばくばく食べているくるみの方が数段好ましい。 （でも、どこが間違っているんだろうなあ） 食欲大魔神は大口開けてフラッペをぱくりと一口齧り取った。 |
| 最初はいつも冷静沈着な慎一です。因みに、話の中で慎一がやっている計算は私が高校のとき、実際にやったものです。 この外にも「核分裂で風呂を沸かすにはウランが何グラム必要か」なぞという、おいおい、誰がそんな変なこと考えるんだ、という計算もしたことがあります。 ……え？こういう計算って誰もが遊びでやってみるものじゃないんですか!? |