ソーンダイクと麦わら帽子

宇宙には”仕事屋”と呼ばれる者達がいる。彼らは惑星開発、物資輸送、科学的調査、救難作業、産業スパイ……技能に応じてだがありとあらゆる仕事を引き受ける。そのほとんどが十名前後からなる小規模のチームであり、苛酷な状況の中を生きていくだけあって、多少の危険はものともせず、利益の為とあれば人殺しも辞さないあらくれ男の溜り場であった。 　彼らは大きな仕事が山ほどあり、食いはぐれることのない開発宙域に結集してくる。 　今、ここにそんな仕事屋の定義からは少し外れた奇妙な仕事屋がいる。荒事は好まないが荒事の方が彼らを目指してやってくる……そんな毎日であったが、今回はとある惑星でまっとうな仕事をとりつけ、慌しく仕事の準備をしている最中であった。……その、少数の例外を除いて。 　今回またしても、チームで暇なのは、当年とって７歳のパトリックともうすぐ三十路のソーンダイクの二人であった。 　パトリックが暇なのは当然である。……７歳の子供に仕事をさせる仕事屋がいたらお目にかかりたい。しかし、29歳のソーンダイクが暇というのは当然ではない。これには理由がある。今回の仕事の性質上、彼には出番がほぼないのであった。 　依頼を受けたのはは水深20メートルの海底に生息する海棲哺乳類の捕獲及び運搬。学術研究のためで、仕事に使う船も潜水艇も、依頼主が用意したものであり、その素性は確かなものだった。 　捕獲担当…当然の事ながら、水棲亜人間との混血であるカイユン。 　捕獲補助…チームリーダーであり水中作業も得意なジョー。 　水上の操船及び通信担当…ロマノフとマリオ。 　……で、ソーンダイクは、居てもいなくても別に構わないのであった。パトリックと一緒に、彼らの家たる愛機アケルナルの中でゴロゴロしていても良いようなものだが、アケルナルに居住する大人たちは、訳あって幼い頃から戦闘員として育てられてしまったパトリックにはなるべく普通の子供のような体験をさせたいと考えていた。(マリオの『普通の体験がなくとも俺のように立派な大人になれはするだろうが。』という言葉は他のメンバーが彼を一瞥した直後に黙殺された。) 　ゆえに二人は他のメンバーが仕事をしている間、この惑星の博物館で開かれている「恐竜展」に送り出されるのだった。 　　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　「いいかい。お小遣いは大切に使うこと。折角博物館にいくんだから、そこでしか買えないものを買おうね。」 　白地に細いブルーのストライプが入った半袖シャツの衿を直してやりながら、カイユンはパットに言い、この惑星で流通している硬貨を入れたパットお気に入りの小銭入れを差し出した。それをパットは大切そうにズボンのポケットに入れる。注意しなくとも、パットは無駄遣いはしない。しかし、ちょっと口ごもりながらこう訊ねた。 　「いつも通りにソーダ水を買って飲むのはいい？」 　「うん。博物館の前は広いピクニックエリアになっているからお店もあるはずだよ。でも飲んだり食べたりするのはソーダ水だけにするんだよ。お弁当はきちんと作ったからね。」 　うん、と勢い良く頷きかけ、パットは下からカイユンの顔をじいっと見た。 　「僕がソーダ水を頼んでソーンダイクがオレンジジュースを頼んで、はんぶんこするのはいい？」 　ソーンダイクが外出するときには、必ず人肌に暖めた豆乳をテルモスに入れて持っていくのを知っているカイユンはうーん、と唸った。 　「ソーンダイクときっかりはんぶんこするならね。」 　はい、と元気よく返事するパットに、保冷剤を乗せたサンドウィッチの箱を渡すと、ショルダーバックに入れた。 　「ハンカチは？」 　「はいってる！」 　「ティッシュは？」 　「はいってる！」 　「通信機は？」 　「はいってる！」 　「完璧！」 　｢完璧！」 　にこにこしながらハイタッチしあうカイユンとパットの横で、ジョーはソーンダイクに大きな麦藁帽子を渡した。 　「いい？外に居るときは帽子を被ってなさいね。この惑星の紫外線は意外と強いから、紫外線アレルギー持ちの人間は短時間でも火ぶくれになっちゃうかもしれないわ。…しょっちゅう日食があるっていっても部分食なんだから。」 　この惑星系は非常に面白い構成をしている。太陽は特にどうということもないが、月が実に五個もあるのだ。そして、この１年、部分日食が日常茶飯事によく起こるようになっている。…ここに人類が移住してからもう数百年がたっているが、こんなことは観測が始まって以来初めてのことだという。太陽が欠けていない事のほうが珍しい。しかし、紫外線量が劇的に減るわけではない。 　ソーンダイクはこくこくと頷いた。……もっとも表情は濃い茶のサングラスに隠れて定かではないが…… 　「あたしたちが帰ってくるのは夕方になる予定。遅くなりそうだったら連絡するからシステムの定時点検だけは宜しくね。じゃ、いってらっしゃい。」 　パトリックが先に立ち、手を差し出すとソーンダイクはその小さな手を握り、二人は連れ立ってエアロックへと歩いていく。 　「いってきまーす！」 　元気良く挨拶するパットの横でちょっとばかり頭を下げるソーンダイクを送り出し、ジョーはタメイキをついた。 　「大丈夫かしら。パットとソーンダイクだけで初めての場所に出かけるのって、ものすごく久しぶりなんだけど。」 　マリオはニヤッと笑った。 　「大丈夫だろう。パットがついてりゃ。…ソーンダイクだけだと心配だが。」 　そんなマリオの軽口を、他の者も否定はできなかった。 　……ソーンダイクはそういう男なのである。 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　「恐竜展」はとても面白いものだった。たっぷり三時間かけて思う存分見学し、外に出てから建物の前庭のランチスペースにレジャーシートを広げたパトリックは、博物館のミュージアムショップで買った、「恐竜の図鑑」と「恐竜のプラスチック模型」をうやうやしくその上に置いた。そして靴を脱ぎランチボックスを開ける。その横には、近くのワゴンで買ったソーダ水とオレンジジュースが入った紙コップ。パットが濡れティッシュを容器から出してまずソーンダイクに渡し、続いて自分で指先から根本まで綺麗に拭き、いただきますと元気良く言ってからサンドウィッチに手を伸ばした。ソーンダイクはちょっと手をあわせてからもくもくもそもそと食べ始める。 　「ソーンダイク、ソーンダイクはどうして豆乳が好きなの？」 　人肌に暖めた豆乳をトポトポとお気に入りのプラスチックコップに注ぐ年長の保護者兼友人を見上げつつ真剣な顔でパットは訊ねた。 　「豆乳は栄養があるんだよね？カイユンにきいたよ。でも、ソーダ水やオレンジジュースも、甘くて美味しいよ？あのね、ジョーとも約束したの。だからはんぶんこだよ。ソーダ水もオレンジジュースも飲んでね。」 　ソーンダイクは頷き、はい、と差し出されたオレンジジュースの紙コップを掴み、その半分を思い切りよく豆乳の中にそそぎ入れた。ついでソーダ水。目を丸くするパットの前で少しオレンジ色になった豆乳はピチピチと二酸化炭素の泡を次々吹き出しては表面ではじけさせている。 　人肌の豆乳と冷たいジュースが混ざったら、「薄ら生暖かい」ジュースなんだろうな、うぇぇぇ、とパットはちょっとたじろいだ。あくまでちょっとだけ。こんなことで大いにたじろいでいては、アケルナルでは一日たりと暮らしていけない。 　と、控えめな、しかしよく通る声で放送が流れた。 　「これより、天体観測ドームで日食観測を行います。整理券をお持ちの方は最上階ドーム入り口までお越し下さい。」 　「あ、はじまるんだ。」 　最新設備を誇るこの博物館では、天体観測システムを特別公開すると共に、今回の複雑な形に太陽が欠けて行く部分食の観測を、リアルタイムの解説付きで、一般来場者に対して行うのだ。整理券は1000枚はあったのだが、パットたちは手に入れることができなかった。それはおそらく…いや、確実に、ソーンダイクが博物館の常設展示であるこの惑星の情報ネットワークの階で随分と時間を費やしてしまったためだろう。 　「どんなのだろう、望遠鏡。お日様、どんな形に欠けていくんだろう。」 　と、ソーンダイクがサンドウィッチを食べ終わり、こちらにじいっと顔を向けていた。 　「あ、でも、アケルナルに帰ったらニュースでわかるよね。」 　確かにそうだろう。しかし、天体観測システムはニュースでは見られない。そして日食の映像も極端に時間を縮められて“〜ということがありました”と一言で済まされてしまうのだ。捜せば、資料映像は手に入れられるだろう。しかし、カイユンはいつか言っていなかっただろうか。“本や映像で見ることは、ほんとうに見るのとはきっとどこか違うんですよね。”と。 　そして、ソーンダイクもそう思っていた。 　パットは恐竜の図鑑を開き、ソーンダイクに向かって説明を始めた。コレが翼竜、これが魚竜、この背中のぎざぎざはね…… 　このまだ七歳の少年が、話題をそらそうと懸命になっているのが、さすがのソーンダイクにもわかった。 　少し時間がたった。ソーダ水に入っていた氷はすべて融けそうになっていた。ソーンダイクはリストバンドを見た。嵌めこまれた情報機器は、今が日食の開始時刻だと告げていた。 　パットはうんと目を細めて空を見上げた。……見えるわけはない。直視したら目を傷める。そしてパットもそのことは承知していた。自分のサングラスも太陽を直視などできない。濃い茶といってもこの惑星の太陽光の前には特殊加工していないサングラスなど透明ガラスも同然だ。 　ああ、せめて簡単な観測グッズを持ってくればよかった。カイユンだったら、ジョーだったら、ロマノフだったら、いや、マリオでも、きっとこんなことにはならなかったに違いない。 　そして、激しくこうも思っていた。 　欠けていく様子を自分も見たいッ!! 　見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい 　だったら見ればいいではないか!! 　パットは本の上に落ちてきたソーンダイクの影に気付いた。 　「ソーンダイク？」 　ソーンダイクは満面の笑みをたたえていた。 　「ソ、ソーンダイク？」 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　仕事から戻ってきたジョーたちは、ソーンダイクがベッドに寝ているのを見つけた。その顔に馬鹿でかい保冷シートを載せ、パトリックがカイユン愛用の団扇でパタパタと扇いでいる。 　「何、何、いったいどうしたの？」 　マリオが乱暴に保冷シートをどけると、真っ赤になったソーンダイクの顔が現れた。真っ赤な顔にサングラスのところだけ白く抜け、心配していいのか笑っていいのか悩むような状態だ。 　「随分と陽に焼けてしまったね。大丈夫かね。」 　ロマノフが手を頬にあてると、さっきまでシートがあったというのにじいんと熱い。カイユンは火傷の薬を取りにメディカルルームへと走った。 　「ソーンダイク、あれほど帽子を被ってろっていったのに…」 　パットが何か言いたそうに口を開いたが、ソーンダイクが腕をのばしてその小さな口を塞いだ。……結局、その日、ソーンダイクの過激な日焼けの理由はわからずじまいだった。 　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 　その三日後、物資輸送の仕事を引き受けた彼らは急遽他の惑星に飛ぶことになった。宙港での手続きを終え、小さな空き時間ができたとき、パットが時計を見て突然言った。 　「ジョー！今、日食が起きてるんだよね。僕、ちょっと見てくる！」 　パタパタ、とパトリックがソーンダイクの麦藁帽子を持って駆け出していく。ソーンダイクを除く大人たちがそれを追う。 　さんさんと日光の降り注ぐ宙港の一角。パットは眩しい光を受け止めるように麦藁帽子を捧げ持った。……麦藁の小さな網目、ピンホールをくぐり抜けた日の光は、特殊舗装の黒い離着床に像を結ぶ。無数の小さな太陽の像。その一つ一つの像はくっきりと明らかに正円の一部が欠けていた。 　「ソーンダイクはそうやって見せてくれたのね。」 　パットが嬉しそうに頷くと麦藁帽子が少し揺れ、日食の像も賑やかに揺れた。 　「ソーンダイクはずっと帽子を持っててくれたの。日食が始まってから終わるまでずうっと持っててくれたの。」 　ジョーとカイユンとロマノフは微笑み、マリオは“アイツは馬鹿か？”と言ってから笑った。 　ソーンダイクは自室でパソコンに向かっていた。結局、あれから熱を出し、この三日間の日記を書けずじまいでいたのだった。三日前の日付の日記に彼はこう書いた。 　“今日は帽子で日食を観た。大満足。” 　ソーンダイク、夏の一日の体験であった。

９月下旬となってからアップし始めている“恒例夏の小噺2007”です。今年はお客様にアンケートをとらせていただいたのですが、『情報屋さんに似合いそうな夏限定の小物』として麦藁帽子をお題としていただきましたｖソーンダイク＋麦藁帽子、ということで咄嗟に浮かんだのがこの麦藁の網目のピンホール効果。部分日食をピンホールで観察したのは私自身の経験です。 このまま三十路に突入すると思うとひたすら心配なソーンダイクですが、私は気に入っております。また来年もソーンダイクで夏ネタを…って気が早すぎますね… それではリク、有難うございました。