風と友と |
「あ〜暇よ、暇よ、暇よ暇よ暇〜っ！」 エバンス城の傍らに置かれた陣、傭兵達のために用意された天幕が立ち並ぶ場所の外れで、踊り子の衣装を着けた少女は、大き目の石に腰掛けて、甲高い声を上げながらまだまだ子供っぽい細い足をバタバタさせた。口をちょっと尖らせ、はああああ、とため息をついてみせる。 「まぁ、いいことなんだけどさぁ、暇してても、おまんまはいただけるし、傭兵のおじさんたちの汗っ臭さは勘弁してほしいけど、ここの陣地はあんまし物騒じゃないしぃ。これって暇とか騒いでないで、神様に感謝しなけりゃいけないかも。ごめんなさ〜い、神様。」 『俺は格好付けっしいの吟遊詩人です』とばかりに派手な縞柄の絹のスカーフを巻いた青年がふふっと笑い声をたてた。 「なによなによなによ、レヴィン。何笑ってるのよぅ。」 「何って、お前の顔がおかしくってさあ。」 「え？……どういう意味よ。あたしの顔のどっこがおかしいっていうのよ。」 レヴィンと呼ばれた青年は、違う、違う、といって、自分と同じ色をした少女の髪を、旅人にしては華奢な長い指でくしゃくしゃとかき混ぜた。 「シルヴィア、お前の顔が変っていうんじゃあないぞ。駄々をこねたり、ため息ついたり、口尖らせたり、かと思えば胸の前で手を組んで、聖女様みたいに敬虔な顔で神様〜なんてやってる、その百面相がおかしいって言ったんだ。」 シルヴィアはきょとんとし、そっか、そんなら許したげるわ。ときゃらきゃらと笑ってから、眉を下げた。 「でもさー。やっぱりこういう暇は嫌よ。……ほんとのほんとに暇なときにはお酒とか入って、あたしも踊りたいだけ踊れるけど、今は暇なようでいつ物騒なことが起こってもおかしくないんでしょ？傭兵のおじさんたちの様子を見てればわかるわ。……ここ以外で踊るって言ってもこんなときは、城下町に出ても人通りなんてないしねー。………あっ、でも、そういうときにお店とか行ったら、お客が少ない中よく来て下さったー、とかいってお店のおじさんオマケしてくれたりするかもー？ねえ、レヴィン、今から城下町に出てみない？ねーねー。いこう？そうしよう？」 くい、くいっとゆったりとした白シャツの長い袖を少女に引っ張られ、レヴィンはポリポリとこめかみの辺りを掻いた。 「あのなぁ？一応俺も傭兵なんだけどー？」 ほえ？というような意味のない声を出してから、シルヴィアは笑う。 「そうだったー！ついつい忘れちゃうのよー！だって、ここにいる傭兵さんってば、魔法を使う人だって荒っぽくって、レヴィンみたいなすらっとした格好の人いないんだもん！うん、でも、レヴィンはそんじょそこらの兵隊さんよりずっと強いよね！あの村が盗賊どもに襲われたときだって、こう、 シルヴィアはよいしょっと腰を下ろしていた石から立ち上がると、レヴィンの膝の上に乗せられていた魔道書を左手に持って、苦労して高く掲げた。 「右からやってきた斧持った悪い奴を、えいーって吹き飛ばして そこで、綺麗にピュレット(つま先回転)を二回決めてから逆を向く。 「左からやってきた剣持った悪い奴もえいーって吹き飛ばして！キャー、レヴィン！かっこいいー！流石はあたしがずうっと見込んでた男！」 「……あんとき、俺はお前と二三回メシ食っただけだっただろうが。」 するとシルヴィアは半目になった。 「そういう茶々は入れるもんじゃあないわっ！『あたしが見込んだ』とか『運命の人』とかそういう言葉をいれとくと、話が盛り上がるんだって酒場のお姐さん達から教えて貰ったわよ？とにかく凄かったよね！あたしビックリしちゃった。だってそれまでレヴィンのことただの吟遊詩人だと思ってたんだもん。でも、そうじゃなくてさ。」 レヴィンは座ったまま、自分の上に影を落としている少女の逆光になっている顔を眩しそうに見上げた。 「凄くてカッコいい。そう思ってくれた、と。……他に感じたことはなかったのか。」 青年の言葉に真面目な響きを感じた少女は、少しもじっとしてから小声で言った。 「少し……あのね、ほんの少しだけど、……怖い、と思った。」 レヴィンは立ち上がると、ぐりぐりと少女のつむじの辺りを撫で、素直で宜しい、と白い歯を見せて笑った。 「でもさ、レヴィンの魔法は怖くても、レヴィンは怖くないよ。だってレヴィンは降参した悪い奴は殺さなかったでしょ。優しいよね。 「……俺は優しくなんかないぞ。ただ、殺すのが好きじゃないってだけだ。不真面目でいい加減で、固ッ苦しいことが嫌いで…… 「はいはーい、そういうことにしといてあげる。」 くすくすっと笑うシルヴィアが、エバンス城を見上げ、あら？と不思議そうな顔をした。どうした？と声をかけられ、踊り子はまっすぐに屋上を指差す。そこには、常に数人の弓兵が配置されていたが、急にその数が多くなっていた。更に、通常は兵士が配属されることのない尖塔にも弓兵がいる。 「おかしいよね？……傭兵さんたちはここで休んでるのになんでお城の防御を固めてるんだろ？なんかの訓練かなぁ？」 「………」 レヴィンはじっと屋上を見つめた。シルヴィアのいうように訓練ということも考えられる。だが、そうでないとしたら？そして、彼はそこに他の兵士達と明らかに違う姿を見て顔色を変えた。森の緑の色のチュニック、頭を覆う生成りのターバン。あれは、ヴェルダンの第三王子ジャムカ王子だ。そして、今まさに遅れて姿を現した臙脂のチュニックに深緑の髪は、ユングウィの弓騎士のものだ。おいおい、よしてくれよ。あいつは弓騎兵だろうが。どうして城の防御に借り出されてるんだ。確かに村の戦場で見たあいつの弓の腕は、群を抜いていたが。この軍で弓の腕の一番はジャムカ。二番はあいつ、間違いない。 そして、レヴィンの耳に、大きな銅鑼声が響いた。 「赤の5部隊！」「青の5部隊！」「黒の６〜７部隊！」 正規兵が傭兵を呼び出し、整列させる。それはすべて弓部隊だった。 どういうことだ、どういうことだ。なぜ射手だけが集合させられている。弓以外では相手ができない相手？そして、急に動きがあったのは何故だ。……敵は急速に接近してしているということか？ レヴィンは両手で頭を押さえ、頭を働かせる。そして最悪の結論に到達する。 そんな、そんな馬鹿な。ここはシレジアじゃあない。なんで、なんでこんなところに来るんだ。シレジアは中立だろうが。こっちの味方でもあっちの味方でもないだろうが。……エバンスくんだりまでやってきて、無傷で帰れるとでも思っているのか？何騎で来ているのかわからないが、ジャムカ王子だけで、小隊の半分は…… 「ここに風魔法を使う吟遊詩人がいるだろう。奴はどこにいる？」 鎧兜に身を固めた兵士に怒鳴られ、シルヴィアは縮み上がった。 「え？レヴィン、呼ばれてるよ？……って、レヴィン!?どこいっちゃったのよ!?なにやってんのよーっ！」 いつの間にか傍らに吟遊詩人の姿はなく、魔法の発動体たる魔道書をその手に抱えたままの踊り子の少女は不安げに彼の名を叫びながら走っていった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 天馬たちは、気流を巧みに捉え、アグストリアの上空をいく。その純白の姿は、平時であれば素直に美しいと思えるのだろうが、今は、美しくあっても恐れの対象である。北方のシレジア王国の誇る天馬騎士団は国防の要である。どのような地形もものともせずに飛び、偵察を行い、必要とあれば上空から急降下して槍で勇敢に戦う。彼女らに対抗できるのは、弓と風魔法のみ。しかし、優れた天馬騎士は、当たれば致命傷となる弓を巧みに避ける技術を持っている。 この部隊の隊長を務める天馬騎士、フュリーは、隣を飛ぶ副長が送ってきた手信号に、一呼吸置いてから信号を返した。 このミッションにあたって、部下達は不安を隠せないでいた。少女の頃から修練を積んできており、普段からフュリーも信頼を寄せる娘達であったが多くは実戦経験は皆無だ。フュリーとて、地方巡視の折に何度か槍をふるったことはあっても、他国で槍を振るったことはない。先ほどの副長の問いかけは、単なる作戦の確認であった。彼女もまた、不安があるのだろう。 フュリーも不安がないわけではない。しかし、彼女は隊長であるのだ。隊長が揺らいではいけない。たとえ迷いがあっても、それを表情や仕草に表してはならない。 アグスティ城でシャガール王から聞いた情報。彼女達が捜索するシレジアのレヴィン王子がエバンス城を占拠するグランベル軍に捕らえられていること。グランベル軍はアグストリア諸国連合を侵略し、市井の民を手当たり次第に捕らえて処刑していること。レヴィン王子の処刑も近いこと……本来シャガール王の話の裏付けを取らずに武装して出撃することはあってはならないことだったが、王子の処刑が近いと聞かされ、フュリーは直ちに部隊を動かした。王子が戻らぬ限り、シレジアは混乱の時代を迎えてしまうだろう。夫亡き後王座を守っているラーナ王妃に他国との争いを避けよと厳命されているが、王子の命には代えられない。 遠くにエバンス城の姿が目視で確認され、フュリーは相棒の馬具に繋がれていた細身の槍をがっちりと手甲を装備した右手で一度撫でた。当然彼らは弓兵を配備しているだろう。どう部下を動かすか。どう自分は動くか。……王子が捕らえられている以上手荒なことはできないが、グランベル軍は、シグルド公子を盟主とした寄せ集めの軍であると聞かされた。ならば、血筋からみて本来のアグストリア王であるシャガールとシレジアの両者を敵にしての争いは避けたいはずだ。……さあ、どのように進める？ エバンスの城下町が近づいた。防衛の為の砦から、弓が射掛けられたが、天馬の飛ぶ高度に届いたものは一本もなかった。 さあ、いよいよだ！ ぐい、と手綱を引けば、小さな少女の頃からの翼ある相棒は小さく嘶いた。 エバンスは赤茶の屋根持つ家が立ち並ぶ美しい街だった。フュリーは唇を噛み、王城を見据える。右手は既に槍を握っている。その槍を横に突き出し、斜めに構え、出す。五名の手練れが前に出、フュリーを先頭としてカギ型に飛ぶ。年若い部下達は少し間を置いて三列に編隊を組んだ。最悪の場合、この中の誰かが死傷しても、全滅しなければ残った者がシレジアに戻って報告できる。そうしたこともフュリーは部下達に告げてあった……フュリーが斃れても、姉のマーニャを初めとした天馬騎士団の精鋭たち、そして、風の魔道師団に任せれば安心だ。フュリー自身は姉と違い、替えの効かない重要人物ではないのだから。 一度高度をあげねば。エバンス城の様子を探るには、弓の餌食とならぬよう高速飛行で真上を横切る必要がある。そのために落下の加速度を使うのだ。手綱を強くひこうとした瞬間、 「!?」 ぐらり、と体がかしいだ。強い風が突然吹き上がってきてペガサスの翼を薙いだのだ。部下達のペガサスも落下はしていないものの、編隊は崩れ、しかし、不思議なことに、天馬たちは湧き起った風に逆らわず、身を任せてはしゃいでいた。フュリーは歯を食いしばり、槍をゆっくりと回した。高度を高くし、旋回して待機。そう指示を出すのがやっとであった。なぜなら、彼女の相棒が手綱と足で出す指示を無視して無茶苦茶に飛び始めたからだ。 「どうしたの!?落ち着いて！どう、どう！お願い、落ち着いて！」 相棒は馬首を巡らし、ちら、とフュリーを見た。その瞳は、やけに嬉しそうだった。 「!?何、何、どういうこと？お願い！いうことを聞いてー！」 相棒はヒヒン、と嘶き、急降下して……教会前の広場にちょん、と静かに着地した。 フュリーは呆気に取られていた。……広場には人っ子一人いない。正直、何が起こったのかわからない。奇跡的に放さずにいられた槍を構えたまま、そっと下馬し、突風で乱れた髪を撫で付ける。と、目の前の教会の扉がどーん、と開き、派手な服を着た若い男が走り出てきた。 青年は肩で大きく息をし、フュリーに向かって駆けてくる。フュリーは槍を構え……その横を『相棒』が蹄の音を響かせて疾走していき……次の瞬間、青年はペガサスの白い首をしっかと抱き、ペガサスは嬉しそうに鼻面を青年の背に擦り付けていた。 「おー、よしよしよし。お前たちだったら気づいてくれると信じてた！久しぶりだなあ！元気だったか！」 想定外の光景をぼんやりと見ていたフュリーは、青年が誰なのか思い至って、翠の瞳を大きく見開き、大声を上げた。 「王子！」 「あー、やっとわかったか。なー、薄情だよなあ、お前は『風』で教会の鐘楼に居た俺に気づいてくれたのに。お前の仲間達も、すぐに気づいていたのにー。あそこにいるお前の相棒のおねえさんは今やーっと今気づいたみたいだぞ。」 「まさか……なぜ……王子、・・・そんな姿で、どうしたのです!? レヴィンはにやっと笑い、スカーフの端をくいくい手で引っ張ってみせた。 「ああ、この服か。俺はいま旅の吟遊詩人をやってる。どうだい、似合ってるだろ？」 「は、はい。って、そういうことをうかがっているのじゃありません！…どうして、王子がここに。エバンスに捕らわれているときいて慌ててやってきたのです。」 「俺がエバンスにとらわれているだと？誰がそんな事をいったんだ。」 アグスティのシャガール王の名を告げられるとレヴィンはフュリーの眉間の辺りをビッと指差した。 「ははーん、そりゃ、お前、騙されたな。素直なのはいいが、それじゃここいらじゃ暮らせないぜ。変にすれてシルヴィアみたいになっても困るけど。」 シルヴィア？どなたでしょう、と生真面目に聞き返す天馬騎士騎士にレヴィンはわたわたと手をふる。 「とにかく、だ。何故俺を探してた。まさか、母上に何かあったのか。」 急に口調が真面目になった王子の前に天馬騎士は跪いた。 「いいえ、王妃様はご健勝でおられます。ですが、とても心配なさっています。王子が誰にも告げずに国を出てもう二年近く、どうか一緒にお帰りください」 レヴィンはその前にどっかと腰を下ろした。 「 俺が帰れば、親父…父上の遺言に従い王位を継ぐことになる。しかし、叔父上達は絶対、承知しない。下手をするとこの国のように内乱になる。そうなれば一番つらい思いをするのは民だ。王などは、なりたい者がなればいい。」 そこで、レヴィンは自分の頬をぺチンと一つ平手で叩いて、にやっと笑った。 「そもそも俺は今の自由な暮らしが気に入ってる。王になるなんてなどまっぴら御免さ！そんなもの、叔父上が貰ってくれたら万々歳だ。」 フュリーは跪いたままだ。天馬騎士は口を一文字に引き結びにこりともしない。 「そうはまいりません。シレジア王家は風神フォルセティの血を引く高貴な家柄。そして、その力を受け継いでいるのは現在王子ただ一人なのです。あなた以外にシレジア王家をつげる方はいません。民もみな、それを望んでいます・・・ラーナ様は泣いておられました。どうか・・・どうかお戻り下さい。……そのいでたちはお心を偽るための仮の姿であり、王子は平和を愛する深いお考えをお持ちだと私は信じております。どうか、どうか。」 ぱた、と石畳に雫が落ち、それが涙だと気づいたレヴィンは、あーあ、と声に出してから、手巾を差し出した。 「勘弁してくれよ。俺は女の涙に弱いんだから。全く、お前は二年たって正天馬騎士になっても泣き虫のまんまなんだな。」 手巾を受け取らず、申し訳ありません、だの、騎士として不甲斐ない、このまま帰国してはラーナ様に合わせる顔がない、だのと呟く幼馴染に向かい、レヴィンは頭を掻いた。 「わかったよ。……でも、もう少し考えさせろ。決心がつけば母上のもとに帰る。」 すると、フュリーは顔を上げた。 「 では、王子が戻られるまで、私もおそばに居させてください。王子がご無事だったことは部下達に伝えさせます。」 「おまっ…… だめだと言ってもきかないだろうな。わかった、俺はしばらくシアルフィのシグルド公子と共に行く。彼とは、なぜか気が合う。それに奴の軍隊は美人が多い。フュリーも彼女達と友達になるといい。そしたら、もう少しは垢抜けるだろうさ。」 あくまでも鹿爪らしく、はい、と答えるフュリーにレヴィンはふるふると首をふる。 「……おいおいおいおい、冗談だよ本気にするな。全くお前は生真面目なんだから、・・・おまえは誰にも負けないほど可愛いさ。今のままで十分だよ。」 また、鹿爪らしく、 はい、と答えてから、あ、そのようなことは全然、と顔を赤くしてペタン、と地べたに腰を落としたフュリーの肩をレヴィンはパンパンと楽しそうに叩いた。その時、 「レヴィン、何、誰、そのひと！」 はあはあ、と息を弾ませながら走ってきたのはシルヴィアだった。 レヴィンはギョッとした様子だったが、どうした、とひとまず声をかける。 「はい！レヴィンの魔法の本だよ！コレ置いてっちゃったから、心配したんだからね！レヴィンってば、魔法なしじゃ唯の丸腰のカッコいい吟遊詩人じゃない。兵隊さんが今は建物の中に居ろって煩いのを振り切ってレヴィンを見つけるの、すっごく大変だったんだから！」 「あー。すまん。魔法を打つ予定はなかったんでさ。それだといろいろばっさり切り裂いちゃうんで、……風起こす位は素手でなんとかなっから、おっわ、抱きつくな！……うん、怖かったな。怖かったな、よしよし。」 体当たりするようにレヴィンに飛びついて泣きじゃくるシルヴィアだったが、がば、と頭を起こすと、で、誰なの、その人、と改めて聞いた。 レヴィンはフュリーの顔色をうかがいながら、答えた。 「んー、故郷の、幼馴染？こいつはフュリーってって、いいとこの貴族の娘で、天馬騎士やってて。すっごく真面目な奴でさ。偶然そこで出会って、うっわー、久しぶりって旧交をあっためてたっつーか。あ、フュリー、こっちの可愛い子が、」 「シルヴィアだよ。踊り子やってるの。レヴィンはあたしの命の恩人で、仲良くしてもらってる。よろしくね。」 ペコンと頭を下げると緩やかにウエーブした髪が揺れた。 フュリーは立ち上がり、フュリーです、とゆっくりと頭を下げた。そして、『このお嬢さんは変にすれていらっしゃらないと思いますよ』とレヴィンに囁いた。レヴィンはうっとうなり、冗談だ、冗談と笑った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ その日からシルヴィアは機嫌が悪くなった。彼女は踊り子として一人で生きてきた。幼い頃盗賊団に誘拐されて自分がどこのだれかもわからない。世間の荒波に揉まれ、多くの悪意に翻弄され、少ないけれどキラキラと宝石のように輝く善意に支えられ、やっと彼女は生き延びてきたのだ。その中で出会ったレヴィンは、初めのうちこそ『気の合うお兄さん』だったが、命を救われて以来、『運命の人』のように感じていた。レヴィンも、シルヴィアにまとわりつかれるのはまんざらでもないようだった。 だが、シレジアの天馬騎士がやってきてから、レヴィンは少し変わってしまった。今までどおり、シルヴィアには軽口をたたいてくるが、一日の終わりには必ずあの天馬騎士と会って話をしている。そして、何の話をしているのかシルヴィアが尋ねても、適当な返事しか返してくれず、誤魔化される。フュリーについて自分なりに探ってみたが、生真面目で堅物すぎる性格がわかったくらいでレヴィンとの関係がわからない。幼馴染とレヴィンは言ったが、まだまだ隠していることがありそうだった。でも、レヴィンにぐいぐいと迫っても聞き出せないとわかると……シルヴィアは次の手に出た。 「天馬騎士さん！こんばんは。」 天馬の厩にひょっこりと現れたシルヴィアに、相棒の世話をしていたフュリーは小さく会釈して、厩から出ましょう、と目で合図した。 「ごめんなさーい。天馬のお世話邪魔しちゃった？」 「いいえ、もう世話は終わるところでしたから。何か御用ですか。シルヴィアさん。レヴィンさ、いえ、レヴィンがまたご迷惑でもおかけしたでしょうか。」 礼儀正しく柔らかな物腰で話をするフュリーに、シルヴィアは少しイラついた。彼女が高飛車で嫌な女だったなら楽だったのに！目の前の天馬騎士は、シルヴィアが主に男達の前で踊る踊り子であると知っても、蔑みの色をその翠の瞳に浮かべることは全くなかった。それどころか、それは少し薄着過ぎるのではないか、よかったら自分の上着をかしましょうか、と心配そうに言ってくれもした。今日も目の前の天馬騎士はまっすぐな瞳で自分を見ている。シルヴィアは何かしょっぱい塊が口から飛び出しそうになるのを感じ、実際それは声となって飛び出してしまった。 「レヴィンから離れてよ！」 天馬騎士の瞳が大きく開かれた。 「あなたは何でもあたしよりいっぱいもっている。貴族の娘だし、髪だってあたしみたいにくせっ毛じゃないし、胸だって大きい。天馬に乗れるし、部隊の隊長さんだっていうし、生まれてこのかた、おまんまの心配なんてしたことなかったでしょ。綺麗だし、上品だし、きっとあたしよりずっとずっといろんなことを知ってる。もうそれで十分じゃない。あなたが来てからレヴィンは前より笑わなくなったわ。考え込んじゃってることが多くなった。理由は全然いってくれないけど、きっとあなたが原因なのよね。……あなたはもういろいろ持ってるじゃない。これ以上何が欲しいの？……あたしからレヴィンを取らないでよぅ！」 最後に自分の本音を叫び、はあっと大きく息を吐き出し、シルヴィアは笑った。 「ごめんなさい。あなたが嫌いなわけじゃないんだけど、今言ったことはあたしが心から思ってることよ。あのさ、あなたはレヴィンの幼馴染なんでしょ？だったら、なんでレヴィンを悩ませるのよ。幼馴染だったら、相談にのって気持ちを軽くしたげるべきでしょ？あたし知ってるんだから、毎日あなたがレヴィンにお説教してるの。…ってなんであなた、言い返してこないの？コレだけ言ったら普通怒るわよ??」 天馬騎士は不思議そうに首を傾げた。 「失礼なことを言われたわけではありません。むしろ、恐縮です…私の容姿は言って下さるようなよいものではありません…」 「いやいや！あなたは綺麗よ、綺麗だってば、んもう、調子狂うなあ。」 「……私が色々なものを持っているというのは本当のことです。でも、それは、私という人間に価値があるからではありません。むしろ私は、身分や、地位に見合った力など持っていないのです。……レヴィンさ……レヴィンのことも、もっとうまく諌められればよいのに、国に帰って欲しいと繰り返すしかなく、なんて力が足りないのだろうと日々反省しています。」 「ちょ、ちょっとぉ！そこまで自分を責めなくてもいいと思うよ？……でも、これだけは言わせて。あなたといるときのレヴィンより、あたしといるときのレヴィンの方が何倍もレヴィンらしいよ！レヴィンもきっと貴族だったんでしょ？でも、レヴィンはそれを捨てて、毎日日銭を稼いで暮らす吟遊詩人になったんだよ。それって、とってもたいへんなことなんだよ！あたしにはあなたがレヴィンをつれて帰ろうとする理由なんてわからない。きっとたいへんなことなんだよね、でも、それがどんなことであっても、レヴィンが決めたことを妨害する資格なんて、あなたにはないんだからね！」 フュリーが悲しげな表情のまま口を開こうとすると、小さな笑い声が厩から聞こえた。踊り子と天馬騎士が顔を見合わせて近づいていくと、それはレヴィンのものだとわかった。彼は小声でペガサスたちに話しかけており、ブラシをもって、フュリーの相棒の体をこすってやっていた。 「おい、やめろよ、くすぐったいって！今日は夜のおやつはなしだ。おいおい、頭を齧るな、涎がつくだろう！」 板の隙間から内部を窺っていた二人だったが、シルヴィアがフュリーの耳に囁きかけてきた。 (さっきの、訂正するね！あたしの前のレヴィンが本当のレヴィンだと思ってたけど、そうじゃないみたい。あたしの前のレヴィンは相当かっこつけしいだし、あなたの前では……たぶんレヴィンはあなたに甘えてるんだと思う。だって怒られるの承知で毎日会いに行ってんだもの。……レヴィンの素は、今、あたしたち二人が見てるアレだわ、きっと。) 天馬たちにじゃれ付かれ楽しそうにジタバタしている王子に目を細めながら、フュリーは心の中で、ええ、私は知ってたわ、と返事を返す。 （でもね、あたし、あなたには負けないわ！) 追いかける間もなく楽しげに宣言して駆け去っていった踊り子に、何の勝負をするのかしらと疑問を投げかけつつ、自分はご帰国されるまで、これからずっと王妃様に成り代わって説教を致しますから、と幼馴染の王子に改めて誓いをたてた。 |
| シレジア主従と踊り子。 三角関係として書かれることが多い三人ですが、フュリーとシルヴィアにはよい友人で居て欲しい。 どちらもよい子で、むしろこの青年期のレヴィンにはもったいないかもしれません。 |
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