| 君の瞳は星の瞬き |
ああ、構わない。好きにしろ。 久しぶりに帰国した兄と政治の話を始めた父に、俺は面倒な話には興味がない、甥っ子の面倒でもみている方がマシだ、と視線をあわせずに言えば、父も、視線を合わせずに、こう返して来た。 生来、ややこしいことは性に合わず、嫌なものは嫌だとはっきり言って避けて来たが、部屋を退出してきたのは、父と兄とが、『お前は邪魔だ』という空気を全身から発散させていたからである。ドズルの家に公子として生まれてきた以上、政に関したこと、特に領民の生活に関わることからはいくら面倒でも関わってきたレックスであるが、ここのところの父達の話はいささか物騒なものに思えて仕方ならない。 ドズル家も属するグランベル王国の国王アズムール王は高齢であり、政は王子クルトが執り行っている。そして、王子は、諸侯の中でシアルフィ家のバイロン卿とユングウィ家のリング公に特に厚い信頼を寄せている。それが父も兄も気に入らないらしい。 (あたりまえだろ、自分達が信頼されないのは) レックスはまだ成人したばかりで政治の表舞台に立ったことはないが、父、ランゴバルトは自分達の不利益になるようなことがあったら、恩ある人物であったとしても平気で切り捨てる人間であることはわかる。それに対して、数度しかあったことがなくとも、クルト王子が国を統べるに相応しい器量をもった人物であることや、バイロン卿が高潔であることや、リング卿が穏やかで民を慈しむ心を持っていることもわかっている。 このままでは、と焦るランゴバルトは王国内での発言権を大きくするため、フリージ家のレプトール卿と手を組み、近衛司令官を務める才気溢れるヴェルトマー家の若き当主アルヴィス卿をなんとか自分達の側に取り込もうとしているらしい。 (無理だろ、それ。) アルヴィス卿は、レックスの年下の親友であるアゼル公子の腹違いの兄であり、非公式に幾度も会い、ざっくばらんな四方山話をしたことさえあるが、そういった悪巧みに乗りそうな気配はない。もしもアルヴィス卿が(そんなことはないと思うが)何かことを起こそうと考えたなら、彼は一人でやるだろう。一人でやって、やり遂げるに違いない。第一アルヴィス卿はクルト王子からそこそこ信任されている。でなければ敬愛する父の護衛を任せるはずもない。 (親父達とレプトール卿のひそひそ話は今に始まったことじゃないが、どうにもきな臭い。) レックスとは随分と年の離れた兄、ダナンはドズルで妻を娶り、長男ブリアンをもうけていたが、東方の地イザークくんだりに辺境警備視察の名目でしばらく駐留し、現地の有力氏族の娘を手篭めにし(ブリアンは『側室に迎えた』と言ったが、レックスははなからそれを信じてはいない)、男子2人をもうけてドズル家の公子であると宣言している。兄が市井の女性に生ませた子供は綺羅星の如くたくさんあることをレックスは知っているが、なぜ、イザークの血をひく二人だけを特別扱いするのか。そこにはきっと何かある。それに、昨晩レックスは父と兄の話をたまたま(実際は盗み聞きしたのだが)聞いてしまった。レックスはまだふらふら遊んでいるのか、そろそろあいつにも働いて貰わねば、と兄のダナンが言うと、父は、まだ首に縄をつけるのは早かろう。もともとあいつはひねくれ者で、こうしろ、と命じたら、きっとそのようにはしない。今は遊ばせておいて構わん。あいつはヴェルトマーのアゼル公子を弟分にしているようだ。アルヴィスはいろいろと読めない小僧だが、腹違いとはいっても弟のことは相当気にかけている。いざ、というときアゼルをこっちの味方につけておくのはいろいろと保険になるだろうさ、と、なかなかに悪そうな声で返答していた。 (まあ、親父殿とレプトール卿だけじゃ何もできんだろう) 心中で一応の結論を出して、レックスは城の中庭に向かった。ダナンがつれて来たイザーク生まれの甥の内の一人はそこにいるはずだ。部屋を退出する理由として甥っ子の世話をすると言ってしまった以上、しないわけにはいかない。レックスはひねくれ者であっても、嘘を吐くことを誰よりも憎んでいた。すると、侍女達のくすくすという笑い声が、花園の方から聞こえてきた。レックスを産んだ時に母は亡くなり、それ以来中庭の庭園は予算を減じられ殺風景になったというが、それでも庭師が丹精込めて維持しているバラ園の辺りから笑い声は聞こえていた。そして、甲高い子供の声が耳に入ってレックスは噴出しそうになった。 大きな赤薔薇が咲き誇る前で、一丁前に正装し、赤いマントをつけた７歳くらいの子供は、大仰な身振りと共に高らかに歌うように言った。 「きみの言葉は小鳥のさえずり きみのひとみは、星のまたたき ああ、もはや、きみなしでは生きてはいけない・・・」 レックスが大爆笑すると、公子の登場に畏まった侍女たちが懸命に笑いを堪えて一礼する。 「あー、そう畏まるなといつも言っているだろう。俺は公子っていっても家督を継ぐわけじゃないオマケみたいなもんだからな。それに、甥っ子と遊びに来ただけだ。その子が兄上の子か。」 すると、子供が赤いマントを翻し、深々と丁寧なお辞儀を優雅にした。 「はい、ヨハンと申します。あなたがレックス叔父上でいらっしゃいますか。」 子供らしくないしっかりとした儀礼に面くらい、レックスは、こちらはぎくしゃくと慣れない風に礼を返す。 「ああ、俺がレックスだ。……うーむ……兄上には似ていないな……」 そうでしょうか、というようにヨハンは首を傾げてレックスを見上げてきた。 「ああ、兄上は、無骨で詩など嗜まんし、第一お前のように可愛らしくはない。」 父親に似ていないと言われてべそをかくかと案じたが、ヨハンは瞳を輝かせて、はい、私は母上に似たのです。生き写しなのだとじいやが言っていました、とはきはき答えたので、レックスはぐりぐりとその濃茶の髪をそうかそうか母上に似たのか、それはよかったな、と幾度も撫でてやった。では私達はこれで、と侍女が帰っていくのを、ヨハンは、美しい優しい方々、皆様の上に神様のお恵みがありますように。と手を物凄い速さで振って見送った。 「そらっ」 レックスがヨハンを肩車すると、子供はわあ、と楽しげな声を上げ、ついでレックスが庭園を走り回ると、きゃあきゃあと子供っぽく声をあげた。そして、やけに芝居がかった口調でこういった。 「叔父上の髪は天上の青。その色はきっと空舞う天使に愛されるでしょう。」 レックスはぷっと吹き出した。 「そういった言葉はどこから出てくるんだ。」 「覚えました。城に来た道化師さんや歌歌いさんが言っているのを聞きました。」 「普通、小さな子供はそういう言葉はあまり覚えないもんだと俺は思うが。」 「そうですか？でも、覚えて、こうやって話をすると、皆喜んでくれるのです！私は斧の稽古よりもずっと詩を口ずさんでいる方が好きなのです。」 「そうか。…斧の稽古が嫌いだと、お前の父上は怒るのじゃないか？」 「一応及第点は頂いていますが、一度私が『斧はあまり好きではないです』、といったら、父上は不機嫌になりました。お前はドズル家の人間だから斧が好きにならなければいけないって言われて…。でも爺やは、好きにならなくてもいいっていうんです。私はイザークの人間だから本当は斧より剣なのだって。父上を喜ばせようとすると斧が好きにならなくてはなりませんし、爺やを喜ばせようとすると、斧が嫌いにならなくてはなりません。なかなかそこのところは難しいのですよ。」 諭されるように言われ、そういうものですか、とレックスは鹿爪らしく言って、石造りのベンチに腰掛けさせるようにしてヨハンを下ろし、自分はその前に跪く。 「そういうものなのです、叔父上」 ヨハンは感慨深そうに言い、腕を組み、目を瞑って、うんうんうんと三度ばかり頷いて見せた。 「斧のことは難しいですが、詩は違います。皆が喜びます。笑ってくれるのです。」 それは失笑ということもあるのだろうな、とレックスは思ったが、確かに小さな甥っ子の言うとおり、さっきの大仰な詩人振りを見て、頬が緩まない大人はあまり居ないだろう。 「父上もか？」 「はい。私は、ある程度以上斧が使えればうすぼんやりしていてもいいそうです。むしろブリアン兄上を越えるような強さや賢さがあってはいけないのだとか！」 何を言ってんだよ、兄貴、とレックスは頭を抱えた。このキラキラした目をした子供はまだ気づいていないが、妾腹の子として将来都合の良いように使おうという意志が見え見えではないか。 「うむ、お前がそれでよいのならいいが、強くて賢いのはいざってときには自分のためになるぞ。強いのは大切なことだ。」 ヨハンはきゅっと、まだ小さな掌で拳を作り、相変わらずキラキラした瞳をレックスに向ける。 「はい！ですが、強いのは一番大切なことではありませんので！母上が病の床にいらしたときに私にいったのです。誰かを助ける為に強くなることは大切なことだけれど、それより前に良いもの、美しいものをたくさん見つけて大切にしなさいと。私はまだ子供ですから、力はありません。ので、今は良いもの、美しいものを探して、見つけて、言葉にしているのです。叔父上、世界は美しいもので一杯です。空も、川も、湖も、飛ぶ鳥も、城の中も、城から見る城下も、どこを見てもなにかしらよいところや美しいところがあるのです！おお、世界はなんと驚きに満ちているのでしょう！叔父上はそうは思いませんか。」 レックスは、目の前にいる子供が、自分が自分らしく居るためにこのような面白い振る舞いをしているのだと理解したが、それでも何か尊いものをそこに感じ取っていた。そして、ヨハンの小さな手を、斧を持ち慣れた自分の大きな手で握り、こう言った。 「お前は凄いな。俺は捻くれ者だから、お前みたいに良いものや美しいものをうまく見つけることができないんだ。それからな、良いもの、美しいものの中でも、本当の本当に良くて美しいものっていう奴はきっととても少ない。それを見つけだせたら、全力で守れるよう、やっぱりお前は強くなった方がいい。俺の兄上、お前の親父殿が及第点を出したのなら、お前は皆から一目置かれる斧の使い手になれるだろう。だから、その力を、良くて美しいものの為に使うことだ。きっとそれがお前らしく生きることになる。少なくとも俺はそう思う、いいな。」 はい、ととてもいい返事をしてから、ヨハンは『強くなって本当に良いもの、美しいものを守る』と確認するように大声で言って、ついでじいっとレックスを見つめた。 「何だ。言いたいことがあったら言ってみろ。俺は捻くれ者だが、頭ごなしに叱ったり無視したりはしないぞ。それに、俺はお前のことを別に邪魔には思わない。お前は面白い子だ。本当に兄上に似なくて良かったな。」 レックスとしては相当な賛辞を送ると、ヨハンはニコニコと笑った。 「ならば、もう一度叔父上に肩車を所望してもよいでしょうか。」 お安い御用だ、とレックスは言い、ひょい、とヨハンを投げ上げるようにして自分の肩に担いだ。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ イザークの平原は、戦端が開かれたせいで、土埃が舞っているのが遠方からでもはっきりわかった。 レックスの言ったように良いもの、美しいものはとても少ない。しかし、それは少ないけれど、確かにあったのだ。 ヨハンは弟に背を向け、彼が探しあてた美しいものに目を遣る。土埃に塗れ、あちこちに擦り傷を作り、掲げる剣は既に血を吸い、こちらを睨む目は猛禽のそれに近かったが、ヨハンにとってはこの上なく美しくよいものであった。 「君の言葉は小鳥の囀り、君の瞳は星の瞬き…」 左手で手綱を取り、大きな右手で戦斧を握り締める。 成長し、『守る力』を手に入れた『ドズルの昼行灯』は、叔父との約束を真実のものとするため、最愛の戦乙女のもとへと向かった。 それが彼の父と兄弟と決別する本格的な戦いの始まりであった。 |
| 14周年記念短編その⑧ レックスとヨハン様が叔父甥の関係だったときの妄想アレコレ。ひねくれ屋であったらしいレックスですが、幼い子供に対しては、まっすぐな気持ちで接していたのではないでしょうか。そして、長じたヨハンがドズルの縁戚に少しはよい思い出を持っていて欲しいということもあり、こんな話となりました。 |