いちばんの忠臣

　アグスティ城の裏手には、小さな果樹園がある。その入り口から少し入ったところにある大きな杏の木の根元に、一人の少年が立っていた。先ほどまで鍛錬をしていたのだろう。首筋にはうっすらと汗をかいている。木槍の根元を地面につき、背筋を伸ばし、足は肩幅に開き、微動だにせず、まるで杏の木を守っているようにみえた。そうやって立ち続けたレンスターの見習い騎士フィンは、たっぷり四半時経ってから、初めて視線を落とし、手の甲で蒼い前髪を押し上げて額の汗を拭い、ふうっと息をついた。

　(もしかしたら場所を間違えてしまったのかな。でも、この果樹園で一番大きな木といったらこの木なのは確かだし。)

　目を上げ、杏の花を見上げる。母国レンスターの王城には広い林檎園があった。その花とは少し違っているけれど、杏の花も美しい。自分が仕えるキュアン王子の妻、エスリンも、小さなアルテナ王女も林檎の花が大好きで、特に花盛りの頃には、アルテナに肩車をねだられて、果樹園中を走り回ったっけ。……いやいや、気を緩ませるな、フィン。誰に見られているわけでなくとも、レンスターの騎士見習いとして、背を丸めるなど言語道断だ。

　(しかし、キュアン様は、何故このようなところに僕をお呼び出しになったのだろう。急ぎの御用ではないと思うのだけれど……どうしていらっしゃらないのだろうか。今まで、このようなことは一度だってなかった。ああ、どうしよう。キュアン様をお探し申し上げたいけれど、ここを離れてしまうことは、ご命令に反することになる。……うん、とにかくここでもう暫くお待ちしよう。)

　木槍を握りなおし、視線を水平に戻す。しかし、まだあどけなさの残る彼の表情は、誰が見ても困りきったものであった。

　更にまた四半時が過ぎ、やはり自分は場所か時間を間違えてしまったのだとフィンが絶望し始めたとき、主の奥方が自分の方に走ってくるのを発見し、なんだか泣きそうになるのを堪えて下唇をぐっと一度噛んでからまた槍を握りなおす。

　「フィン、どうしたの？探していたのよ。」

　フィンは、少し掠れた声で自分はキュアンにここで待っているよう命じられたのだが、まだお会いできないのです、と項垂れた。エスリンはおや、と首を傾げる。キュアンは最前まで自分と一緒であったが、そんな命令のことなど全く聞いていない。そして、フィンの事に関しては自分達二人に秘密はないはずだ。

　「ねえ、フィン。その命令のことだけれど、キュアンがあなたに直に言ったのかしら？」

　「いいえ。……シグルド様付のシアルフィの騎士、アレク様からの伝言でした。」

　エスリンはやれやれ、と心の中でため息をついた。いざ、というときにはとても頼りになる騎士なのに、アレクってば、今度はどんな悪戯を始めたのかしら？あとで叱っておかなくちゃ。

　「ごめんなさい、アレクは場所を間違えてしまったようね。実は『命令』ということではなかったのよ。私とキュアンの二人があなたを呼びたかったの。……昨日、久しぶりに厨房を使わせて貰ってお菓子を焼いたの。味見をして貰えないかしら。」

　フィンの顔がぱあっと明るくなる。次の瞬間、自分が子供っぽい反応をしてしまったことに頬を赤くする。エスリンはそんなことにお構いなく従者の手を握り、さあ、行きましょう、汗を拭いて、着替えてきてね。オイフェも呼びましょう、とキラキラした笑顔で言い、半ば強引に引っ張っていった。



　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊



　ペガサスの休む厩舎から少し離れた木立の間に、シレジアの天馬騎士フュリーはポツンと一人立っていた。槍こそ手にしてはいないが、彼女の立ち方は誰が見ても彼女が騎士だとはっきりとわかるものだった。凛、と立ち、厩舎の方をじっと見据える澄んだ翠の瞳は、何者も見落とさないよう、ゆっくりと周囲を見渡すように周期的に動いている。その視野にぴょん、と賑やかな踊り子娘の華奢な姿が飛び込んできた。

　「ねえねえねえ、あんたってば、そこで何してんの？」

　いきなりな少女の登場に、フュリーは目を丸くしたが、何、といわれても、と言葉を濁した。

　「だってもう半時も突っ立ってるじゃないの。それっておかしいじゃない。」

　え？どうして私がここに半時立ち続けていることを知っているのですか？とフュリーに返され、シルヴィアはうっ、と唸ってから、まくしたてた。

　「あ、あたしは、ペガサスの子と仲良くなりたいと思ってここに来ただけよ、したら、あんたがいるじゃない？何、アレ、どうしたの？って思うじゃない。絶対にこれは何かあるわよ、ってあんたを観察してたんだけど、流石に飽きてきちゃったのよ。ね、誰を待ってるの？どうして待たされてるの？どっちにしろ、もう誰も来ないんじゃない？すっぽかされたに違いないわ。あんただって、あんまし暇でもないんでしょ？もう待つのやめちゃえば？」

　ありがとうございます。でも、こうして待つことは苦ではありませんから。とフュリーはふうわり笑って、そのまま立ち続けた。シルヴィアは、何ソレ、わけわかんない、あたしだったら絶対に待たない！とキイキイフュリーの耳元で騒いでからふい、と居なくなった。




　「レヴィン！なにやってんのよ！」

　優雅に横笛を吹いていたところを、踊り子にぐい、と耳たぶをいきなり引っ張られてレヴィンは、おい、馬鹿、ヤメロ、と怒鳴った。

　「何やってる、って、俺が何をやったってんだ!?」

　「だって、フュリーをペガサスの厩舎の横んところに半時以上も待ちぼうけさせてんの、レヴィンでしょ!?あの人を呼び出して待たせられるのなんて、レヴィン以外考えられないじゃない!?」

　細い切れ長の目をパチクリさせているレヴィンの前で、シルヴィアは、へ、とこれまた目をパチクリさせる。

　「えーっ!?違うの？だったらなんであの人ずっと立ってるの？……ちょ、ちょっと、もしかして、悪い虫でもついた？」

　「馬鹿！あいつに虫がつくかよ？生真面目だけが取り得のがっちがちの天馬騎士サマだぞ？」

　「あのねえ、フュリーは美人だし可愛いし、あたしが男だったら声かけるわよ？それに、あたし知ってるもん、フュリー、ここの軍の、他の国の何人かの騎士さんと仲いいんだから！ええっと、ほら、レンスターのなんか青っぽい真面目そーな男の子とか…」

　「ありゃあシルヴィアよりも年下でまだがきんちょだろうが！」

　「それから、ユングなんとかって国の、シレジア色よりかは少し濃い翠の長いサラサラの髪を後ろで一つにくくった、綺麗な弓騎士さん。」

　「……ああ、あの女顔の奴か？あいつは誰にだって礼儀正しく優しいが、微塵も恋愛感情はもってないようなド真面目な兄ちゃんだ。」

　「それからそれから、うちの大将(←シグルドのこと)のお付きの騎士で金髪の赤いほうのちょこっとイイ男とか。」

　「……アレが女を口説いたりしたら、世界が滅びるかもしれん。フュリーの真面目さの斜め上を行く金剛石並みのお堅い奴だ。」

　「だったらやっぱりレヴィンが呼び出して、それを忘れてるんだ！胸に手をあてて考えてみなよ！」

　言われたとおり、素直にレヴィンは胸に手をあて、自分がそんなことをしていないことをわかりきってはいたが確認し、だったらいったい何がどうなっているんだ、と、思いを巡らし……はた、と気づいた






　「おい、アレク！」

　休憩場所でカード遊びに興じていたシアルフィの緑の方の騎士の胸倉をレヴィンはぐっと掴んだ。

　「ウチの奴をからかうな！」

　「は？お宅の誰？」

　「誰、って、ウチのだ！わかってんだろうが！アレはひたすら真面目で騙され易いんだ！待て、と言われりゃあ一晩だって待ち続けちまう。」

　レヴィンの後ろでは、そうよそうよ、とシルヴィアも声をあげ、そんなんじゃ、アレクにはあたしのとっておきの踊りは踊ってあげられないわ！と叫んだ。アレクは、おお、怖い怖い。わかりましたよ〜と素直に謝った。

　「俺にじゃなくって今すぐアイツに謝りにいってこい！行かなかったらあんたのそのターバン、髪の毛含めて俺の風魔法で切り払うぞ！」

　肩を怒らせシルヴィアを伴って去っていくレヴィンを見送り、アレクは、共にカードに興じていた男達に片目を瞑ってにやっと笑った。


　「悪いな、兄さん方。俺の、勝ちだ。」


　　＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊


　フュリーにかくかくしかじか、と事情を説明し、平謝りに謝った後、アレクは鍛練場の外れの倉庫裏へ向かった。そこには、彼と同じくシグルド付きのシアルフィの騎士ノイッシュが、略装ながら帯剣し、すっと、綺麗な姿勢で立っていた。人がやってくる気配にいち早く気づいたノイッシュは、それが自分の相棒だとわかると、顔をしかめて眉間に皺を寄せた。その背をバン、とアレクは平手で叩いた。

　「よおっ！相棒！元気か！」

　その腕をノイッシュは払いのける。

　「俺は至って元気だが、お前の碌でもない笑顔を見て今非常に機嫌が悪い状態だ。確認するのも忌々しいが、お前の部下から連絡を受けたここで待てというシグルド様の命は、お前が企てた悪質な茶番だったということだな。」

　低く押し殺した口調にノイッシュの相当な怒りを感じ取ったアレクは、いきなりはいつくばると、スマン、確かにそうだ、申し訳ない、この通りだ、堪えてくれ！と土下座した。その上半身を抱えてぐい、と引き起こし、ノイッシュは怒鳴る。

　「騎士が土下座など安易にするものではない！そして、土下座すれば全てが許されると思うな!!」

　「うんうんうんうん、許されるとは思ってない。埋め合わせはする。今度お前の好きな銘柄の酒を奢ってやるって。そして、おめでとう！お前は『この軍随一の忠臣』の地位を手に入れたぞ！」

　は？なんだ、それは？と問う友に、アレクはにまにまと笑いながら説明する。

　「いやー、こないだ酒飲んでて、この軍の中で誰が一番真面目な騎士かって話になってさ。」

　生真面目な騎士達のお堅い言動は、酒の肴にちょくちょくなっていることは、堅物中の堅物で通っているノイッシュもよく知るところであり、そのこと自体は特に不思議ではなかった。」

　「で、その話が、どうしてお前が俺を騙すことに繋がる？」

　「いやいやいやいや、まあ、話を聞け。いろいろ話してて、四人に絞られたんだよ。まずは、エーディン様の護衛やってる弓騎士のミデェール。それから、シレジアの天馬騎士のフュリーちゃん。それから、まだ見習いだけど、エスリン様のとこ…っていうか、キュアン様のとこっていうのがいいのか？とにかくレンスターの槍騎士坊やのフィン。それから、お前！」

　すちゃっ、と指差され、ノイッシュは憮然とした。

　「……指をさすな。俺は自分が特に真面目だとは思わんが、他の三人は確かに騎士の本分を弁え、矜持を持った騎士たちだ。ミデェール殿とフィンにはもとから面識があったし、フュリー殿とは会議で席を同じくして、その心栄えに共感を覚え……そうだな、四人とも国は違うが、気が合い、幾度も交流し、ミデェール殿には護身のための剣を教え、フィンやフュリー殿とは手合わせもしている間柄だが、お前、まさかあとの三人も俺のように騙したのか!?」

　アレクはまあまあまあまあ、と手をひらつかせる。

　「四人ともが真面目だってのには皆が頷いた。超弩級の生真面目四天王だよな、って。」

　「そんなことを言われても嬉しくないぞ。」

　「だが、そっから先は意見が割れた。凛としててフュリーちゃんが一番だ、とか、レンスターの坊やは若いだけに一本気だ、とか、ミデェールの自然体の誠実さは特筆ものだ、とかさ。」

　「……成人した立派な女性を『ちゃん』付けて呼ぶな。フュリー殿に失礼だ。で、でどうした。それがどう騙すことに繋がる。」

　「いいじゃないか、フュリーちゃんは可愛いから『ちゃん』をつけたくなるんだって。あ、でも、俺は無論お前が一番真面目な忠臣、騎士の中の騎士だって主張したぞ。だが、意見がまとまんなくってさ、だから、だったら試したらいいじゃないかってことになったんだ。四人をそれぞれの主の名で呼び出して待たせる。どれだけ長く待ち続けられるか、それでもって誰が一番かを決めようって。それを今日決行したってわけだ。」

　ノイッシュが、ギッとアレクを睨む。普段は好青年を地で行く涼やかな顔立ちのノイッシュが、今は鬼の形相をしていた。

　「……お前、賭けたな。」

　「いや、俺は純粋にお前が一番真面目だってことを証明したくってさぁ。」

　「……答えろ。俺達四人を賭けの対象にしたな！」

　誤魔化せないと悟ったアレクが、ハイ、そうです。と小さな声で呟くと、ノイッシュは胸倉を掴んで腐れ縁の同僚を背負い投げして地面に叩きつけた。受身をとったが、背から落ちたアレクはいってぇいってぇと手をつき、上半身だけ起こし、悪びれもせずに笑顔で友を見上げる。

　「で、とにかくお前が一番長く待ってた。そして、お前に賭けてた俺は大勝利、ってわけだ。ありがとよ、相棒♪」

　ノイッシュははあああ、と息をつき、アレクの前に胡坐をかいてでん、と座る。

　「全くお前は悪い奴だな。そんなやり方で真面目さが測れるわけなどない。お前は賭けるときから俺が最も長く待てることを確信してただろう。」

　あー、だよな。お前にはわかるよな、でもまあ、確信まではいってなかったけど、と、アレクは緩んでしまったターバンを器用に頭に巻きつけ始めた。

　「で、ノイッシュ。お前は他の三人がどんな風に脱落したかわかんの？因みに俺はわかってる。賭けの顛末の見届け役から報告を受けてるし、別枠で俺のとこに怒鳴り込んできた関係者もあったし。」

　ノイッシュはそうだな、と腕を組んで大げさに咳払いをした。

　「まず、最初に脱落したのはミデェール殿だろうな。」

　「うん、当たってる。実は彼は早々に脱落した。どうしてわかった。」

　「簡単なことだ。彼とは俺達も長い付き合いだが、エーディン様が呼んでいると騙したのだろう？彼の主はエーディン様のお父上であるリング公だ。騎士は主に忠誠を誓うが、エーディン様の命は彼にとって絶対ではない。むしろ、彼にとって最も大切な義務はエーディン様を守ることだ。そして、エーディン様は、お与えになった命令を忘れたり破ったりするお方ではない。公女様もまたとても誠実で優しく真面目な方でいらっしゃるからだ。彼は暫く呼び出された場所で待っただろう。しかし、エーディン様がいらっしゃらなかったら彼はどうする。何かあったと考えるのが普通だろう。ならば、彼は騎士として待ち続けるのが正しいことではなく、すぐにエーディン様の安否を確認しに走ることが自分の使命だと考えたはずだ。ゆえに、俺は最初に脱落したのが彼だと結論した。」

　アレクは、ご名答、と言って笑った。

　「で、他の二人は？」

　「次はフィン、だろうか。あの主従は普通の主と騎士の関係とは少しまた違っている。彼の主はキュアン様であり、彼にとって主の命令は絶対だが、キュアン様やエスリン様のほうは、彼のことを単なる従者や部下とは考えていらっしゃらない。フィンは主がやってこないので不安に思いながらもずっと立っていただろう。何もなければそのまま立ち続けたはずだ。しかし、今日のような何もない日には、キュアン様とエスリン様はフィンを交えてお茶の時間を持つのがごく普通のことだ。だから、おそらくはエスリン様が彼を探しにいらして、結果的に脱落した。そんなところだろう。……可愛そうに。騎士位を持たぬいたいけな少年に、騎士が悪さをするなど。謝れ。フィンだけでなく、エスリン様にもキュアン様にも。」

　「へいへい、俺は悪い騎士ですよ〜。しかし、凄いな、ほぼ当たってるぞ。で、フュリーちゃんは？」

　「だから、『ちゃん』はやめろといっている！……彼女の主はあくまでもラーナ様で、レヴィン……うう、俺は未だにあいつ、というかあの方がシレジア王子だと納得しきれていないのだが(←各国の公子公女とシアルフィ三騎士はレヴィンのことを知っています。因みにシルヴィアはまだ知らない)、レヴィン王子の命(めい)を守る義理は彼女にはない。しかし、彼女は真面目なだけに、王子に対して、負わなくてもいい責任をあの細い体に重く背負っているようで、待て、と言われたら、いつまでも待ち続けるだろう……彼女は王子がエーディン様並にかよわい方であればミデェールのような行動をとったかもしれぬが、レヴィン王子は、ことによったら、この軍の誰よりも強いかもしれんお方だから、それはない。むしろ逆だ。彼女は作戦行動があるときには夕食後、そうでない今日のような日には夕食前に王子と接触して、毎日懸命に、言葉を尽くして王子に帰国を促している。……だから、彼女がいつもの時間に現れなければ、王子のほうが心配して躍起になって探すだろう。お前、先ほど関係者が怒鳴り込んで来たといったから、俺の予測はあたっているのだろうな。怒鳴り込んできたのは王子だろう？……全くよくわからんお方だ。フュリー殿をからかうかと思えば、お前達が悪さをすればお怒りになる。将来王になるかもしれぬというのに、あれでいいのか、あのお方は。……フュリー殿が不憫でならない。」

　「ほーっ、大当たりだ。フュリーちゃんには、さっき謝ってきたとこだ。しっかし、感謝するぜ。お前がここをずっと動かずにいてくれたお陰で、俺は賭けに勝てたんだからなぁ。ノイッシュちゃんてば、さっすがシアルフィ一の忠臣！いや、世界一の忠臣だな！」

　大口を開けて笑うアレクの額をノイッシュは思い切りぐい、と指で押した。

　「イタイイタイイタイイタイ。」

　「痛くしてるんだ。」

　「フィンにもミデェールにも謝るし、あとで埋め合わせもするって！」

　「そのことは勿論だが、俺はお前が賭けをしたこと自体を怒っているんだ。」

　アレクはぽり、とこめかみの辺りを掻き、不審げに友の顔を覗き込む。

　「……お前さあ、潔癖さに磨きがかかっちまった？今まで賭けしただけでここまで怒られたことはないだろが。」

　ノイッシュは、ああ、そういうことじゃあない、お前もわかっていたことだろう、と睨みつける。

　「どう転んでもこの賭けでは俺が勝つ。お前はそれを知っていた。賭けにならない賭けを持ちかけたということに俺は怒っている。……お前は俺の今日の予定を知っていた。打ち合わせもなく、部下との手合わせも教練もなく、実際俺は一人で鍛練しようとしていた。つまるところ、俺は暇であり、ここにこうして突っ立っていても部隊長としての職務にまったく支障はなかったのだ。俺は騎士になってから随分と時が経った。命令が下ってから不安になるようなことなどはない。そして一人で俺が立っていても、フュリー殿とは違い、それを不審に思いシグルド様に報告するような輩はいない。そして、時が経過しても、ミデェールのように命令の主に危害が加えられたのではと案じて動く必要もない。お前はアーダンがずっとシグルド様の警護をしていることを知っていた。俺はアーダンを信頼している。もしもアーダンが何らかの策略でその場から引き離されたとしても、警護に穴はない。……俺はオイフェが水も漏らさぬ知略でもって間者の進入を防いでいるのを知っているからな。さらに言えば、神器持ちでもない限り、シグルド様の銀の剣の錆にならぬ敵はそうそういない。万一シグルド様が手に落ちたとすれば、尚更俺はシグルド様の下に駆けつけるべきではない。むしろ、ごく少数の者しか俺の所在を知らぬはずであることを生かし、敵の裏をかいて動くべきだろう。だからお前は知っていたのだ。長時間待たされ、十中八九、いや、これは絶対に腐れ縁の軽佻浮薄なお調子者が仕掛けた茶番だと確信しても、俺は絶対に動かないことをな。」

　アレクは微笑んだ。まったくもって、この堅物の相棒は、腐れ縁のおちゃらけ騎士のことを誰よりもよくわかっている。だが、こいつは若干人の心を慮ることが不得手である……今度の賭けでもって賭けにのった連中はよくわかったはずだ。堅物だ、真面目すぎて面白くない、と噂話でからかわれている四人の騎士が、この軍のお偉方としっかり繋がっていることを。普段弓騎士隊の部隊長という認識しか持たれていないミデェールは実際のところはエーディン公女の私的な護衛であること。フィンはキュアンの従者であるだけでなく、家族同然の存在であること。フュリーは、風の魔道書を持たせれば戦場で鬼神の如き活躍を見せる謎多き吟遊詩人が『ウチの』と称するような繋がりを持ち、彼女をからかい続ければ、鎌鼬で切り裂かれてもおかしくないこと…。アレクは賭けの顛末を説明するときにそれらを詳細に説明した。そして、四人の騎士が親しいことも。誰か一人をないがしろにしたとすると、シグルドが、エーディンが、キュアンが、エスリンが、レヴィンがその行動を知るだろうことを。それが知られることにより、同国人の少ないフィン、フュリー、ミデェールが正しい意味で一目置かれる存在になってくれることを。

　(わかってないんだなあ、俺だって、真面目な奴は大好きなんだぜ？)

　「何をにやにやしてる！」

　ノイッシュに一喝されて、さあ、なんだろうなあ、あててみろ、とアレクは笑う。
　ひとまずフィンとこに謝りにいくぜ、真面目な奴が居たほうが謝罪に力が篭るからお前も来い、と軽口を叩いて、生真面目な相棒殿に叱られながら腕をねじ上げられた。
　シグルド軍の生真面目四騎士の話。生真面目で、だからこそ危うい部分もある彼らですが、主(またはソレに代わる誰か)の存在にに支えられて日々を送っています。

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