あの日への招待状 |
早春の穏やかなある日、ラナはグランベル王となったセリスの執務室へと呼ばれた。警備の兵に守られた部屋に入り、扉を閉めると、そこには夫のにこやかな顔が待っていた。執務椅子に座っていたセリスは、一通の書簡を持って長椅子に腰かけ、隣にラナを呼ぶ。ラナはちょこんと腰かけて、少し不思議そうにセリスを見つめた。 「どうしたの？僕の顔に何かついているかい？」 「いいえ。でも、執務の時間に呼ばれるのは初めてですよね？よほど重大なことがあったのでしょう？でもセリスは笑っているから、悪いことが起こったのではないし……だったら何かしら？と思って。 すると、セリスはまだ封が切られていない封筒を差し出した。宛名はセリスとラナ、二人の名前となっており、裏を返すと、ユングウィの紋が入った封蝋と見慣れた筆跡があった。 「レスター兄さまから！」 新妻が目を輝かせるとセリスは頷く。 「先ほど届いたんだ。いい知らせには違いない。この封筒は慶事に使うものだからね。だから、ラナと二人ですぐに読みたかったんだ。……どんなことかな？」 机からペーパーナイフをとり、封を開けるセリスの横でラナはあれこれと想像した。遂に兄さまにも大好きな人ができて、私には新しいお姉さまができるのかしら……でも、この間来た手紙にはそんなこと少しも書いていなかった。真面目な兄さまが、いきなり結婚式の知らせなんてするわけはないし……あ、もしかしたら、ヴェルダンに居るファバルさんがご結婚？ファバルさんだとしたら、納得できるわ。細かいことが苦手だから、兄さまが見かねていろいろなところに連絡をしているのかも…… 「さあ……読んでみようか。」 手紙には、少し四角ばったレスターの几帳面な字で、ある式典を行うこと、そして万難を排し、是非とも加わって欲しいことが記してあった。ラナとセリスは目を細める。 「ラナ、もちろん出席するよね？」 「はい！私が出席しなくてどうします！」 普段、何事にも控えめなラナが大きな声で主張したのを聞き、セリスはなんだかとてもラナが愛しくなってタンポポ色の妻の髪を優しく撫でた。 「だとしたら！なんとか僕の方の都合をつけなくてはね。大丈夫。王宮内に影武者を立ててでも、僕は行くからね。」 片目を瞑ってみせるセリスに、ラナはくすっと笑った。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「ああ、ラクチェ、地上に降りた最後の天使、君は私をここに残しその純白の羽を広げて行ってしまうというのか……！」 部屋の中央に立ち、両手を大きく広げて哀切極りなく歌うように呼びかけたヨハンの前で、椅子にかけているラクチェは、はあああああ、と大げさに息をついた。 「書簡はヨハンにも見せたろうが！招待されたのは私だけで、ヨハンの席はない。」 ドズルの奇行子は背を少し丸め、大きな体を縮めるようにしょんぼりしてみせる。 「夫婦と言えば一心同体。君が招待されたのなら当然私も。」 「あり得ない。」 「式典には出なくてもせめてオマケ的に。」 「邪魔だ。」 「……送り迎えだけでも……なんなら、君付きの侍女に変装してでも！」 「…………………………(←ちょっと想像してげんなりした)……ヨハン！」 すると、途端にヨハンは背をしゃんとさせて笑った。 「冗談だ。政務もあるしな。…………私が横にいないのだから、身辺に注意するように。」 「それは私の台詞だ。寝首を掻かれないように注意することだ。」 「ああ、それは抜かりない。…………ただ、君がいない間の寂しさはいかんともしがたい……君を慕い焦がれる詩を日に最低３つは作り、君の帰国後には製本して進呈するのでそのつもりで……」 「いらんいらん！………………ヨハンが無事でいれば、それでいい。それより、私がいない間、ユリアをここに招いてはいけないだろうか？……スカサハも留守になるわけだし……まあ、ユリアはスカサハと一緒に行ってもいいが、むしろ向こうに一緒に行くと寂しい思いをするに違いないから。」 ヨハンは、それは任せておいてくれたまえ、と胸を叩き、そのあとで、詩集がいらないのなら、帰国後すぐに君の前で披露するということでどうだろう、と至極真剣に言い、ラクチェに殴られた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ノディオンでは、アレス王に対して、デルムッドが休暇をどのように申請しようかと悩んでいた。なんとかして、レスターからの招待に応じたかったが、騎士として仕える身では、中々自由が効かないものだ。いっそ、オイフェ殿に書簡を送って知恵を授けてもらおうか、などと煮詰まっているときに、アレス王の方から呼び出しがあった。 「デルムッド。突然だが、この期日に使者としてお前を派遣する。」 その手には、ユングウィの紋の封蝋がある書簡が。 「陛下……その書簡は……」 「ユングウィ王レスターから、お前を派遣するよう要請が来た。……正直、私にはこのことが、どれだけの意味をもっているかよくわからぬ。ただ、出席予定者から見て、お前を派遣しなければ、国交にすら関係しそうだ。それに……リーンに話をしたところ、お前を派遣しないのならば、夫婦の縁を切ると言われた。」 「は？」 あの可憐なお妃様がそのように激しいことをおっしゃるとは…………いや、喧嘩というより、夫婦の間の睦言めいたやりとりなのであろうが。 「……ただし、単に派遣するだけではなく、仕事もして貰う。そのつもりでな。」 「は、はい！ありがとうございます！」 無暗に嬉しそうに返事をしてしまい、デルムッドはあわてて、正式な形の敬礼をし直し、しかし、湧きあがってくる喜びを抑えられずに口角をあげた。……いろいろ準備をしなくては……それこそレスターにすぐ連絡をとり、作戦を練ろう。こんなこと、中々あるものじゃない。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「陛下……ズルイです。」 同じ騎士といっても、シアルフィの騎士団副団長の言い草はデルムッドとは全く違うものだった。 「俺たちも関わりがないわけじゃないのに、どうして陛下だけ招待されてるんですか！思い入れだったら、俺の方が！いや、アーダンの方が、それよりノイッシュの方が！」 後ろから団長がはがいじめにする。 「アレク、失礼だろうが！陛下……申し訳ございません。」 はがいじめにされつつ、アレクは笑う。 「すみませーん。……あ、いや、………………もしや、もしや、やっぱり陛下の思い入れの方が強かったり……」 オイフェはゴホン、と咳払いをしてみせるが、目は笑っている。 「そうかもしれないよ。」 アレクがうわあああああああ、やっぱりですか！と叫び、ノイッシュはアレクの体をますますギリギリと締め上げ、アーダンは困ったように苦笑している。 「とにかく、今回は私だけでいくけれど、何か託したいものがあったら、いくらでも託されるから準備しなさい。」 すると、じゃあ、俺の愛を！と副団長が叫んだので、ノイッシュはますます腕に力を入れ……しかし、どんなものを託そうかこれから考えよう、と騎士３人で目配せを交わしあった。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「シャナン様〜、忘れ物はありませんか？」 パティの作る荷物はいつだって小さくまとまっていて、それでいて欠けるところがない。なので、シャナンは、背負い袋を片手で持ちあげて、お前がいいと思うならこれでいい、と頷いた。パティはシャナンの正式な伴侶ではない。そのため、逆に小回りは効く。今回も、馬車内にお付きのものとして乗り込み、その際にこの革袋も持ち込むつもりらしい。 「退屈しないように、楽しいものも入れました。焼いたお菓子も。」 「……お前と話していれば、道すがら退屈することなどないと思うが」 えへへー、と笑うパティはとても楽しそうだ。無理もない。向こうに行けば、久しぶりに母親と父親と兄に会えるのだから。そう言うと、パティは笑う。 「シャナン様も、楽しみですよね！……シャナン様の顔、とても嬉しそう。シャナン様の顔見てると、なーんか私まで嬉しくなってきちゃいます。……特別に用意したもの、忘れちゃ駄目ですよ！」 「ああ、お前もな。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 続々とユングウィに賓客達がやってくる中、レスター王の母であるエーディンは、久しぶりにわくわくしていた。レスターは『とても喜ばしいことですが、皆に発表するまで母上にも内緒です』と決して内容を教えてはくれなかった。きっと、息子にも将来を誓い合うような女性ができたのだろう。……そういえば、ミデェールがエーディンと婚約したのはレスターと同じ歳の頃だった。でも、一体それは誰なのかしら。お客様として呼ばれた中に、女性は殆どいないけれど……ラクチェもラナも嫁いでいるし、パティさんにはシャナン王がいる。……ラクチェが連れてきた二人の小間使いさんは、初めて見る顔でレスターもそれは同じようだし…… 「ま、目出度いっていうんだから、いいじゃないか。」 そう大声で言ったのはエーディンの双子の姉のブリギッドだった、彼女は、ついこの間生まれた乳飲み子を抱え、ゆらゆら揺らしてあやしながら妹のそばに立っている。 「……うちのファバルみたいなんじゃ、目出度いってきても、本当に目出度いのかどうかわかりゃあしないが、あんたんとこの息子なら大丈夫さ。それより、そのドレスは綺麗だねえ。新調かい？」 「ええ……レスターが、素敵な式にするために、是非着てくれと言って……」 それは、絹でできた上品なうす紫色のドレスであった。夫を失ってからというもの、聖職者であるということも手伝って、黒いものしか身につけようとしなかったエーディンだったが、今回、是非に、と言われ、纏った衣装は、実際の年齢よりも彼女を若々しく見せている。 「うん、素敵だよ。あたしが男だったらほっとかないね。」 「まあ、姉さんったら……本当にどんな素敵なことがあるのかしらね。……………………」 しばらくして、レスターがエーディン達を呼びに来た。しかし、エーディンが落胆したことに、レスターは正装ではあったものの、とても彼自身の婚約式が行われるような装いではなかった。案内されていったのも、何かの式典が行われる壮麗な大広間ではなく、ユングウィの城の中ではさほど大きくはない小ぢんまりした部屋であった。 「さあ、母上、どうぞ。」 通された部屋には１０人の人間が居た。セリス、ラナ、ラクチェ、スカサハ、デルムッド、シャナン、パティ、オイフェ、ファバル、そして、デュー。 「皆さん、ようこそ。ユングウィ王レスターの母として、皆さんを歓迎いたします。………………レスター、そろそろ教えて頂戴。これから一体何が行われるのかしら。」 すると、レスターは恭しく自分の母親に向かって一礼した。 「秘密裏に事を運ばせていただき、いらぬ心配をおかけしたかもしれません。そして、私たち皆がここに集まるために正確には日を合わせられなくて申し訳ございません。 ……母上。あと丁度十日すれば、母上の４０回目の誕生日です。私たちはお祝いをするためにここに集わせていただいたのです。。」 セリスがエーディンの前に立つ。 「エーディン様。私たちはティルナノーグであなたに慈しみ育てていただきました。……私たちは大人となり、こうしてお会いできることもなくなり、その恩に報いることができません。……どうか、この宴を……レスターが皆に呼び掛けてくれたものですが、楽しんでいただければ幸いです。」 すると、奥の方からデューが大声で言った。 「エーディンさん、おいらは、エーディンさんに育ててもらったんじゃあないけど、ずうっとエーディンさんのこと、大好きだったんだからね。第一、おいらが、あのヴェルダンの牢屋でエーディンさんを助けなけりゃ今ここには……いたっ！」 ブリギッドの拳骨の音は意外に部屋によく響き、一同は笑った。 皆がエーディンを囲む。セリス、ラナ、ラクチェ、スカサハ、デルムッド、レスター……少し離れたところからシャナンとオイフェ。皆は争うように、挨拶をし、今の自分のことを話し、エーディンに言葉を貰い…… やがて、レスターに促され、ラナとラクチェが美しい野の花々を大きな花束にしたものを持って進み出た。それは、あの隠れ里で、エーディンの誕生日にティルナノーグの子供たちが毎年贈りものとしていた花束とよく似ていた。ラクチェがお祝いの言葉を述べるため口を開く。 「エーディン母さん……」 言ってしまってから、ラクチェは口を押さえる。それは幼い頃はよく使っていたけれど、いつしか封印された呼びかけだった。……セリスがシグルド公子の子供であり、その意志を受け継ぐ存在であると知らされた時、皆の『お母さん』は『ユングウィ公女エーディン』に変わってしまった。エーディンは口を押さえたラクチェの目をじっと見、すっと身を翻すと、部屋から出て行ってしまった。ラクチェは俯く。昔、エーディンは皆に告げた。皆には両親がいて、私はその代わりをしていたのだ、と。これからはセリスを支え、ドズルの、イザークの、ノディオンの王族の血をひくものとして、公子、公女として生きていくのですよ、と。もう、私はあなたたちのお母さんではないのですよ、と。 だから、ティルナノーグの子供たちは、自分たちだけのときにはエーディンを「母さん」と呼ぶことはあっても、エーディンが傍にいるときにはその呼び方をしたことはなかった。……ラクチェの隣にスカサハがやってきて、母さんがあれくらいで気分を損ねることがあるはずない、きっと何かほかにあるんだよ、と妹を慰めた。 すると、程なく、エーディンが大きな布包みを抱えて戻ってきた。無言でその布を解く。 そこから出てきたのは、古い弓だった。……ずっとずっと昔、エーディンが、結婚前にミデェールに贈った弓。………………生死不明のミデェールは遺髪すら彼女に残してくれなかった。残ったのは他者に託されたこの弓だけ…… 布を床に落とし、その弓を大切に抱き、そっと頬ずりする。 「あなた……ミデェール……ティルナノーグの子供たち皆が………………私たちの……あなたと、わたしの大切な子供たちが、来てくれたのよ。……セリス、デルムッド、ラクチェ、スカサハ……レスターもラナもいるわ。皆、大きくなって、大人になって、誰一人欠けることなく、あなたの、あなたの自慢の息子が、娘が、来てくれましたよ!!」 エーディンはバーハラへと進軍するシグルドから別れ、ティルナノーグへと離脱した。クロード神父の予言で、バーハラで待っているかもしれない悲劇からシャナンとオイフェを含めた聖戦士の血をひく子供たちを守るためだった。……予言の通り、シグルド達はバーハラで散り、しかし、子供たちは、そのような悲劇など知らずすくすくと育った。やがて、ラナも生まれ、エーディンとミデェールはごく普通の夫婦として短い幸せな時間を過ごしたのだ。……その類稀な弓の腕を見出され、騎士位を授けられはしたが、市井の弓職人の家に生まれ育ったミデェールは、騎士の矜持や王族の務めといったものよりも、まずよき父であろうとし、妻とともに５人の幼い子供の親となり……手を繋いで歩き、一緒に絵本を読み、お祈りをし、一人ひとりをしっかりと抱きしめ…… 「ねえ、あなた……見える…………そこからでも、見えます？あなた…………」 エーディンはわっと泣き出し、その周りを嘗ての子供たちが口々に『エーディン母さん』『母さん、泣かないで』と言いつつとり囲む。 その場から、デューはブリギッドとファバル、そしてパティを伴ってそっと抜け出した。 「……いいのかい？あんたらまで出てきちまって。ま、確かにお邪魔だったけどね。」 「いいのいいの。第一、あたしなんかがあそこにいたら、シャナン様、エーディンおばさまに甘えられないでしょう？」 「……あのおっさんが甘えるってのはちょっと想像したくないけどなー。」 想像できるよ？という妹に、いや、想像できない、とファバルは返す。 「デュー、あんたは？エーディンといろいろ話したいだろ？」 するとデューはにまにまと笑った。 「少ししたらみんな落ち着くだろうし、エーディンさんとは宴のときにでもゆっくり話すからいいや。第一さ、姉御。……じゃない、ブリギッド、なんか、忘れちゃいない？」 「何をさ？」 ファバルが天井を向く。 「あのなあ、母ちゃん、母ちゃんはエーディンおばさんと双子の姉妹だ。だろ？」 「……あたりまえなことを今更言うんじゃないよ。」 「……だったら！エーディンおばさんの４０回目の誕生日なら母ちゃんも生まれて４０年目だろうが！一緒に祝わないかって、レスターから手紙が来て、だから、俺やパティまで招待されたんだぞ。…………母ちゃん、誕生日おめでとうな。」 ブリギッドは唖然とし、からからと笑う。 「全く、面倒なことをしてくれてるよ。」 「姉御……じゃねえ、おいらからもプレゼントがあるんだぜ。さっきのエーディンさんのよか素敵なドレスだ！部屋にあるから今から早速着てみてくれや。宴の時にはそれ着てエーディンさんと並ぶんだ。」 「……あたしがドレスが苦手なの知ってるだろ？……第一似合わない。」 「ううん、あたしたちにとっては、お母ちゃんが一番なんだから。ね、お兄ちゃん、師匠！」 「おう。」 「もちろんさ。」 困ったねえ、じゃあ、エーディンに嫉妬されないよう注意しながら、せいぜい綺麗に着飾ってみるかね、とブリギッドは言い、娘と息子に手を引かれ、城内を小走りに駆けて行った。 |
| ９周年記念に、もろもろ様よりいただいたリク「ティルナノグメンバー中心に再会の話」です。セリスが10歳になるまでは、ティルナノグの子供たちはエーディンを母、ミデェールを父と呼び、剣の修行はしていたものの市井の子供たちとさほど変わらない生活を送っていたという我が家設定があるので、「再会」の最も大きな求心力になるのはエーディンさんかな、ということで。次に集まるのはオイフェの結婚式でしょうか。……ティルナノグ組の絆はこれからもずっと続いていきそうです。私の趣味のツボを突くリクエスト、有難うございました!! |
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