月の光 |
| 聖戦二次創作、ホリンメインの短編です。彼はこのサイトの設定では、あの『バーハラの悲劇』の直前に、その剣技でもってティルナノーグの子供達を陰から守るようシグルドから命を受けています。あくまで陰であり、セリスたちはホリンのことを存在すら知ってはいません。 また、公式設定と異なり、ミデェールもエーディンと共にティルナノーグにいることになっています。 |
敵は、森の奥へと逃亡した。手応えはあった。血の匂いもした。シグルド軍にあって幾多の戦を経験してきたホリンには、間違えようのない感覚であった。しかし、致命傷ではないことも確かであった。彼の者がどれほどの情報を得ているのかははっきりしてはいない。しかし、ティルナノーグの子供達に危険が及ぶ可能性が少しでもある限り、息の根を止める以外の選択肢はホリンの脳内にはない。 夜の森は視界が効かない。だが、それは相手も同じことだ。三日月の心細い月明かりを頼りに針葉樹の並ぶ道なき道を小走りにいく。敵は修練を積んでいる男だった。先程も仲間の命が一つ失われた。だが、いくら修練を積んでいても森の土に落ちた小枝達を踏んでたてる足音を消すことはなく、薄いながらも剣聖オードの血をひく剣士は確実に敵を追い詰めていった。と、いきなりぽっかりと木のない草地へとホリンは出た。足を止め、聞き耳をたてる。……沈黙があたりを支配する。走り続けてにじみ出た汗が、こめかみから首、背へと流れていくのを感じた。 自分は誘い込まれたのだ、とホリンは理解する。さあ、どこにいる？茂みか？木の陰か？それとも身軽に木の上に上り、こちらを窺っているのか？ ホリンは神経を研ぎ澄ませる。そして、ヒュッという微かな音に機敏に反応して地に伏せた。先程までホリンが背にしていた木の幹に、タンタン、と投げナイフが二本突き立った。……再びの静寂。ホリンは身を起こす。ぽっかりと空いた草地の真ん中にやや無防備に立ち上がれば、またヒュッと音がし、剣士は、それをすんでのところで抜いた剣で叩き落とした。 しばらく膠着状態が続いた。そしてホリンは、敵の投擲武器が尽きたことを確信した。斃れた仲間は体に八本ものナイフを受けて絶命した。……彼が敵からナイフを奪ってくれたことにホリンは感謝する。 ホリンは己が抜いた剣を暗闇で見つめる。闇に生きるアサシンたちが所持する武器と同じ処置を施した剣。かつて彼が振るっていた銀に輝く大剣と、似ても似つかぬ、刀身を黒く塗った剣である。 （来る…！） 殺気を感じ、ホリンは剣をふるった。己の剣と、相手の武器がぶつかる金属音がし、剣を横に薙いだときに、手応えを感じた。ただし、それは肉を切るものではなかった。森に入る前に、敵に手傷を与えはしたものの、討ち損じたのは、身軽さを重んじるアサシンには珍しく、しっかりした装備を身に付けていたからであり、今度もまたホリンの一撃は防具で遮られてしまったのだ。そして、ホリンもまたかすり傷を負った。皮一枚が切れただけだったが、脛に鈍い痛みが走った。 敵は再び木々の並ぶ暗い場所へと身を隠した。そして、息を潜める。ホリンは冷静に敵の出方を待つ。そして気づく。先程のかすり傷の周囲の感覚が失せていることを。毒が塗られていたことは明白であった。しかし、ホリンは自分でも驚くほど冷静だった。彼は待ちながら考える。……敵はあくまでも戦おうとしており、逃亡を第一に考えてはいないようだ。これは喜ばしいことである。なぜならそれはティルナノーグの子供達に繋がる情報を敵が握ってはいないという証であるからだ。つまりは、敵がこの場で欲しているのは、自分の命だけなのだ。安心してホリンは微笑む。ならば安心だ。……最悪でも失われるのは己の魂のみ。これほど気楽なことはない。できることならば、あの子供達を最後まで守っていきたかったが、それは贅沢というものだろう。バーハラでシグルドと共に散る覚悟をしていた自分は、他ならぬシグルドによって今まで命を永らえたのだ。もう十分ともいえるだろう。……この敵は手強い。勝てぬまでも相打ちになって排除できればよしとせねば。 ホリンは黒い刀身を持つ細身の剣を鞘へとしまい。別の剣をすらりと抜いた。銀の大剣……シグルド軍で、アイラと肩を並べ、最前線でふるった剣は、この剣であった。木々を通してもたらされる三日月の弱い光であっても、その刀身は清浄な白い輝きを放って存在をはっきりと主張した。敵はホリンの場所をはっきりと認知した。軽い足音がこちらへと近づいてくる。ホリンが足に異常をきたしていることを敵は知っているのだ。近づいて来るがいい。自分は死ぬだろう。しかし、お前が俺に刃をつきたてたそのときに、この銀の剣は貴様の胴を薙ぐ。……この剣は金属鎧をも砕いてきた業物だ、それを最期にお前に教えてやろう。 最期にホリンが見たのは自分に向かって暗器を振り上げる敵の姿であり、その直後に彼は意識を手放した。 「大丈夫ですか？」 柔らかな声にホリンが目を開けると、見知った顔が横になった自分を見下ろしていた。ゴトゴトと決して小さくはない振動が床にしている板から伝わってきて、自分が荷車の上にいるのだとわかった。 「ミデェール。……君が助けてくれたのか……」 緑の長い髪を後ろで一つに結び、昔と変わらぬ優しげな顔をしたティルナノーグの父親役は、一つ頷いた。 「しかし、ホリンさん自らがご自身を助けたとも言えます。私は、あなたの剣の銀の輝きを頼りに弓を射たのです。……」 「なぜ……君が……君は、お子様方の傍を離れてはいけない。我々『影』に関わるようなことはすべきではない。」 「……そう…なのでしょうね。しかし、今日は請われたのです。私は一月に一度、ティルナノーグを離れ、『影』の方に繋ぎをつけることになっていることはご存知ですよね。昨日は、約束の時間から随分遅れて『影』の方が来ました。そして、私は聞いたのです。あなたが危ないかもしれない、と。あなたと行動を共にしていた人が殺された、と。あなたは『影』の中のまとめ役。私がお会いしたのは随分若い方でしたから、任務よりも心配が先に立ってしまったのでしょう。……私も、心配が先にたちました。無論、躊躇はしました、が、」 馬の手綱を握っている御者が、元気な声をあげた。 「僕が躊躇するなと言ったんです。ホリンさんが亡くなったなら、ティルナノーグの皆さんが生き残れる可能性は格段に小さくなりますからね。ホリンさん、反論はナシです。軍師の言葉には従って下さいね。」 声変わりはしていたけれど、それがオイフェだと確信したホリンはふう、と息をついた。 「わかった。で、小さな軍師殿、俺をこれからどうするのだ。」 「もう小さくはありませんよ。シャナンには背を抜かされてしまいましたけれど。……あなたにはティルナノーグに来ていただきます。エーディン様に毒を抜いていただいてください。手当てはしましたが、普通の薬草では麻痺が足に残るでしょう。口答えはナシです。先程も申し上げましたけれど、軍師の言葉には従って下さい。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 日が昇ってしばらくしてティルナノーグに着くと、エーディンが出迎え、ホリンの来訪と怪我に驚き、早速治癒の杖で解毒した。ミデェールは子供達に、このおじさんは旅の途中で毒蛇に咬まれて困っていたのでお助けしたんだよ、と説明し、子供達は誰もそれを疑わなかった。イザークの山地には毒蛇が生息し、そして、蛇に咬まれて困っている人を養父が助けない筈がないことを知っていたからだ。ホリンは夕方まで寝台で眠り、目が覚めるとティルナノーグの家族全員と共に食事をした。滅多にない客人の来訪に子供達は大はしゃぎし、ホリンを質問攻めにした。 子供達がおやすみなさいの挨拶をして、しばらくたってから、ホリンは身支度を整えて外に出た。 「どうしてもすぐに発たれるのですか。まだ足に痺れがあるはずです。泊っていかれては…」 ティルナノーグの大人たちは見送りに出ていたが、エーディンだけは、ホリンを引きとめようとした。 「エーディン様、私は『影』です。ここには居ることはできません。……お子様方のご様子を見て、強く感じました。……人間というものはあんなにも屈託なく笑えるものなのだな、アイラ様も昔あのように笑っていらしたことがある。ラクチェ様の笑顔はアイラ様にそっくりです。私もかつてはあのように笑っていたのかもしれません。でも今は違う。」 違いませんよ、とミデェールが言うと、ホリンは、ああ、君はそういう人だったね、気持ちが楽になる、ありがとう、と微笑んだ。 シャナンは立った一言、御武運を、と俯き加減で言ったのみだったが、オイフェは違った。 「セリス様達の存在が太陽のようなものであるなら、あなたの存在は月。対照的なものと思われがちですが、本質が光であることに変わりはありません。そして、月光は白い冷たい光であっても、それが照らすのは黒い闇であるがゆえに、太陽よりも貴重だともいえるのです。心配はしていません。なぜかというともうあなたは死ねないからです。セリス様達の笑顔をあなたは見てしまった。主命でも、義務感でもなく、あなたはあの笑顔を守りたいとさっき思ったはずです。……だからもうあなたは死ねません。セリス様が再びグランベルに戻り、この世界が平定されるのをあなたは見なければいけないんです。」 ぎゅっと握手されてホリンは目を細めた。 「軍師のいうことには従え、かい？」 「いえ、自分の思うままに生きて下さい。」 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 随分と歩いてからホリンは振り返った。もうティルナノーグの明かりは全く見えなくなっていた。 腰からすらりと銀の大剣を抜けば、昨夜よりも少し明るくなった月がその刀身を輝かせた。 （あなたにはそれが一番相応しい。その冴え渡る白銀の輝きが。） アイラ王女にいわれた輝きは今でも一点の曇りもない。ホリンは剣を鞘にしまい、今度は刀身を黒く塗った細身の剣を抜き…その光らない剣を地面に突き立てると、それに深々と一礼してから、その場に残したまま、遠くの一点を見据え、目を高く上げてしっかりと歩いていった。 |
| 14周年短編その1 聖戦には「贔屓」キャラクターはいますが、全員に思い入れはあるので、一人一人にかなり詳しい設定をしています。前書きにも書きましたが、我が家のホリンは、シグルドに乞われて、ティルナノーグの子供たちを陰から支える役を負っています。有力者の息子として生まれながら、剣闘士に身をやつしていたホリンですが、剣聖オードの血をひくものの一員としての義務は果たすべきであると、肝に銘じています。 ティルナノーグが平和であったのは、ホリンのような「陰の護衛」が彼の他にも何人もいたからで、その殆どは、セリスが長じるまでに命を落としています。 |