開放王と征服者
シャナンは大机に向かって背筋を伸ばして腰掛けている大柄な男をじっと見た。男の目の前にはグランベル帝国の大きな地図が広げられ、戦略に使う赤や青の木片がいくつも置かれている。 ここはイード神殿。つい十日前までは暗黒教団の魔道士たちの根城であった場所だ。 話は二ヶ月前に遡る。北西の寒村ティルナノーグから蜂起したセリスを盟主とする開放軍は、東方へと進軍し、ガネーシャ城を落とした後、南下した。そこで、解放軍はヨハンとヨハルヴァの率いる部隊と対峙した。しかし……この目の前の男はイザーク城を任されていた帝国側の人間であったのに、突然解放軍へと寝返ったのだという。腹違いとはいえ弟であるヨハルヴァを屠り……彼はグランベル帝国は征服者であり、帝国の一翼を担うドズルの血筋をひく自分もまた征服者であったと認めた。また、イザークの正当な王がシャナンであることを宣言した。 その折、シャナンはイード砂漠へと小部隊を率いて遠征中であったため、仔細はつい三日前にここ、イードで聞いた。セリスに伴われてやってきたヨハンにシャナンは驚かされた。彼は解放軍の主だったものが居並ぶ神殿の礼拝堂の中、まずシャナンの足元に跪き、服の裾に接吻して、以降はシャナンの臣下としてはたらくことを静かに誓ったのだった。 イザークを不法に占拠していたヨハンは、斬首に処すべきだ、と強行に主張していたイザークの氏族長からの書簡がシャナンのもとに何通も届けられていたが、シャナンはその訴えを退けた。今は亡きヨハンの母親は、イザークの有力な氏族の娘であり、彼女の属していた氏族はやむを得ずヨハンに仕える形で自分達の命を守ってきたのだ。ヨハンの命を奪うことはその氏族と彼らに連なる小氏族もまた罰せねばならず、それは新たな火種を抱えることになる。これからもなお進軍を続けねばならぬシャナンにとって、それは得策とは思えなかった。それに…… 立ち上がったヨハンに、シャナンは指先で椅子を示した。 「ヨハン殿、気を使うことは無い。貴公をここに呼びだしたのは私なのだからな。椅子にかけるがいい。」 頷いたヨハンはすすめられるままに椅子にかける。シャナンはヨハンに向き合って座り、机の上に手先を乗せて軽く組んだ。 「他でもない。……貴公が弟を手にかけてまで我々、いや、セリス皇子のもとに下ったのは何故なのか。……本当のところを貴公自身の口から聞きたいのだ。」 すると、ヨハンは目を細めた。 「理由については、既にセリス皇子からシャナン王に伝えられていると思ったのだが。」 シャナンは左手で顔を覆うと、右手でぐしゃ、と己の素直な長い黒髪を掻き毟った。 「聞いた。確かに聞いた。が、『愛と正義とラクチェの為に戦う』という貴公の発言を私はどのように受け止めたらよいというのだ？」 どう、とおっしゃっても、額面どおりに受け止めていただくしか、と、静かに答えたヨハンに、普段冷静沈着なシャナンが憮然とする。 「一応、あのはねっかえりにも尋ねてみたが……我が従妹は、この戦が終結した暁には、何も考えずに貴公を流星剣で八つ裂きにすると宣言していたぞ。」 するとヨハンは余裕の表情でいった。 「それはそれは。姫は私に気をかけて下さっているようだ。我が麗しの戦女神は強く勇ましい。しかし、凛とした言葉の向こうにも私の瞳は清らかに光り輝く柔らかな天使の羽根を見ることができるのだが。戦場(いくさば)には厳しさが必要。試練を与えてくれることこそが愛。ああ、私は幸せ者だ。」 ヨハンの言葉をじっと聞いていたシャナンは首をふるっと振った。 「私はそのような与太を聞きたいわけではない！」 「……いや、決して与太ではないのだが……うーん、語るべき真実は一つしかないのでね。いや、期待していたような返事を返すことができず、すまない、シャナン王」 シャナンはふーう、と息をついた。 彼はヨハンの自分やセリスへの忠誠を疑っているわけではない。そして、政治的駆け引きがなかったとしても、彼はヨハンをイザークの征服者として断罪するつもりはさらさらなかった。何故なら……ヨハンはイザークにおいて、罪らしい罪を犯していなかったからだ。彼は父、ランゴバルトの命を受け、イザーク城主となり、周辺を治めた。そして、彼の城主としての手腕は、ティルナノーグに居た当時からシャナンの耳に入っていた。確かに税の取り立てには厳しいものがあったが、それはそれとして、飢える者が出ることがないよう、取立てには非常に工夫がなされていた。治水や道の整備にも力が入れられ、ありていに言って、氏族長達にはとてつもない重税と枷があったが、農民層に限っていえば、イザーク王家が治めていた時よりも、豊かな生活をしていたといえなくもない。そして、帝国が命じてきた「子供狩り」をこの男は決して許さなかった。……イザーク国民は彼を征服者と呼び、彼が領主でなくなり、シャナンが開放王として復位したことを喜び……しかしながら、ヨハンの政よりシャナンの側近である、とある氏族長がイザークを治めている今が果たして彼らにとって幸せなのかどうかはシャナンにはわからない。 ……いや、事実だけみれば今のイザークでは農民ははるかに苦しい生活をしている。しかし、彼らはヨハンを征服者としてしか見てはいないのだ。 ヨハンは微笑んでいる。 そして、彼がここに居る理由もシャナンにはおおよそ見当がついていた。しかし…… この男はそれを絶対に認めないだろう。だからシャナンはこういった。 「イザークにこんな昔話がある。……ある国に双子の王子が居た。仲のよい兄弟で、互いに家督を相手に譲ろうとして、跡継ぎはなかなか決まらなかった。ところが、弟がいきなり反乱を起こし、城を占拠した。一度城を追われた兄は、彼の元に集まった家臣たちをまとめ、戦いを挑んで城を取り戻した。領民達は、兄王子を開放王として褒め称え、弟を卑怯な簒奪者として罵り、斬首しようとした。しかし、開放王たる兄王子はそれを断った。なぜなら、すべては弟王子が兄王子に家督を譲るための狂言だとわかっていたからだ。……兄王子は斬首したと見せかけて弟を逃がした。その後、兄王子はは王となり、王国は栄えた。……一度危機を迎え、その後苦心して平穏を勝ち取った国は、1000年の怠惰な平和を送った国より栄えるものなのだ。……そんな話だ。……あくまでもただの昔話だが。……貴殿は頭のよい男だ。私の言わんとするところもわかるだろう。……」 ヨハンはくすりと笑う。 「シャナン王、買いかぶってはいけません。その昔話、王が兄王子で私が弟王子とでもいうのかな。……私と貴殿が兄弟ということはないだろう。……将来、従兄弟同士にはなりたいものだがね。我が愛しの姫と貴殿は従兄妹なのだから。」 シャナンはヨハンの軽口には反応せず、黙っていた。瞳だけを動かし、切れ長の目で机の上の地図を見る。ヨハンは、シャナンが見ていることを確認するように、大げさな動作で腕を地図に伸ばした。ドズル公国の王都ドズル城の上に置かれた赤い木片を大きな掌で掴み、裏返して同じ場所に置き直す。札の裏は黒く塗られており、それは敗退を示す色だった。 「……貴公、ドズルが滅んでもよいというのか。」 「私は斧騎士ネールの血筋とはいえ、ドズルの地を踏んだことなど３度しかありません。……私は母の子であり、母はイザークの者。私の故郷はイザークです。……ネールの血など、もうこの世界にはなくてよいものでしょう？いや、無くなった方が、セリス皇子が即位したあとには良い方向にことは進む。そうは思われませんか。」 やはり、そういうことか、とシャナンは呟く。 「しかし……貴公は私に誓ったのだ。私の臣下となると。……ならば、最後の日まで私のために働いてもらう。」 「人は誰しもいつか最後の日を迎えるもの。もちろんこの私も。それがいつになるかはわかりませんが、その日までは必ず。」 そこまで真顔で言ってから、なぁに、最後の時には我が愛しの戦乙女が天上へと誘(いざな)ってくれますからこの上ない幸福ですよ。と笑ったヨハンの前で、シャナンは黒く裏返った木札をパチンと音をたてて裏返し、元の色に戻した。 |
| サイト開設８周年記念ＳＳ、もろもろさんよりリクをいただいたものです。「ヨハンとシャナンが手を取り合う、或いは理解し合うまで」というお題でした。シャナンはヨハンが解放軍に参加し、イザークが開放されたときにはイードへと出かけており、すべては伝え聞くしかなかったわけで、経過を知らされたときにはさぞ驚いたことでしょう。シャナンは解放軍では年長者ですし、自分が幼い頃を過ごしたイザーク城の状況には注意を払っていたでしょうから、きっとヨハンの人となりには密偵でも放って探りをいれていたのではないかと思います。結果、ヨハンは自分に劣らずイザークを愛していると知っていたのじゃないでしょうか。「我が愛しのラクチェｖ」なんておどけて恥ずかしげも無く愛を語っていて、ラクチェに対する気持ちも本当で、でも、自分の命に執着しない… 解放軍の中でシャナンには、シャナンだけにはヨハンの「素」が伝わっているといいな、と思って書きました。 会話に終始していて、動きのない話となりましたが、どうかお許し下さいませ。 |