はじまり

　トラキア半島中部・・・・・
南のトラキア領から北のレンスター王国へと抜ける石だらけの山道を青い髪の少年が一人走っていた。何度も転んだのだろう。ズボンは裂け、膝や肘からはだらだらと血が流れていた。しかし少年は走るのをやめなかった。いくどもくじけそうになったが、そのたびに右手に握った小さなメダルを握り締める。

　母親は言った。

　「フィン、北に向かって走りなさい。ずっと北に向かっていけばレンスター領に着けるわ。」

　馬車のかげからは村の男たちが盗賊たちと戦っているのがちらりと見えた。不作が続き食べるものがなくなったフィンの故郷の人々は、豊かな実り多き隣国レンスターへと馬車を連ねて旅をしている途中であった。盗むものとてそれほど多くないはずだのに、盗賊どもは彼らを見逃してはくれなかった。寝込みを襲われ、もともと戦う力を持たない村人たちは次々と倒れていく。

　「いやだ。僕、かあさんと一緒に居る!」

　フィンの母は優しい笑顔を見せた。懐から意匠をこらしたメダルを取り出してフィンの手にしっかりと握らせる。

　「レンスターに行けば、警備隊がいるはずよ。その人たちにこのメダルを見せてちょうだい。そうすればレンスターの人達はきっと助けにきてくれるわ。フィン、お願い。早く行って父さんたちを助けて。母さんはフィンが帰ってくるのをここで待っていますからね。」

　フィンはそう言われ、うん、と重々しく頷いた。母親は一人息子の青い髪を一度撫で、前掛けで涙で汚れた顔を拭いてやると額にキスしてからその背をそっと押した。少年は馬車の後ろから、崖を登り、母親に言われた通り、北に向かって駆けていった。

　母親は知っていた。北に行っても常駐の警備隊などいないことを。もしも居たとしても、自分たちを助けになど来てくれないことを。すべてはまだ７歳の一人息子をここから逃がすための嘘だったのだ。彼女は馬車の車輪のかげから、多くの村人が・・・・自分の大切な人達が倒れていくのをただ見ていることしかできなかった。・・・・・・・・・そして、立って戦っているのは彼女の夫ただ一人となった。槍を構え、四方から襲い掛かる夜盗と互角に戦う男・・・・・レンスター王国精鋭の槍騎士隊“ランスリッター”のかつての一員・・・・・・

　フィンが遠くに焚き火の火を認めたとき、もう体は疲労と怪我でばらばらになりそうだった。きっとあれが警備隊だ。あそこまで行けば、皆が助かるんだ。その気持ちだけが少年の足を動かして居た。フィンは懸命に走っているつもりであったけれど、じっさいにはふらふらしながら辛うじて前に進んでいるだけだった。しかし、焚き火は確実に近づいていた。

　「お願いです！村のみんなが盗賊に襲われてるんです！助けて下さい!!」

　そう叫んで、歩哨に立っていた兵士が近づき、いくつか並んでいたテントから人が出てきたのを見たとき、フィンは膝をついて意識を失った。

　「どうしたというんだ？」

　夜着の上から豪奢な上着を羽織った少年が出てきた。

　兵士が慌てて膝をつく。

　「キュアン王子様、お休みのところ騒がしくしてしまい申し訳ございません。」

　キュアンと呼ばれた王子は、少し離れたところに傷だらけになって倒れている小さな男の子の姿を認めて眉をひそめた。

　「あの子は・・・・・？助けてくれ、と叫んでいたのを聞いたと思ったが・・・・」

　「は、トラキア領からの難民の子供でしょう。近頃国境を越える輩が増えていると聞きます。」

　「そんなことを聞いているのではない！助けにいかないのか、と聞いているのだ。・・・・・・私たちの旅は国内の巡検とは名ばかりの物見遊山に近い旅だ。ここで何をしても支障はあるまい！」

　「王子。」

　供としてついてきた大臣の一人がいつの間にか傍らに立っていた。

　「難民の問題は微妙なものであることはご存知であるはずです。・・・・私がいつかお教えいたしました。」

　「・・・・・・・ああ。」

　彼の国レンスターは南のトラキア王国とはもともとは仲の良い兄弟国であったという。不幸な出来ごとのために分断されてしまったが、そこに住まう人々は同じ民族で、血縁である者も少なくない。二つの国の住民達は、互いの国に居る人々を同胞と考えている。しかし、山岳が多い厳しい土地柄のトラキアからの難民の受け入れには渋い顔をする者が多いのだ。・・・・・・気の毒に、と思いはしても、自分たちの仕事、自分たちの農地、自分たちの財産が南の人々の流入によって脅かされるのを恐れているのだ。

　「・・・・・そんなことは判っている。しかし・・・・・これは机の上の政の授業ではない。我々はその盗賊を討つことの出来る位置にいる唯一の存在ではないのか？私は将来政を行う身として、無辜の民を救う義務があるのではないのか？」

　大臣はぴくともしなかった。

　「・・・・・あなたが政を行う身であるから動いてはいけないのです。・・・・・・難民は何百、何千といるのですよ。それらの民を皆救うおつもりですか。あなたが今ここでこの子供の親達を救いに動けば、レンスター王国そのものの意志がそうであるかのように受け取られるのです。・・・・それに、レンスターの国民でないものに、あなたが責任を負う必然性はありません。あの少年は他国の民。紛れも無いトラキアの民です。」

　キュアンはぎり、と歯噛みをした。大臣の言葉は間違ってはいない。一人でなんとかなるものならば、自分だけでもこの子の為に動きたかったが、自分が未熟であり、いくら伝説の武具を扱うことができる聖戦士の血を受け継ぐものとはいっても一人きりでは夜盗と戦う力がないこともキュアンにはわかっていた。兵士たちを動かさなければこの子の親達は救えない。

　キュアンは大臣を一瞬だが睨み付け、気を失っているフィンの傍にしゃがんだ。

　「傷薬を・・・・・・そして柔らかな布と綺麗な水を。」

　「！王子！そのような下賎なものの治療を手ずからなさるというのですか！」

　「・・・・・・・・聞こえなかったか？・・・・・・傷薬を私に。これは王子の命令だ。」

　
　傷を洗って薬を塗っているときも、少年は目を覚まそうとはしなかった。疲れが痛みより勝っているのだろう。傷に食い込んだ小石を取り出し、傷薬を塗る。最後に少年がぐっと握っている右手の治療をしはじめて、キュアンは少年がしっかりとメダルを握り締めているのに気づいた。
　手に取り、ランプのあかりにかざし、キュアンははっとした。

　「これは・・・・・・我が王国の紋章・・・・・・・ランスリッターだけが持つことを許されたメダルではないか！」

　その声に大臣もメダルを覗き込んだ。金のメダルはランスリッターの中でも特に技量に優れたものにしか与えられてはいない。そしてメダルの裏にはその者の名前が・・・・・・・

　「マクニール・・・・！・・・・・・・先代のランスリッター筆頭を勤めたマクニール卿の子息のメダルなのか!?８年前に行方不明になったという・・・・」

　キュアンはフィンを抱いて立ち上がっていた。そして決然として言った。

　「・・・・・・・・兵を動かす正当な理由が出来たようだ。・・・・これより我らは行方不明となったマクニール卿の子息を捜索するために国境へと出発する。途中夜盗などに出会ったら討伐すること。いいな。・・・・・すぐに私も出る。馬の用意を。魔道士たちに夜道を照らす明かりを用意させておいてくれ。」

　そしてそのまま自分のテントに入るとフィンを寝かせ、毛布をそっとかけた。

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　兵は動いた。そして難民が夜盗と戦っていた場所にたどり着いた。・・・・しかし、そこには誰も生きているものは居なかった。メダルの主はすぐにわかった。夜盗たちの死骸に囲まれるようにして青い髪の男が一人、右手に槍を携えたまま力尽きていた。彼の腕は、血溜りの中に倒れている一人の女、彼の妻の骸に向かって延ばされていた。

　「・・・・・・・・」

　キュアンは家臣たちがとめる手を振り払い、嘗てレンスターの騎士だった男の遺体に触った。
その皮膚がまだ温かさを失っていないのを知り、王子は歯噛みする。自分がもっと早く動いていたら、彼はまだ生きていたかもしれないのだ。レンスターが政治的に難しい位置にいるのを彼は少年ながら心得ていた。しかし、政治のためにこのように人が死んでいくのを静観できるほど、彼の心は冷徹ではなかった。元騎士の遺体のみを回収しようとする兵に、キュアンは彼の妻であっただろう女の遺体を共に運ぶよう命じた。大臣がまだ難しい顔をした。

　「私の命に従えぬというのか？」

　「王子様。あの女はマクニール卿のご子息の妻であったかもしれません。しかし、レンスターの国民ではなく、対立しているトラキアの人間であるのです。」

　キュアンは怯まなかった。

　「・・・・・・お前たちが運ばぬのなら、私自ら運んでいくが？」

　そして実際に血みどろの遺体を抱き上げようとしたので、兵たちはあわてて女性の骸を運んだ。

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　「・・・・・・・帰国した少年はマクニール卿に引き合わせられた。卿はご子息の忘れ形見の突然の出現に驚愕したが、少年の面立ちにご子息の姿を見、非常に喜んだ。少年も父親がレンスターの貴族の出身であったことを知り、信じられない様子だったが、卿にすぐ懐き、また、真面目によく学んだので、すぐに同年代の貴族の師弟よりも勉学についても武術についても上を行くようになった。」

　親友であるシグルド公子の居城、シアルフィでキュアンは難しい顔をしていた。正面に座ってティーカップを持っているシグルドとその妹のエスリンは、いつもは気さくで明るいキュアンの深刻な表情に戸惑っていた。顔色が優れない、ということで“何か悩みがあるなら聞くが”、とシグルドに言われ、とつとつと語りだしてもう半時になる。

　「それで・・・・・？どうしたんだ？」

　「・・・・・ああ、実は先日マクニール卿が亡くなってな。その少年が宙に浮いてしまっているのだ。」

　シグルドは妹が入れてくれた紅茶をくい、と飲むと少しばかり首を傾げた。体を動かすことが大好きなエスリンはお茶を入れるくらいなら侍女の手を煩わせるようなことはしない。いや、華美な身形を嫌い、王宮の中を縦横無尽に走り回って家政に精を出している姿は、他国からの訪問者に、女官と間違えられたことすらある。

　「その子供は卿のただ一人の孫なのだろう？ならば正当な後継者として認められるはずだ。いくら他国の女性の血をひいているとはいえ。・・・・・そこが問題ならば、君が口をきいてやれば少しはごたごたしてもなんとかなるだろう。」

　キュアンは前髪を掻き揚げた。

　「そう簡単にはいかんのだ。・・・・・・卿は子息が行方不明になってしばらくしてから甥を養子として迎えている。もちろん自分の跡継ぎとするためだ。」

　「その甥が少年を追い出そうとしているのか？」

　「いや、彼はよく出来た男でな。現在、ランスリッターの副長を勤めている。実際、胸中は複雑であろうが、自分は身をひく、と宣言した。が、・・・・・・少年の方が頑なに後を継ぐことを拒んでいてな。自分はあとからやって来た者であり、少しの間であったけれど、お爺様と暮らせたことだけで十分だ、と言い。」

　殊勝な、と言ってシグルドはまた紅茶を飲んだ。

　「ああ、賢い上に、性格もいい少年でな。周りに気を使いすぎるのが玉に瑕だと・・・・・おい、少しは考えてくれ！・・・・・・・どうすれば八方丸く収まってくれるのか、いろいろ考えたがよくわからん。・・・・・新しい家名を創設するというのも一手だが、現在の貴族連中の力の均衡を崩すのはかなり危険だ。トラキア侵攻を主張する一派の動きが相当派手になってきている。少年をどこか別の貴族に養子に出すというのも、筋違い甚だしくてな。なんといってもマクニール家を上回る大貴族はそうそういない。その直系の少年だ。下手をすれば大きな火種になる。」

　「あのぅ。」

　エスリンが明るく声をあげた。

　「？・・・エスリン？」

　「悩むことなんてないと思いますけれど？」

　薄紅の髪の少女は大きな瞳でキュアンを見てにっこり笑う。

　「え？」

　「すぐにできるいい解決法があるではありませんか。」

　「・・・・・・・・・・・・・降参する。私はどうしたらいい？」

　「うちのオイフェのように、キュアン様のそば仕えとして王宮に来てもらったらいいのじゃないでしょうか。大貴族の家督を継ぐのに対抗する身分として、王子の最もそばにいる家臣というのは決して見劣りするものではないと思うし・・・・・・・キュアン様、結局その子が傍にいなかったら、やれ、元気でやっているか、だの、ちゃんと友人ができているか、だの、・・・・・・ぜえったい気にするんでしょう？ね、キュアン様。そうなさいませ。その子がとってもいい子なら、あなたのお供にしてここに連れてきて下さい。きっとオイフェと友達になれるわ！」

　ちょうどそのとき、焼き菓子を運んできたオイフェ・・・・・名軍師スサール卿の孫・・・・はきょとんとした顔でエスリンと、キュアンを代わる代わる見た。

　それから程なくキュアンのそば使えとして城にあがったフィンは、このレンスターの皇太子を主君として、表には出さないが兄として尊敬し、慕うようになった。

　或る日、非公式に仕官学校時代の学友の国を訪ねるキュアンに同行したフィンは“しばらく自由にここらへんを歩いておいで”と言われてシアルフィ城の中庭に面した回廊をゆっくりと歩いていた。レンスターに気候の良く似た、落ち着いた雰囲気の美しい庭を見てふうっと息をつく。と、何か布の塊を運んできた女性とぶつかった。

　「あ！失礼しました！」

　慌てて女性が落とした布を拾う。

　「すみません。私が不注意でした。汚してしまったのではありませんか。」

　最後の布を手渡すと、女性はにこにこと笑って居た。自分より少し年上だろうか。明るい溌剌とした若い女性。

　「いいんです。お兄様があっちこっちにスカーフだの上着だのを置き忘れていたのを回収して回っていただけなの。もう・・・お父様といい、お兄様といい、どうしてだらしがないのかしら。・・・・・それより、あなたフィン　マクニールさんかしら？」

　自分の名を呼ばれ、フィンは驚いた。

　「私、エスリンです。よろしく。」

　手を差し出され、ますます困惑する。
　エスリンといえば、キュアン様と内々ではあるが婚約を交し合った女性の名ではないだろうか。この国の姫君で・・・・・・確かにキュアンから“フィン、お前もきっと好きになる。エスリンは気さくで誰に対しても笑顔を絶やさない女性だ。”と聞かされてはいて、それにはぴったりなのだが、でも目の前にいる人はフィンの頭の中にある“王女”の定義とはかなりかけ離れていて・・・・それに、その差し出された手はどうすればよいのだろうか。舞踏会では貴婦人に手を差し出されたら騎士はそれにキスするというけれど、自分は騎士ではなくまだ見習いにもなっていない。あたふたするフィンを見、エスリンはくすっと笑ってフィンの手を軽く握って上下に振って握手した。

　「・・・・・エスリン。こんなところにいたのか。」

　キュアンの声が聞こえてフィンはほっとした。

　「キュアン様、あの・・・・・・私は先程このお方にぶつかってしまいまして・・・」

　キュアンは笑った。

　「大方、兄上殿の服を抱えて回廊を疾走していたのだろう。フィン、改めて紹介する。シアルフィの姫、エスリンだ。」

　「近く、レンスターに行くことになります。仲良くして下さいね。」

　またフィンの手を握って大きく握手する。

　繋がれた二人の手にキュアンは自分の大きな手を重ねた。

　・・・・・・聖戦で戦ったレンスターの３人の物語はここからはじまる。

以前にお客様の中のお一方にメールで公開し、あとからサイトアップするかもしれません、といっていた話です。「聖魔の光石」をやり、FE熱がますます再燃したのですが、それをどんな方向にもって行ったらよいのかじたばたした挙句…レンスターで更新するあたりが、自分らしいといえば自分らしい。
　オフィシャルではどういうことが考えられているのか不明ですが、キュアンやエスリンがあれだけフィンに拘るのにはこれくらいの理由があるのではないかな、と思って書きました。おそらくキュアンは少し時がたってから自分が父親を救えなかったこともフィンに話すことと思います。・・・・うちのキュアンはそういう人です。