笑顔

　シレジアの王妹、フィーは、王女という肩書きより、“天馬騎士”としての肩書きが好きな、そして、実際似合っている元気溌剌とした娘である。その手綱さばきは天馬騎士団のなかで１．２を争うものであるが、王女という立場上、騎士団長になるわけにはいかず、兄であるセティ王を守る近衛騎士の一員ということになっている。もっとも、セティを守るために自分が必要なのかどうかフィーには今一歩わからない。兄は最強の風魔法フォルセティを扱うことができるこの世で唯一の魔道士であり、魔法防御の力たるや、生半可な魔法は体に届く前に雲散霧消させられるし、兄を刃をもって葬ることができるとしたら、イザークのシャナンやアグストリアのアレス、そしてセリスやアルテナやそれくらいしか考えられないし……そんな使い手が相手ならばフィーに勝ち目はない。

　そんなこともあり、仲の良い兄妹ではあったが、フィーは兄の側にぴたりとついていることはなく、哨戒任務で比較的自由にシレジアの空を駆け回ることができた。
　そして、彼女にはもう一つの役目があった。セティの任を受け、他国に飛び、情報交換をする役目。それはフィーにとっては楽しいことでもあった。海や険しい山稜に阻まれることなく先の戦争で共に戦った友人達を訪ねる……それは仲間達の中では竜を操るアルテナを除いてはフィーだけに許された特権であった。セティに託された役目だけなら、満遍なく様々な国に行くはずであるが、彼女はフリージに飛ぶことが最も多かった。この国では、“相棒”のアーサーが年は若いが王となり、フリージ城の城主となっている。

　上空を愛馬のペガサス、マーニャで旋回しつつ、城の庭を見下ろすと、間違えようのない、銀髪の青年の姿があった。アーサーはフィーの知らない文官らしき人物と何やら話しているようだったが、その人物はアーサーにくるりと背を向け王宮の方へとずんずん歩き出した。フィーはじっとアーサーを見る。目のよいフィーにはずっと離れていてもアーサーの表情が見て取れた。

　(あちゃー)

　フィーは平手でペチンと額を打った。主人の片手が手綱から離れたのに気付いたマーニャが首を巡らす。

　「大丈夫、大丈夫。あいつが例によって例の如し、なだけ。」

　物見台の上の兵士がこちらに気付き大きく手を振っている。何度かここに来ているうちに、フィーは兵士たちとも懇意になり、シレジア皇女の肩書きも大きく物を言ってアーサーから出入り自由の許可を貰っている。

　「さあ！マーニャ、行くわよ！」

　くい、と手綱がひかれ、マーニャは翼を畳んで降下した。そして、大地に達する直前で大きくはばたいてふわり、と芝の上に着地した。

　すると、アーサーがぱたぱたと走ってきて……転んだ。

　フィーが引っ張り起こすと、アーサーはいつものとぼけた顔で、やあ、フィー一週間ぶりだね。と言った。

　「んもう。歩く時は元気に膝をもっと上げて歩く！こんな小さな段差で転ぶなんて、お年寄りじゃないんだから。」

　「はいはい。うん、そうだね。もっと気をつけなくちゃね。」

　フィーよりずっと身長の高いアーサーだが、こうして話しているとまるで姉と弟のような雰囲気になる。

　「ところで、フィー、今日は、ゆっくりしていけるのかい？」

　「今日はシアルフィで泊まりよ。用事はお兄ちゃんからオイフェさんへの手紙。なんだか変な字と魔方陣がいっぱい書いてあるものを渡されたの。でもあたしにはチンプンカンプン。お兄ちゃんから、アーサーが見たいっていったら見せてあげるように言われてるけど、見る？」

　アーサーの瞳がキラ、と輝いた。

　「魔方陣？見る見る。今お茶をいれるから、僕の部屋においでよ。マーニャはいつものところに繋いできて。どっさり好物の野菜を用意させるよ。」

　アーサーは厩から上がってきたフィーを自室に通し、花の香りをつけたお茶をてづから注いだ。フィーの好みの砂糖の量を入れてかき混ぜる。

　「有難う。あー、美味しい。」

　「この間、フィーが好きだっていったお茶だよ。そのクッキーはティニーがこの間置いていってくれたんだ。とってもいい味だよ！」

　あんぐり口を開けたフィーは一口にクッキーを頬張ろうとして躊躇した。

　「ティニーちゃんが焼いたの？それじゃ悪いわ。ティニーちゃん、アーサーの為にここまで持ってきたんでしょう？」

　「他の奴には食べさせたりしないよ。フィーは特別だから。」

　「何それ。……私、そんなに食い意地張ってるかしら。」

　しかし、フィーが顔をあげるとアーサーは夢中で何冊かある紙挟みのうちの一冊を開き、魔方陣の図を食い入るように見つめていた。

　「どう？それ、そんなに凄いものなの？」

　「ああ、かなり旧い時代のものみたいだね。もしかして、ロプト教の母体になったっていう教団に関係があるものかも。」

　「え？そんなに怖いものなの？」

　「いいや、ロプト教の母体になった教団は、もとはといえばブラギの一派だったらしい。ひょんなことからロプトに取り込まれてしまったんだ。貧困や病に苦しむ人たちの救済を第一義とする立派なものだったっていうことだけど。……この文字は僕でもよめるけれど、こっちのは古代神聖語ですらない。どういう意味なんだろう。セティさんにわからないものは僕にわかるわけはないか。雷系や炎系の魔法に関するものだったら僕の体に流れる血が反応しそうなものだけど、それはなさそうだね。」

　「うん。お兄ちゃんが言ってた。これはもう昔の魔道の知識を本で調べるというよりも、頭脳明晰なオイフェさんに暗号として解いてもらうのがいいのじゃないかって。」

　「そうかもしれないね。僕ら魔道士は、どうしてもこういったものを先入観で眺めてしまうものだから。」

　尚も嬉しそうに魔方陣を眺めるアーサーの顔をフィーは机に頬杖をついて半目で眺めた。

　「……アーサーって、人前ではとことんへらへらした笑顔なんだけどねー。」

　え？とキョトンとするアーサーにフィーはびしいっと指をつきつけた。

　「どっちかっていうとそれが地なんだろうけど……自覚はあるでしょう？時々おっそろしい顔で笑うわよね。さっき、空からマーニャで見てたわ。庭であんたが誰かと話してたじゃない？その人と別れたあと、あんたギラギラした目をしてうすく笑ってた。まるで、世界を焼き尽くしてやろうかって言うような表情でね。」

　一瞬真顔になったアーサーは眉を下げ、ふにゃ、と笑った。

　「嫌だな、そんなつもりはないんだけどなあ。」

　「今に始まったことじゃないわ……あたし、アーサーをマーニャに乗せて戦いに出たとき、何度か後ろを振り向いてあなたの顔を見たことがあるの。……アーサーは魔法を使ったあと、私がさっき言ったような具合に不気味に笑ってたことがあるわ。何度もね……」

　「そうなんだ。鏡を持って魔法を唱えていることなんてないからわからないや。……別にいいよね。きっとそんな僕を知ってるのは、父さんとフィーくらいなもんだし。」

　「……極端から極端に走りすぎ!!ティニーちゃんがあの顔みたら怯えて泣くわよ！」

　「大丈夫。ティニーの前では絶対にそんな顔はしないから。神かけて！絶対に絶対。」

　「あたしだったらいいっていうの？」

　「フィーだったら知っててもいい。イザークで初めて一緒に戦った時、フィーは僕の魔法を見ても動じなかった。……あとから、君がそうだったのは、セティさんが魔道士で小さい頃から魔法をみてきたからだってわかったけど……僕の力を畏れなかった人は家族以外では初めてだったから。なんか……フィーには何を見せてもいいような気がする。」

　フィーは口を尖らせた。

　「あたしだって、アーサーのああいう顔は苦手よ！」

　「ああ、僕も苦手。あの顔さ、やると疲れるんだよ。結構。」

　「そうじゃなくて、ああ、なんていうかな。……薄笑い浮かべるんじゃなくて、ゲンコツ固めてぶん殴るとか、怒って怒鳴るとか……少なくともあたしだったらそうする。お兄ちゃんだって、怒る時には物凄く怒るけど、薄笑いなんて絶対しない。だって、そんなこと意味がないもの。相手がそこにいないのに笑うなんておかしいじゃない。言いたいことややりたいことは相手の前でいいなよ、やりなよ。」

　「……つまり、フィーを怒らせると、次の瞬間には槍で額をぶすりとやられる、と。」

　「ちがーう!!……とにかくね、あたしが居る時にはアーサーにはあんな顔をさせない。あんたが薄笑いしそうだったら、ゲンコツ食らわせてアーサーを昏倒させるわよ。でも、あたしはいつもここにいられるわけじゃないから、アーサー、自分で頑張りなさい。」

　参ったな、どうしてそんなことを頑張らなくちゃいけないのかな。とアーサーは頭を掻いた。

　「私が良くないことだって思うからよ。」

　銀髪の魔道士は、それって論理的じゃないね、といいつつも、仕方ない、フィーが言うならやってみようか、とタメイキ混じりに言った。

　でも…

　アーサーは書類から目をあげ、フィーを眩しそうに見る。

　「僕は意志薄弱だからフィーに隣にいて貰って注意して貰うのが一番いいんだけれど。」

　「王様でしょう。他人に頼っちゃ駄目よ。」

　へら、と笑っているアーサーに向ってフィーはタメイキをつき、コツ、と自分の額を人差し指で弾いた。

　「うーん、そうね、お兄ちゃんから教わった方法を教えてあげるわ。」

　「セティさんの方法？」

　お茶のおかわりを注ぎつつアーサーが言うとフィーは頷いた。

　「……もっとも、あたしの場合はもっとおちつけってことなんだけど。あのね、あ、ほんとうにこれでいいのかな、っておもったら、こう……」

　フィーは目を瞑りすう、と息を吸い込み、イチ、ニイ、サン、と小声で呟いた。そしてぱっちり目をあけた。

　「深呼吸して１、２、３。ゆっくり考えてそれでも尚且つやろうとしていたことをやりたかったらやりなさい、って。」

　アーサーは目を瞑りすうっと息を吸い込み、ゆっくりと数を数え……笑った。

　「僕がこれをやったら目を閉じているうちに眠ってしまいそうだよ。」

　「……それでもいいじゃない。……その方が平和だわ。」

　「……そんなんじゃ王様なんてやっていけないよ。……眠っているうちに、……寝首をかかれるさ。」

　そのとき、アーサーは薄笑いしそうになったのだが、その前にフィーに脳天を拳骨でゴツンと殴られた。

　「……何バカいってんだか。……この城の中で信じられるのは自分だけなんて思ってんじゃないでしょうね。……王様はさ、一人でやってくもんじゃないわ。……お兄ちゃんはさ、どんな人でもまず信じてみようとしなさいって言うの。……難しいことから試していきなさい、信じない方がずっと簡単なんだよって……」

　フリージの青年王は、シレジア王セティの生真面目な顔を思い出す。彼ならばきっとそうだろう。人を信じ、裏切られても怒ることなく毅然とし……心からの幸せを感じたときに微笑むのだろう。しかし……それに。

　「うーん、やっぱり僕としてはフィーに注意してもらう方が確実だと思うなあ。うん、絶対そうだ。」

　「だからぁ、頼っちゃ駄目っていったでしょ。ま、これからはもう少し頻繁にここに寄せてもらうかも。お兄ちゃんが今度結婚するの。相手はあたしの大切な友達なんだけど、結婚したらなるべく二人にしてあげたいなーなんて思ってるわけ。……いっけなーい、随分長居しちゃった。あ、オイフェさんたちに届けるものがあったら引き受けるけど、何かある？ない？それじゃ私、行くわね。あ、お茶美味しかった。ティニーちゃんによろしくー！」

　手袋を身につけながら去っていくフィーを大きく手を振って見送りながら、アーサーは呟いた。

　「僕が魔法で山一つふっとばしでもしたら、監視のために、フィーはここに来てくれるかなあ。……だったら一つどころか二つでも三つでもやっちゃうんだけどなあ。」

　ノックの音がした。

　「どうぞ。」

　扉が開き、大臣の一人が入ってきた。アーサーが苦手としている人物の一人だ。

　「急ぎの案件がございますので執務室へお戻り下さい。。……時に陛下、私が申し上げることではないかもしれませぬが、あのシレジアの公女殿とお付き合いをなさるのなら、今のような形ではなく、シレジア王セティ様に正式に書簡を送るべきではないかと。」

　アーサーは目を閉じ、すう、と息を吸い、１，２，３と数えた。
　目をあけると大臣はアーサーの奇矯ともみえる行動にキョトンとしていた。

　「そうですね。ご助言ありがとうございます。セティさんには手紙を送ろうと思います。」

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　フィー。早くここにおいで。君が僕の側にいれば、僕はきっと薄笑いなどしなくなる。そしてね、フィー、君が僕の側にいれば、何かが起こったときに、僕は昔と同じように君の相棒になって、マーニャの上から魔法を唱えて敵を屠ることができる。考えてご覧よ。天馬の後ろでバランス取りながら魔法を唱えられる奴なんて、僕の他に誰もいないじゃないか？

　僕は知っている。フィーは戦の中でも、誰かを傷つけたことはあっても、直接命を奪ったことはなかったはず。君の腕っ節はそれほど強くないし交戦ではなく偵察が君の仕事だってセリス様からも言われてたしね。
　君はさ、僕とは違うんだ。ティニーとも違う。ラクチェさんやアルテナさんともね。

君はさ、特別なんだよ。そこのところをわかっているかい？

　……君が傍らにいれば、僕は決して君の手を血に染めはしない。

　窓から外を見れば、天馬が厩の方角からふわりと浮き上がったところだった。マーニャは斜めに空を駆け上がり、アーサーの部屋の前でゆっくり旋回した。その背でフィーは大きく手を振った。

　大きく手を振り返しながら、アーサーはゆったりと自然に微笑んだ。

突発的にアーサーとフィーの話です。我が家の子世代のキャラクターの中では、アーサーが最も個性が強いキャラクターかもしれません。いつも穏やかですが、戦場に出れば、迷うことなく敵を殺していきます。セリスやセティがみせるような戦うことへの躊躇は彼は余り感じていません。
ただ、彼の場合、家族や周囲の人々へ寄せる愛情が、辛うじてかれを悪鬼となることから救っているように思えます。
　我が家のアーサーにとってのフィーは“無二の相棒”です。「初めに友情ありき」で、支えあっていってほしいと思います。