事故と責任 |
「申し訳ございません。」 それだけを言い、従者の少年は深く頭を下げ、俯いたきりだった。ううう、と嗚咽が聞こえ、毛足の長い絨毯にポタリ、と涙が落ちたのに気づき、エスリンは慌てて後ろに回ってまだ広くはないフィンの背をさすり、キュアンは前から両肩に手を置いた。 「どうした。何が起こった。それだけではわからない。」 「そうよ。ほら、涙を拭いて。鼻もかみなさい。」 自分の主とその奥方に促され、フィンは喉の奥でしゃくりあげながら、報告する。 「私は、エスリン様よりの命を受け、一時ほど前より、アルテナ様のお世話をさせていただいておりました。」 キュアンとエスリンは、フィンの前に座り、うん、と一つ頷いた。 「ええ、私がお願いしたのよね。私達がお義父様のところにお話しに行く間にアルテナと遊んで頂戴って。私達は予定より早く戻ったのだから、まだアルテナは遊んで貰っていると思っていたのだけれど……それで？何をしていたの？」 「は、はい。槍の鍛練を。」 何故この少年は遊んでと頼むと槍の鍛練をしてしまうのだろう。確かにアルテナは槍の稽古を楽しんでいるようであったが、おままごとだって大好きなはずなのだ。以前にも、おままごとをしてやって頂戴、といったことがあるが、この真面目な見習い騎士は『そんな畏れ多いことは』と固辞したっけ。……おままごとのどこがそんなに畏れ多いのかエスリンにはわからなかったが、フィンにはフィンなりのこだわりがあるらしかった。 「もしや、アルテナが怪我でもしたのか!?」 そんなことがあれば、別経路で即座に報告が来るはずであるが、娘を溺愛に近い具合に大切にしているキュアンが大声で問うと、フィンはぐし、と袖で目を拭いて、お怪我はなさっていません、と答え、とにかく私が悪いのです、申し訳ございません。とまた頭が絨毯につきそうになるまで頭を下げた。アルテナに怪我がないと分かったキュアンは穏やかな表情に戻り、エスリンと顔を見合わせ、ならば、何が起こったのか、頭を上げ、順序立てて説明しなさい。これは私からの命令だ、と少し強く言った。強く言う必要は全く感じなかったのだが、こうすることでフィンが話しやすくなると思ったのだ……説明させないで頭が下がったままだと頭に血が上って倒れかねない。 見習い騎士は、両の踵をきっちりとつけ、背を伸ばし、しかし、視線は上げられなかった。 「はい。いつも通りに簡単な槍の運びの練習をしておりました。キュアン様より頂いた子供用の木の槍を用い、今日は相手の足を攻める方法をお教えしていたのです。アルテナ様は飲み込みが早く、流石はノヴァの直系であらせられると感嘆するような槍運びをなさいまして、私の向う脛を的確な強い打撃が見舞いました。アルテナ様がいくらノヴァのお血筋であっても、まだお子様です。私が打ち込みを避けられなかったのは、一重に私が未熟だったせいなのです。私がすべて悪いのです。」 「だから、それがどうしたのだ。」 「アルテナ様の的確な打撃が向う脛を強打し、私は軟弱にも悲鳴をあげました。そして、レンスターの騎士見習いとしてあるまじきことに、足をもつれさせて転びそうになりました。このまま倒れてはアルテナ様を下敷きにしてしまう、と思い、咄嗟に持っていた練習用の槍を杖のように使うことでやっと持ちこたえたのですが、私は体勢が大変に崩れており、ありていに言って、殆ど倒れそうになっており、頭の位置が低くなってしまっておりまして、私は……私は……私は……………………申し訳ございません！」 「だから、どうして謝る。全くお前の言うことは要領を得ていない。お前が倒れそうになったことが、どうして私達に謝らなくてはいけないことなのだ。」 フィンは肩を震わせた。 「………………この責任はしっかりと取ります。レンスターの騎士見習いとして、自分の所業を許すわけにはいきません。……どうか、お暇を下さい。」 暇？何のことだ？ 「だから！はっきりと言うんだ！暇を出すかどうかは私が決めることだ。お前に暇乞いをする権利はない！」 敬愛するキュアンから言われ、フィンは背筋を伸ばし直す。 「……私は、倒れそうになり、そこに丁度アルテナ様がいらっしゃいましたので、わ、私の唇が、アルテナ様の頬を掠めてしまったのです!!」 そう大声で言うと、フィンはぎゅっと目を瞑り、キュアンからの叱責の言葉を待った。しかし、 ぷっ、 そんな具合な噴き出す音が聞こえ、生真面目な騎士見習いが目を開けると、レンスターの王子夫妻は苦しそうに笑い転げているのだった。 「……なぜ、笑っていらっしゃるのですか。」 キュアンは目じりに滲んできた涙を指先で拭いながら尚も笑う。 「国家の一大事のような鬱々とした顔をして何を言うかと思えば、なんだ、そんなことか。」 「そんなこと、ではありません！従者である見習い騎士如きが、ノヴァの血を引く姫君の顔(かんばせ)を唇で穢したのです！これが大罪でなくてどういたしますか！どうぞお暇を！」 エスリンが柔らかに微笑む。 「アルテナはまだ子供よ。それに、暇なんてあげられないわ。フィン、あなたという真面目で気のきく従者がいなくなったら、困るのは私達なんですからね。」 キュアンもエスリンの隣で頷く。 「それに、そのようなことならば、私達がどうこうすることではない。アルテナに対して罪を犯したとお前が思うのならば、責任をとって何をするかはアルテナに決めて貰うべきだろう。それが筋だ。違うか。」 フィンは、考え込む。 「それは……そうなのかもしれません。……キュアン様……このような私をお許しいただけるということでしょうか。」 夫妻はまた顔を見合わせる。この生真面目な従者は生真面目すぎてあぶなっかしい。……そこがまた庇護欲をくすぐるのであるが。 ああ、許すも許さないもないが、お前がそれを聞きたいのなら、許す、と言おう、とキュアンが宣言すると、フィンは有難うございます。有難うございます。と何度も何度も……永久に続くのではないか、というほどにお辞儀を繰り返した。 ……と、そこに、稽古用の穂先のついていない槍を得意そうに掲げて小さなアルテナ王女が現れた。 「お父さま、お母さま。アルテナ、また強くなりました！えい、ってこうやって、こうして！フィンも褒めてくれたの！ね、フィン！アルテナ、上手だった？」 「は、はい。それはもう！」 満足そうに笑って、アルテナはキュアンに抱っこをねだり、子煩悩な王子はそれに答えて軽々と我が子を抱き上げる。そして、面白そうに尋ねた。 「アルテナ。フィンが『責任』をとって何かするそうだ。」 大好きな父の腕の中で、小さな王女はまっすぐにキュアンの顔を見てそのあどけない顔に不思議そうな表情を浮かべる。 「『せきにん』？お父さま、せきにんってなぁに？フィンはどこから『せきにん』をとってきたの？お庭から？」 エスリンがアルテナの茶の髪を撫でながら、どこでしょうね、どこかしらね、などと柔らかに我が子の耳に囁く。 「ああ、まだこの言葉は難しかったな。アルテナ、フィンはアルテナのお願いを一つ聞いてくれるそうだよ。だから、アルテナの好きなことをお願いしなさい。」 王女は、母と従者の顔を見、エスリンが笑顔で、フィンも硬い表情ながら頷いたのをすると、『お願い』したいことを一生懸命考えた。槍の稽古はお願いしなくたってやってくれる。肩車で走るのだってそうだ。絵本を読むのだってそうだ。改めてお願いしなければいけないことなんてそんなにない。うーん、うーん、と考えていると、父が恐ろしいことをいった。 「フィンは『責任』を取って、お城から出て行ってしまうというのだよ。どうしよう。」 するとアルテナはじたばたと暴れ、キュアンに下ろして貰うとはっし、とフィンの蒼いマントを小さな手で握った。『せきにん』というのはそんなに怖いものなのか、大好きなフィンがそれを取ったらお城を出て行かなければいけないものなのか。アルテナは悲しくなってフィン、いっちゃやです。いっちゃいやです、と叫んだ。大きな瞳からは今にも涙が溢れそうだ。 キュアンは厳しい目で従者を見る。 「見ろ、これがお前の言う『責任を取る』ということなのだぞ。……」 エスリンも怖い顔をしている。 「アルテナを悲しませるなんて、それこそ責任を取って頂戴。」 フィンが膝を折り、と、アルテナはフィンをどこかに行かせまいとするようにぎゅっと首に齧りついてきた。両腕を首に回し、両足も首に回し、まるでアルテナを首に巻いているようなおかしな格好だ。すみません。私はどこにも参りません。従者としてずっとキュアン様とエスリン様とアルテナ様のもとにおります、と神妙な顔で小さな王女に告げるとやっと離れてくれた。 「私はこれからどう致しましょう。」 途方にくれたように主君夫妻に尋ねると、エスリンは、それでは、遊びの続きをしていらっしゃい。まだアルテナは遊び足りないようだし、遊び足りないと寝つきが悪いの、と促した。生真面目な騎士見習いが、はい、と言うと、アルテナは右手でフィンの手をきゅっと握り、左手で木の槍を掲げた。アルテナはおままごとも好きなのよ、と言うと、いつも通りに、それは畏れ多いですから、と見習い騎士は返答し、キュアンが頼んだぞ、と、背を押すと、フィンはぎくしゃくと、アルテナは楽しそうに部屋を出ていった。 愛娘とフィンを見送った夫妻は、フィンの前では堪えていた笑いを爆発させ、ひとしきり笑った後、真顔になった。 「真面目なのは美徳ともいえるが、フィンの場合、あのまま大人になったらどうなるか少々心配ではあるな。……騎士の鑑といわれるようにはなるだろうが、人生すべてをレンスター王家に捧げられてもそれ私の本意ではない。」 「そうね、あの子にはあの子の幸せがあるべきだわ。……私も気をつけるけれど、あなたも心に留めておいてね。責任を持ってマクニール卿からお預かりしたのだから、可愛らしいお嫁さんを見つけなくてはね。」 二人は長椅子に並んで腰かけ、互いに寄り添う。 「しかし、フィンの伴侶となるならば、いい加減な性格では駄目だろう。身分も何も関係なく、まずは真面目でなくては。」 「そうね、誠実な人でなくてはね、あなたみたいに。」 夫の胸にそっと手を置く。 「そして、君みたいに暖かく、想いやりがある者で」 妻の腰に手を回す。 「あなたのように芯が強くて、でも、皆に気さくで」 「……そして、何よりも互いを想い合える者で……」 そうして、レンスターの万年新婚夫婦は優しいキスを交わした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 「えいっ！」 アルテナの的確な鍛練用の槍の一旋がフィンの足下を見舞った。彼はすんでのところでそれを避けたが、体勢を崩し、大きく前方によろけた。目の前にいる王女を巻き込むのだけは避けようと槍を杖にし、持ちこたえようとするが、頼みの槍は無情にもずず、と鍛練場の表面をすべり、結果、もっとも避けたかった状況となった。辛うじて大地に両手をつくことはできたが、それは王女の両肩の丁度上あたりで、まるでアルテナを組み敷いているような風である。槍騎士は咄嗟に飛びのき、アルテナに謝り、手を引いて起こし、髪の汚れをそっと手拭で落とし……それから、本当に微かに笑った。 アルテナがその様子に首を傾げると、少年の頃のことを急に思い出したのです。と、「責任をとって暇をいただく」話を説明した。アルテナは、そんなことがあったのですか。……まだ私は三歳だったのですね。全く覚えていません、とこめかみのあたりを軽く拳で二三度叩いた。 「あの折はアルテナ様を泣かせてしまい、本当に慌てました。……若い頃の私は随分と短絡的だったのですね。辞めることが責任を取る唯一の道だと信じていたのですから。」 「今は違うのですか？」 「はい……命じられれば別ですが、暇をいただくことは、責任の放棄にしか繋がりません。……私はあのとき、『暇をいただきたい』と申し上げるのではなく『何を成すべきか』お聞きすべきでした。今ならば『全身全霊を込めてレンスターにお仕えすること』が責任の取り方だと知っておりますが。」 「…………フィン、そこのところ、少し違うと思います。そのような小さなことで、大きな責任を感じることはないと思います。」 「は？」 「私は子供でしたし、……ほら、今も覚えていないくらいですし。その頃からあなたが大好きだったのですし。」 フィンが頬を赤くしたのに気付いたアルテナが自分も頬を赤くする。 「そういえば、あのとき、結局私は『お願い』をしていなかったのだそうですね。……今からでもそれは宜しいでしょうか。」 はい、そういったことに期限などはありませんから、とフィンが生真面目に答えると、アルテナは母によく似たお日さまのような笑顔を浮かべ、ならば、ここでキスを下さい。そのときのような事故ではなく。と恥ずかしげに言ったので、レンスターの名将と言われる『蒼の槍騎士は』ゴホンと大きく照れ隠しの咳払いをした後、槍を置き、では失礼します、と耳元で囁いてから優しく愛情込めて抱きしめ、最愛の女性の言うとおりにした。 |
| 250000ＨＩＴ自爆企画祭、たちばなするめさんよりのお題「事故チュー」によるものです。 こ、これでいいのでありましょうか?? (いや、駄目でしょ、こんなんじゃ) うちのサイト内で「真面目すぎる人決定戦」を催行したなら、優勝するのがこの槍騎士さんです。日本の時代劇なら「切腹します！」となっているに違いない。DQのクリフトとアリーナと同様、幼いころからの知り合いで疑似家族ではありますが、フィンの方が抱えているものが重たく、また年齢も高いのでいろいろと難しい関係です。が、私の脳内設定としては、「ゆくゆくはキュアン夫妻を凌ぐ睦まじさを誇る最強万年新婚夫婦になる」はずであります。はず……なのですが、どうにも彼らの甘いところを想い浮かべることが難しい状況です。(それこそ、するめさん達から一方的に栄養補給させていただいている状況) 最後のキスが「どこ」への「どんな」キスなのかは御想像にお任せします(私が最後まで書いてしまうと甘さ激減な展開になります)。真面目が度を超すとギャグになる……それがこのサイトでのフィンさんの扱い……かもしれないです。 多分、サイトで今までに「事故でキス」が出て来たのは「ときメモＧＳ２」で若王子先生のプレイレポのみ。……ゲームをなぞったプレイレポではなく自分が書くとなるとこりゃあ、恥ずかしい以外の何物でもありませんね。……他サイト様に比べれば微糖もいいところだと思われますが、ひとまずこれが私の精一杯<(_ _)>。なんだかこの企画では謝りっぱなしですがここでも、謝っちゃいます。申し訳ありません。 |