胸に輝く小さな思い出
すっかりと春めいてきた３月のある日の午後。 前生徒会会計、クリフトは生徒会室の掃除を終え、両手にゴミの入った20リットル入りのビニール袋を下げ、校庭を歩いていた。 在校生は試験休み期間で、日がな一日クラブ活動をしている。高３は登校日で午前中は卒業式練習などをしていたが、午後には一切から開放され、まだ試験があるものはすぐにまた勉学に戻り、遊びに行くものあり、校内のいずこかで談笑するものあり、高校生活の最後を思いのままに過ごしていた。 クリフトも友人達からいろいろと誘いを受けたのだが、ありとあらゆる雑多なものが積み上げられている生徒会室の状況を思うといてもたってもいられず清掃作業に従事していたわけである。急に思い立ってのことであるから、旧会長・書記はもう帰宅しており、副会長は現在の高２であるから（後輩の手を煩わせることは初めから考えていなかったが）たったひとりでの掃除であった。 陽光の差し込むゴミ集積所付近には彼以外の人影は見当たらなかった。クリフトはゴミ袋を所定の位置に置き、うーん、とのびをした。 と、 ・・・・・次の瞬間、首筋の後ろ辺りを強打され、彼はその場に昏倒した。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ “旧生徒会会計襲われる！” このニュースはその日のうちに校内中を駆け巡った。平和な学園の敷地内に置いて、生徒が襲われるなどということはそれだけでセンセーショナルなことであったし、ましてや襲われたのが品行方正で同級生にも下級生にも優しく、欠点といえば真面目すぎることだけというクリフトだったので、付属中学の小さな連中も “犯行現場、立ち入り禁止！” というプラカードを下げた赤いテープを張り巡らした（←張り巡らしたのは新聞部であるが新聞部のメンバーもテープを張ったはいいが、そのあと何をするでもない）外側に立ってクリフトが倒れていた場所を見てはなにやら話をしている。 この事件はわからないことだらけだった。 まず、動機が不明だ。 誰もが認めるところだが、クリフトは個人的な恨みを買うような性格ではない。 生徒会費を巡ってのトラブルということもほぼ有り得ない。彼はこの学園創設以来最高の会計と言われていたのだから。 そして、金銭目当てでもない。財布は無事だったし、いつもポケットに所持している電子辞書もそのままだった。 男子達は、クリフトに熱い想いを寄せる数多くの女生徒のうちの一人が、クリフトの極鈍加減に業を煮やし、深すぎる愛が憎しみに変わって凶行に及んだのではないかという仮説をたてたが、これは女生徒たちに一蹴された。クリフトに想いを寄せている女生徒は中学生から高校生（そして実は大学に進学しているお姉さまの一部もそうだったりする）まであまたいるが、そこまで煮詰まっている者は居ない。いたらクリフトを取り巻いている自分達のうちの誰がしかが気づく筈、ということだ。 そして、手口が鮮やか過ぎる。 クリフトは外見こそ線が細く見えるが、実のところは武術の基礎を心得ている。自分からは決して手を出さないものの、半端な襲撃者の攻撃をかわす事など朝飯前である。その彼を一撃で倒した襲撃者は、気配を殺すすべを心得、なおかつ彼を上回る武術の使い手であったことは間違いない。 さらには、襲撃者はクリフトを叩きのめすことが目的ではなかったらしい。 クリフトが意識を回復した時、首に鈍い痛みがあったが、それ以外はまったくの無傷で、首の痛みそのものもすぐに収まった。・・・・・人体に存在するツボの位置を正確に心得ていない者にはできない攻撃だ。倒れた拍子にか詰襟のボタンが一つとんでなくなっていたが、その他の被害は全くなかったのである。 知らないうちに誰かを傷つけるようなことをしていたのかもしれない。そして傷ついた人が僕を襲って・・・・・ 心当たりは全くないが、深刻に、真剣に考えてしまうのがクリフトの性分である。と、ぽこん、と頭を叩かれた。 「いたっ！」 クリフトの視線の先には孫の手（肩たたき用にゴムボール付属）をくるくると回している彼の後見人、ブライの姿があった。両親を事故で亡くしたクリフトは、遠縁のこの老人にひきとられたのだった。・・・・もっともブライは執事として住み込みで働いているので、クリフトは屋敷の主の好意でブライと共に、この大きな屋敷で働いているものたちが住む別棟に居住している。 「まーだ襲われたことを悩んでおるのか？おまえさんには何も非がないんじゃろうが。ならば気にすることはない。皿を洗いながらぼーっとするな。水がもったいないわい。」 クリフトははっと気づくと夕食の後始末を速攻で片付け、手をタオルで拭き、着用していた深緑のサロンエプロンを椅子の背にかけた。 「・・・・とはいいましてもじいさま。僕が襲われたことは事実なんです。しかも襲われたのは校庭。部外者は入ってこない場所です。だとすればやはり僕が何か襲われるようなことを・・・・・・」 「ふむ。・・・・・・・おまえさんの友達からは、『あいつを押し倒したいと思う奴はいても襲おうと思う奴はいません！』と聞いたぞ。」 「はあ？」 「・・・こほん。いや、それより、お嬢様はおまえさんのところに来なさらんだか？ああいうご気性じゃ。お前さんの敵討ちをしようなどという物騒なことを考えていらっしゃらなければよいが。」 クリフトはこの屋敷の主人の一人娘のことを頭に浮かべた。クリフトが通っている学園の中学１年生。八年前、ここに無償で住まわせてもらうことになったクリフトが、働くまではできなくとも何かお手伝いさせて欲しいと申し出て、それならば、と与えられた仕事がその女の子・・・・アリーナの遊び相手となることだった。アリーナが小学校高学年になると仕事は遊び相手から家庭教師へと変わったが・・・・クリフトにとってアリーナは幼馴染であり、彼の両親と共に事故で死んだ彼の妹の生まれ変わりのようにも思えていた。 明るく、まっすぐな性格で裏表がない。カラテのジュニア大会でもう３年連続全国制覇しており（実は非公式戦ながら、シニアチャンピオンにも完全勝利している）、走らせれば中高合同体育祭で高３男子に混ざってリレーのアンカーをつとめ（そして半周差を縮めて優勝した！）更にはカラテ部の上級生が駅前で怪しい他校生にカツ上げされたと聞くや駅前で待ち伏せして懲らしめ（騒ぎを聞きつけてかけつけたお巡りさんに彼らは『助けて下さいッ！』と泣きながらすがったそうだ）・・・・そんなアリーナなので、突っ走った行動を取らないように日夜クリフトは警戒しているのだが・・・・・ （そういえば不思議だな。お嬢さん、僕が襲われてから全然姿を見せないぞ。） 現れて振り回されるのも困るが、何をやっているのかわからないのはとても気になる。・・・・それは大概大きな騒ぎに繋がるのだから。 彼は目を閉じ、目をあけた。一つの考えが頭に浮かんだ。 （・・・・しかしいったい何故？） クリフトは頭に浮かんだことを次の日に早速確かめてみようと心に決めた。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ 一夜明けて土曜。クリフトは学校へと出かけ、生徒会室の掃除の続きをし、昼休みに大きな榛の木の根元に腰を下ろしていた。と、彼は襲撃者に強打された後頭部を両手で押さえかなり大きな呻き声を上げて倒れた。 「クリフトッ！大丈夫！？」 飛び出してきた屋敷のお嬢様・・・・・アリーナ・・・・は倒れたクリフトの前にしゃがみ込む。と、クリフトはしゃんとして立ち上がり、アリーナを見下ろした。 「やっぱり。ずっと私のことを見張っていたんですね。・・・・・・何も言わなくてもわかってますよ！私を襲ったのはお嬢さんですね！誤魔化しても駄目ですよ。私が襲われたということは学園中に広まったのに、お嬢さんはいらっしゃらなかった。事件や変わったことの大好きなお嬢さんが出てこないなんて何か理由があるに決まってます！そして、よく考えてみれば、私の隙をついて背後から襲い掛かるなんてこと、学内の人間ではお嬢さんにしかできないことじゃないですか。」 しゃがみこんだままのアリーナはうなだれた。 「ごめんなさい・・・・・・・どうしても、手に入れたかったの！」 「？・・・・・・何をです？私は何も盗まれてはいませんよ？」 アリーナはセーラー服のスカートのポケットに右手を突っ込むと銀色の小さなものを取り出して掌に載せた。 「・・・・ボタン・・・・ですか？」 たしかにボタンが千切れてなくなっていた。しかしなんだってボタンを？ 「どうしてそんなものを？」 「・・・・・・私にもよくわからないんだけれど・・・・？」 「はあ？よくわからないのに私を襲ってボタンを奪ったんですか？」 「・・・・・・この前、クリフトのことを追いかけている高校の先輩達がね、話してたの。卒業式にはクリフトの第二ボタンを貰いたいって・・・・・なんだろ、って思ってたら、また別の人が同じことをいってるのを別の場所で聞いたの。・・・・・・・そういうの、気になるよね。クリフトの詰襟の第二ボタンにどんな秘密があるのかな、って気になって気になって・・・・今までクリフトからボタンの秘密の話なんて聞いたことないし・・・・・卒業式が来たらクリフトは誰かにボタンをあげちゃって結局秘密がわからなくなっちゃうかもしれないし・・・・そうしたら確かめてみたくって・・・・・ちょっと強く殴りすぎちゃった。ごめんなさい。」 頭を地面に付くほど深く倒して謝るアリーナの前にクリフトは苦笑しながら腰を下ろす。 「・・・・それで、何か秘密がありましたか？」 「ううん。普通のボタンだったわ。・・・・・どうして皆このボタンを欲しがったのかしら。」 生真面目で四角四面なクリフトは、それをプレゼントする輩がいるということは聞き知っていたが、第二ボタンの話の詳細を知らなかった。 「うーん。それは卒業する時の記念のようなものだと思いますよ。それを見るたびにその人を思い出すというようなことでしょう。」 アリーナは疑わしげな目を向けた。 「記念っていっても、詰襟のボタンなんてみんなおんなじじゃない。そんなのがどうして記念になるの？」 たしかにそれはそうだ。 「それに第２ボタンだけっていうのは何故？」 そんなこと考えてみたこともなかった。 「・・・・・・全部あげてしまうと制服の前がはだけてみっともないからでは？」 「それだったら第二じゃなくて第一だっていいじゃない。」 「・・・・・・第一だと上が止まらなくてやはりちょっとみっともないからなのかもしれませんよ。」 アリーナが目を大きくした。 「そうかも！同じ理由で一番下の第五ボタンも駄目ね！下が止まらいのってやっぱりちょっとみっともないわ。・・・・・でも、第三だって第四だってよさそうなものだけど。」 「そうですねえ・・・・・」 ふっと胸に手をやってクリフトは第二ボタンに触った。アリーナに千切られてからすぐに新しく付けなおしたボタンだ。 「思い出に一番近いところにあるからかもしれませんよ。」 首を傾げるアリーナに、クリフトは心臓の位置に手をあてて見せた。 「思い出は脳に刻みこまれているものですけれど、刻み込まれたものを見るのはやっぱりここ、・・・・・心ですから。」 するとアリーナはにっこりと笑った。 「そっか！きっとそうね！・・・・・・卒業式にやりとりするものなんだからきっとそういうことよね！」 そしてボタンをクリフトに差し出した。 「はい！返すわ。明日はもう卒業式。そのときにあったほうがいいでしょう？」 クリフトはその手を押しやる。 「よかったら取っておいて下さい。もうボタンは付け替えましたし・・・・・・誰にボタンを上げるということもありません。・・・・・・・それに私はよくはわかりませんが、第二ボタンには少しはご利益があるのかもしれませんよ。」 アリーナはじっと銀色のボタンを見ていたがひとつ大きく頷いた。 「有難う！そしたらお守りにするわ！お守り袋の中に入れておく。なんだかよく効きそう！」 さっそくボタンをぎゅうぎゅう鞄に下げたお守り袋へとつっこむ。ボタンをむりやり突っ込まれてもとからの住人のお札が気を悪くしないかとクリフトは一瞬思ったが、アリーナ満面の笑みを前にして注意をするのはやめておくことにした。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ さて、家に帰ったクリフトはさっそくブライに事の顛末を報告した。 「まったくお嬢さんにも困ったものです。」 苦笑するクリフトの額をブライは孫の手でぽこんと一つ叩いた。 「？一体何を・・・・？」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・卒業式で答辞を読むという男がこんなに世辞に疎いということをあの学園の教員たちはしっておるじゃろうか・・・・・・・・・」 第二ボタンの話をブライから聞かされるうち、クリフトの顔色が変わった。 「ちょ、ちょっと待ってください！ぼ、僕はボタンを取り返してきます！」 「・・・・・・・・お嬢様はボタンを貰ってたいそう喜んでおったそうじゃのぉ。どう説明して返してもらうつもりかのぉ。」 「理由なんてなんとか考えます！とにかくそんなつもりであげたわけではないんですから。とにかく行ってきます！」 クリフトはまだ知らない。アリーナがボタンを手に入れた直後、空手部のみんなに誇らしげにお守り袋から抜き出してそれを掲げてみせびらかしたことを。そして、そこを基点として学園の生徒のほとんどに噂があらぬ巨大な尾ひれをつけて現在完了形でひろまり尽くしたことを・・・・・・・ あらゆる意味で、クリフトにとっては忘れられない卒業式となったのであった。 |
| おそらくサイト開設2年目の３月に期間限定でアップしていたものです。なんというか、こういうぼけぼけなお話が急に書きたくなったので書いたのですが、私には珍しく現代モノ。 こういうのもたまには楽しいですね。一国の王女、とか神官、とかそういった大きな責任やしがらみがない分、(少なくとも成人に達するまでは)楽しく生活できそうです。 ・・・・で、どうして第二ボタンなんですか？ |
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