柚木君の憂鬱
俺が同級生の火原和樹に素顔を晒したのは確か高１も終わりに近い頃だったと思う。 何が楽しいのかいつも笑っていて能天気が服を着て歩いているような火原は音楽理論では素人に毛が生えたくらいの知識しかなかった。そんな奴を 「お優しく」 助けてやることで、周囲からの俺の評価はぐんと上昇してくれたわけだが、あいつが子犬のような人懐こさ全開で会話してくるのに無闇にいらいらしてきてついに本性さらけ出してしまった。 「お前、馬鹿、とかよく言われるんじゃないのか。」 急に口調の変わった俺の顔をびっくりしたように見たあと、奴は阿呆みたい（みたいではなく確実に阿呆だ）にうんうん、と頷いた。 「そうなんだよなー。オケ部の連中と話してるときなんか、『火原、お前、ばっかじゃないか？』なんて、よく言われるんだよね。」 ・・・・・・全然ダメージ受けてないじゃないか。 「前々から思ってたんだ。楽典もソルフェージュも俺の手助けなしじゃクリアできないお前のような人間が何で音楽科に在籍なんてしてるのかってさ。」 「そうそう。俺も同感！実際ペット吹くのに楽典とかソルフェージュとか必要なんて全ッ然知らなかったしさ。毎回助けてもらって感謝してるよ！」 ・・・・・・・・まだニコニコしていやがる。 「正直言ってそんな奴が近くにいると鬱陶しいよ。自分を貶めて努力もせずにへらへらしている君のような奴がね。この世界、なまなかなことで渡っていこうなんて甘すぎるよ。」 おお！やっと顔色が変わってくれた。顔が歪んで泣き出しそうになってやがる。で、・・・・・・・なんで俺に抱きつくんだ？ 「嬉しいよ、柚木！そこまで厳しく言ってくれるのなんて、やっぱ、友達っていいよな！」 「ま、待て・・・・お、俺は・・・・」 「慣れない言葉遣いでわざと憎らしく話したりして、俺のために無理してくれて嬉しいよ!!」 『どこまで馬鹿なんだい、君は。これが俺の地だよ。ま、俺の本性を他の奴に言ったところで信じるわけがないけどね。入学以来築いてきた僕の評価が君の一言で崩れるわけが・・・・・』 と言おうとして・・・・・・俺は青ざめた。 俺の評価は確固としたものだ。上品で、誰に対しても優しく、友人思い……揺るぎはない。教師も生徒も完全に騙されてくれている。 しかし・・・・ 火原に対しての周囲からの評価も揺るぎはない。 つまり、火原は、こう評価されている。奴は ・・・・・バカ正直なお人よしで嘘をつけるほどの頭を持ち合わせていない!! そして俺が一般のなんの特徴もない人間だったなら、火原が騒いだところで火原が見間違えたとか聞き間違えたとかいうこともあろうが・・・・・・・・この聖奏学院で俺と間違う容姿をしている生徒が他にいるか、というと い な い・・・・・・ 俺は咄嗟に考えた末、とんとんと軽く火原の背を叩いた。 「いいんだよ。君のことが心配だったから。これからも助けてあげるけれど、君も少し努力しないとね。いつでも僕が傍に居られるわけじゃないんだから。」 「うん。うん。ありがとな。・・・・・ところで『なまなか』ってどういう意味なの？」 ・・・・・・・こいつ、真性のバカだ。 ・・・・ある意味物凄い敗北感を味わいながら、火原からぐりぐりと髪の毛をかき回された。・・・・・なんで無造作にそんなことをするんだ？朝にカンペキにブラッシングし、スタイリングしたこの髪を。昼休みにも欠かさず手入れしているこの髪を!? ＊＊＊＊＊＊＊＊＊ ……という経験をしたのが一年ちょっと前だ。 で、火原と同じようにどうにもいらつかされた挙句に日野 香穂子という２年生の女に本性さらけ出してみたんだが・・・・・ 「そうですよね！なまなかなことではいけませんよね！」 握りこぶしをぐっと作って、目をキラキラさせながら俺を見上げている。そして、『柚木先輩、有難うございます！』なんて大仰にお辞儀までして ・・・・・ヤバイ。こいつは火原と同属性だ。・・・・・・火原と違うのは２つ。１つは『こいつは異様なまでに努力する』こと。そして２つ目は 『なまなか』という言葉の意味を知っているということ・・・・・・・ しかし、火原の時の二の舞を踏むことはしなかった。火原に比べるとこいつは能天気レベルが低い。ねちねちといろいろと言ってやった。・・・・・しかし、どうして俺はこんな奴を構いたくなるんだ？・・・・・・・ そんなこんなが随分長く続き・・・・ 計算しつくした角度から嘲るように日野に向かって喋っているところで、 「柚木〜！」 というのんびりした声がかかった。 出たな！火原！ 「またそういうやり方してるのか〜？ダメだよ、俺だったらいいけど、香穂ちゃんは女の子なんだからさ。」 俺はきッ！と日野を睨み 「バラしたのかい？助けてもらうためにここに火原を呼んだのかい」 と目だけ笑ってすごんでみせる。日野はぶんぶんと首を振った。 「バラすって何のことさ？俺、香穂ちゃんを探してたんだけど？あ、香穂ちゃん、日曜日さ、オケ部の特別練習なくなったからさ、前からいってた“もんじゃ”にいかない？あそこの店、お好み焼きももんじゃもすっごく美味しいんだからさ。」 「わあっ！わたし、もんじゃ初めてなんです！」 もんじゃ？なんだそれは。 「あ！柚木も行く？」 ・・・・・だからそれはなんなんだよ。 「ええっとさ、お昼だったら１１時30分に待ち合わせでいいかな、香穂ちゃん。」 「あ、私は大丈夫です、和樹先輩ｖ」 ・・・・・・・いつから「和樹先輩」なんて呼ぶようになったんだ、この 女。なんだかむしゃくしゃして 「俺・・・・・・あ、いや、僕も行ってみようかな。」 とにっこり微笑んで火原に言ってやった。 結果・・・・・・・・・・・・・・ 火原・・・・・・・君たちはよくあんなものを食べられるね。あれこそジャンクフードだよ。水ばかりの粉を無理矢理焼いて、生焼けではがして・・・へらから直接食べるのが不衛生だとは思わないのか。・・・・・・俺はもしかしないでも柚木家で始めてもんじゃを食べた男だよ！俺はあきれ果てているのに、『わ、柚木、初めてなのにお好み焼きひっくり返すの巧いな』だの『へらの返し方が優雅ですよね♪』なんていうな。 ジャケットにソースの飛沫が飛んでしまったじゃないか。家に帰ってどう弁解しろと？だからさ、うざいから染みをとろうと二人して躍起になって頑張るのもやめてくれないかな？無理にこすれば落ちるどころか拡がるという基本的なことがわからないのかな？ ああしたら、こうしたら、と二人して浅知恵出し合う姿、見ていて面白いよ。とってもさ。・・・・・可笑しくて笑えるよ。 『香穂ちゃん』『和樹先輩』って呼び合うのも、なんだか聞いてて面白いね。そして、付き合ってるっていっても君たちはまだまだ恋人って奴じゃないらしいな。 そんなんじゃ俺が突っ込んでも楽しくないよ？ ・・・・楽しくないから突っ込むのはやめよう。 だから俺は日野に向き直って言ってやった。 「日野さん、ごめんね。今まで意地悪なことを言って。」 日野の奴『へ？』っていうような・・・・火原そっくりの顔をして呆けている。 「全部君の為を思ってのことだったんだけれど、君の心を結局乱しただけかもしれないね。」 ここで目を伏せる。 日野は微笑んだ。・・・・目を伏せたって俺は視界の端でしっかりと見ているよ。 「いいんですよ、柚木先輩。わかってますから。」 「うん。そうさ、柚木。香穂ちゃんも、俺も、わかってるから」 ・・・・・・・・何もわかっていない癖に。 ＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊ それからずっとずっと・・・・・俺が呆れてテコ入れしてしまったほど長い時間がたって・・・・・・ 「では、心をこめて・・・・・『セレナーデ』を。」 俺がフルートを唇に当てたことを確認し、土浦がピアノを弾きはじめる。・・・・相変わらずよく鳴るピアノだ・・・・・結局セレクションに参加した連中は程度の差こそあれ、俺の本性に感づいていたらしい。そして、気付いても尚、奴らの俺に対する対応はそれほど変わらなかった。 もともと俺が猫をかぶりきれていなかったってことかな・・・・ 吹き口に息を吹き込む。お願いだ、澄んだ音を出してくれ。今までで一番いい音で鳴ってくれ。今日は特別な日なんだから。 と、曲の途中で前の方に座っている火原と目があってしまった。・・・・・・なんだよ、これ、何で泣けてくるんだよ、俺ともあろう男が。 俺はたまらずフルートを下に降ろしてしまった。火原の奴が走り寄ってくる。うわぁ、お願いだ、布ナプキンで涙を拭くな！日野もそういう格好でじたばたと走ってくるなよ！ほら、転んだ！バカ！ 新たに日野が、白いレースのハンカチで俺の頬を伝う涙を拭いているとき、火原がにっこり笑って言った。 「柚木、合奏しよう。」 このあとのプログラムのために持ってきていたトランペットを火原はケースから取り出した。奴が日野に向かって微笑むと日野もにっこり頷いてヴァイオリンを取りに戻る。 「わかった。・・・・・・・・だが俺の音楽を破壊するなよ。」 火原はピストンの調子を確かめながら頷いた。 「わかってるってば。何もかも。」 奴の合図で再び土浦がにやっと笑ってから伴奏を弾き始める。 無茶苦茶だな・・・・・・こいつら・・・・ 白いタキシードを着たトランペッターとウェディングドレスのヴァイオリニストの間に挟まれて俺はフルートを取り上げた。 不覚にも 数多くのコンクールやリサイタルでは出しえなかった、この上もなく優しく甘い音をこんな世界的評価とは無縁の場所でフルートは初めて奏で・・・・・ 俺はそれをちっとも嫌だとは思わず、むしろ音楽の神に感謝した。 |